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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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血に濡れた英雄

急ぎで書いたのでおかしなところがあったら教えてください。

「本当に、殺したんですか……」

アレンは、消え入りそうな声で尋ねた。

男は前方の暗い山道から視線を逸らさず、ハンドルを握ったまま短く答えた。

「あぁ」

その一言で、狭い車内の空気が凍りついた。

エンジンの低い唸りだけが、二人の間に落ちた沈黙を無遠慮に掻き回している。

ヘッドライトが山道を白く照らし、道路脇の木々が次々と光の外へ流れていく。

アレンは何も言えず、隣に座る男を横目で見た。

先ほどの戦闘の痕跡は、まだ男の身体に残っていた。

黒いコートの裾には、乾きかけた赤黒い染みが広がっている。

ただの汚れではない。

そこには、ほんの少し前まで確かに存在していた人間の命の痕跡があった。

それを見つめているうちに、アレンの胃の奥がゆっくりと締め付けられていく。

耐えきれず、目を逸らした。

「どうして……そこまでする必要があったんですか……」

ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱かった。

男はすぐには答えなかった。

ハンドルを握る指が、ほんの僅かに動く。

車は何事もなかったかのように、曲がりくねった山道を進み続けていた。

やがて男の口元が僅かに歪んだ。

笑ったというより、乾いた息が漏れたような表情だった。

「なかった、そう言いたいんだろ」

アレンは答えなかった。

男も問い返さない。

ただ前を見たまま、低い声で続けた。

「だがな、アレン」

「向こうは最初から銃を抜いていた」

「その時点で、あいつは自分の命を賭けたんだ」

アレンは何も言えなかった。

男の声には、怒りも興奮もなかった。

それがかえって恐ろしかった。

まるで、人を殺すという行為そのものが、男にとってすでに日常の一部になっているように聞こえた。

「銃を抜いた時点で、あいつは自分の命を賭けたんだ」

同じ言葉を、今度は噛みしめるように男は繰り返した。

アレンは膝の上で両手を強く握り締めた。

それでも、その説明だけでは胸の奥に生まれた重苦しさを消すことはできなかった。

人が死んだ。

自分たちを襲った人間だったとはいえ、確かに一人の人間が死んだ。

その事実だけが、何度も頭の中を巡っていた。

男はそんなアレンの横顔を一瞬だけ見た。

そして、静かに名前を呼ぶ。

「アレン」

「はい……」

「この先も、こういうことはある」

その言葉には、脅しも慰めもなかった。

ただ、これから先に待っているものを伝えるだけの、静かな響きがあった。

「もっと酷い場面を見ることになるかもしれない」

「もっと大勢の人間が死ぬところを見ることになるかもしれない」

「その中には、俺たちが殺す人間もいる」

「俺たちの目の前で殺される人間もいるかもしれない」

男は一度言葉を切った。

「そして……俺たち自身が死ぬことだってある」

アレンは息を呑んだ。

男は前を向いたまま、さらに続けた。

「無理なら、帰った方がいい」

アレンが顔を上げる。

それでも男は視線を向けなかった。

「俺は、お前の手まで――」

「俺たちと同じように、血で染めたくない」

アレンは無意識に自分の頬へ手を触れた。

指先に残っていた血が、皮膚に細い赤い線を引いている。

ほんの浅い傷だった。

男が顎でダッシュボードを示す。

「そこに救急箱がある」

「その頬、血が出てるだろ」

「手当てしておけ」

アレンは黙ってダッシュボードを開いた。

中には簡素な救急箱が入っていた。

白い箱を取り出して蓋を開ける。

消毒液、包帯、小さなガーゼ。

必要なものだけが整然と収められていた。

アレンはスマートフォンの黒い画面を鏡代わりにして、自分の顔を確認する。

頬には細い裂傷が走っていた。

幸い、傷は浅い。

血を拭い、消毒液を染み込ませたガーゼを傷口に押し当てる。

焼けるような痛みが走った。

「……っ」

思わず小さく息を漏らす。

男は何も言わなかった。

アレンも黙って傷の処置を続けた。

ガーゼを当て、包帯を固定する。

その作業が終わる頃には、車は山道をかなり奥まで進んでいた。

窓の外には、街の明かりはもう見えない。

あるのは、ヘッドライトに照らされた道と、その先に広がる深い闇だけだった。

アレンは、ずっと胸の中に引っ掛かっていた疑問を口にした。

「人を殺して……その、大丈夫なんですか」

男の手が、僅かに止まった。

ほんの一瞬だった。

だが、アレンにはその小さな変化がはっきりと見えた。

男はしばらく黙っていた。

やがて小さく息を吐く。

「あぁ」

淡々とした声だった。

「俺は、もう慣れちまった」

その言葉は、思っていた以上に重かった。

「戦争で、たくさんの人間を空から葬った」

男の視線は前方に固定されたままだった。

「爆撃もした」

「船も沈めた」

「そこに何人乗っていたのかなんて、いちいち数えていなかった」

アレンは黙って聞いていた。

男の声は淡々としている。

だが、その奥には、何年経っても消えない何かが沈んでいた。

「爆弾を落とした瞬間、下にいた人間がどうなったのかなんて、空の上からじゃ見えない」

「ただ煙が上がって、炎が広がる」

「無線から被害報告が聞こえる」

「それで任務完了だ」

「次の目標へ向かう」

男は乾いた笑いを漏らした。

「簡単だろ」

「人間を殺すっていうのに、空の上にいると恐ろしく簡単なんだ」

「ボタンを押すだけで、大勢の命が消える」

「自分の手には、ほとんど何も付かない」

男は一度、ハンドルを握り直した。

「だから余計に怖いんだ」

アレンは黙ったまま、男の横顔を見つめていた。

「俺が殺した奴らにも家族がいた」

「帰りを待っている人間がいた」

「明日のことを考えていた人間だっていた」

「それを俺は、殺してきた」

アレンは何も言えなかった。

男はしばらく沈黙した後、静かに続けた。

「もちろん、俺が敵を殺したことで助かった奴もいた」

「俺たちが敵を撃ち落としたことで、味方の輸送機が生き残ったこともある」

「爆撃したことで、味方の部隊が包囲から逃げられたこともあった」

「敵艦を沈めたことで、味方の艦隊が助かったこともある」

男は前を見たまま言った。

「守れた命も、確かにあった」

「だから戦争は厄介なんだ」

「殺したことが、そのまま悪い結果になるとは限らない」

「誰かを殺したことで、別の誰かが生き残ることもある」

「だが……逆もある」

男の声が低く沈んだ。

「守ろうとして撃った結果、巻き込まれて死んだ奴もいた」

「助けようとして、間に合わなかった奴もいた」

「俺の判断一つで、帰ってこなかった奴も大勢いる」

「俺がもっと早く気付いていれば」

「俺がもっと上手く飛べていれば」

「俺が別の命令を選んでいれば」

男はそこで言葉を止めた。

「……そう考えたことなんて、一度や二度じゃない」

車内に、再び沈黙が落ちた。

エンジンの音だけが、暗い山道に響いている。

男はフロントガラスの向こうに広がる闇を見つめていた。

アレンは何も言わない。

やがて男が、ぽつりと口を開いた。

「カイは、それが一番わかってた」

アレンが顔を向ける。

「アイツは、敵だったから仕方ない……なんて、そんな簡単に割り切れる人間じゃなかった」

夜道に、男の声だけが静かに残る。

「自分が奪った命」

「守れなかった命」

「その全部を背負って、飛んでた」

男は僅かに笑った。

自嘲するような笑みだった。

「英雄だの、救世主だの……そんな綺麗な名前で呼ばれてた」

そして、静かに首を振る。

「実際は違う」

しばらく間が空いた。

「敵が言ってた『悪魔』の方が、近かったのかもしれないな」

アレンは男の横顔を見つめた。

その瞳は、ずっと前方を向いている。

だが、そこに今の山道が映っているようには見えなかった。

その瞳が見ているのは、もっと遠い場所だった。

過去の戦場。

失われた空。

もう戻ってこない誰か。

そんなものを見ているようだった。

「俺たちは、守るために戦っていると言いながら、その手で何人もの命を奪ってきた」

「その矛盾を、俺たちは最後まで抱えていた」

「英雄なんて名前は、後から付けられたものだ」

男は淡々と言った。

「殺して」

「殺されかけて」

「それでも、生き残った」

「……それだけだ」

アレンは答えなかった。

男も、それ以上は何も言わなかった。

一人の人間が死ぬたびに、残された人間の中にも何かが残る。

憎しみとして。

罪悪感として。

後悔として。

あるいは、生涯消えることのない記憶として。

それは、血のように簡単には洗い流せない。

車はそんな静寂を乗せたまま、山の奥へと進んでいった。

ヘッドライトが照らす道だけが、闇の中に細く伸びている。

その先に何が待っているのかを、二人はまだ知らない。

ただ、男のコートに付いた赤黒い血だけが、先ほどまでそこにあった死を物語るように、夜の闇の中で消えずに残っていた。

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