遠き空の向こうへ
アレン編再開です。
アレンの過去語りの途中からで場面はアレクセイとヴェータがカイとの戦闘後となっています。
黄昏時、西の空は赤く燃えていた。
雲は夕日に染まり、海の向こうまで血のような色が広がっている。
基地では誰もが空を見上げていた。
エトワール隊の帰投予定時刻はとっくに過ぎていた。
整備兵たちも、管制員たちも、兵士たちも。
誰もが落ち着かない様子だった。
アレンも同じだった。
胸の奥に嫌な予感が広がっている。
理由はわからない。
だが、何かが起きた。
そんな気がしてならなかった。
「遅いな……」
誰かが呟く。
返事をする者はいない。
皆同じことを考えていた、そのときだった。
「おい、あれ!」
見張りの兵士が叫んだ。
全員が空を見る。
夕日に染まる空の向こうに小さな黒い点が見えた。
一つそしてもう一つと次々と機影が現れる。
帰ってきた。
誰もがそう思った。
だが――アレンは違和感を覚えた。
数が足りない。
着陸態勢に入った機体を数える。
一機、二機、三機、四機、五機、六機。
足りない。
二機足りない。
基地全体が静まり返った。
誰も口を開かない。
戦闘機が次々と滑走路へ降りてきたが歓声はなかった。
誰もが理解していた。
アレンは着陸した機体へ走った。
コックピットが開く。
最初に降りてきたのはルドガーだった。
顔には煤が付着し、飛行服も破れていて疲労が隠せない表情だった。
アレンは息を切らしながら駆け寄る。
「ルドガーさん!」
ルドガーが振り返る。
その顔を見た瞬間。
アレンの胸が締め付けられた。
「二人は」
声が震える。
「おじさんとヴェータさんは」
ルドガーは答えなかった。
ほんの数秒だったが永遠のように長い沈黙だった。
やがて彼は低く呟く。
「やられた」
アレンの思考が止まった。
「え」
聞き間違いだと思った。
そうであってほしかった。
だがルドガーは続ける。
「黒翼だ」
その名が重く響く。
「ヤツがヴェータを喰らっていきやがった」
誰かが息を呑む音が聞こえた。
「隊長は俺たちが逃げられるように残った」
アレンの頭が真っ白になる。
ヴェータが、あのヴェータが。
優しくて、いつも穏やかで、誰にでも笑いかけていたあの人が。
その時だった。
ガンッ――!!
凄まじい音が響いた。
皆が振り向いた方向にいたのはハルドだった。
拳で機体を殴りつけていた。
機体の外板が大きくへこむ。
「チクショウ!!」
基地中に怒声が響いた。
誰も止めない。
止められなかった。
「なんなんだアイツは!!」
もう一度殴る。
血が飛び散る。
「なんなんだよ!!」
さらにもう一発。
拳が裂ける。
それでも止まらない。
「あの化け物は!!」
怒りと恐怖、そしてどうしようもないほどの無力感。
全てがその叫びに込められていた。
誰も言葉を返せずに基地は沈黙に包まれた。
その時だった。
遠くでエンジン音が聞こえた。
最初は誰も気付かなかった。
だが次第に音は大きくなる。
全員が空を見る。
夕日の彼方に一つの機影。
ふらつきながら近づいてくる。
「あれは……」
誰かが呟いた。
機体はひどい有様だった。
片翼は半ばから吹き飛んでいる。
胴体は穴だらけ。
黒煙を吐きながら飛んでいた。
今にも空中分解しそうだった。
それでも飛んでいる。
奇跡のように。
「隊長だ!」
誰かが叫んだ。
基地が騒然となる。
機体は激しく揺れながら滑走路へ降りる。
着陸というより墜落に近かった。
火花を撒き散らしながら停止する。
整備兵と衛生兵が一斉に走る。
アレンも気付けば駆け出していた。
コックピットが開く。
中にいたアレクセイは血まみれだった。
顔も腕も飛行服も真っ赤に染まっている。
そして――バタンと地面へ倒れた。
「隊長!!」
「隊長!!」
カールとレオンが真っ先に駆け寄る。
衛生兵たちも集まりすぐに担架が運ばれてくる。
アレクセイは意識が朦朧としているようだった。
だが――笑っていた。
あの日。
黒翼の噂を聞いた時と同じ笑み。
少年のような、狂気にも似た笑み。
血だらけの顔で、息も絶え絶えになりながらそれでも彼は笑っていた。
「見つけた……」
誰も言葉を発せない。
アレクセイの瞳だけが輝いていた。
「ようやく見つけた……」
その視線はどこか遠くを見ている。
まるで宝物を見つけた子供のように。
「黒翼……!」
その名を口にした瞬間。
アレクセイは笑ったまま意識を失った。
担架が急いで医務室へ運ばれていく。
基地には誰も声を出せなかった。
ヴェータは帰らない。
多くの仲間も帰らない。
なのに――アレクセイだけは、天空の王だけは、長年探し続けた存在を見つけた喜びに震えていた。
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その日の夜は基地の多くの者は眠れなかった。
医務室には負傷者が溢れ、整備場では夜通し機体の修理が続いている。
誰もが昼の戦闘の話をしていた。
黒翼。
その名だけが基地中を漂っていた。
そんな深夜。
静まり返った基地にローター音が響いた。
遠くから近づいてくる重い音。
見張りの兵士たちが空を見上げる。
一機のヘリだった。
照明を最低限に落とした機体が滑走路脇へ降り立つ。
扉が開き中から飛び出してきた医療兵たちの動きを見て、周囲の空気が変わった。
誰もが何かを察した。
担架だ。
急いで誰かが運ばれている。
ルドガーが真っ先に走った。
「誰だ!」
返事はなかった。
だが担架に近づいた瞬間、彼の目が大きく見開かれる。
「ヴェータ……!」
声が震えた。
「よかった……」
ルドガーは担架の横に膝をつく。
「ヴェータ」
もう一度呼ぶ。
「よかった」
その声は掠れていた。
普段の彼からは想像もできないほど。
「よかった……」
ルドガーは泣いていた。
ずっと覚悟していたのだろう。
帰ってこないかもしれないと、もう二度と会えないかもしれないと。
だからこそ、生きているという事実だけで涙が溢れていた。
だが、担架の上のヴェータは動かなかった。
意識はなく呼吸はかろうじて続いている。
医療兵たちの表情も決して明るくはなかった。
一人が振り返り叫んだ。
「道を開けろ!」
その声に周囲が慌てて下がる。
「急げ!」
別の医療兵が叫ぶ。
「治療室へ急げ!」
担架が再び動き出し兵士たちが道を空ける。
ルドガーも立ち上がり、その後を追う。
アレンは少し離れた場所からその光景を見ていた。
胸の奥がざわつく。
昼には戦死したと思われていた。
けど生きていた。
それは喜ぶべきことのはずだった。
だが何故か言葉が出ない。
担架が横を通り過ぎたほんの一瞬、アレンはヴェータの顔を見た。
青白い顔に閉じられた瞼。
意識はない。
それなのに――口元だけが僅かに緩んでいた。
笑っている。
アレンは息を呑んだ。
昼間。
担架で運ばれていったアレクセイ。
あの時と同じだった。
戦友を失い、自らも倒れながらそれでも笑っていた。
まるで長年探し続けた何かを見つけたかのように。
そして今、ヴェータもまた同じ笑みを浮かべていた。
それは恐怖でも苦痛でもない、歓喜にも似た笑み。
アレンには理解できなかった。
ただ一つだけ分かったことがあった。
あの空で、あの戦場でアレクセイとヴェータは何かを見たのだ。
命を懸けてでも追い求めた何かを。
遠ざかる担架を見つめながら、アレンは無意識に呟いた。
「黒翼……」
夜風が吹く。
その名だけが静かな基地に残った。
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医務室の窓から差し込む朝の光は淡かった。
消毒薬の匂いの中、アレンは扉の隙間から二人を見ていた。
昨夜まで生死の境を彷徨っていたはずなのに、アレクセイもヴェータもまるで別人のように穏やかだった。
いや――穏やかという言葉は違う。
何かを見つけてしまった者の顔だった。
アレクセイは包帯だらけの身体のまま天井を見上げている。
口元には微かな笑み。
戦場を思い出しているのだとアレンには分かった。
ヴェータも同じだった。
傷だらけの顔で窓の外を見つめている。
敗北したはずだった。
仲間を失い、自らも瀕死の重傷を負った。
普通なら怒りや悔しさを滲ませるはずだ。
だが二人にはそれがなかった。
あるのは歓喜にも似た感情だけだった。
「隊長、彼こそが……」
ヴェータが小さく呟く。
アレクセイは笑った。
「ああ」
その声は静かだった。
だが確信に満ちていた。
「ようやく見つけた」
長年探し続けていた宝を見つけたような声だった。
ヴェータも頷く。
「まさか本当に存在したとは」
「私も半ば伝説だと思っていたよ」
アレクセイは目を閉じる。
脳裏に焼き付いているのだろう。
あの黒い機体が誰も追いつけない速度、誰も真似できない機動、そして圧倒的な強さ。
「私は彼になら落とされてもいい」
アレクセイは静かに言った。
医務室の空気が張り詰める。
「彼と自由な空で技の限りを尽くし、己の望むままに、己の望む闘いを繰り広げることができるなら」
彼は笑った、まるで少年のように。
「死んでもいい」
ヴェータも否定しなかった。
むしろ理解しているようだった。
「隊長の言いたいことは分かります」
「だろう?」
「ええ」
ヴェータは目を細めた。
「初めてでした」
「ああ」
「空があれほど広く感じたのは」
二人は笑う。
まるで他人には理解できない何かを共有しているようだった。
アレンはその姿を見て寒気を覚えた。
昨日まで知っていた二人ではない。
優しくて、仲間思いで、子供にも気を遣うようなそんな人たちのはずだった。
だが今の二人は違う。
もっと別の何かだった。
空の果てだけを見つめる存在。
戦いそのものを愛している存在。
人ではなく、獣でもなく、もっと別の何かにアレンの目にはそう映った。
窓から差し込む光が二人の背中を照らす。
その瞬間だった。
アレンには見えた気がした。
アレクセイの背中から、ヴェータの背中から巨大な翼が伸びているように。
天へ届くほど巨大な翼が。
二人はただの軍人ではなかった。
空に魅せられた者たちだった。
そして黒翼もまた同じ世界に生きる存在なのだろう。
アレンは知らず拳を握る。
自分だけが違う。
自分だけがこの場所にいる理由が違う。
彼らは空を求めている。
だが自分は違う。
家族を奪われたから、帰る場所を失ったから。
ただそれだけだった。
医務室の中では二人の笑い声が続いていた。
まるで遠い空の向こうを見ているかのように。
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二人は怪我が治ってからほとんど休まなかった。
飛んだ、毎日のように飛んだ。
任務があろうとなかろうと空へ上がった。
まるで何かを探しているように、誰かの影を追い続けているように。
そのころには前線は膠着し、人は慣れ、死は日常になっていた。
だがエトワール隊だけは違った。
帰投したアレクセイは地図を広げ、交戦記録を確認し、敵の進路を調べ続ける。
ヴェータも報告書を読み漁っていた。
撃墜地点、敵編隊の侵入方向、空の癖、風向き、その全部を繋ぎ合わせようとしていた。
まるで獲物の足跡を追う狩人だった。
アレンは整備場の片隅からそんな二人を何度も見た。
帰ってきても休まない。
食事も忘れただ次の飛行を待つ。
それは執念に近いものだった。
そして――。
「それから……」
アレンが言葉を続けようとした瞬間だった。
男が手を上げた。
「アレンは静かにしろ」
低い声だった。
先ほどまでの雑談とは違う。
アレンは反射的に口を閉じた。
「どうしたんです」
男は返事をせず立ち上がる。
船室の窓へ近づき外を見る。
暗い海の向こう、遠くにうっすら見える陸地。
男の目つきが変わった。
「そろそろ着く」
その一言で空気が変わった。
「装備の最終確認をしろ」
アレンは一瞬遅れて動いた。
足元のバッグを開ける。
拳銃、予備弾倉、ナイフ、手帳、写真、通行許可証の全部が入っていることを確認する。
慣れない手つきだった。
男は慣れた動きでコートの内側を整えた。
外套の裾を少し持ち上げホルスターの位置を確認してから肩を回す。
そして窓から外を見続けた。
「あと、バレないように静かにしろ」
アレンは頷いた。
船の振動が少しずつ変わっていく。
速度が落ちていた、それにつられてエンジン音も低くなる。
誰も大声を出さない。
外では乗組員たちが慌ただしく動いている音がした。
そのとき扉がノックされ水兵が入ってくる。
「そろそろ目的地です」
「接岸ししだい早急な動きが必要になります」
「早くお車のところで待機を」
「あぁ、わかった」
男は荷物を肩に掛けそして少しだけ笑った。
「ありがとう」
男は水兵を見た。
「お前たちも早く戻れ」
水兵は敬礼した。
「はい。お二人の健闘を」
扉が閉まる。
静寂。
アレンは深呼吸した。
ここまで来てしまった。
帝国を出て、海を越えて、追われながら、ただ一人の男を探しに来た。
男は扉へ向かいながら言った。
「行くぞ」
アレンはバッグを持ち上げた。
船は静かに速度を落としながら、見知らぬ国の岸へ近づいていた。
〜お願い〜
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