証明
ノルヴァイン帝国首都オルドリア。
帝国の政治と軍事を司る巨大都市の中心、その地下深くに帝国参謀本部は存在していた。
そこには東部戦線から届けられたばかりの戦況報告が並べられていた。
大型の戦況図には、帝国軍によって押し上げられた前線が赤い線で描かれている。
一見すれば、帝国軍が大規模攻勢を成功させたことを示す地図だった。
だが、その横に表示された損害報告の数字が、誰もそれを勝利として喜ばせなかった。
参謀たちは次々と報告書へ目を通し、重苦しい沈黙の中で言葉を交わしていた。
「損害が大きすぎる!!」
一人の将官が机へ拳を叩きつけた。
「そもそも何故あんな巨大な物の報告がなかったのだ」
別の将官が苛立った様子で戦況図を睨みつける。
「情報局の怠慢であろう」
その言葉に、円卓の端に座っていた男がゆっくりと顔を上げた。
帝国情報局副長。
カリグラ・ツェペシュ。
「……情報局の怠慢、ですか」
静かな声だった。
だが、その一言で室内の喧騒が止まった。
先ほどまで怒声を飛ばしていた将官たちも、何も言わずにカリグラへ視線を向ける。
カリグラは椅子からゆっくりと立ち上がった。
その動作には一切の焦りがなかった。
「確かに、我々はあの兵器の存在を事前に把握できませんでした」
彼は否定しなかった。
「それについては、我々に責任があります」
淡々とした口調だった。
まるで他人事のように聞こえるほど、その声には感情がなかった。
「しかし、それでも一つだけ事実があります」
カリグラは大型戦況図へ視線を向けた。
そこには、東部戦線へ突如として現れた巨大な機影についての情報が表示されている。
「けれど、追い返すことには成功しました」
室内の誰かが低く呟いた。
「あれか……」
「ええ、あれです」
誰もがその言葉の意味を理解していた。
あの戦場でゼニス・アークを追い詰め、無数の無人機を撃墜し、巨大な戦略兵器へ単独で食らいついた黒い戦闘機。
帝国軍にとって、それは突然現れた強大な戦力だった。
「黒翼か……」
誰かがそう呟いた。
正式な呼称すら決まっていない。
パイロットが誰なのかも、まだ確定していない。
それでも今となっては、帝国軍にとって極めて強力な手札となっていることだけは確かだった。
カリグラは何も答えなかった。
ただ静かに戦況図を見つめている。
その顔に浮かんでいたのは、ほんの僅かな笑みだった。
誰も気づかなかった。
その笑みの奥に、隠された愉悦があることを。
情報局がゼニス・アークの存在を知らなかったなど、嘘だった。
あの巨大兵器については、ずっと以前から情報局の把握下にあった。
性能も、運用思想も。
そして、いずれ戦場へ投入される可能性があることも。
ただし、それを参謀本部へ知らせる必要はなかった。
いや――知らせてはいけなかった。
カリグラは誰にも聞こえないほど小さく息を吐いた。
(まさか、こんなにも早く出してくるとは……)
視線の先には、戦況図に映し出された漆黒の機体があった。
(Λのいい実験台になってくれた)
それは偶然の勝利などではなかった。
カリグラにとって今回の戦闘は、戦果以上の意味を持っていた。
F-15Λ
そして、その機体に乗るカイ・ラグナー。
帝国情報局が長い時間をかけて追い続けてきた、未知の可能性。
あの戦闘によって、その一端がようやく露わになった。
激しい高G機動。
常識から逸脱した反応速度。
限界を越えた機体制御。
そして、通常のパイロットならば躊躇するような領域へ、何の迷いもなく踏み込んでいく精神性。
それら全てが、情報局の求めていたデータだった。
カリグラは表情を変えないまま、戦況図を見つめ続けた。
参謀たちは帝国軍の損害について議論を続けている。
誰も知らない。
この戦争の裏側で、別の計画が静かに進行していることを。
そしてカリグラは理解していた。
この二日間の戦闘によって、計画は一つの段階を越えた。
黒翼は、ただ戦場へ現れた英雄ではない。
これから始まる何かの、最初の証明だった。




