空を覆うもの
カイが戦場へ姿を現した頃には、地上はすでに混乱の渦へと呑み込まれていた。
帝国軍の砲兵陣地から放たれた砲弾が、絶え間なく連邦軍陣地へ降り注いでいる。
砲撃によって巻き上げられた土砂と雪が空を覆い、燃え上がる車両の黒煙が戦場の至る所から立ち昇っていた。
連邦軍の部隊は帝国軍の圧倒的な火力を前に後退を続け、指揮系統すら寸断されつつあった。
「後退しろ! ここに留まれば全滅するぞ!」
「どこへ下がればいい! 後方の道路も砲撃を受けている!」
「戦車隊は右側面を守れ! 歩兵を置いていくな!」
怒号と悲鳴が入り乱れ、戦場は完全な混沌と化していた。
しかし、そのすべてが崩壊していたわけではない。
混乱の中でも冷静に状況を把握し、部隊をまとめ上げる指揮官たちがいた。
散り散りになった歩兵を再編し、戦車を防御線へ配置する。
砲兵へ反撃射撃を命じ、帝国軍の前進を食い止めようとする。
そして、いくつかの部隊ではすでに反撃が始まっていた。
「敵の前進速度が落ちたぞ!」
「今だ! 戦車隊、前へ出ろ!」
連邦軍の装甲車両が土煙を巻き上げながら前進していく。
帝国軍の砲撃によって崩された戦線の一部を、再び押し返そうとしていた。
カイはその光景を上空から静かに見下ろしていた。
地上だけではない。
空にも、次の戦いの気配が迫っていた。
遠方から複数の航空機が上昇してくる。
そして、そのさらに後方。
連邦軍の前線基地から、航空戦力が次々と発進を始めていた。
その直後だった。
地上から無線が飛び込んでくる。
『射出準備完了! ロックボルト解除! いつでもどうぞ!』
前線後方に展開された無人機運用部隊。
そこでは複数の射出装置が一斉に展開されていた。
「よし! 十五メートル離れろ! UAV射出用意!」
兵士たちが一斉に退避する。
「射出!」
次の瞬間、轟音とともに、射出装置が作動した。
コンテナ式発射装置の簡易射出レール式専用ランチャー。
そこから無数の無人機が次々と空へ放たれていく。
一機、二機、五機、十機。
さらにその後ろからも、次々と機体が飛び出していく。
まるで地面そのものから、無数の黒い虫が這い出してくるようだった。
無人機群は編隊を組みながら上昇し、戦場上空へ広がっていく。
その数は瞬く間に増えていった。
カイはHUDに表示される多数の反応を確認する。
そのとき、右側から別の機影が接近してきた。
「……?」
カイが視線を向けると灰色の戦闘機が、黒いF-15Λの横へ並んだ。
その後ろにも、さらに二機、四機。
いつの間にか、ヴァイパー隊がカイの編隊へ合流していた。
通信が入る。
『レイヴン1、地上の援護は俺達に任せてお前はあれを落とせ』
カイは前方を見る。
無数の無人機が、戦場上空へ広がってきている。
その先には、さらに新たな航空戦力が上昇を始めていた。
カイの瞳が細くなる。
「……了解。」
短い応答と共にカイはスロットルを押し込む。
F-15Λのエンジンが唸りを上げた。
黒い機体が一気に加速する。
ヴァイパー隊はその背後に残り、地上へ迫る敵部隊へ向けて機首を下げていく。
『行け、レイヴン1。』
カイは答えなかった。
ただ前だけを見ていた。
無数の無人機のそのさらに向こうに待つ敵航空戦力。
そして、今日という戦場で再び目を覚まし始めた、空の怪物たち。
黒翼は再び、戦場の空へ飛び込んでいった。
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カイは一人、戦場の空を舞っていた。
眼下では帝国軍の進撃が続き、砲煙と黒煙が入り混じった大地を無数の車両が駆け抜けていく。
その遥か上空で、漆黒のF-15Λだけが別の戦場にいるかのように飛んでいた。
周囲を取り囲むのは、数え切れないほどの無人戦闘機だった。
それらは感情を持たない。
恐怖も迷いもない。
命令された通りに飛び、命令された通りに殺すだけの機械だった。
しかし、カイもまた、それらと似たような存在になっていた。
昨日の空戦とは明らかに違っていた。
昨日の彼には、空を求める衝動があった。
敵を前にした歓喜があった。
そして、アレクセイという一人の飛行士と戦うことを望む、純粋な感情があった。
だが今は違う。
ただ飛び、ただ狙い、ただ撃つ。
そして、ただ殺す。
「……。」
カイは無言のまま機体を滑らせた。
一機の無人機が背後から接近する。
カイは振り返ることすらしなかった。
機体を僅かに傾け敵機の射線が空を通り過ぎる。
その瞬間、カイは機首を跳ね上げた。
機関砲が火を噴き無人機の機体が空中で砕け散った。
残骸が落ちていく。
その横から、さらに二機。
カイは急旋回しそのまま一機目を撃墜。
そのまま機体を反転させ、二機目の背後へ滑り込む。
短い射撃によりまた一機。
カイの周囲には、誰にも踏み込むことのできない領域が形成されていた。
そこへ入った無人機は、例外なく破壊される。
まるで黒い翼の周囲だけ、死そのものが空間を支配しているようだった。
無人機が増える、さらに増え続ける。
それでもカイは止まらない。
一機、二機、三機、四機と次々と撃墜されていく。
その動きには一切の無駄がなかった。
ただ淡々とまるで何かに縛られているかのような機械のような正確さで狩り続ける。
昨日、アレクセイと戦った時に見せた狂気とはまるで違う。
あの時のカイが、解き放たれた獣だったとするなら。
今のカイは、再び鎖へ繋がれた猟犬だった。
命令されたから飛ぶ。
敵だから落とす。
それだけだった。
その間にも、地上では帝国軍の進撃が続いていた。
戦車部隊が雪原を突き進み歩兵部隊がその後ろへと続く。
砲兵隊は絶え間なく砲撃を続け、連邦軍の防衛線を一つずつ削り取っていく。
連邦軍も必死に抵抗していた。
だが、昨日の大攻勢によって受けた損害はあまりにも大きかった。
航空戦力、装甲戦力、砲兵、補給部隊。
そして何より、兵士たちの士気のすべてが限界へ近づいていた。
「敵戦車、正面から来るぞ!」
「対戦車班を呼べ!」
「もう弾がない!」
「後退しろ! 次の防衛線まで下がれ!」
その声すら、砲撃の轟音に掻き消されていく。
一台の装甲車が炎上していた。
そのすぐ脇では、負傷した兵士が雪の上に倒れている。
仲間の兵士が駆け寄った。
「おい、しっかりしろ!」
返事はない。
「寝るな!! 女房が待っているんだろ!」
肩を揺さぶる。
「聞こえてるのか! おい!」
遠くで砲弾が炸裂した。
雪と土砂が降り注ぐ。
それでも兵士は必死に仲間へ声を掛け続けた。
「帰るんだろ……。」
「昨日、家に帰ったら何を食べるか話してただろ……。」
「だったら起きろよ……なぁ……。」
その声は震えていた。
戦場の空では、また一機の無人機が撃墜された。
黒煙を引きながら、機体の残骸が雪原へ落ちていく。
その遥か上空を、黒い翼が通過する。
地上の兵士たちには、その姿が一瞬だけ見えた。
黒い翼の向こうに広がる青い空。
誰かが呟いた。
「……黒翼だ。」
彼らの頭上で、カイは再び次の無人機へ機首を向けた。
ミサイルが白い軌跡を描きながら飛んでいく。
無人機が爆散する。
カイはそれを確認すると、何事もなかったかのように次の標的へ向かった。
戦場はまだ終わらない。
帝国軍は前へ進み続ける。
そして黒翼もまたその進撃の先頭を飛び続けていた。
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だが、その戦場に突然、異変が起きた。
セリオン群島中央島の三分の二を帝国軍が奪取した、その時だった。
帝国軍の進撃部隊は、なおも前進を続けていた。
砲兵の射撃が止むことはなく、戦車部隊が雪原を進んでいく。
航空隊もまた、その上空を守るように展開していた。
ヴェルテクス連邦軍は各地で後退を続けていた。
昨日から続く戦闘によって、その戦力は大きく削られていた。
それでも一部の部隊は必死に陣地を維持していた。
その時だった。
『ミサイル接近! 躱せ!』
空を監視していた警戒管制員が叫んだ。
『ブレイク! ブレイク!』
複数の戦闘機が一斉に散開する。
ミサイルの接近を示す警告音が各機のコックピットへ響き渡る。
だが、その直後だった。
『………なんだと どういうことだ』
管制席に困惑した声が響く。
レーダー画面に、それまで存在しなかった巨大な反応が現れた。
いくつものセンサーが同時に異常な反応を捉えていた。
『警告! 巨大な機影が接近してきている 全機警戒!!』
その声とほぼ同時に、雲海の向こうから巨大な影が姿を現した。
最初に見えたのは、巨大な翼だった。
あまりにも大きい。
誰もが自分の遠近感かサイズ感が狂っているのではないかと、一瞬そう思った。
だが違った。
それは確かに、空を飛んでいた。
巨大な機体が雲を押し退けるようにして、ゆっくりと戦場上空へ姿を現していく。
その巨体は一隻の航空母艦にも似ていた。
しかし、それは海上ではなく、蒼穹そのものを航行していた。
その姿を見た連邦軍兵士の一人が、呆然と呟いた。
『な、何なんだ……あれは』
誰も答えられなかった。
だが帝国軍の情報局は、その正体を知っていた。
ヴェルテクス連邦が保有する戦略超兵器。
空中戦略母艦、ゼニス・アーク。
その名が通信網を駆け巡った。
『……司令部、大型いや超大型の正体不明機を確認』
報告する声にも動揺が滲んでいた。
そして、その巨大な翼の下部が開いた。
まるで巨大な獣が口を開くように、格納区画が次々と展開していく。
その内部から、無数の機影が飛び出した。
その数は瞬く間に増えていった。
最終的に、約八十機にも及ぶ無人機が戦場へ放たれた。
それらは通常の航空機とは明らかに違っていた。
人間が操縦することを前提としていない。
限界まで機体性能を引き出し、通常なら人間が耐えられないような機動を躊躇なく実行する。
親鳥から放たれた雛鳥のように、無人機群は一斉に戦場へ散開した。
そして次の瞬間、帝国軍の航空隊へ襲い掛かった。
人間の身体ならば耐えられないほどの高G機動を、無人機は平然と繰り返していく。
帝国軍のパイロットたちは必死に回避する。
だが、これまで相手にしてきた無人機とは明らかに違っていた。
反応速度も加速性能そして旋回性能のすべてが別次元だった。
『何だこいつら……!』
『速すぎる!』
『化け物だ!』
空は瞬く間に無人機によって埋め尽くされていった。
帝国軍は即座に戦術を変更した。
正面からの撃破ではなく敵の進撃を遅らせ地上部隊への被害を抑える。
そのために帝国軍航空隊は後退しながら無人機を引き付けた。
地上では戦車部隊が進撃を続け砲兵隊が射撃を続ける。
だが、空だけが完全に別の戦場へ変わっていた。
そしてゼニス・アーク内部の中枢AIが戦場を解析していた。
無数のセンサーが周囲の航空機を捉えすべての情報が巨大な演算系へ送られていく。
そして、その中枢AIが一つの回答を出した。
『全機警戒、高速の飛翔体が射出された』
管制員が画面を見つめる。
『なんだ?』
ゼニス・アークから、一つの飛翔体が放たれた。
あまりにも高速だった。
その軌道を追うことすら難しい。
帝国軍の航空隊も、連邦軍の航空隊も誰もがその軌道を注視した。
だが、その飛翔体は、誰も狙っていなかった。
戦闘機でもない、地上部隊でもない、ただ空域の中央へ向かっていた。
そして次の瞬間、青白い光が空を覆った。
轟音が戦場を揺らす。
空域中央で巨大な爆発が発生した。
青白い火球が一瞬にして膨張し、蒼穹を塗り潰していく。
爆発は一度では終わらなかった。
無数の二次爆発が連鎖していく。
空中に展開していた航空機が次々とその爆発へ巻き込まれていく。
敵味方という区別すら存在しなかった。
ただ、その空域に存在していた。
それだけで、すべてが巨大な爆発の領域へ呑み込まれていった。
強烈な衝撃波が戦場全体を駆け抜け雪原が大きく波打った。
土砂と雪が空高く舞い上がる。
帝国軍兵士たちは地面へ身を伏せた。
連邦軍兵士たちも塹壕の底へ身を押し込んだ。
『っな!?』
誰かの叫び声が轟音に掻き消された。
その正体を知る者は、ほとんどいなかった。
だが、兵器の名称だけは通信網を駆け巡った。
広域炸裂弾頭、ネメシス。
ゼニス・アークが搭載する戦略兵器だった。
巨大な火球はなおも膨張を続けていた。
それはもはや兵器という言葉では表現できなかった。
天災、そう呼ぶしかないほどの光景だった。
空が青く染まる。
黒煙が幾重にも重なっていく。
無数の航空機が爆発に巻き込まれ、空から次々と姿を消していく。
地上では衝撃波によって雪原が押し流されていた。
白かった大地が、巨大な波のようにうねっている。
帝国軍の部隊も、連邦軍の部隊も、その場にいた誰もが動きを止めていた。
誰も理解できなかった。
何が起きたのか。
なぜ、あれほど巨大な兵器を投入したのか。
そして何より、なぜあの兵器を、味方の航空機が存在する空域へ撃ち込んだのか。
戦場には、ただ轟音だけが残っていた。
その光景を遥か上空から、一機の漆黒の戦闘機が見下ろしていた。
カイは何も言わなかった。
ただ、遥か眼下で膨張を続ける青白い火球を、静かに眺めていた。
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カイはスロットルを押し込み、なおも加速を続けた。
眼前には、無数の無人機が群れを成している。
機械だけで構成された航空群。
互いの動きを一切邪魔することなく、完璧な連携で空域を埋め尽くしている。
その隙間を、黒い機影が駆け抜けた。
ほんの僅かな隙間を、カイは迷うことなく選び取っていく。
無人機が急旋回してその翼端を紙一重で躱す。
別の機体が正面から迫る。
カイは機首を落とし、その腹下を潜り抜けた。
直後、後方から放たれたミサイルが無人機を直撃する。
その横を、カイは一切速度を緩めずに通過した。
さらに一機そのさらに奥にもう一機。
無数の無人機が立ちはだかる。
だが、カイには関係なかった。
機体を捻り機体が大きく傾いたかと思えば、次の瞬間には別の方向へ飛び出している。
まるで空間そのものを滑っているような飛行だった。
敵機の間を縫い、ミサイルを躱し、機関砲を紙一重で抜けていく。
黒い機体は、無数の機械が支配する空を一筋の影となって駆け抜けた。
そして突然、視界が開けた。
その先にいたゼニス・アークの巨大な機体が眼前に迫ってくる。
遠くから見た時でさえ異様な大きさだった。
だが、近くで見ると、その異常さはさらに際立っていた。
すべてが一つの巨大な構造物として空を占有している。
戦闘機がその周囲を飛び回っているというより、巨大な空中要塞の周囲を小さな航空機が飛んでいるようだった。
カイのHUDに、その巨体が収まりきらない。
「……」
カイは何も言わない。
ただ、ゼニス・アークを見据える。
その瞬間だった。
ゼニス・アークが反応した。
巨大な機体各所に設置されたセンサーが、接近する黒い機影を捉える。
そして防衛機構が一斉に起動した。
『警告。近距離敵性航空機を確認』
無機質な機械音声が響く。
次の瞬間ゼニス・アークの各所が開いた。
格納区画からミサイル発射装置がせり出す。
その数は瞬く間に増えていった。
カイのHUDが警告表示で埋め尽くされる。
ロックオン。
ロックオン。
ロックオン。
次々と敵性反応が彼へ向けられていく。
「……」
カイは機体を僅かに傾けた。
直後に大量のミサイルが一斉に放たれた。
白い煙の尾が幾重にも空へ伸びる。
まるで巨大な蛇の群れが、黒翼へ牙を剥いたようだった。
それだけではない。
ゼニス・アークに備え付けられた機関砲が一斉に旋回する。
砲身がカイを捉える。
次の瞬間、火を吹いた。
無数の砲弾が空を切り裂き黒い曳光弾が雨のように飛び交う。
ミサイルと機関砲、あらゆる防衛兵器が、一機の黒い戦闘機へ集中する。
巨大な空中要塞が、ついにその牙を剥いた。
カイは迫り来る無数の死を、ただ静かに見つめていた。
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遥かなる蒼穹を、黒い翼が舞っていた。
ゼニス・アークから放たれる無数のミサイルが、規則正しい軌道を描いてカイへ殺到する。
四方八方から迫る死を、カイは淡々と躱していた。
機体を僅かに傾ける。
ミサイルが翼端を掠める。
次の瞬間には機首を引き起こし、そのまま上昇する。
直後、下方を別のミサイルが通過した。
さらに機関砲弾が黒い機体の周囲を駆け抜ける。
しかし、一発も当たらない。
カイの動きには、焦りもなければ迷いもなかった。
まるで最初からすべての弾道を知っているかのように、最小限の機動だけで死の網を抜け続けていく。
それは人間の操縦技術という言葉では説明できない。
通常のパイロットなら、既に何度死んでいてもおかしくない空域だった。
だがカイにとってはあまりにも簡単だった。
そして黒翼が反転した。
逃げるためではない。
攻撃するために。
機首がゼニス・アークへ向く。
スロットルが押し込まれ、F-15Λが一気に加速した。
巨大な空中要塞へ向かって、一直線に突っ込んでいく。
ゼニス・アークの防衛システムが即座に反応した。
大量の無人機が黒翼の進路へ割り込む。
カイが放ったミサイルの軌道を無人機が遮った。
無人機が次々と身を投げ出し、ミサイルを受け止めていく。
爆炎が視界を覆う。
それでもカイは止まらない。
「……なら」
カイはさらに接近した。
ゼニス・アークの巨大な機体が、視界いっぱいに広がっていく。
その巨体との距離が急速に縮まる。
数百メートル、百メートル、五十メートル。
もはや航空機同士の距離ではない。
巨大な機体へ衝突してもおかしくない距離だった。
それでもカイは機体を僅かに捻る。
翼端がゼニス・アークの機体表面を掠めるほどの距離を通過する。
その瞬間、カイはミサイルを放った。
至近距離から放たれたミサイルは、回避する時間すら与えない。
ゼニス・アークの巨大な機体へ突き刺さった。
巨大な機体が僅かに揺れる。
そして一基のサブプロペラが停止した。
回転していた巨大なローターが減速し、完全に動きを止める。
ゼニス・アークのシステムが即座に損傷を認識した。
『推進機関異常』
『左舷サブプロペラ一基停止』
『敵性航空機を再捕捉』
その瞬間ゼニス・アークの弾幕がさらに厚くなった。
これまでとは比較にならない数のミサイルが放たれる。
機関砲も一斉に旋回し、空を埋め尽くすように砲弾を吐き出した。
黒い曳光弾が幾重にも交差しミサイルの白煙が空を覆う。
逃げ場など存在しないように見えるほどの弾幕だった。
だが、カイは速度を落とさなかった。
むしろ、さらに加速した。
黒い機体が弾幕の中心へ飛び込んでいく。
一瞬ごとに機体の姿勢が変え砲弾と砲弾の僅かな隙間を通り抜け、ミサイルの誘導を寸前で外し、そのまま次の死角へ滑り込む。
普通なら恐怖する、普通なら生き残ることだけを考える。
だがカイには、それがなかった。
目の前にあるのはただの障害物だった。
巨大な空中要塞も、無数の無人機も、絶え間なく降り注ぐミサイルも。
すべて彼の前では、空に浮かぶ無意味な障害物に過ぎなかった。
そしてカイはまるでその弾幕そのものを嘲笑うかのように。
真正面から、その死の中心を駆け抜けていった。
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次々と、ゼニス・アークの武装が沈黙していった。
カイは巨大な機体の周囲を縦横無尽に駆け回っていた。
ミサイル発射装置へ接近する。
その距離は、もはや通常の航空機では考えられないほど近い。
発射装置がカイを捉えるよりも早く、F-15Λがその横を通過する。
カイは機首を僅かに向け至近距離から叩き込まれたミサイルが、発射装置へ突き刺さる。
爆炎が走り装甲が吹き飛び内部構造が露出する。
そして、その内部に並べられていたミサイルへ爆発が伝わった。
連鎖する爆発、次々と弾頭が誘爆し、巨大な火球がゼニス・アークの側面を包み込む。
しかし、その爆炎を抜けた時には、もう黒い機影の姿はなかった。
カイはすでに次の標的へ向かっていた。
機関砲座が旋回し巨大な砲身が黒翼を追い続ける。
だが、照準が追いつかない。
カイは機関砲座の死角へ滑り込んだ。
そして機関砲を撃ち込む。
装甲が弾け飛び、火花が散った。
内部機構が破壊され、機関砲座が動きを止める。
一基、また一基。
巨大な防空兵器が、次々と沈黙していく。
ゼニス・アークはなおも迎撃を続けようとする。
別の機関砲が旋回し別の発射装置が起動する。
だが、それらがカイを捉える前に破壊されていく。
まるで巨大な獣の身体を、一枚ずつ剥いでいくようだった。
カイは止まらない。
サブプロペラへ向かう。
巨大なプロペラが次々と爆炎の中で崩れ落ちる。
そしてついには最後のサブプロペラが沈黙した。
ゼニス・アークの巨大な機体が、大きく揺れた。
空中での姿勢が僅かに崩れる。
それでもまだ墜ちない。
まだ、巨大な機体を支えるものが残っている。
四基のメインプロペラ。
その巨大な回転翼だけが、なおも轟音を響かせていた。
カイはその光景を見つめる。
ゼニス・アークは、まだ空にいる。
だが、その巨体を支えている動力は、もはや四つしか残されていなかった。
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ゼニス・アークの中枢AIは、初めて想定外の状況に直面していた。
あらゆる迎撃手段が通用せずミサイルは躱され機関砲は照準が追いつかない。
無人機による迎撃も突破される。
サブプロペラは次々と破壊され、巨大な機体を支える推進機構までもが失われていく。
通常の敵性航空機ではない。
既存の戦術モデルでは説明できない。
中枢AIが膨大な演算を繰り返す。
しかし、どれだけ計算しても、最適解が見つからない。
『敵性航空機、予測不能』
『迎撃成功確率、低下』
『戦闘継続による機体損失確率、上昇』
そして最優先命令が書き換えられた。
敵の撃破ではない。
任務の遂行でもない。
ゼニス・アーク自身の生存。
中枢AIは、緊急プログラムを起動した。
『緊急防衛プログラム、起動』
その瞬間だった。
ゼニス・アークの頭上に、青白い光が生まれた。
最初は小さな光点だった。
それが徐々に広がっていく。
円環、巨大な光輪だった。
まるで空そのものを切り取ったかのような青白い円環が、巨大な機体の頭上へ浮かび上がる。
光輪は音もなく回転していた。
ゆっくりとしかし、その内部には尋常ではないエネルギーが渦巻いている。
空気が震え雲が押し退けられる。
光輪の周囲で空間そのものが歪み始めた。
カイのHUDに、次々と警告が表示される。
異常なエネルギー反応。
未確認兵器。
カイは一瞬だけゼニス・アークを見た。
そして即座に機体を反転させた。
距離を取る。
それは恐怖からではなかった。
直感。
そして何より、空そのものを読むような感覚。
あれは危険だ。
そう判断した瞬間には、すでにカイはゼニス・アークから離れていた。
次の瞬間、光輪が動いた。
青白い円環が一気に広がる。
巨大な光の輪がゼニス・アークそのものを包み込んでいく。
その内部に存在していた無人機が、突然動きを止めた。
一機、また一機。
機体から黒煙が噴き出す。
『――』
無人機が次々と爆発した。
無数の機体が青白い光の中で次々と沈黙していく。
爆炎が光輪の内部を走る。
黒煙が渦を巻く。
それでも光輪は消えない。
ゼニス・アークを包み込んだまま、青白い光だけが異様な静けさを湛えていた。
遥か彼方。
その光を見つめながら、カイは静かに機体を旋回させた。
黒い翼だけが、光輪の外側を舞っていた。
________________________________________________
カイは再び攻撃を試みた。
機体を反転させ、ゼニス・アークの巨大な機体へ向けて一気に距離を詰めミサイルが放たれた。
だが――青白い光輪へ触れた瞬間、ミサイルは内部から弾けるように爆散した。
「……!」
続けざまに機関砲を撃ち込む。
無数の砲弾が光輪へ殺到する。
しかし、まるで見えない壁に叩きつけられたかのように、弾丸は次々と弾かれていった。
初めてだった。
これまで、どれほど巨大な兵器であろうと、どれほど濃密な弾幕であろうと、カイの前では意味を持たなかった。
だが、この光だけは違う。
攻撃そのものを拒絶している。
ゼニス・アークの頭上で、青白い光輪が静かに回転を続けていた。
まるで巨大な神が、黒い翼の侵入を拒んでいるかのように。
そしてカイは、その光輪を見つめた。
その瞳から、戦意が消えることはなかった。
むしろ――何かが、ほんの僅かに胸の奥で疼いていた。
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カイは再び機首を翻し、ゼニス・アークへ向けて一直線に突入した。
光輪の正体が何であろうと、目の前に存在する以上は破壊するしかない。
ミサイルの残弾を確認し、最短距離から一斉に発射する。
白煙を引いたミサイル群が巨大な機体へ殺到していく。
だが、青白い光輪へ触れた瞬間、その全てが空中で弾け飛んだ。
爆炎が光輪の表面を舐めるように広がり、そのまま虚空へ消えていく。
カイは間髪入れず機関砲を撃ち込み、数百発もの砲弾を叩き込んだ。
しかし砲弾は光輪へ触れるたびに弾道を逸らされ、虚空へ散っていった。
「ッチ」
短い舌打ちが、静まり返ったコックピットへ落ちた。
光輪となっている尋常ではないエネルギーは、完璧にゼニス・アークを守っている。
どれほど攻撃を集中させても、その防壁には僅かな傷すら刻めない。
これまでカイが戦場で目にしてきた防御兵器とは、明らかに次元が違っていた。
ゼニス・アークは巨大な機体を空中に浮かべたまま、ただ静かに存在している。
その姿は兵器というよりも、巨大な要塞そのものだった。
そしてその周囲を覆う青白い光輪は、まるで天そのものを支配しているかのようだった。
そのとき、コックピットへ一本の通信が入った。
『レイヴン1、味方の撤退は完了した』
『貴機も直ちに帰還せよ』
カイは返答しなかった。
正面には巨大なゼニス・アークが浮かんでいる。
その頭上では、青白い光輪が不気味な輝きを放ちながら回転を続けている。
『レイヴン1、聞こえているか』
『戦闘空域を離脱しろ。これは命令だ』
操縦桿を握る手に、ゆっくりと力が込められていく。
数秒の沈黙が流れた。
カイは操縦桿を握ったまま、ただゼニス・アークを見つめていた。
やがて、低く短い声が通信へ返る。
「……了解」
その瞬間、カイはゆっくりと機首を翻した。
戦場を離脱するため、カイは帰還航路へ入っていく。
しかし、そのダークブルーの瞳だけは最後までゼニス・アークから離れなかった。
遠ざかっていく巨大な機体と、その周囲を包む青白い光輪を、ただ無言で見つめ続けていた。
やがて距離が開き、ゼニス・アークの巨体が小さくなっていく。
それでもカイは振り返らない。
視線だけを、その異形の兵器へ向け続けていた。
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ネリバダス基地に帰還した。
基地は出発前よりも、明らかに閑散としていた。
並ぶはずだった機体の数は減り、格納庫の奥には空いたままの整備スペースがいくつも残されていた。
帰ってきた機体にも無数の傷が刻まれ、整備兵たちは黙々とその損傷を確認していた。
誰も勝利を喜ぶ様子など見せていなかった。
廊下を歩けば、あちらこちらで俯いた兵士たちの姿が目に入る。
誰かを待っているように格納庫の入口を見つめる者もいた。
しかし、その視線の先から帰ってくる者はもういない。
この追撃戦で、どれだけの者が死んだのか。
正確な数さえ、まだ誰にも分からなかった。
ただ一つだけ確かなことがあった。
昨日までここにいた者たちの中から、今日ここへ戻ってこなかった者が大勢いる。
そこには勝利した軍隊の姿などなかった。
帝国軍は確かに敵の大攻勢を退け、さらに戦線を押し上げた。
結果だけを見れば、帝国軍の勝利だった。
敵の部隊は後退し、多くの戦力を失い、帝国軍は重要な地域を奪取した。
本来ならば、この戦果は帝国軍にとって大きな転機となるはずだった。
だが、その勝利を決定的なものへ変えるはずだった追撃戦は、途中で完全に崩壊した。
たった一つの不確定要素によって、戦場の全てが変わった。
ゼニス・アーク。
あの巨大な空中戦略母艦が戦場へ姿を現した瞬間、戦況はそれまでとはまったく別のものへ変貌した。
帝国軍が積み上げてきた優勢は、一瞬にして揺らいだ。
そして何よりも厄介だったのは、帝国軍があの怪物を撃破できなかったことだった。
天空の王と、その配下に傷を負わせただけでは足りなかった。
戦争という巨大な流れの中では、それだけでは何の意味も持たない。
敵はまだ戦える。
帝国軍もまた、戦える。
そして両軍の間には、昨日まで存在しなかった新たな脅威が姿を現した。
たった二日。
それだけの時間で、戦場はまるで別の世界へ変わってしまった。
昨日まで誰も知らなかった敵の存在が明らかになり、英雄たちは互いの存在を感じ始め、そして空には新たな怪物が現れた。
誰もが理解していた。
この戦争は、もう昨日までの戦争ではない。
そしてカイもまた、格納庫の外から遠くの空を見上げていた。
その瞳には、あの青白い光輪の残像がまだ焼き付いていた。




