雪原に響く砲声
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この日の早朝、帝国軍の全ての砲が一斉に火を噴いた。
夜明けを迎えたばかりの雪原を、数千門にも及ぶ砲兵火力が瞬く間に覆い尽くしていった。
野砲、榴弾砲、自走砲、長距離ロケット砲、そして後方陣地に配置された重砲までもが、同時に砲撃を開始する。
轟音は一つではなかった。
幾千もの砲声が重なり合い、大地そのものが巨大な獣となって唸り声を上げているかのようだった。
砲口から吐き出された火炎が、まだ薄暗い雪原を昼間のように照らし出していく。
次の瞬間、連邦軍陣地の遥か後方で巨大な爆炎が幾つも立ち上がった。
着弾、そしてまた着弾、さらにその奥へと着弾。
鉄の雨が雪原へ降り注いでいく。
無数の砲弾が凍り付いた大地を次々と抉り、長い年月をかけて固められた数万の将兵たちの血肉の混じった地面を無慈悲に耕していった。
雪が吹き飛び土が舞い上がる。
塹壕の壁が崩れ落ち、掩体壕が震え、通信線が寸断されていく。
連邦軍の兵士たちは、何が起きているのか理解する暇さえ与えられなかった。
「伏せろぉぉぉ!!」
誰かが叫んだが、その声は次の爆発によって完全に掻き消された。
大地が持ち上がった。
巨大な火柱が雪原を突き破り、数十メートルにも及ぶ黒煙を空へ吐き出していく。
その爆風によって周囲の雪が吹き飛び、地面には巨大な砲弾孔が穿たれていった。
一つ、また一つと。
砲撃は止まることはない。
帝国軍砲兵部隊は、昨日まで激戦が繰り広げられていたことなど意に介さないかのように、徹底的な集中砲火を浴びせ続けていた。
「クソッ、どうなっていやがる……!」
連邦軍の塹壕の中で、一人の兵士が震える声を漏らした。
「なんで……帝国が……!」
「昨日の今日だぞ!」
「帝国だって昨日の戦闘で相当な損害を受けたはずだろ!」
「航空隊も消耗していたはずだ!」
誰も答えられなかった。
彼らもまた、同じことを考えていた。
帝国軍が、まさか今日の朝から攻勢へ転じてくるなど、誰一人として想定していなかった。
昨日までの戦闘で両軍は甚大な損害を受けていた。
帝国軍もまた例外ではない。
多数の航空機を失い、装甲部隊も大きな損害を受け、前線部隊の兵士たちは疲弊しきっている。
だからこそ連邦軍司令部は判断した。
帝国軍は、しばらく動けない。
少なくとも数日は防御へ回る。
その間に連邦軍は戦力を再編し、昨日失った戦力を補充し、再び攻勢を仕掛ける。
それが連邦軍首脳部の判断だった。
しかし、その判断そのものが、最大の誤算だった。
帝国軍は止まらなかった。
止まることを選ばなかった。
昨日の戦いで失ったものを数えるよりも先に、帝国軍は残された戦力を前線へ投入した。
傷付いた兵士を再び戦場へ送り出し、損傷した車両を夜通し修理し、残された航空機へ可能な限りの燃料と弾薬を積み込んだ。
そして夜が明けると同時に帝国軍は全戦線で攻勢を開始した。
「砲撃を続けろ!」
「敵陣地を潰せ!」
「前線観測班から射撃諸元を受け取れ!」
「修正射、急げ!」
砲兵指揮所では通信士たちが叫び続けていた。
地図上に表示された敵陣地へ、次々と新しい射撃指示が入力されていく。
帝国軍は昨日の戦闘で得た情報を、全て今日の攻勢へ叩き込んでいた。
敵の陣地、弾薬集積所、燃料基地、指揮所、通信施設、予備陣地、装甲部隊の集結地点。
その全てが事前に攻撃目標として指定されていた。
そして今、一つずつ消されていく。
連邦軍前線では混乱が広がっていた。
「通信が繋がらない!」
「第三大隊から応答がありません!」
「砲兵陣地がやられました!」
「敵戦車部隊が動き始めています!」
「航空支援はまだ来ないのか!」
返答はなかった。
昨日の戦闘で航空戦力を大きく失った連邦軍は、帝国軍の砲撃を受けながら十分な航空支援を送り込むことができなかった。
さらに帝国軍航空隊は、この砲撃とほぼ同時に動き始めていた。
低空を飛ぶ攻撃機にヘリ部隊、高空から接近する戦闘爆撃機、敵防空網を探る電子戦機。
そしてその前方を飛ぶ戦闘機部隊。
空は再び戦場となっていく。
連邦軍の防空レーダーが次々と目標を捕捉する。
しかし、その表示数はあまりにも多かった。
「航空目標多数!」
「方位二一〇!」
「高度三千!」
「いや、さらに後方からも来るぞ!」
「戦闘機隊はどうした!」
「迎撃へ向かっています!」
「遅い!」
その瞬間、空からミサイルが降ってきた。
連邦軍の防空陣地が爆炎に包まれる。
地対空ミサイル発射機が吹き飛び、その周囲に配置されていたレーダー車両も炎上する。
帝国軍は昨日の戦いで得た航空優勢を、そのまま地上攻勢へ繋げようとしていた。
それは一切の休息を挟まない、極めて苛烈な攻勢だった。
連邦軍前線では、ついに戦車部隊が動き始める。
巨大な履帯が雪を踏み潰し、装甲車両が白い大地を駆け抜けていく。
帝国軍戦車部隊の後方から自走砲が前進し、砲兵部隊はなおも敵陣地へ砲弾を送り続けていた。
砲撃に航空攻撃、機甲突撃。
そして歩兵の前進。
全てが同時に進んでいく。
それは一つの巨大な波だった。
連邦軍が昨日まで築き上げていた防衛線を、正面から押し潰す巨大な鉄の波だった。
その頃。
連邦軍後方の指揮所では、将校たちが地図を囲んでいた。
戦況図に表示されていた青い線が、次々と後退している。
「第二防衛線、突破されました。」
「第三師団との連絡が途絶しました。」
「南部戦区でも帝国軍が前進しています。」
「予備軍を投入しますか?」
誰も答えなかった。
指揮所の奥に立っていた老将は、ただ黙って戦況図を見つめていた。
長い戦争を生き抜いてきた男だった。
幾度もの敗北を経験し、幾度もの勝利を経験し、何人もの部下を送り出し、何人もの部下を失ってきた。
だからこそ今、何が起きているのかを理解するのも早かった。
帝国軍は疲弊している。
連邦軍も疲弊している。
ならば普通なら、両軍とも一度立ち止まる。
戦力を再編し補給を整える。
損傷した兵器を修理し負傷者を後送する。
そうして次の戦いへ備える。
しかし、帝国軍は、それをしなかった。
「……油断していた。」
老将が静かに呟いた。
周囲の将校たちが振り向く。
「中将殿……?」
老将は地図から目を離さなかった。
「いや、考えもしなかった……というべきか。」
その顔には、僅かな苦笑が浮かんでいた。
「昨日あれだけの戦闘を経験しておきながら、今日すぐに攻勢へ転じるなど……。」
「我々は帝国軍も我々と同じ人間だと思っていた。」
誰も口を挟めない。
老将は静かに息を吐いた。
「これでは私も、あの若造共のことを笑えんな……。」
その瞬間だった。
指揮所全体が激しく震え天井から粉塵が降り注ぐ。
通信機器が倒れ、将校たちが床へ叩き付けられる。
「帝国軍の砲撃です!」
次の瞬間、指揮所の外で巨大な爆発が起きた。
猛烈な熱風が天幕を吹き抜ける。
柱が折れ天幕が大きく揺れる。
誰かが叫んだ。
「退避しろ!」
だが遅かった。
第二弾が着弾する。
地面が爆ぜた。
天幕の周囲に火炎が走り、弾薬箱へ炎が燃え移っていく。
通信機器が火花を散らし、地図が風に舞い上がる。
老将はその場から動かなかった。
ただ静かに炎へ包まれていく指揮所を見つめていた。
そして、ほんの僅かに笑った。
それは勝利を確信した笑みではなかった。
敗北を認めた男の、自嘲にも似た笑みだった。
「……見事だ。」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
「昨日の今日で……ここまでやるか。」
炎が視界を覆っていく。
「帝国軍というものを……少し甘く見すぎたな。」
直後、轟音と共に天幕が崩れ落ちた。
炎と黒煙が空高く立ち上る。
長年にわたり連邦軍を率いてきた将官たちは、その指揮所と共に戦場から消えた。
そして連邦軍中央司令部との通信が、途絶した。
前線にいた兵士たちは知らなかった。
自分たちの軍を長年支えてきた指揮系統が、今まさに崩壊したことを。
彼らに聞こえていたのは、ただ砲声だけだった。
帝国軍の砲撃は止まらない。
一つの指揮所が消えても。
一つの防衛線が崩れても。
さらにその奥へ、さらにその先へと鉄の雨は降り続ける。
白銀だった雪原は砲煙と泥に覆われ、無数の爆発によって黒く染まっていく。
そして、その白い雪の上へ流れ出した血が、ゆっくりと大地を赤く染めていった。
連邦兵たちは後退を始める。
だが、その後方にも帝国軍の砲弾が落ちていた。
「退け!」
「第二線まで下がれ!」
「誰か司令部と連絡を取れ!」
「通信が死んでいます!」
「なら伝令を走らせろ!」
「道路が砲撃で使えません!」
命令が命令を打ち消していく。
指揮官を失った部隊、通信を失った部隊、補給を失った部隊。
そして兵士たちの心に、明確な恐怖が生まれ始めていた。
昨日。
帝国軍は連邦軍の大攻勢を受け止めた。
そして今日そのまま反撃してきた。
しかも、ただの反撃ではない。
戦線そのものを押し潰しながら進んでいる。
連邦軍の兵士たちは、そこでようやく理解し始めていた。
昨日の戦いは終わっていなかった。
あれは今日の戦いの始まりに過ぎなかったのだと。




