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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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58/95

夜明けの総攻撃

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帝国前線司令部地下作戦室。

天幕の向こうでは、無数の通信士が慌ただしく電鍵を叩き、壁一面の戦況図には赤と青の駒が並んでいた。

先ほどまで続いた大規模航空戦の報告が、次々と司令部へ届けられている。

敵損害、味方損害、各隊の配備弾薬残量、各戦線の突破状況。

参謀たちは一枚一枚の報告書をめくりながら、次の一手を探っていた。

やがて前線総司令官が静かに立ち上がる。

その一瞬で、室内のざわめきは消えた。

全員の視線が司令官へ集まる。

彼は戦況図を見つめたまま、低く言った。

「……ここが好機だ。」

重い声が地下司令部へ響く。

「連邦軍は本日の総攻勢によって、多数の航空戦力と装甲戦力を失った。」

参謀の一人が頷く。

「敵航空隊は壊滅的打撃を受けています。」

「戦域各所で制空権は我が軍へ傾きつつあります。」

別の参謀が報告を続ける。

「敵補給線も混乱。」

「予備兵力の投入も確認されていますが、統制は十分ではありません。」

司令官は地図へ歩み寄り長い指揮棒を手に取り、敵戦線中央を叩いた。

「この機を逃すな。」

指揮棒が西へ滑る。

「機甲師団を敵突破口へ全力を集中させ装甲師団は夜明けと同時に進撃開始。」

さらに南部戦区へ。

「砲兵軍による全砲門、一斉射撃及び歩兵戦力での突破を図る」

続いて航空作戦図へ視線を向ける。

「航空隊は敵飛行場、補給拠点、鉄道網、橋梁、燃料集積所、通信施設を全て残らず叩き潰せ。」

「敵が立て直す時間を一秒たりとも与えるな。」

作戦室の空気が熱を帯びる。

参謀たちは次々と命令書を書き上げ、通信士へ渡していく。

無線室では暗号電文が各軍へ送信され始めた。

『全軍へ、攻勢準備、時は〇六〇〇。』

『砲兵射撃開始後、全軍前進。』

『敵戦線を突破せよ。』

司令官は最後に全員を見渡した。

その眼差しには揺るぎない決意だけが宿っている。

「帝国の興廃、この一戦にあり、総員、一層奮励努力せよ。」

「侵略者どもを、この地より一掃するのだ。」

「祖国を守るため、我々帝国軍はこれより総攻撃を開始する。」

________________________________________________

ネリバダス基地。

朝靄の残る滑走路には、昨日まで響いていた喧騒がなかった。

いや正確には、音はあった。

整備班の工具音や燃料車のエンジン音、発進準備を進める機械音。

だが、そこにいる人間の数が違った。

昨日、この基地に集まっていた顔ぶれの多くが消えている。

格納庫の一角には、空になった整備台がいくつも並んでいた。

戻らなかった機体、戻らなかった仲間。

その事実だけが、冷たい朝の空気に残されていた。

ブリーフィングルームには、基地に残っている全ての戦闘機パイロットが集められていた。

しかし、その光景を見れば、昨日までの基地を知る者ほど言葉を失った。

空席が多すぎた。

昨日まで並んでいた椅子のいくつかには、もう誰も座っていない。

そこに座るはずだった者たちは、もうこの世にはいなかった。

集められた隊員たちは、誰も口を開かなかった。

疲労、死への恐怖。

そして、それでも戦わなければならないという覚悟。

様々な感情が沈黙の中に混ざっていた。

昨日の大規模攻勢で帝国軍も少なからぬ損害を受けていた。

連邦軍だけではない。

帝国軍もまた、多くの機体と兵士を失っている。

昨日一日の戦闘だけで、両軍合わせて一ヶ月分の戦死者に匹敵する犠牲が出ていた。

それほどまでに、昨日の戦いは激しかった。

そして、その翌朝に、再び全機出撃命令が下された。

誰もが理解していた。

今日の戦いも、昨日より軽いものにはならない。

むしろ昨日より酷くなる可能性すらあった。

ブリーフィングルームの扉が開く。

基地司令官が入ってきた。

室内にいた全員が一斉に立ち上がる。

司令官は壇上へ上がり、正面に並ぶパイロットたちを見渡した。

その顔には、昨日まであった余裕がなかった。

しばらく沈黙した後、正面に立った基地司令官が、ゆっくりと口を開く。

「昨日の今日だが、前線司令部より新たな命令が下達された。」

室内の空気が張り詰める。

「我々は昨日の防衛戦において、敵の大規模攻勢を撃退した。」

「さらに、敵戦線を押し返すことにも成功した。」

一瞬だけ、兵士たちの表情が動く。

勝利、それは確かに事実だった。

だが司令官の表情は緩まない。

「……しかし、まだ戦争は終わっていない。」

その言葉が、全員の胸へ重く落ちる。

「敵もまた、立て直しを図っている。」

「そして昨日の勝利に浮かれる時間など、我々には存在しない。」

「次の戦いは、すでに始まっている。」

司令官は拳を握る。

「だからこそ、我々は休む暇なく戦わなくてはならない。」

「そして昨日の今日だが、前線司令部より新たな命令が下された。」

司令官は一枚の作戦資料を掲げる。

そこには、東部戦線から連邦軍後方へ向かって伸びる帝国軍の攻勢軸が記されていた。

赤い矢印が幾つも敵陣深くへ伸びている。

その先には敵飛行場。

補給拠点。

鉄道網。

そして連邦軍の主要防衛線。

「帝国軍は全戦線において攻勢へ移行する。」

室内の空気が変わった。

昨日の防衛戦から一夜。

帝国軍は防御ではなく、攻撃を選んだ。

「我々航空隊にも、その一翼を担うことが求められている。」

司令官が作戦資料を下ろす。

「現在、帝国軍は敵戦線を押し上げている。」

「司令部はこのまま押し切るつもりらしい」

何人かのパイロットが小さく息を吐いた。

昨日の戦闘でさえ、限界を超えていた。

その直後に、今度は敵戦線へ突入する。

帰還できる保証など、どこにもない。

司令官はそんな彼らの表情を一人ずつ見つめた。

そして、少しだけ声を落とした。

「諸君も承知しているだろう。これより我々が向かう戦場は、これまで帝国空軍が経験したことのない激戦となる!」

「この場にいる者の内、何人が再びここへ戻ってこられるか、私には検討もつかない!」

「だが、だからこそ今一度、銃後の故郷を、マイ・ハートを思え!」

「諸君が生まれ育った街を思え!」

「我らの帰りを待つ家族を、友人を、愛する者を思え!」

「我らが守るべきものは、目の前の空だけではない。」

「その空の向こうにある、我らの祖国そのものだ。」

「あの侵略者共を殲滅し、必ずここへ帰ってこい!」

「我々は帝国軍人であり、帝国空軍だ!!」

「祖国の空を守る、誇り高き翼である!!」

「ならば今こそ、帝国軍人としての誇りを示せ!」

「帝国の興廃、この一戦に在り!!」

「総員、一層奮励努力せよ!」

「そして――侵略者共を、殲滅せよ!!」

「「「了解!!」」」

残された兵士たちの声が重なる。

かつてより少ない人数、かつてより少ない翼。

それでも、その声には確かな意志があった。

隊員たちは一斉に立ち上がる。

椅子が床を擦る音、靴音が部屋に響かせながら、一人ずつブリーフィングルームから出ていく。

最後に残ったのは、漆黒の飛行服を纏ったカイだった。

司令官は彼を呼び止める。

「……中尉。」

カイの足が止まる。

「皆のことをよろしく頼む……」

その声には、命令ではなく願いが混じっていた。

昨日の空の果てで繰り広げられた、人間の限界を超えた戦い。

あの黒い翼が戦場に存在したことで、多くの命が救われた。

そして同時に、誰もが理解していた。

司令官は静かに続ける。

「帝国の空を……帝国軍を頼む。」

カイは振り返らない。

しばらく沈黙した後ただ一言だけ。

「……了解。」

それだけを返し、歩き出した。

冷たい廊下へ消えていく背中に誰も声を掛けられなかった。

その姿は英雄には見えなかった。

勝利を喜ぶ兵士にも、仲間を失い悲しむ青年にも見えなかった。

ただ、黒い翼を背負った何かが、再び空へ戻っていくように見えた。

そしてネリバダス基地の格納庫から、次々と戦闘機が姿を現していく。

昨日より少なくなった翼たちが帰還を待つことすら許されないほど激しい戦場へ。

それでも今日もまた空へ向かう。

戦争が終わるその日まで、彼らが帰るべき場所へ、再び戻るために。

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