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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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6/7

ノルヴァイン帝国 宣戦布告①

早朝。

帝国の街は、ゆっくりと目を覚まし始めていた。

夜の冷気がまだ路地に残り、石畳はわずかに湿っている。

空は淡い灰色から、少しずつ光を帯びていく。

パン屋は窯に火を入れる薪がはぜる音し温もりが、店の奥からじわりと広がる。

「今日はずいぶんと早いな」

店主が振り返る。

「あ、この後用事があるんで」

配達の少年は欠伸を噛み殺しながら答える。

まだ眠気は抜けていない目の端に残る涙を指で拭う。

その仕草も、いつもと変わらない。

店の前に並べられるパン焼き上がりの香りが、通りへ流れ出す。

別の通りでは新聞配達員が束を抱え、駆けている。足取りは軽く、動きは正確だ。

一軒また一軒。慣れた手つきで、紙の束が玄関へ滑り込む。

見出しはまだ読まれない。紙面に印刷された文字は、誰にも知られていない。

市場では、商人たちが準備を進めている。

木箱が開かれ、野菜が並べられる。魚が氷の上に置かれ、水滴が静かに落ちる。

「今日はいいのが入ってるぞ」

「昨日のよりは安くしてくれよ」

軽い会話や値段のやり取りそして笑い声。

どこにも異変はない。

学校へ向かう子どもたち。

制服の襟を整えながら、歩く。

足音は軽く、会話は途切れない。

「課題やったか?」

「ヤベ、何にもしてない」

笑い合う。

それもまた、日常だった。

――その瞬間。

音が差し込む。

街のあらゆる場所に設置されたスピーカー、家庭のラジオ。通りの拡声器。

同時に、同じ声が流れ出る。

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます」

ざわめきが止まる。

パン屋の手が止まる。新聞配達員の足が止まる。市場の会話が途切れる。

子どもたちも、無意識に顔を上げる。

「帝国内閣府発表、前日未明ヴェルテクス連邦の爆撃機及び艦隊がノルヴァイン帝国領内に侵入――」

言葉が、空気を変えるが理解は、まだ追いつかない。

だが何かが違うと、誰もが感じている。

「国境付近の島々にて住民の虐殺及び略奪が行われ――」

誰かが息を呑み誰かが顔を見合わせる。

「生存者は確認されておりません」

その言葉の意味が、ゆっくりと染み込む。

パン屋の火の音だけが、やけに大きく聞こえる。

「このような事態を確認された皇帝陛下は非常事態権限を発動し――」

市場の魚の上で、水滴が落ちる。

「ヴェルテクス連邦への宣戦布告が行われました」

空気が凍る。

「これよりノルヴァイン帝国はヴェルテクス連邦と戦争状態へ移行しました」

「繰り返します――国民の皆さん、我が国は戦争状態へ移行しました」

音が途切れる。だが、静けさは戻らないそれは“前の静けさ”ではない。

誰もが同じことを考えている。だが、言葉にできない。

パン屋の少年が、ゆっくりと口を開く。

「……戦争?」

市場では、誰かが野菜を落とした音がやけに響く。

新聞配達員は、手に持った紙束を見下ろす。

そこに書かれているはずの“今日”が、すでに意味を失っている。

子どもたちは、立ち止まったまま。

「なあ……」

誰も続きを言えず通りの空気が、少しずつ変わっていく。

目に見えない何かが、広がっていく。

理解、不安、そして、まだ形を持たない恐怖。

――ある家の食卓

朝の光が、窓から差し込んでいる。

パンとスープ。

簡素だが、整った朝。

父親が椅子に座り、新聞を手にしている。母親が向かいで、カップに手を添えている。

ラジオの音は、今、途切れたところだった。

幼い子どもが、スプーンを止め顔を上げる。

「パパ、せんそうするの?」

無邪気な声。

意味を完全には理解していない。

ただ、聞いた言葉をそのまま投げただけ。

父親の手が止まり新聞の端が、わずかに震える。

母親は、子どもを見る。

その視線が、一瞬だけ揺れる。

父親は答えない。答えられない。口を開きかけて、閉じる。言葉が見つからない。母親が、ゆっくりと息を吸う。

だが、それ以上何も言えない。

子どもは首を傾げた。

「……パパ?」

その声は変わらない、いつもと同じ、朝の声。

父親は、ようやく顔を上げたその表情は――強張っていた。

何かを押し殺している顔。

恐怖でも、怒りでもないそのどちらも含んだ、名前のない感情。

母親の顔もまた、同じだった。

静かに崩れかけている。

だが、崩してはいけないと知っている。

子どもには、まだ見せてはいけない。父親は、ゆっくりと口を開く。

「……ああ」

それ以上は続かない。子どもは、その一言を受け取る。

意味はわからない。

だが、何かが変わったことだけは感じる。

食卓に、沈黙が落ちる。窓の外では、街が動き始めている。

だが、その動きはもう、さっきまでと同じではない。

同じ朝のはずだった。

同じ光、同じ匂い、同じ音

それでも世界は、確実に変わってしまった。

そしてその変化は、まだ誰にも、どこまで広がるのか見えていなかった。


発表と、ほぼ同時に帝国全域――各方面軍司令部の通信室に、同一の電文が流れ込む。

「帝国各方面軍へ通達する」

受話器の向こうの声は、機械のように整っている。

「これより我が国はヴェルテクス連邦との戦争状態へ移行する」

「戦時体制へ直ちに移行せよ」

「連邦の連中を――一人残らず駆逐せよ」

東部方面軍司令部の壁面に並ぶ作戦図に将校たちの視線が、一斉に中央へ集まる。

司令官が、ゆっくりと頷く。

「聞いたな」

「はい、閣下。全軍に展開可能です」

「作戦番号はそのままだ。演習計画を即時転用する」

「了解。各旅団へ通達します」

「……ついに来たな」

司令官は答えずにただ地図を見ている。

その目は、すでに戦場を見ていた。

基地の車庫の巨大なシャッターが、重く開き光が差し込む。

その中から、鉄の列が現れる。

戦車、装甲車、輸送車のエンジンが一斉に始動する。

低く、腹に響く重音。

「前へ、出せ!」

一両目が動くそれに続いて、二両、三両。

整然とした列で乱れはない。

「間隔を保て、詰めすぎるな!」

「了解!」

兵士たちが誘導灯を振りそして機械と人が、一体のように動く。

車両はそのまま港へと向かう。

輸送船のランプが下りている。

「次、入れ!」

戦車がゆっくりと傾斜を上がる。履帯が鉄板を噛む音。内部はすでに埋まり始めている。

「もっと詰めろ!まだ入る!」

「これ以上は危険です!」

「時間がない、詰めろ!」

兵士たちが、無言で続く。

銃を肩に、装備を抱え、一人ずつ、船内へ。

顔は固いが誰も足を止めない。

その列の中に、一人の若い兵士がいる。

まだ新しい軍装で手に、小さな写真を持っている。

家族の笑っている顔。その奥に、見慣れた景色。

「……おい」

「まだ見てんのか」

若い兵士は、少し驚いたように顔を上げる。

「あ……はい」

「もう出るぞ」

「……はい」

写真を、ゆっくりと胸ポケットにしまう。

その指が、ほんのわずかに止まる。

「帰ったら、また見ればいい」

「……帰れますかね」

小さな声。

「帰るさ」

「帰らないと、面倒だろ。家族が」

わずかな笑み。

それにつられて若い兵士も、かすかに口元を動かす。

「……そうですね」

そのまま、船内へと入っていく。

港で汽笛が鳴る。

低く、長く。

それが、出発の合図だった。

帝国海軍。

広大な海域に展開していた艦隊が、同時に動きを変える。

「全艦、進路変更!」

「目標、連邦領海方面!」

「了解、針路修正!」

舵が切られ巨体がゆっくりと向きを変える。

「演習は中止だ。実戦配置へ移行する」

「全砲門、安全装置解除準備!」

「対空レーダー、戦闘モードへ!」

声が飛び交い甲板では、兵たちが走る。

「急げ!時間がねえぞ!」

「そっち持て!」

弾薬が運ばれミサイルがクレーンで持ち上げられる。

金属の音に掛け声すべてが加速していく。

空母甲板では風が強かったが、その中で整備員たちは動き続ける。

戦闘機へ、武装が運び込まれる。

「対艦ミサイル、右側から行け!」

「了解、固定入る!」

重い兵装が吊り下げられる。

「ロック確認!」

「ロック確認、異常なし!」

「こっちは対地爆弾だ、慎重に!」

「ピン抜くなよ、まだだぞ!」

「増槽つけるぞ、航続距離優先だ!」

「了解!」

機体のシルエットが変わっていくそれは遠くへ行くための形へと。

パイロットが歩いてくる。

ヘルメットを持ち、無言で機体を見上げる。

整備員が声をかける。

「今日は重いぞ」

「問題ない帰りは軽くなる」

冷たい金属それが、これからのすべてになる。

空軍基地の滑走路には、数多くの機体が並び爆撃機の腹が開かれ内部に、爆弾が詰め込まれていく。

「まだ入るか?」

「入るだけ入れろ、余裕残すな!」

「了解!」

金属の塊が、次々と収められ重量が増すが誰も気にしない。

「命令だ、急げ」

戦闘機部隊の機体が次々と滑走路へ引き出される。

「短距離装備は外せ!」

「長距離侵攻仕様へ変更!」

整備員が走りパイロットがチェックリストを確認する。

「空中給油は二回入る。忘れるなよ」

隊長が言う。

「了解」

「途中で落ちるなよ」

軽い口調だが、冗談ではない。

「落ちません」

若いパイロットが答える。

「……そう言うやつが一番危ねえんだ」

小さな笑いはすぐに消えた。

空中管制機が、ゆっくりと滑走路を進む。

巨大な機体の内部では、すでにモニターが点灯している。

「全リンク確認」

「リンク正常」

「各隊、接続開始」

声は落ち着いているが、緊張はある。

空中給油機の翼の下に、巨大なタンク。

「燃料満載確認」

「ルートは?」

「前線手前で待機、回転させる」

「了解」

重い機体が空へ上がるその後を、戦闘機が追う。

輸送船のハッチが閉じた。

若い兵士が、壁にもたれエンジンの振動が伝わる。

誰もが黙るが振動だけが続きその振動が、現実を刻む。

帝国全土で無数の部隊が、同時に動いている。

鉄の列、人の列、空の列。

すべてが一つの方向へ。

誰も止めない。止められない。命令は、すでに全身に行き渡っている。

ある基地の片隅に整備を終えた機体の前で、二人のパイロットが立っている。

「なあ」

「なんだ」

「これ、戻ってこれると思うか」

もう一人は、空を見上げた。そこにあるのは薄い雲に朝の光。

「戻るさ」

「……そうか」

「戻らなきゃ、意味ねえだろ」

二人はヘルメットを被る。

コックピットへ。

キャノピーが閉じ外の音が遮断され内部に残るのは、自分の呼吸と機械音だけ。

「発進許可、出たぞ」

「了解」

エンジンが唸り機体が加速する地面が後ろへ流れそして――浮く。

一機また一機と空へ。

帝国は、動き出した。

それは一つの意志ではない。無数の意志の集合。だが、その方向は同じだ。

前へ、ただ前へ。

誰もまだ、その先に何があるのかを知らない。

眠れる獅子は目を覚まし進み始めたそこには止まる理由が、もうどこにもないからだ。


帝国の宣戦布告は、波紋のようにではなく、破裂のように世界へ広がった。

通信網、衛星回線、暗号電文にニュース速報。

そのすべてが同時に叫んだ。

――戦争。

しかも、ただの戦争ではない。

ノルヴァイン帝国とヴェルテクス連邦。

この世界の重心、その両端が、ついに衝突する。

世界は理解する前に反応したそして理解した時には、もう遅かった。

北方の寒冷国家。

分厚い石造りの大統領官邸。

窓の外には雪が降っている。

その静寂を切り裂くように、扉が開く。

「閣下!」

補佐官が息を切らして入ってくる。

「……何だ」

「帝国が――宣戦布告を」

一瞬、空気が止まる。

「確認しろ、誤報じゃないのか!」

「既に帝国軍が展開を開始しています、誤報ではありません!」

「連邦は!?」

「全面戦闘準備に入っています!」

理解が追いつかない。

「……そんなはずはない」

大統領の声は、かすかに揺れる。

「ここ十数年、均衡は保たれていた……!」

「ですが現実です、閣下!」

補佐官の声も震える。

「双方ともに、既に引き返せる段階を越えています!」

椅子が軋み大統領は立ち上がろうとする。

だが――

膝が崩れ重い身体が床に倒れる。

「大統領!大統領!」

「医療班を呼べ!急げ!」

外で足音が響くが、その場にいる全員が理解していた。

これは身体の問題ではない。

理解したのだ。

世界が、終わるかもしれないという事実を。

南方の島国。

温暖な海風が吹き抜ける司令部だが室内は張り詰めている。

巨大なスクリーンに映るのは、移動する無数の光点。

「閣下」

「帝国、連邦両軍――このままの進軍速度ですと、後数刻で衝突します」

司令官は腕を組んだまま、画面を睨んでいる。

「……どの海域だ」

「カリュドン海峡付近。最も狭く、回避不能の地点です」

「最悪の場所だな」

「民間船は」

「多数航行中です。貨物船、旅客船ともに――」

言葉が途切れた言わなくても分かる。

巻き込まれる。

確実に。

司令官は即座に命じる。

「急いで我が国の艦隊を当該地域から撤退させろ」

「はっ!」

「周辺の旅客機、商船、すべてに警告を出せ。航路変更を強制しろ」

「了解!」

通信士が叫ぶ。

「全周波数で警告発信開始!」

「繰り返せ、緊急回避を――!」

声が重なり混線する。

だが、それでも伝えなければならない。

「……間に合うか」

光点が、近づいていくゆっくりと確実に逃げ場のない場所へ。

そして、小国。

大国でもなければ、無力でもない。

だが、この戦争の前では、等しく小さい。

議会場の高い天井に古い木の机。

歴史だけは長い国。

その内部で、全員が立っていた。

ざわめき、怒号そして混乱。

「クソ、どうなっているんだ!」

「ここ十数年、この冷戦は安定していたはずだ!」

「崩れたんだよ、全部な!」

「理由はどうでもいい!問題はこれからだ!」

議長が木槌を叩く。

「静粛に!」

だが収まらない。

「おい、今はそんなことどうでもいい!」

「我々はどちらに付く!?」

その一言で、空気が変わり沈黙が落ちる。

逃げ場のない問い。

一人がゆっくりと立ち上がる。

財務担当の議員だ。

「……現実を見ましょう」

「我が国の貿易の九割以上は、連邦圏に依存しています」

「帝国側につけば、その瞬間に経済は崩壊する」

他の議員たちもそれに触発されたのか次々に口を開く

「それだけじゃない!」

「連邦が攻めてくる可能性がある!」

「港も、空港も、封鎖される!」

「食料すら入らなくなるぞ!」

声が重なる。

だが、別の男が立つ。

軍出身の議員。

「……だが、連邦に付けばどうなる」

「帝国が来る」

その一言で、また空気が凍る。

「……あのノルヴァイン帝国がだ」

誰も反論できない。

「我が国の国力で守りきれるとでも?」

そんな答えは出ている。

守れない。

どちらを選んでも。

「クソッタレが……」

誰かが呟くその声は、誰のものでもあった。

「中立は」

若い議員が言った希望にすがるのように。

だが、即座に否定される。

「そんなこと出来るわけがない」

「どちらかに付かなければ、それこそこの国は消される」

「どっちにも付かない国など、両方から潰されるだけだ」

「現実を見ろ!」

若い議員は、何も言えなくなる。

「我々にどうしろと言うのだ……」

議長が呟くその声は、疲れ切っている。

「どちらに付いても、先は地獄だ」

誰も否定することができない。

それが事実だからだ。

世界最強の帝国か、世界の中心たる連邦か。

選択ではない処刑方法の違いに近い。

その時。

ジリリ――静寂を切り裂く電話の音。

全員の視線が集まる。

ジリリ、ジリリ――

議長が、ゆっくりと受話器を取る。

「……私だ」

震える声が届く

「……そちらも、同じ状況か」

隣国の大統領だった。

「貴国はどちらに付く」

議長は目を閉じる。

「決められるわけないだろう」

「こちらも同じだ……」

受話器の向こうで、息を飲む音。

「時間がない」

「分かっている」

「どちらかが決めれば、もう一方も巻き込まれる」

「……分かっている」

沈黙。

「……幸運を祈る」

「そちらもな」

議長は受話器を置きゆっくりと顔を上げる。

「……諸君、投票で決めよう」

誰かが息を呑む。

「我々の命運を、どちらに預けるか」

紙が配られペンが置かれる。

誰もが手が震え書くことができない。

一人がペンを取るだが――止まる。

「……書けない」

「どちらを書いても、誰かが死ぬ」

「いや、どっちでも死ぬんだ」

乾いた笑い。誰も笑わない。

「……家族がいるんだ」

一人が言う。

「俺もだ」

「俺もだ」

だが、答えにはならない。ならないからこそ、苦しい。

「時間がない」

外では、世界が動いている。

艦隊が進み航空機が飛びミサイルが装填される。

そのすべてが、この部屋の外で進行している。

「決めろ」

誰も命じていないのに、その言葉が空気にある。

一人、また一人と震える手で、書き始める。

その文字は、国の未来。

いや――滅び方を選ぶ線だった。

誰も顔を上げずただ、静かにゆっくりと取り返しのつかない決断が、積み重なっていく。

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