決戦の冬
ヴェルテクス連邦前線司令部
地下深くに設けられた作戦会議室では、巨大な作戦地図を囲み、将官たちが激しい議論を交わしていた。
壁一面には東部戦線の地図が映し出され、赤と青の戦線が複雑に入り組んでいる。
失われた拠点。
補給線。
消耗した部隊。
そのすべてが、連邦軍の苦境を物語っていた。
「冬季攻勢に出るべきだ!!」
一人の将官が机を叩きながら声を張り上げる。
「今ここで押し返さねば、敵はさらに兵力を集結させる! 時間を与えれば与えるほど我々は不利になる!」
しかし、その言葉に別の将官が即座に反論した。
「無理に決まっておろう!! 我が軍の現状を知ってのことか!!」
「航空戦力は消耗し、補給線も伸び切っている! これ以上の攻勢など自滅行為だ!」
「しかし、このまま帝国軍に押され続ければ本土にまで戦火が――」
「ここで攻勢に出たとて、すぐに元へ押し返されるだけだ。」
老将は苦々しく地図を見つめた。
「敵は補給能力も兵站も我々を上回っている。」
「工業力も、兵員動員能力も、継戦能力も……。」
「我々とは全てにおいて格が違うのだよ……。」
部屋の空気が重く沈む。
誰も反論できなかった。
「まだ早かったのだ……。」
老将は静かに目を閉じる。
「ノルヴァイン帝国と……化け物と戦うには。」
その一言だけで、何人もの将官が表情を曇らせた。
彼らの脳裏には、戦場で報告され続ける一機の黒い戦闘機が浮かぶ。
敵味方を問わず、その名だけで空気が変わる存在。
「我々は決して目覚めさせてはならぬ化け物を目覚めさせてしまった……。」
静かな声が会議室へ響く。
「あの虐殺が引き金だった。」
「島々で流した血は、帝国という国家そのものを本気にさせた。」
「あれはもう止まらん。」
「虐殺などして、あれが止まることなど決してない……。」
沈黙。
その時だった。
勢いよく扉が開かれる。
「伝令!!」
若い士官が息を切らせながら室内へ駆け込んできた。
「本土より数千の無人機が到着しました!」
室内の全員が振り向く。
「明日にはさらに数千機が到着予定!」
「大統領閣下より命令です!」
「何としても冬季攻勢を実施し、帝国軍を押し返せとのことです!」
その報告を聞いた老将は目を閉じ、大きく息を吐いた。
「あの若造共が……。」
疲れ切った声だった。
「戦争というものを理解していないのか……。」
机の上へ視線を落とす。
地図には無数の部隊記号が並び、その一つ一つの裏には兵士たちの命がある。
命令一つで失われる命。
それを知っているからこそ、軽々しく攻勢など口にはできなかった。
だが、最高司令部からの命令は絶対だった。
軍人に拒否権はない。
老将はゆっくりと立ち上がる。
そして静かに命じた。
「……冬季攻勢の準備をせよ。」
誰も返事をしなかった。
それでも将官たちは一人、また一人と席を立ち、命令を実行するため会議室を後にしていく。
明日になれば再び何万という兵士が前線へ送られる。
そして雪に覆われた大地は、また新たな戦いを飲み込んでいくのだった。
________________________________________________
帝国軍前線司令部。
作戦室には東部戦線一帯の地図が広げられ、無数の部隊配置や補給線が赤と青の駒で示されていた。
参謀たちは昼夜を問わず前線から送られてくる報告へ目を通し、敵の次の一手を分析し続けている。
その中で、一人の参謀が静かに口を開いた。
「奴ら……冬季攻勢に出るつもりでしょう。」
別の将官も頷く。
「可能性は高いでしょう。」
「偵察部隊が敵前線基地へ大量のコンテナ群が搬入されていることを確認しています。」
「兵器か、補給物資か、あるいは別の何かかは判明していません。」
参謀本部長は地図を見つめたまま言う。
「雪が本格的に降れば装甲車両の機動力は著しく低下する。」
「道路事情も悪化し、補給にも大きな影響が出る。」
「敵としては、本格的な冬が到来する前に戦線を押し戻したいはずだ。」
室内には重い沈黙が流れる。
やがて一人の若い参謀が口を開いた。
「……これは好機ではありませんか。」
全員の視線が彼へ向く。
「敵が攻勢へ出るということは、その分だけ後方や防御陣地に空白が生じます。」
「自ら守りを薄くしてくれるのなら、こちらにも付け入る隙が生まれる。」
「これほどの好機はないでしょう。」
参謀本部長は静かに頷いた。
「その通りだ。」
机へ手を置き、力強く命じる。
「偵察部隊の活動をさらに活発化させろ。」
「航空偵察、地上偵察、電子偵察、すべてだ。」
「敵の動きを一つたりとも見落とすな。」
「兵站線、集結地点、補給基地、すべてを洗い出せ。」
その声には迷いがなかった。
「奴らを皆殺しにする、その時まで。」
命令は直ちに各部隊へ伝達される。
通信士たちが次々と無線を飛ばし、参謀たちは新たな作戦立案へ取り掛かった。
前線では冷たい風が吹き始めていた。
草原は霜に覆われ、夜明けには薄く白い雪が地面を彩る日も増えている。
冬は、もうすぐそこまで迫っていた。
やがて戦場は白銀に染まり、その雪は幾度となく砲撃に巻き上げられ、兵士たちの血によって赤く染まるだろう。
この冬、両軍は決戦を迎える。
ノルヴァイン帝国は、敵戦力を徹底的に撃滅し、占領地を奪還するために。
ヴェルテクス連邦は、戦線を維持し、同盟国の参戦と戦略態勢の立て直しまで時間を稼ぐために。
冬将軍は、誰の味方でもない。
その白き大地は、等しくすべての兵士を試すことになる。
________________________________________________
夜明け前。
ネリバダス基地は、これまでにない緊張に包まれていた。
突如として基地中に甲高い警報音が鳴り響く。
赤色灯が格納庫や管制塔を照らし、整備兵や兵士たちが一斉に駆け出していく。
『全戦闘機は直ちにスクランブルせよ!』
『繰り返す!』
『全戦闘機は直ちにスクランブルせよ!』
サイレンは鳴り止まない。
格納庫では整備兵たちが慌ただしく最終点検を開始し、弾薬搭載車や燃料車が次々と機体の周囲へ集まっていく。
パイロットたちは飛行服のまま司令部へ駆け込み、作戦室は瞬く間に人で埋め尽くされた。
誰もがただ事ではないことを悟っている。
司令官は作戦図の前へ立ち、室内を見渡した。
その表情はこれまでになく険しかった。
「前線を見張るカナリアが、一斉に鳴き出した。」
静まり返る室内。
「敵の大規模攻勢を確認した。」
「敵全戦線において部隊の大規模な移動を確認。」
「戦車部隊、機械化部隊、航空部隊が一斉に動き始めている。」
誰も言葉を発さない。
司令官は続けた。
「総員、制空権を死守せよ。」
「そして、前線を死守せよ。」
拳を握り締めながら言葉を重ねる。
「何万もの将兵の血肉で維持している前線だ。」
「ここを失えば、これまで命を捧げた者たちの犠牲は無駄になる。」
「我々の後ろには祖国がある。」
「絶対に敵を通すな。」
短い沈黙の後、司令官は鋭く命じた。
「以上だ。」
「出撃準備にかかれ!」
「了解!」
一斉に返答が響き渡る。
パイロットたちは席を立ち、そのまま駆け足で作戦室を飛び出していった。
廊下には無数の足音が反響し、基地全体が巨大な機械のように動き始める。
その中で。
「中尉、待て。」
司令官の声が響いた。
カイだけが足を止める。
他の者たちが部屋を出ると、作戦室には二人だけが残された。
司令官は静かにカイを見据える。
「中尉。」
「貴官には今までと同じく、戦況に応じて自由に動いて構わない。」
「必要と判断した場合は、独自に目標を選定し行動せよ。」
「何かあれば対処は貴官に任せる。」
「全権は、お前に委任する。」
カイは微動だにせず敬礼した。
「了解。」
短い返答だけを残し、踵を返す。
重い扉が開き、再び警報音が流れ込んできた。
漆黒の翼は、冬の戦場へ向けて静かに飛び立とうとしていた。




