表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/54

帝国の影

同刻。

帝都郊外。

由緒ある帝国空軍将校の屋敷。

広大な敷地を囲む鉄柵の向こうでは、夜風が庭木を静かに揺らしていた。

屋敷の書斎だけが、まだ灯りを落としていない。

机の上には古びた書類や作戦記録、部隊名簿、機密指定の資料が幾重にも積み重ねられていた。

部屋の主は帝国空軍中将。

軍内部でも強い発言力を持つ高級将校であり、多くの将官から信頼を集める人物だった。

しかし今、その表情には疲労と焦燥だけが浮かんでいる。

「一体……ヤツは何者だ……」

低く漏らした独り言は、静かな書斎へ消えていく。

黒い戦闘機。

識別番号も部隊章も持たない謎の機体。

そして、その搭乗者。

どれだけ調べようと何も出てこない。

資料を調べれば調べるほど、不自然な空白ばかりが増えていく。

まるで最初から存在しなかったかのように。

その時だった。

コンコン、と控えめなノックが響く。

「旦那様、そろそろお休みになられた方が……」

扉の向こうから聞こえたのは、幼い頃から仕える老執事の声だった。

中将は視線を資料から外さない。

「いい!」

苛立ちを隠さぬ声が響く。

「この部屋から出ていってくれ。」

「……かしこまりました。」

執事は一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべ、小さく一礼すると静かに部屋を後にした。

再び静寂が訪れる。

中将は深く息を吐き、机の上の資料をめくり続ける。

古い記録、廃棄済みの開発計画、閲覧権限のない極秘文書。

そして、一枚の古びた紙切れが資料の間から滑り落ちた。

中将は眉をひそめ、それを拾い上げる。

記された内容を目で追った瞬間、その顔から血の気が引いた。

「ま……まさか……」

震える声が漏れる。

「まさか……まさか……」

紙を持つ手が震え始める。

「彼は――」

パンッ――。

乾いた銃声が夜の静寂を切り裂いた。

「っう!!」

中将の右肩が大きく弾け、書類の上へ鮮血が飛び散る。

衝撃で椅子ごと床へ倒れ込み、紙が宙を舞った。

苦痛に顔を歪めながら振り返る。

いつの間にか、部屋の入口には一人の男が立っていた。

黒い情報局の制服。

無駄のない立ち姿。

静かに拳銃を構えたまま、中将を見下ろしている。

帝国情報局副長。

カリグラ・ツェペシュ。

その表情には怒りも憎しみもない。

ただ職務を遂行する者だけが持つ、冷徹な静けさがあった。

「中将殿。」

感情のない声が書斎に響く。

「あなたは知り過ぎました。」

中将は撃ち抜かれた肩を押さえながら、その場へ膝をついた。

床へ鮮血が滴り落ち、静かな書斎に赤い染みが広がっていく。

「き、貴様……!! 何をしたのかわかっているのか!!」

苦痛に顔を歪めながら怒鳴る中将に対し、カリグラ・ツェペシュは拳銃を下ろすこともなく、冷ややかな視線を向けた。

「えぇ、それにこれが私たちの仕事でもありますし……。帝国に仇なす者は消しませんと」

「私は仇なすとそう言ったのか!! 皇帝陛下にこの私が仇なすわけがなかろう!!」

怒声が部屋に響く。

カリグラはわずかに首を傾けた。

「そうなんですか……」

感情のない返答だった。

「貴様!! 私が消えれば他の者も動き出すぞ!! 空軍だけではない、帝国軍全体が捜査をするだろう!! そうなれば貴様らは終わりだ!!」

中将は震える腕で立ち上がる。

腰に帯びた剣へ手を伸ばえた。

将官へ昇進した日に皇帝から賜った剣。

帝国への忠誠を示す証。

ゆっくりと鞘から抜き放たれる。

「私はここで死ぬというなら……せめて貴様も道連れにしてくれよう!!」

「死ねぇぇぇ!!」

雄叫びとともに中将は斬りかかった。

しかし。

カリグラは一歩も動かない。

「……ごみ虫がうるさいですね」

乾いた銃声が一発だけ響いた。

中将の動きが止まる。

握っていた剣が床へ落ち、金属音が静寂を裂いた。

そのまま力なく崩れ落ちる。

書斎には再び静けさが戻った。

床には赤い血だまりだけが広がっている。

カリグラは倒れた中将を見下ろし、小さく呟いた。

「……余計な詮索をするからです。」

彼は振り返る。

いつの間にか扉の前には数名の情報局員が立っていた。

全身を黒い装束で包み、顔を仮面で隠している。

「お前たち、これを片付けておけ。」

「了解しました。」

情報局員たちは無言で室内へ入り、淡々と作業を始める。

書類は回収され、証拠となるものは一つ残らず運び出されていく。

やがて屋敷の各所から炎が上がった。

赤い火は夜空を焦がし、古い屋敷をゆっくりと飲み込んでいく。

家具も資料も、そしてこの屋敷で起きた出来事を知る痕跡も、すべて炎の中へ消えていった。

帝国情報局。

国家の影として動き、歴史に名を残さぬ者たち。

その夜もまた、一人の将官が歴史の闇へと姿を消した。

________________________________________________

夜半を過ぎた帝国中央軍司令本部には、なお慌ただしい足音が絶えなかった。

東部戦線から届けられる戦況報告と損害報告が、ひっきりなしに各部署へ運び込まれている。

その喧騒を切り裂くように、一人の伝令将校が参謀本部会議室へ飛び込んできた。

「緊急報告です!」

張り詰めた声に、室内の全員が一斉に顔を上げる。

「どうした。」

参謀本部長の低い問い掛けに、伝令将校は息を整える間もなく報告を続けた。

「ガーランド中将が死亡しました。」

室内から音が消えた。

誰も言葉を発することができない。

「……何だと。」

参謀本部長の声は、驚愕というより信じ難い現実を確認するような響きを帯びていた。

「詳細は現在調査中ですが、自宅が火災により全焼しております。」

「遺体は。」

「焼損が激しく身元確認には時間を要しておりますが、状況から見て生存は絶望的かと。」

重苦しい沈黙が会議室を包み込む。

ガーランド中将。

帝国軍内外において絶大な影響力を持つ名将。

皇帝への忠誠心の厚さは軍内でも広く知られ、将兵からの信望も厚かった。

戦争終結後には大将昇進が内定しているとまで噂される人物。

その死は、一人の将官を失ったというだけでは済まされない。

帝国軍そのものを揺るがしかねない一報だった。

「あり得ん……。」

「ガーランド中将が……。」

「何者の仕業だ。」

将官たちがざわめき始める。

誰もが混乱していた。

ただ一人を除いて。

会議室の端に座る黒い制服の男。

帝国情報局局長。

エルンスト・カナリス。

黒を基調とした制服は微動だにせず、その表情にも一切の動揺は浮かばない。

もちろん、その理由は明白だった。

彼はすでに知っていた。

副長カリグラ・ツェペシュから、ガーランド中将を処分するとの報告を受けていたからである。

それでも、その事実を知る者などこの場には存在しない。

エルンストは静かに眉を曇らせ、小さく息を吐いた。

「……惜しい人物を失いました。」

抑揚を抑えたその声は、悲しみを滲ませているようにも聞こえる。

「帝国にとって大きな損失です。」

誰一人として疑わなかった。

情報局局長もまた、中将の死を悼んでいる。

そう思わせるには十分な演技だった。

しかし、その瞳だけは違っていた。

冷え切った瞳の奥では、まったく別の計算が進められている。

(少佐の言う通りだ。)

(あれも、そろそろ前線へ出す頃合いか……。)

脳裏に浮かぶのは、一つの極秘計画。

幾年にもわたり積み重ねてきた研究。

Λ計画とは別に、水面下で進められているもう一つの計画。

前線で集積され続ける膨大な実戦データ。

それらを用いることで、次の段階へ進める。

エルンストにとって、ガーランド中将の死は計画全体から見れば一つの出来事に過ぎなかった。

国家を守るため、帝国を存続させるため。

必要な犠牲であるならば、迷う理由はない。

彼の価値基準は極めて単純だった。

個人より国家、感情より結果、現在より未来。

それだけである。

参謀本部ではなおも原因究明の指示が飛び交っていた。

「憲兵隊へ連絡しろ。」

「現場の保存を最優先にしろ。」

「放火か事故か、徹底的に調査するんだ。」

怒号にも似た命令が次々と下される。

だが、そのどれも真実へ辿り着くことはない。

証拠は焼かれ、記録は消え、彼らが調べられるところに関係者は存在しない。

帝国情報局が動いた事件に、痕跡など残るはずがなかった。

エルンストは静かに立ち上がる。

黒い軍帽を被り直し、窓の外へ目を向けた。

夜明け前の帝都。

無数の灯火が静かに揺れている。

その光景を見つめながら、彼は誰にも聞こえないほど小さく呟いた。

「……全ては、ノルヴァイン帝国のために。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ