冷たい冬へ
季節は徐々に冬へと移り変わろうとしていた。
前線を吹き抜ける風は日ごとに冷たさを増し、枯れた草原は朝になるたび白い霜を纏う。
ネリバダス基地でも兵士たちは厚手の防寒着を羽織るようになり、吐く息は白く空へ溶けていた。
しかし、戦争に季節は関係なかった。
夜明けとともに戦闘機は飛び立ち、砲兵は砲を撃ち続け、負傷兵を乗せた輸送機は絶え間なく後方へ向かう。
格納庫で整備兵が凍える指先で機体を整備し、滑走路では次の出撃命令を待つ戦闘機が冷たい朝焼けを浴びていた。
基地全体が、一つの巨大な戦争機械の歯車として休むことなく動き続けている。
そんな朝だった。
一機の黒塗りのジェット機が、ネリバダス基地へ着陸した。
滑走路へ降り立った機体はゆっくりと速度を落とし、誘導路を進む。
エンジンが停止すると、周囲は一層静まり返った。
兵士たちは自然と作業の手を止め、その機体へ視線を向ける。
誰もが知っていた。
あの黒い専用機が誰のものなのかを。
やがてタラップが降ろされる。
最初に姿を現したのは、一人の壮年の男だった。
帝国情報局局長。
エルンスト・カナリス。
帝国情報局の頂点に立つ男であり、その名を知らぬ軍人はいない。
黒を基調とした情報局の制服。
胸元には余計な勲章は一切なく、帝国の紋章だけが静かに輝いている。
腰には帝国高級将校の証たる儀礼剣《グラン=ファルカ》。
その反対側には、黒光りする大型拳銃が静かに収まっていた。
一歩、また一歩。
乾いた靴音だけがタラップへ響く。
冷たい風が黒い外套を揺らした。
エルンストは曇天を見上げ、小さく呟く。
「何と寒々しい空だ。まさに"黒翼"にふさわしい。」
その声は賞賛でも皮肉でもなく、ただ事実を口にしただけのようだった。
続いて専用機から降りてきたのは、情報局の高級将校たち。
全員が黒い制服に身を包み、無言のまま局長の後ろへ続く。
その整然とした足並みには一切の乱れがない。
まるで一つの組織ではなく、一つの意思が歩いているようだった。
基地司令をはじめとする幕僚たちは、すでに庁舎入口で整列して待機している。
誰一人として私語はない。
情報局の人間を前にすれば、歴戦の将官ですら自然と背筋が伸びる。
基地司令が一歩前へ出て敬礼した。
「情報局局長閣下。本日はようこそネリバダス基地へ。」
エルンストは歩みを止めることなく短く答えた。
「出迎えは不要だ。」
しかし、その一言だけで場の空気はさらに張り詰める。
基地司令は表情を崩さぬまま応じた。
「失礼しました。」
エルンストはそのまま歩き続ける。
「彼は?」
基地司令は即座に答えた。
「作戦室に待機させています。」
「うむ。」
基地の中を歩く。
「こちらです。」
基地司令が重厚な防音扉を開く。
案内された部屋には、一人の青年が静かに立っていた。
カイ・ラグナー。
その姿は微動だにしない。
部屋には暖房が入っているにもかかわらず、空気だけが異様に冷え切っていた。
それは冬の寒さではない。
カイ自身が放つ、鋭く冷たい気配だった。
張り詰めた殺気にも似た圧迫感が室内を支配している。
並の人間であれば、その場に立っているだけで息苦しさを覚え、足を竦ませていただろう。
エルンストは周囲を一瞥する。
「我々だけにしろ。」
「了解しました。」
基地司令と幕僚たちは一礼すると、静かに部屋を後にした。
重い扉が閉まり、室内には情報局の人間だけが残る。
時計の秒針だけが規則正しく時を刻んでいた。
エルンストは数歩前へ進む。
「久しいな、中尉。」
カイの視線だけが、静かにエルンストを見据えていた。
沈黙を気にする様子もなく、エルンストは続ける。
「君の働きには我々一同感謝している。」
「最高のデータの提供。」
「前線への献身。」
「どれも素晴らしい成果だ。」
感情を読み取らせない声音だった。
賞賛というより、実験結果を評価する研究者の口調に近い。
エルンストは部下から一冊の書類を受け取る。
黒い表紙。
そこには銀文字で一つだけ記されていた。
『Λ機計画』
エルンストはそれを静かに机へ置く。
「さて、本題に入ろう……。」
静かな声が部屋に響く。
「君はこれからも、この前線を飛んでもらう。」
「我々に最高のデータを提供するために。」
「我々には、君のデータが必要なのだ。」
その言葉に迷いはない。
カイという人間ではなく、その飛行、その戦闘、その反応を求めている。
「了解。」
エルンストは僅かに頷く。
「それでいい。」
「君は余計なことを考えるな。」
「飛び続けろ。」
「それだけが君の役目だ。」




