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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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空に魅入られた者たち

西へ傾いた陽が雲を紅く染め、東部戦線の空は赤と群青が入り混じる不気味な色に包まれていた。

その空で、帝国航空隊はヴェルテクス連邦航空隊と激しい空中戦を繰り広げていた。

機関砲の曳光弾が交差し、ミサイルが白い航跡を残す。

幾筋もの黒煙が空へ立ち昇り、撃墜された機体が炎をまとって地上へ落ちていく。

しかし、その時だった。

何とも言えない圧迫感が戦場全体を覆う。

空気が変わる。

まるで空そのものが息を潜めたような静寂が、一瞬だけ訪れた。

『……何だ?』

帝国軍パイロットの一人が思わず呟く。

次の瞬間だった。

味方機が一機、何の前触れもなく爆散した。

『何だ!?』

『敵はどこだ!?』

レーダーを確認する。

何も映らない。

敵はいない。

だが、一機また一機と帝国軍機が次々と炎を噴き、空から消えていく。

『後ろだ!!』

『違う、上だ!!』

『見えない!!』

『敵はどこにいる!!』

無線は混乱だけに支配される。

最後に残った一機の帝国軍パイロットは、必死に機体を旋回させた。

そして、夕焼けの彼方に見た。

八機の赤黒く塗られた戦闘機。

夕日に照らされ、その機体は血のような紅を帯びている。

八機は乱れることなく、美しい隊形を保って飛んでいた。

その尾翼には白く描かれた八芒星。

それだけを見た瞬間。

パイロットの全身から血の気が引いた。

『……は、八芒星……。』

『まさか……。』

---

同刻 帝国前線司令部。

「緊急! 緊急!」

通信士が作戦室へ飛び込む。

「どうした!」

「第490飛行隊がレーダーからロストしました!」

「どういうことだ! 彼らは精鋭だったはずだ!」

「これが最後の通信です!」

通信記録が再生される。

『……八芒星……。』

『尾翼に八芒星……。』

そこで記録は途切れていた。

「八芒星のマークの機体を目撃した、とだけ……。」

その言葉に、一人の老将校が椅子から立ち上がった。

顔色は青ざめ、震える声で呟く。

「八芒星……。」

「そ、それは本当なのか……。」

「えぇ、報告は一致しています。」

老将校はしばらく沈黙したあと、小さく息を吐いた。

「……まさか、戻ってきたとでというのか。」

「天界の王が……。」

周囲の将校たちが顔を見合わせる。

「天界の王?」

若い参謀が首をかしげる。

「まさか、ご存じないのですか。」

老将校は静かに振り返った。

「彼は、前の戦争で『帝国の鷲』と互角に渡り合った、連邦最強のエースパイロットだ。」

作戦室の空気が凍り付く。

「帝国の鷲と……本当なんですか。」

「ああ。」

老将校は重々しく頷いた。

「事実だ。」

「もし、この報告が本当なら……。」

誰も次の言葉を口にしなかった。

老将校だけが、夕焼けに染まる作戦図を見つめながら静かに呟く。

「この戦争は、さらに苛烈になるぞ……。」

________________________________________________

夕暮れの光が消え、薄暗い夜がヴェルテクス連邦軍の前線仮設基地を包んでいた。

格納庫の片隅。

簡易的に設置された休憩所では、エトワール隊の隊員たちがそれぞれ思い思いに時間を過ごしていた。

その中心に座る一人の老いた男。

アレクセイ・イグナトフ。

かつて数多の戦場を駆け抜け、「天界の王」と呼ばれた男だった。

だが、その表情に老いによる衰えはない。

ただ、どこか寂しげな色だけが浮かんでいた。

「今日もいなかったか……」

アレクセイは静かに呟く。

その言葉に、ヴェーダ・リンクスが苦笑した。

「大佐、黒翼など……嘘話だったのでは……」

「君たちこそ残念そうじゃないか」

アレクセイが穏やかに返す。

ヴェーダは少し視線を逸らした。

「そんなことありませんよ」

そう言いながら、隣にいたルドガー・ネルソンへ缶コーヒーを投げ渡す。

「そうだろ、ルドガー」

ルドガーは缶を受け取りながらため息を吐いた。

「嘘つけバカ、言葉に滲み出てるぞ」

そして缶を開けながら続ける。

「ただ俺たちを巻き込まないでくれよ。俺は遠慮する。」

「隊長とヴェーダと三人で、いや……化け物どうしで殺し合ってくれ。」

「そうだろ、お前ら」

その横で、ビール缶を片手にしたハルド・“ハル”・ベックが大きく笑った。

「でもよぉ、ルドガーさん。」

「天空の王と処刑人対黒翼の死神の戦いを見てみたいだろう」

ルドガーは即座に答える。

「見たくねぇよ」

「またまたぁ」

ハルドは楽しそうに笑う。

「絶対見たい顔してますよぉ?」

「してねぇ」

「してるって」

そのやり取りを聞いていたカール・アークが口を開いた。

「どうせ隊長が勝つんですから、見たほうがいいじゃないですか」

「それに我々には隊長だけじゃなく、ヴェーダさんもいるんです。」

「大丈夫ですよ」

ロアルド・シュローデルも頷く。

「確かに……あのお二人なら、どんな相手でも……」

レオン・ヴァスキンも静かに続けた。

「隊長が認める相手ならば、一度は見てみたいものです。」

イリヤ・セルゲレンコは苦笑する。

「でも……本当にそんな相手がいるなら、この空はどうなるんでしょうね。」

「俺は少し興味あるけどな」

ハルドが笑う。

「だってよ、隊長とヴェーダさんが本気で飛ぶところなんて滅多に見られねぇんだぞ?」

「お前は本当に呑気だな」

ルドガーが呆れたように言う。

そんな隊員たちの会話を、アレクセイは静かに聞いていた。

そして、少しだけ笑う。

「君たちは変わらんな。」

「昔からそうだ。」

その言葉に、ヴェーダも微笑む。

しかしルドガーだけは真剣な表情を崩さなかった。

「お前らはバカだからそう言えるんだ。」

その場にいた全員が静かになる。

ここにいる誰もが知っている。

空で最も恐ろしいのは、名も無き兵士ではない。

“化け物”だ。

常識を超えた技量。

死を恐れない精神。

機体性能すらねじ伏せる操縦。

そういう人間だ。

そして、そんな人間は世界に両手で数えるほどしかいない。

空に魅入られ。

蒼穹の女神アステリアに愛された英雄。

あるいは――化け物。

ルドガーは静かに口を開く。

「まぁ……俺たちじゃ無理だろ。」

「本気の隊長にも、ヴェーダにもついていけないような俺達じゃ……」

その言葉に、誰も反論しなかった。

否定できなかった。

彼らは知っている。

アレクセイ・イグナトフという男が、どれほど高い空にいる存在なのか。

ヴェーダ・リンクスという男が、どれほど異次元の飛び方をするのか。

そして、もしその二人と同じ空域に立つ者がいるのなら。

その存在もまた――同じ「化け物」なのだと。

「もし、二人以上の相手だったら誰も生きては帰れねぇよ……」

ルドガーの言葉に、しばらく誰も口を開かなかった。

冗談を言い合っていた空気が、ほんの少しだけ重くなる。

誰もが理解していた。

アレクセイ・イグナトフ。

ヴェーダ・リンクス。

そして、まだ見ぬ黒翼。

それは同じ空を飛ぶ者でありながら、自分たちとは別の領域にいる存在なのだと。

「……随分と怖がらせてくれるじゃないですか、ルドガーさん」

ヴェーダが苦笑しながら言う。

「事実を言ってるだけだろ」

「そうですね。私も否定はできません」

カールが静かに頷いた。

「隊長の本気を、我々は何度も見てきましたから」

「俺は一回だけで十分だけどな」

ハルドが缶を傾けながら笑う。

「初めて隊長の後ろについた時なんてよ、敵より隊長の動きについていけるかの方が怖かったぜ」

「お前は最初、気絶しかけていただろ」

レオンが呆れたように言った。

「うるせぇな。あれは機体が悪いんだよ」

「機体ではなく君の腕の問題でしょう」

ロアルドが淡々と返す。

「おいロアルド、お前最近俺への当たり強くないか?」

「事実を言っただけです」

「お前ら相変わらず仲が良いな」

アレクセイは静かに笑った。

その声に、全員の視線が集まる。

老人とは思えないほど鋭い瞳。

数え切れない戦場を越えてきた者だけが持つ、深い光。

「だが……」

アレクセイは空を見上げる。

夕暮れの赤い空。

そこには、まだ誰の影もない。

「もし本当にいるのなら……」

「黒い翼の者が」

風が吹き抜ける。

「私は会ってみたい」

ヴェーダが小さく笑う。

「やはり、そう言うと思いましたよ」

「隊長は昔から変わりませんね」

ルトガーが呆れたように肩をすくめる。

「最高の相手を探して、空を飛び続ける」

「それが私だからな」

アレクセイは迷いなく答えた。

「勝敗など二の次だ」

「ただ……」

彼は拳を握る。

「己の全てをぶつけられる相手と、もう一度空で向き合いたい」

その言葉に、ヴェーダは静かに目を細めた。

彼もまた理解していた。

アレクセイが求めているもの。

名誉でも、勲章でも、勝利でもない。

ただ純粋に、空を愛する者として限界まで飛びたいだけなのだ。

「しかし隊長」

ヴェーダが言う。

「もしその黒翼が、本当に我々の前に現れたなら……」

「どうするおつもりですか?」

アレクセイは少しだけ笑った。

「決まっているだろう」

「叩き落とすだけだ」

その場にいた全員が黙る。

「……本当に化け物同士で戦うつもりなんですね」

カールが呟く。

「だから言っただろ」

ルドガーがため息をつく。

「俺たちには無理だって」

「でもよ」

ハルドが空を見ながら笑った。

「見てみたい気持ちはあるだろ?」

「……」

誰も否定しなかった。

恐怖はある。

理解できない存在への畏れもある。

それでも。

空を飛ぶ者なら、一度は願ってしまう。

世界最高の翼同士が交わる瞬間を。

「黒翼……か」

ヴェーダが小さく呟く。

「どんな人間なのでしょうね」

アレクセイは答えなかった。

ただ静かに、夕暮れの空を見つめ続けていた。

まるでその先に。

まだ見ぬ黒い翼が飛んでいるかのように。

________________________________________________

「隊長、そのハーモニカはどうしたんです」

ハルドがアレクセイの手元を見ながら尋ねた。

古びた金属製のハーモニカ。

長い年月を共に過ごしてきたのか、表面には細かな傷が刻まれていた。

アレクセイはそれを静かに見つめる。

「ここに来る前に孫から貰ったんだ」

「また一緒に演奏しようと」

「またずいぶん高いものを貰ったよ」

そう言って、アレクセイは僅かに笑った。

戦場では決して見せることのない、穏やかな表情だった。

空で恐れられる“天空の王”。

数多の敵を墜とし、幾つもの戦場を生き抜いた男。

しかし今ここにいるのは、ただ孫から贈り物を貰った一人の祖父だった。

「君たちにも戦後に目的があるのだろう」

アレクセイの言葉に、隊員たちは静かになった。

ヴェーダが少しだけ視線を落とす。

「祖国の復権、それが私たちの悲願です」

その言葉と共に、場の空気が変わった。

先ほどまで響いていた笑い声は消え、静寂だけが残る。

かつて存在した小さな国々。

彼らの故郷は、もう地図の上には存在しない。

その現実を、誰も忘れてはいなかった。

ハルドはしばらく黙っていた。

いつもの軽口も、ふざけた笑みもない。

そして真剣な表情で口を開く。

「中佐はまだ独立なんてできると思っているんですか

ヴェーダは彼を見る。

ハルドの目には、酒の酔いでは隠せない本音があった。

「そのときはきっと、私たちはこの戦争に負けたときだろう」

ヴェーダは静かに答える。

「この戦争に負ければ、きっと帝国は連邦を解体し、前の状態へ戻すはずだ」

「この国の上層部の連中の首は跳ねられる」

「連邦は世界から消されるだろう」

「ヴァルディア大陸は五十年前の地図に戻るはずだ」

誰も反論しなかった。

それは希望であり、同時にあまりにも厳しい現実だった。

その沈黙を破るように、ルドガーが口角を上げる。

「それにヴェーダには婚約者様がいるだろう」

「……」

「お前が帰る場所はちゃんと残ってるじゃないか」

「ルドガー」

ヴェーダの声が低くなる。

「ニヤニヤするな」

「いやいや、事実だろ?」

「やめろ、ルドガー」

ヴェーダはため息を吐く。

「ハルド、お前はいい加減にしろ。酔いすぎだ」

「俺は何も言ってねぇぞ?」

「顔に出ている」

「ははは」

「カール、ロアルド、レオン、イリヤ。お前たちもこいつを止めろ」

「無理ですね」

ロアルドが即答する。

「ハルドを止めるより、敵編隊に突撃させない方が難しいでしょう」

「ひでぇ言い方だな!」

ハルドが笑う。

カールも苦笑した。

「でも、まあ……いつものことですね」

レオンは呆れながらも、どこか楽しそうにしている。

「隊長がいるから、この部隊は保っているのでしょうね」

イリヤが小さく呟いた。

その様子を、アレクセイは少し離れた場所から見つめていた。

若い頃の自分を思い出していた。

まだ何も失っていなかった頃。

仲間と笑い、未来を語り、ただ空を飛ぶことだけを願っていた時代。

しかし時間は流れた。

国は消え仲間は消えた、多くのものを失った。

それでも今、自分の隣には守るべき者たちがいる。

アレクセイは手の中のハーモニカを見る。

「……」

そして静かに目を閉じた。

戦場ではなく、空ではなく。

いつか帰る場所を思いながら。

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