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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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41/45

出港

船は西へ向かい、暗い海を切り裂くように進んでいた。

夜の海は静かだった。

だが、その静けさはどこか不気味でもある。

甲板の上では冷たい風が吹きつけ、遠く後方に帝国本土の灯りが小さく滲んでいた。

「アレン、装備の確認だけしておけ」

「はい……」

アレンはケースを開きながら苦笑する。

「馴れないですね、こんなこと」

「一般人が馴れてたら怖いわ」

「……あの戦争のときは当たり前だったんですけどねぇ」

「……」

一瞬だけ男が黙る。 

アレンはそれ以上何も言わず、手帳を取り出した。

ページをめくる音が夜風に混じる。

「何してるんだ」

「ここ数日の分をまとめようと思いまして」

「律儀だなぁ」

「忘れたくないんです。」

「ここまで来た理由も」

男は何も返さなかった。

代わりに煙草を咥えようとして、船内禁煙の張り紙を見て舌打ちした。

「なぁ、俺、金そんな持ってきてないんだが」

「え?」

アレンが顔を上げる。

「あなたが私の旅費を持つって言ってたんで、私、あの酒場の時の額しかないですよ」

「いくらある」

「十数万程度しか」

「元々、帝都の安宿で六泊七日で帰る予定だったので」

「俺はそんなにないぞ。」

「大体、カードで支払ってたから」

男が遠い目をした。

「なぁ、カードって使っていいと思うか」

「バカなんですか」

「だよなぁ~」

「今から金借りるしかないよなぁ」

「どこでですか」

「行った先の金融機関」

「無理ですよ」

「銀行口座から引き出すか」

「足がつきますよ」

「だよなぁ……」

二人そろって頭を抱える。

そこへ、後方から海軍士官がやって来た。

「あの、失礼します。」

「出港前に上官たちがこれを」

差し出された金属ケース。

開けた瞬間、アレンが固まった。

「……」

中には複数国の紙幣、金貨、国際通貨、認証チップ。

それらがぎっしり詰め込まれていた。

「すごい大金ですよ」

「はした金だと、聞いてます」

「……」

アレンの顔が引きつる。

男はケースを閉じた。

「ずいぶんとジジイども、太っ腹じゃないか。」

「ありがたく使わせてもらおう」

「あと、お車の方は燃料を満タンにし、追加の燃料を荷台に積んであります」

「完璧だな」

「なお、積載重量がだいぶ危険域です」

「知らん」

「あと武器弾薬も追加で積載されています」

「誰の判断だ」

「陸軍です」

「アイツら楽しんでるだろ絶対」

男は頭を押さえた。

アレンはぼそりと呟く。

「なんかもう、小規模軍隊みたいになってきましたね……」

「今さら気づいたのか」

海軍士官が小さく咳払いする。

「それと……これは上層部からです」

小さな封筒が差し出された。

男が中を見る。

そこには短い文だけが書かれていた。

『生きて帰ってこい』

男は数秒だけ黙り込み、封筒を胸ポケットへしまった。

「……寝るぞ」

「え、急ですね」

「考えること増えすぎて頭痛くなってきた」

そう言って男は船内へ歩いていく。

アレンはしばらく海を見ていた。

暗い水平線、西へ向かう航路。

その先にいるかもしれない、一人の男。

黒翼。

船は静かに夜の海を進み続けていた。 

艦のエンジン音だけが一定の振動となって足元から伝わってくる。夜風は冷たく、甲板に立っていると体温がゆっくり奪われていくのがわかった。

それでも二人はしばらく船内へ戻らなかった。

帝国本土の灯は、もう遠い。

振り返れば見えるはずの故郷は、夜の海に溶けて消えていた。

アレンは欄干に寄りかかりながら、小さく息を吐く。

「よかったですね、お金貸してもらえて」

「あぁ」

男はケースの中身を思い出すように鼻を鳴らした。

「これで路上で寝ることはないな」

「そこですか、問題は」

「大事だろ。」

「人間、寝床がないと頭がおかしくなる」

「実感こもってますね……」

「何度も野宿したからな」

「色々と英雄のイメージが崩れるんですが」

「勝手に幻想抱くな」

男は缶コーヒーを開けた。

潮風に混じって、微かに苦い香りが流れる。

「それに宿なら情報があるかもしれないだろ」

「あぁ、そうですね」

港町、酒場、宿屋。

人が集まる場所には噂が集まる。

黒翼を追うなら、そういう場所を地道に潰していくしかない。

男は海を見たまま、不意に口を開いた。

「お前は後悔してないのか」

アレンは少しだけ目を伏せた。

「後悔なんてしませんよ」

静かな声だった。

「それに後悔は、もう嫌というほどしました」

夜風が髪を揺らす。

「もっと両親と話しておけばよかった。」

「妹と遊べばよかった。」

「叔父さんと話せばよかった」

声は穏やかだった。

だが、その奥には積み重なった痛みが滲んでいる。

「後悔してもしきれないほどです」

男は何も言わなかった。

ただ静かに聞いていた。

アレンは視線を海へ向ける。

暗い海面は、まるで底なしの闇のようだった。

「戦争が始まる前、私は普通だったんです」

ぽつりと零す。

「本当に、どこにでもいるような子供でした」

麦畑があった、市場があった、酒場があった、夕焼けがあった、笑い声があった。

「妹はうるさかったですよ。」

「毎日毎日騒いで」

「叔父さんは酔っ払って帰ってきて。」

アレンは少しだけ笑った。

「今思えば、あれが幸せだったんでしょうね」

男が低く呟く。

「失ってからしか気づけねぇんだよな」

「えぇ」

海風が強く吹いた。

艦が波を切る音が響く。

「私はずっと考えてたんです」

「何をだ」

「もし、もっと早く気づいてたらって」

アレンは拳を握った。

「戦争が来るってわかってたら。」

「誰かが死ぬってわかってたら。」

「もっと色んなことをしておけばよかった」

後悔は消えない。

どれだけ時間が経っても、どれだけ前へ進んでも、死者は戻らない。

「叔父さんが死んだ時、思ったんです」

アレンの声が少し掠れる。

「また間に合わなかったって」

あの日、雪の中、赤く染まった路地、冷たくなっていく身体。

『逃げろ』

その言葉だけが、今でも耳に残っている。

「助けられなかった」

ぽつりと呟いた。

「両親も、妹も、叔父さんも」

男は缶コーヒーを握ったまま、ゆっくり息を吐く。

「……カイと同じ顔してんな」

「え?」

「自分を責める時の顔だ」

アレンは少しだけ驚いたように男を見た。

「アイツもそうだった」

男の視線は遠い。

まるで過去を見ているみたいだった。

「守れなかったヤツを、ずっと引きずってた」

「……」

「戦争が終わっても。」

「何年経っても。」

「ずっとな」

海の向こうの西方。

今その男は、どこにいるのか、生きているのか、何を思っているのか、誰にもわからない。

「なぁ、アレン」

男が静かに口を開いた。

「こんな時だが、こないだの続きを話してくれないか」

「……」

「お前の叔父さんが死んだあと、お前はどうしてたんだ」

アレンは少し黙り込んだ。

夜風が吹く。

遠くで波が砕ける。

「あの後……」

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