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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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38/43

アレン空軍省に行く

帝国空軍省。

帝都中央部にそびえる巨大な白亜の庁舎は、まるで一つの城塞のようだった。

空へ向かって突き出した無数のアンテナ群。巨大なガラス窓。建物の上部には帝国空軍の紋章が掲げられている。

帝国全土の航空戦力を統括する場所。

何十万という航空兵たちの命令が、ここから発せられていた。

その正面玄関で。

「だから、何回言わせるんだ」

怒鳴り声が響いた。

「おとといにも昨日も連絡したよなぁ!」

受付周辺の空気が一瞬で凍りつく。

アレンは思わず隣を見る。

男の纏う空気が、完全に変わっていた。

冷たい。 

静かなのに、肌を刺すような圧力がある。

まるで戦場へ出る直前の兵士たちが放つ殺気そのものだった。

受付に立っていた若い士官は、顔を青くしていた。

「で、ですが、将軍方は現在会議中でして……」

「俺はおとといもアイツらに連絡したんだが?」

男の声は低かった。

しかし、その低さが逆に恐ろしい。

周囲の空軍士官たちも異変に気付き始めていた。

ひそひそとした声。

「あれ……」

「まさか……」

「いや、でも……」

その視線が、男のコートへ集まる。

そこに付けられた部隊章。

古い意匠の特別章。

それを見た瞬間、何人かの顔色が完全に変わった。

「嘘だろ……」

「白翼……?」

「なんでこんなところに……」

ざわめきが広がる。

受付の若い士官は、自分が相手をしている人物が誰なのか、ようやく理解したらしかった。

喉がひくりと鳴る。

男はそんな周囲を気にも留めず、受付台へ軽く拳を叩きつけた。

「さっさとジジイどもを出せ」

鈍い音。

受付のペン立てが揺れた。

「か、閣下!」

奥から一人の准将が慌てて飛び出してくる。

四十代後半ほどの男だったが、その顔色も悪い。

「申し訳ございません!」

「おい、アレン」 

男は振り返った。

「こっちはまだかかりそうだ。先に行っててくれ」

「え?」

「俺はじっくりコイツらと話さなきゃいけないらしい」

「っひ」 

受付士官の口から情けない声が漏れた。

男の拳がゴキゴキと鳴る。

アレンは思った。

この人、殴る気だ。

「お前ら安心しろ、殺しはしない」

安心できる要素が一つもなかった。

「それに俺は今、ここの誰より階級が高い。多少殴ったところで問題ない」

「大問題です!!」

准将が半泣きで叫ぶ。

「上官に意見するなんて、ずいぶん偉くなったなぁ……」

「ひっ……」

完全に怯えていた。

周囲の空軍士官たちも、誰一人近寄ろうとしない。

アレンにはもう、男がただの危険人物にしか見えなくなっていた。

「アレン、お前の相手は三階の会議室で待ってる。一人で行ってろ」

「え、あの……」

「おい、てめぇら」

男の視線が空軍士官たちへ向く。

「客を一人で行かせる気か?」

ビクッと周囲が震えた。

「い、行きましょう!」

一人の若い士官が半ば叫ぶように言った。

「は、はい……」

アレンは慌てて頭を下げる。

「すみません……」

「い、いえ!」

若い士官は必死に首を振った。

その背後では、男の低い声がまだ続いている。

「で、お前ら。俺がいない間に、この国の空軍はずいぶん腐ったようだなぁ」

「ち、違います!」

「そこ! 逃げるな」

出口へ向かおうとしていた士官たちが硬直した。

「戻れ」

「は、はいっ!」

完全に蛇に睨まれた蛙だった。

アレンは案内役の士官と共にエレベーターへ向かった。

背後からまだ怒鳴り声が聞こえる。

「連絡を無視した理由を聞かせてもらおうか」

「閣下! ですから会議が!」

「知らねぇよそんなもん」

エレベーターの扉が閉まる直前。

「あと誰だ。俺の提出した資料を止めたヤツ」

その瞬間、空気が完全に凍った。 

アレンは見た。

准将の顔から血の気が引いていくのを。

扉が閉まる。

ようやく静寂が訪れた。 

アレンは小さく息を吐いた。

「……本当にすみません」

案内役の士官は乾いた笑みを浮かべた。

「いえ……こちらの不手際ですので……」

だが声が震えている。

「今日、我々生きて帰れますかねぇ……」

「昔からあんな感じなんですか」

「いえ」

士官は即答した。

「今回が初めてだと思います……」

エレベーターが上昇していく。

静かな機械音。

磨き上げられた金属壁に、アレンと士官の顔が映っていた。

士官は額の汗を拭いながら小声で呟く。

「閣下が本気で怒るなんて、何十年ぶりだ……」

「そんなに有名なんですか」

「有名どころじゃありませんよ……」

士官は苦笑した。

「空軍の伝説です」

「伝説……」

「現役時代を知る者なんて、もう上層部くらいしかいませんが……それでも名前だけは全員知ってます」

少し間を置き、士官は続ける。

「帝国史上最強の二機ですから」

アレンは黙って聞いていた。

どこへ行っても同じだった。

陸軍、海軍、士官学校、そして空軍。

皆、彼らを知っている。 

二人の空を駆けた英雄たち。

だが同時に、その誰もが、どこか痛みを抱えた顔で彼らを語る。

エレベーターが止まった。

三階。

扉が開く。

廊下には歴代の空軍英雄たちの肖像画が並んでいた。

その中には、見覚えのある顔もあった。

若き日の男。

そして、黒い飛行服を着たカイ。

アレンは足を止める。

肖像画の中のカイは無表情だった。

だがその瞳だけが異様だった。

「……」

「こちらです」

士官が歩き出す。

長い廊下の静まり返った空軍省。

だがアレンの耳には、まだ下の階から微かに怒鳴り声が聞こえている気がした。

「だから俺は三日前から連絡してただろうが!」

士官が遠い目をした。

「……准将殿、生き残れるかなぁ……」

________________________________________________

会議室の扉が閉まる。

外の喧騒が少し遠くなった。

「はじめまして」

低い声だった。

「君かい。黒翼を追ってるなんてバカは」

部屋の奥にいた将校は、鋭い目付きの男だった。

年齢は五十代ほど。

肩には空軍中将の階級章。

机の上には大量の書類と古びた航空写真が広げられている。

その目は、長年戦場を見続けてきた軍人特有のものだった。

「下は大変なことになっているみたいだ……」

遠くから、微かに怒鳴り声が響く。

『だから俺は連絡したって言ってんだろうが!』

将校は苦笑した。

アレンは深々と頭を下げる。

「すみません」

「いや、構わないさ」

将校は椅子へ深く腰掛けた。

「彼があんなに怒っているのを、私は初めて見たよ」

窓の外では、灰色の空が広がっている。

「まぁ、何があっても我々に彼へ文句を言う資格はないんだけどな……」

将校は小さく息を吐いた。

「借りが大きすぎる」

その言葉は重かった。

「あの殴られている准将だって、彼らに命を救われた一人だ」

「……」

「今、生きているだけマシだと思ったほうがいい」 

アレンは思わず聞き返す。

「止めなくていいんですか」

将校は即答した。

「彼を止められるのは二人だけだ」

静かな声。

「ブレント・ウェルロッドと――黒翼の英雄。その二人だけだ」

部屋に短い沈黙が落ちた。

アレンは改めて、この旅で自分がどれほど異常な人物たちを追っているのかを実感していた。

「……君は何を知りたい」

将校が真っ直ぐアレンを見る。

アレンはゆっくり答えた。

「あなたたちにとって黒翼とは……カイ・ラグナーとは、いったい何なのかを知りたい……」

将校は少しだけ目を伏せた。

「難しい質問だな……」

しばらく無言が続く

遠くからまだ男の怒声が聞こえていた。

『逃げるなって言ってるだろ!』

『閣下ぁ、ストップ、ストップです!!』

将校は苦笑する。

「本当に久しぶりだな……あんな声聞くの」

そう呟いてから、ゆっくり話し始めた。

「私が彼と初めて会ったのは、ある空域だった」

その目が遠くを見る。

「私は配属されたばかりの新任パイロットとして戦闘に参加した」

窓の外を飛行機雲が横切っていく。

「作戦内容は敵編隊の撃滅だった。だが、敵は我々の予想の数倍いた」

将校の声が少し低くなる。

「包囲されたよ」

「……」

「ベテランの先輩たちは次々と落とされていった」

アレンの脳裏に、以前聞いた話が重なる。

「正直、私は死を覚悟した」

将校は淡々と続けた。

「祖国へ残してきた母へ謝りながら戦った」

静かな声だった。

「だがその中には、当時の恐怖がまだ残っている。

「そんな絶望的な状況下――たった一機が救援に来た」

将校の目が少しだけ変わる。

「真っ黒な機体だった」

アレンは無意識に息を呑む。

「目の前を通り過ぎ、敵を落としていく」

「彼はミサイルを一つも使わなかった」

「……え?」

「機関砲だけで落としていったんだ」

将校の口調に、今でも信じられないという色が混じる。

「高速戦闘中の戦闘機を、千数百メートル先から正確に撃ち抜いていく」

「そんなこと……」

「普通は不可能だ」

将校は即答した。

「だが、彼はやった」

部屋が静まり返る。

「味方の歓声が無線で響いていた」

将校は当時を思い出すように目を閉じた。

『黒翼の英雄が来てくれた!』

『助かった……!』

『俺たちは助かったんだ!』

その声が、まるで本当にそこに響いているかのようだった。

「無線は歓声で溢れていた」 

だが、将校の声がゆっくり変わる。

「その時私は同時に、敵の無線も傍受していた」

空気が静かに冷える。

『どうしてアイツがここにいるんだよ……』

『黒翼の悪魔だ……』

『黒い死神が現れやがった』

『嫌だ……死にたくない……』

将校は静かに言った。

「そんな声が聞こえるんだ」

「地獄だった」

将校は静かに言った。

その声には、長い年月でも消えなかった疲労が滲んでいた。

「空は炎で埋まり、無線は悲鳴だらけだった」

机の上へ置かれた拳がわずかに握られる。

「それでも――」

将校の目が細くなる。

「先ほどまで我々を圧倒していた敵軍を、自分たちが押し返しているという高揚感があった」

アレンは黙って聞いていた。

「生きて帰れるか定かではない」

「次に落ちるのは自分かもしれない」

「それなのに皆、彼についていった」

遠くを見るような目。

「黒い機体を追って、地獄の中へと突っ込んでいったんだ」

会議室の窓へ薄い雲の影が差す。

「ここは地獄だというのに」

将校はゆっくり息を吐いた。

「ならば、地獄を先導する彼は救世主なのか」

一瞬、言葉が止まる。

「それとも、友軍を破滅へ導く悪魔なのか」

その問いは、今でも答えが出ていないようだった。

「そう思ったこともあった」

静寂。

下の階から、微かに怒鳴り声が聞こえる。

『だから書類を止めたヤツを出せって言ってんだよ!』

『ぎゃああああ!?』

将校は頭を押さえた。

「……准将、まだ生きてるかな」

アレンは何も言えなかった。

将校は苦笑してから続ける。

「しかし」

その声が少し強くなる。

「彼は英雄だった」

「英傑だった」

「卓越した戦闘機パイロットだった」

一つ一つ確かめるように言う。

「彼は前線に従軍した、我々すべての帝国軍にとっての希望だった

将校の目に、かつての空が映っているようだった。

「陸軍も」

「海軍も」

「空軍も」

「皆、彼の名前を知っていた」

「黒翼が来た」

「それだけで、生還率が跳ね上がると言われるほどにな」

アレンは静かに息を呑む。

もう何人目だろう。

誰もが同じように語る。

黒翼、カイ・ラグナー

戦場を覆う絶望の中で、唯一空を切り裂いて現れる存在。

「君も聞いたことがあると思うが彼は前線にいた我々全員の総意として――英雄だった」

将校はそう言って、静かに目を閉じた。

________________________________________________

「さぁ、終わりだ」

将校は椅子から立ち上がった。

「下の連中を助けに行こう」

アレンは嫌な予感しかしなかった。

二人は会議室を出る。

廊下を歩き、エレベーターへ乗り込む。

下へ降りていく途中も、何かが壊れる音が微かに聞こえていた。

そしてロビーへ戻った瞬間。

アレンは足を止めた。

「……」

目を背けたくなるような惨状だった。

受付のガラスは粉々に割れ、床には書類が吹雪のように散乱している。

机は横倒し。

観葉植物は無残に折れ曲がり、壁には何かが叩きつけられた跡まであった。

そして、床には血まみれの士官たちが倒れていた。

「うぅ……」

「医務室……」

「肋骨が……」

誰も死んではいないが全員ボロボロだった。

その中心で。

明らかに階級の高そうな将校たちが、鼻血を流し、顔中アザだらけのまま正座させられていた。

「じゃあ、さっさとジジイどもを連れてこい」

男が低い声で言う。

「は、はい!」

正座していた将校たちが慌てて立ち上がり、駆けていく。

アレンは頭を抱えた。

「戻ったか、アレン」

男はまるで何事もなかったかのように煙草へ火を点けていた。

「これはどういう……」

「説教だが?」

当然のように返された。

アレンは思った。

(この人、本当にバカだ……しかも質の悪い方向で。)

横にいた将校が遠い目で呟く。

「帝国空軍始まって以来の不祥事だな……」

「笑い事じゃないですよねこれ」

「まったくだ……」

そこへ奥から数人の老人たちが現れた。

空軍制服に胸を埋め尽くす勲章。

最高司令部クラスだと一目でわかる。

だが、その老人たちはロビーを見た瞬間、完全に固まった。

「……これはどういうことだ……」

床を見渡しながら、一人が呆然と呟く。

割れたガラスに倒れた士官、正座させられている将校たち、そして中央で腕を組む男。

「貴様!」

一人の老人が怒鳴った。

「これはどういうことだ!!」

男は即答した。

「てめぇらがこっちを無視したんだろうが」

その瞬間、周囲の空気がまた凍る。

「こっちがお前らのために何年働いたと思ってやがる」

男の額に青筋が浮かんでいた。

「俺に何を隠してやがる」

老人たちの表情が変わる。

怒りではない。

一瞬だけ浮かんだのは――動揺だった。 

アレンは見逃さなかった。

男も同じだったらしい。

鋭い目が細くなる。

「……やっぱり何か知ってやがるな」 

静かな声だった。 

だが、その静けさが逆に恐ろしい。 

老人たちは互いに顔を見合わせる。

長い沈黙。 

やがて中央の老人が重く息を吐いた。

「……会議室に来い」

その声は、諦めたようでもあった。

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