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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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37/45

準備

海軍省を出た頃には、空はもう夕暮れに沈み始めていた。

帝都の冬の空は低く、鉛色の雲が海から流れ込んできている。

道路脇には軍用車両の列が続き、遠くでは港へ向かう輸送艦の汽笛が鈍く響いていた。

男は無言のまま車へ乗り込む。

そしてドアを閉めた瞬間――

ガンッ!!

ハンドルへ拳を叩きつけた。

「クソ、ジジイども……」

それは低い声だった、怒りを押し殺した声。

助手席のアレンは思わず男を見る。

「空軍が情報を掴んでいたという話ですか」

「あぁ」

男は煙草を取り出す。

だが火を点ける前に、苛立たしげに舌打ちした。

「どうして俺に情報がこねぇ」

窓の外を軍用トラックが何台も通り過ぎていく。

荷台には兵士たちが乗っていた。

その姿を眺めながら、男は続ける。

「空軍が独自に動いてたなら、普通なら俺にも話が回るはずなんだ」

「何かに止められているという可能性は……」

「無くは無い」

男は短く答えた。

「だがそんなことができるのは限られる」

煙草へ火を点ける。 

赤い火が一瞬だけ暗い車内を照らした。

「帝国参謀本部か……もしかしたらもっと上か」

煙がゆっくり天井へ昇っていく。

「はたまた情報局の可能性もある」

「それって……」

「どうやら俺たち以外にもアイツを探してるヤツがいるらしい」

男の赤い瞳が細められる。

「それがどこのどいつかもわからねぇ」

「……」

「この国以外の連中の可能性もある」

車内が静まり返った。

エンジン音だけが低く響いている。

アレンは窓の外を見た。 

夕闇の中、帝都の巨大な軍港が見える。

そこには無数の艦影、煙突から昇る黒煙が見える。

戦争が終わって久しいはずなのに、この国はいまだ巨大な軍靴の上に立っているようだった。

男がぽつりと呟く。

「もしかするとドンパチすることになるかも知れねぇ」

冗談ではない声音だった。

「アレン、引き返すチャンスはもうこれだけかも知れねぇ」

男は前を向いたまま続ける。

「これ以上探すなら覚悟が必要だ」

アレンは答えなかった。

ただ静かに目を閉じる。

脳裏に浮かぶ。

雪の中で死んでいた叔父。 

酒場の旋律。

ローザの泣きそうな顔。

アレンはゆっくり目を開いた。

「そんなもの既に私はしています」

静かな声だった。

「あの日から今日に至るまでずっと」

男は何も言わない。

ただ煙草を深く吸い込み、細く煙を吐いた。

しばらく沈黙が続く。

その時だった。

ぐぅぅぅ……。

妙に間抜けな音が車内へ響いた。

男の腹だった。

「「……」」

一瞬の沈黙。

そして男が顔をしかめる。

「そういや昼食ってなかったな」

アレンは思わず吹き出しかけた。

さっきまでの重苦しい空気が少しだけ崩れる。

「もう今日はホテルにでも行くか……」

男は頭を掻きながら車を発進させた。

帝都の夜景が窓の外を流れていく。

ネオン、高架道路、軍用飛行船の灯火、遠くで鳴る警報音。

男はしばらく黙って運転していたが、不意に口を開いた。

「アレン、明日は大幅に予定を変える」

「変更?」

「あぁ」

男の表情が少しだけ硬くなる。

「空軍省に行く前に俺の家に一旦行く」

「どういうことですか」

「とってくるものがある」

短い言葉。

だがその声には妙な重みがあった。

「それはこの先必要になるかも知れない」

赤信号で車が止まる。

街灯の光が男の横顔を照らした。

「使わないことに越したことはないがな……」

アレンは聞かなかった。

何を取りに行くのか。

なぜそこまで警戒しているのか。

聞かなくてもわかってしまったからだ。

男は続ける。

「陸軍のアイツにも連絡して明日持ってきてもらうもんがある」

「……武器ですか」

男は少しだけ笑った。

「勘がいいな」

だがその笑みは冗談めいていなかった。

「どうやら平和的にはいかなくなってきたようだ」

夜の帝都を車が走っていく。

空には重たい雲、その向こうには、見えない星々。

アレンは窓へ額を預けた。

黒翼を追う旅は、もう単なる過去探しではなくなっていた。

一人の英雄を巡って、陸軍も海軍も、空軍も、そしておそらく情報局までもが動いている。

なぜそこまでして黒翼を探すのか。

なぜその存在は戦後、完全に消えたのか。

そして、いま誰が、何のために動いているのか。

わからないことばかりだった。

だが一つだけ確かなことがある。

もう後戻りはできない。

車は帝都中心部を抜け、高速道路へ入った。

遠くの空で、軍用機の灯火が小さく瞬いていた。

まるで、まだ誰かが空を飛び続けているみたいに。

________________________________________________

帝都の夜は眩しかった。

高層建築の窓明かりが空へ滲み、冬の雲をぼんやり照らしている。

その中心にそびえる巨大な建物を見上げ、アレンは言葉を失っていた。

「本当にここに泊まるんですか……」

目の前にあるのは帝国でも――いや、世界でも有数の高級ホテルだった。

巨大な回転扉に赤絨毯、立派な制服を着た案内係、そして玄関へ横付けされる高級車。

アレンの住む世界とはまるで別世界だった。

「そうだけど、なんか問題があるか」

男は平然と答える。

「私みたいな一般人がこんなとこ……」

「ここが一番セキュリティがいいんだよ」

その一言でアレンは黙った。 

確かに今の状況では、安宿の方が危険かもしれない。

黒翼を追う者が他にもいる。

しかもそれは軍や情報局レベルの話になりつつある。

ホテルの自動扉が静かに開いた。

暖かな空気が流れ出てくる。

中へ入った瞬間、アレンはさらに圧倒された。

吹き抜けのロビー、巨大なシャンデリア、磨き上げられた大理石の床、静かに流れるピアノの音。

客たちも明らかに普通ではない。 

明らかに位の高いことがわかる軍服姿の将官、立派なスーツに身を包んだ外交官らしき男たち、綺羅びやかな宝石を身につけた女性たち。

自分の場違い感に胃が痛くなる。

だが男は慣れた様子で受付へ向かっていく。

「予約してたもんだ」

受付係の女性が一瞬だけ目を見開いた。

しかしすぐに完璧な笑顔へ戻る。

「お待ちしておりました」

その態度を見て、アレンは改めて理解した。

この男は、本当に帝国の英雄なのだと。

チェックインは数分で終わった。

案内された最上階近くの部屋へ入り、アレンは完全に固まった。

「……」

広い、広すぎる。

窓の向こうには帝都の夜景が一望できた。

床には厚い絨毯、壁には絵画。

ここにあるソファ一つですら自分の家より高そうだった。

「いったいいくらするんですか……ここ」

男はコートを脱ぎながら答える。

「細かいことは気にしたら負けだ」

「本当にいくらするんですか」

「聞いたら多分お前ぶっ倒れるぞ」

「……」

アレンはそれ以上聞くのをやめた。

精神的に良くない気がした。

男は冷蔵庫から水を取り出して一気に飲む。

「アレン、風呂に入ってこい」

「っえ」

「顔、真っ青だぞ」

言われて初めて気づいた。

身体が重い。

ここ数日、まともに休めていなかった。

移動に緊張、黒翼を巡る真実で気を張り続けていたせいで感覚が麻痺していた。

「さっさと風呂入って寝ろ」

男はソファへ腰を下ろしながら言った。

「旅はまだ続くんだからな」

「……それじゃあ、お言葉に甘えて」

アレンは小さく頭を下げる。

浴室へ向かおうとした、その時だった。

男の携帯端末が鳴った。

部屋の静けさを切り裂く電子音。

男の表情が変わる。

アレンは足を止めた。

「……俺だ」

さっきまでとは空気が違う。

男は窓際へ歩いていく。

「……あぁ」

「わかった……」

短いやり取り。

だがその声音には緊張が混じっていた。

「明日にはそっちに行く準備だけしといてくれ」

通信が切れる。

部屋に再び静寂が戻った。

男はしばらく窓の外を見ていた。

帝都の夜景がガラスへ映り込む。

その赤い瞳は、どこか遠くを見ているようだった。

アレンは何も聞かなかった。

聞けば、また新しい何かが動き出してしまう気がしたからだ。

ただ一つだけ確かなことがある。

黒翼を巡る旅は、確実に何か大きな渦の中心へ近づいている。

そして明日、その渦はさらに深くなる。

窓の向こうの空を、一機の輸送機が夜空を横切っていった。

________________________________________________

浴室の扉が閉まる音がして、部屋は静かになった。

男はしばらく動かなかった。

ソファへ深く腰を沈めたまま、ぼんやりと帝都の夜景を見つめている。

窓の外では雪が降り始めていた。

高層ビルの灯りの間を、白い粒がゆっくり落ちていく。

「……アイツはどこにいるんだ」

ぽつりと呟く。

その声は誰へ向けたものでもない。

男は胸ポケットへ手を入れ、一枚の古びた写真を取り出した。

端が擦り切れた写真。

そこには三人の姿が写っている。

まだ若かった頃の自分。 

銀髪の女性。

そして、その隣で無表情な黒髪の男。

男は親指で写真をなぞった。

「エリス……」

かすれた声。

「カイのバカはどこにいるんだ」

赤い瞳が揺れる。

「教えてくれ……」

部屋の照明が静かに写真を照らしていた。

あの頃は、こんな未来になるとは思っていなかった。

自分たちは、きっと普通に笑って歳を取っていくのだと。

だが現実は違った。

一人は死んだ。

どこかに一人は消えた。

そして残った自分だけが、まだ過去に取り残されている。

男は小さく息を吐いた。

コートの内側へ手を伸ばす。

隠していた拳銃へ触れた。

冷たい鉄の感触。

「こんなもん使いたくないんだが……」

低く呟く。

あの頃なら迷わなかった。 

この引き金を引くことにも、敵を殺すことにも。

だが今は違う。

もう戦争は終わったはずだった。

終わったはずなのに。

男は携帯端末を取り出す。

数秒迷ってから通信を繋いだ。

『……よう』

年老いた男の声が聞こえる。

「……おっさん」

男はソファへ身体を預けた。

「カイの手掛かりを見つけたかも知れねぇ」

通信の向こうが静かになる。

『……本当か』

「あぁ。本当だ」

男は写真を見つめたまま続けた。

「まだ確証はないが」

『どこだ』

「まだわからねぇ」

苛立ったように額を押さえる。

「だがだいぶ危険な連中がアイツを追ってるかも知れねぇ」

『情報局か』

「あぁ……」

男は窓の外を見る。

雪はさらに強くなっていた。

「だが、情報局だけじゃないかもしれないんだ」

『……』

「この国以外の連中の可能性がある」

電話越しに息を呑む気配がした。

『それは……』

「そしたらかなり面倒なことになる」

男の表情が険しくなる。

「万が一は――」

遠くでサイレンの音が聞こえる。

「……いや」

男は低く呟いた。

「まだそこまでわかったわけじゃねぇよ」

『おい』

「万が一だ」

その声は、自分自身へ言い聞かせているようだった。

「万が一」

通信を切ったあと、男はしばらく動かなかった。

手の中の写真を見つめる。

若かった頃の三人。

空だけを見て生きていた自分。

たった一人に男の大きな背中を追っていた頃。

「……頼むから生きててくれよ」

誰にも聞こえない声だった。

雪が降り続ける帝都の夜。

その空のどこかに、黒翼はまだいるのかもしれなかった。

________________________________________________

翌朝。

帝都は薄曇りだった。

夜の雪は止んでいたが、路肩や街路樹の根元には白い雪がまだ残っている。

冷たい空気を切り裂くように、黒塗りの軍用車が帝都中央部を走っていた。

窓の外に並ぶ建物は、昨日までアレンが見てきたものとは明らかに違う。

高い塀に巨大な門、豪華な庭園、警備用の監視塔。

並んでいるのは帝国の中枢に近い人間たちの屋敷ばかりだった。

「本当に自宅に向かってるんですよね」

アレンは半ば呆れたように言った。

男はハンドルを握ったまま答える。

「あぁ、そうだがなんだ?」

「こんなとこにあるんですか」

「あ?」

男はちらりとアレンを見る。

「なんだよ、俺がここに住んでることになんか文句あるのか」

「いや、そういう意味じゃ……」

車はさらに奥へ進んでいく。

やがて巨大な鉄門の前でゆっくり停車した。

アレンは絶句した。

門の向こうに見える屋敷が、あまりにも大きかったからだ。

もはや“家”ではない。

邸宅だった。

いや、下手な政府施設より大きい。

白い石造りの本館、広大な庭園、噴水、離れの建物。

奥には専用の格納庫らしきものまで見える

「……あってるんですよね、本当に」

「だからあってるって言ってんだろ」

男は呆れたようにため息をついた。

「俺の実家だよ」

「実家……」

「俺は先祖代々エリート将校の家系でな」

鉄門がゆっくり開いていく。

「これでも文句あるのか」

「そういうわけじゃ……」

むしろ理解が追いついていなかった。

英雄で帝国上層部と顔が利き、そして実家は帝都中央部の超高級住宅街。

アレンは改めて、自分がとんでもない人物と旅をしているのだと理解し始めていた。

車は石畳の道を進み、玄関前で止まる。

すると、すでに老人が一人待っていた。

黒い燕尾服姿。

背筋は年齢を感じさせないほど真っ直ぐだった。

「お久しぶりです、坊っちゃん」

その言葉に、男は苦笑する。

「じいさん、まだここで働いてたのか」

「えぇ」

老人は穏やかに微笑んだ。

「先代様がお亡くなりに必要のなかった私たちを坊っちゃんは雇ってくれていた」

男は少しだけ視線を逸らす。

「……別に当たり前だろ」

「ありがとうございます」

老人は深々と頭を下げた。

アレンはそのやり取りを黙って見ていた。

この男は口も態度も荒い。

だが時折見せるこういう部分が、不思議と周囲に人を集めるのだろうと感じた。

老人はアレンへ視線を向ける。

「そちらの方は?」

「あぁ、俺の客だ」

「ようこそお越しくださいました」

老人は丁寧に一礼した。

「さぁ、中に入ってください」

重厚な扉が静かに開かれる。

暖かな空気が流れ出てきた。

アレンは屋敷を見上げる。

この場所にもまた、黒翼へ続く何かが眠っている。

そんな気がした。

________________________________________________

屋敷へ入った男は、玄関ホールでコートを脱ぐこともなく、そのまま奥へ進んでいった。

長い廊下、赤い絨毯、壁に並ぶ歴代当主たちの肖像画。

どの顔にも同じような鋭さがあった。

軍服、勲章、帝国の名門将校家系。

アレンは歩きながら、その重苦しい空気を肌で感じていた。

男は階段を降り、地下へ続く重い扉の前で立ち止まる。

電子錠の分厚い鋼鉄製の扉。

短い認証音のあと、ロックが解除された。

扉が開く。

そしてアレンは息を呑んだ。

「なんですか、ここ」

そこは武器庫だった。

壁一面に並ぶ銃器。 

自動小銃、狙撃銃、拳銃、弾薬箱、軍用ナイフ、防弾装備。

整然と並べられたそれらは、小規模な軍隊すら武装できそうな量だった。

男は慣れた様子で棚を開けながら言う。

「両親が死んでから俺が集めた、さすがにこんなもの」

「……」

アレンは返事ができなかった。

男は振り返る。

「アレン、お前も一つ持っていけ

「いえ、私にはこれがあるんで結構です」

アレンはコートの内側から古びた拳銃を取り出した。

黒く擦れた金属、長年使い込まれた痕跡、ヴェルテクス連邦製。

男の眉がわずかに動く。

「そんなもんどこで……」

そこで察したように口を止めた。

「……いや、あの時の話してたヤツか」

「えぇ」

アレンは静かに答える

「まだ持ってるんですよ」

戦争が終わろうとあの日からずっと、この拳銃だけは捨てられなかった。

男は苦笑する。

「警察に見つかったら捕まるぞ」

「でしょうね……」

アレンは少し視線を落とした。

「弾だけ貰えます?」

「ん?」

「この弾倉一つしかないんで」

男は棚を指差す。

「好きなの持っていけ」

アレンは弾薬箱を開ける。

冷たい金属の感触に指先が少し震えていた。

「こんなもの使いたくないんですけど」

ぽつりと漏れた本音。

男はその横顔を見た。

「用心した方がいいだろ」

低い声だった。

「それに使うとも限らない」

「……」

アレンはゆっくり頷く。

だが胸の奥では理解していた。

これはもう、“念のため”の段階ではない。

黒翼を追う旅は、確実に危険な領域へ入っている。

「すみません、あとナイフを一本借りても」

「ここにあるのなら好きなの持っていけ」

アレンは棚に並ぶナイフを見つめる。

軍用、儀礼用、古い戦場用。

その中から比較的細身の一本を選んだ。

鞘へ収める音が静かに響く。

「どうやって集めたんです、こんなもの」

男は弾倉を確認しながら答えた。

「裏側の知り合いからな」

「裏側……」

「金を渡して非正規ルートからちょっと融通してもらった」

さらっと言う内容ではなかった。

「だからここにあるのなら足は付かない」

アレンは乾いた笑みを浮かべた。

「私たち、もうこれじゃあ犯罪者の仲間入りですよね……」

弾を装填しながら小さく呟く。

「捕まったら妻になんて言いましょう」

男は数秒黙ったあと、不意に吹き出した。

「ははっ」

久しぶりに少し自然な笑いだった。

「安心しろ」

男は拳銃をホルスターへ収める。

「その時は俺も一緒に捕まってやる」

地下武器庫の冷たい空気の中。

二人は静かに武装を整えていく。

まるで、また戦争へ向かう兵士みたいに。

________________________________________________

重くなったトランクが鈍い音を立てて閉じられた。

男は乱雑に手を払うようにして立ち上がる。軍用車の後部座席には、段ボールに詰め込まれた大量のマガジンが積まれていた。油の匂いと金属の冷たさが車内に満ちている。

アレンはしばらく無言でそれを見つめていた。

日常とはあまりにも遠い光景だった。

男はアサルトライフルを布で包みながら言う。

「こんなのも持っていくんですか」

「道中襲われても大丈夫なようにな。保険だ、保険」

軽く言っているが、その目は笑っていなかった。

スティンガーのケースをトランクの端へ押し込みながら、男は続ける。

「弾は途中で陸軍のヤツが持ってくる手筈だ」

その言葉に、アレンは思わず乾いた笑みを漏らした。

「もう完全に戦争ですよね……」

「俺もそう思う」

男はあっさり認めた。

高級住宅街の静かな空気の中で、その軍用車だけが異様だった。

男は運転席のドアを開けながら言った。

「アレン、俺たちはこれから空軍省に行く」

「はい」

「もしかするとアイツを追ってるのは敵かもしれねぇ」

男の声が低くなる。

「万が一がある。警戒しろ」

アレンはコートの内側に手を入れた。 

「私たちは人を探してるだけなんですけどねぇ」

「……」

男は答えなかった。

ただ煙草を一本取り出し、火を点ける。

紫煙が冬の空気へ溶けていった。

「アレン」

「はい」

「お前は人を撃てるか」

突然だった。

アレンは一瞬だけ返答に詰まる。

遠くで鳥の鳴き声がした。

風が木々を揺らす。

その静けさの中で、問いだけが異様に重かった。

「……期待しないほうがいいです」

アレンは小さく笑った。

「ただ、物ならいけると思います」 

男はしばらくアレンを見つめていた。

そして短く頷く。

「それだけできれば十分だ」

その言葉は、どこか疲れていた。

撃てるかどうか、殺せるかどうか。

そんな問いを、もう何度も誰かにしてきた人間の声だった。

男は煙草を地面へ落とし、靴底で火を潰した。

「行くぞ」

「はい」

二人は車へ乗り込む。

エンジンが低く唸りを上げた。 

高級住宅街を軍用車がゆっくりと走り出す。

バックミラー越しに、男の家が少しずつ遠ざかっていった。

空は曇っていた。

灰色の雲が帝都を覆っている。

まるで何かが始まる前触れのようだった。

アレンはゆっくり息を吐いた。

窓の外では、帝都の巨大な空軍省庁舎群が遠くに見え始めていた。

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