アレン:一つの転換点②
アレンたちが指揮所に踏み入れた瞬間
「動くな!」
鋭い声が指揮所に響いた。
空気が一瞬で張り詰める。
次の瞬間、周囲にいた兵士たちが一斉にこちらへ視線を向けた。
ヴェータ・リンクスが前へ出る。
腰の拳銃へ手を添え、アレンとローザを射抜くように見据えている。
その背後では、他のエトワール隊の隊員たちも集まり始めていた。
軍靴の音、緊張した視線
数秒遅ければ、銃口が向けられていてもおかしくなかった。
ローザの肩が震える。
アレンは静かに両手を上げた。
敵意がないことを示すように、一歩前へ出る。
「待て、ヴェータ」
低い声だった。
指揮所の中心にいたアレクセイ・イグナトフが口を開く。
その一言だけで、場の空気がわずかに変わった。
ヴェータは視線を外さないまま、ゆっくりと銃から手を離す。
アレクセイはアレンを見つめた。
その瞳には警戒もあったが、同時に奇妙な静けさもあった。
「久しぶりだな、少年」
穏やかな声だった。
「こんなところまで何の用だ。ここが軍用基地ということは、君たちでもわかっているはずだ」
アレンは息を整える。
ここで怯めば終わりだと思った。
後ろではローザが不安そうにこちらを見ている。
その視線を感じながら、アレンは口を開いた。
「あなたたちヴェルテクス連邦は、一般人を殺すことが好きなようだ」
その瞬間、隊員の一人が顔をしかめた。
「隊長、こんなガキ――」
「やめろ、ハルド」
ヴェータの低い声が割って入る。
ハルドと呼ばれた男は舌打ちし、黙り込んだ。
アレクセイだけは静かだった。
「少年、君は何を言いたい」
アレンは拳を握る。
胸の奥で怒りが熱を持つ。
「私の叔父は今日、あなたたちヴェルテクス連邦の秘密警察に殺された」
指揮所が静まり返った。
アレクセイの表情が、わずかに変わる。
「……秘密警察?」
ヴェータも眉をひそめた。
「どういうことだ」
「知らないとは言わせない」
アレンの声が低くなる。
「こちらには証拠がある」
もちろん、それは完全な証明ではなかった。
だが叔父の言葉、傷跡、軍靴の足跡――それだけで十分だった。
少なくともアレンには。
アレクセイはしばらく黙っていた。
周囲の隊員たちも互いに顔を見合わせている。
どうやら、この反応は演技ではない。
少なくともアレンにはそう見えた。
「……それで」
やがてアレクセイが口を開く。
「我々にどうしろと?」
アレンは真っ直ぐ彼を見る。
憎しみだけでここへ来たわけじゃない。
叔父の死を無駄にしたくなかった。
「私が求めるのは一つです」
「秘密警察を止めてほしい」
隊員たちの間にざわめきが走る。
「できることなら、この町から追い出してほしい」
アレクセイは黙ったままアレンを見つめる。
その視線は鋭い。
まるで、言葉の裏まで見透かそうとしているみたいだった。
長い沈黙。
やがて彼は小さく息を吐いた。
「……よし。いいだろう」
「隊長!?」
ハルドが声を荒げる。
「何を言ってるんです!」
別の隊員も顔をしかめた。
「こりゃ独断専行で軍法会議に出されてもおかしくありませんよ」
だがアレクセイは動じなかった。
「秘密警察は軍の管轄外だ」
低く落ち着いた声。
「だが、もし占領地で無意味な混乱を引き起こしているなら、それは作戦行動にも支障をきたす」
ヴェータが腕を組む。
「つまり、確認はするということですか」
「ああ」
アレクセイは頷きそして再びアレンを見る。
「少年。君の叔父の件、本当に秘密警察が関わっているなら、こちらでも調べよう」
アレンは言葉を失った。
もっと冷たく追い返されると思っていた。
あるいは捕まるか。
なのに、目の前の男は話を聞いている。
そのことに、逆に戸惑っていた。
「ただし」
アレクセイの声が低くなる。
「ここは軍事基地だ。今回の侵入は本来なら見逃せるものじゃない」
周囲の隊員たちが無言で頷く。
当然だった。
アレン自身、それくらいわかっている。
「それでも、君たちを今ここで拘束しないのは――」
アレクセイは一瞬だけ目を細めた。
「君が、怒りだけで動いているようには見えなかったからだ」
その言葉に、アレンの胸がわずかに揺れた。
怒りは確かにある。
だがそれだけではなかった。
叔父の死の意味を知りたい。
なぜ殺されたのか、何を隠していたのか。
その答えが欲しかった。
アレクセイは隊員たちへ視線を向ける。
「ハルド。秘密警察の動きを確認しろ」
「……本気ですか」
「命令だ」
ハルドは不満そうに舌打ちしたが、やがて小さく敬礼した。
「了解」
ヴェータは静かにアレンを見る。
その視線にはまだ警戒が残っていた。
だが、敵意だけではない何かも混じっていた。
「少年」
彼が低く言う。
「もし君の話が本当なら、これは簡単な話じゃ済まない」
アレンは黙って頷いた。
もう、自分でもわかっていた。
叔父の死の裏には、もっと大きな何かがあるのだと。
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「この件は、実行してから私のほうから君たちに接触しよう」
アレクセイは静かにそう告げた。
指揮所にいた隊員たちは、まだ納得しきれていない様子だった。
ハルドは何か言いたげに口を開きかける。
「隊長、本当に――」
だが、アレクセイは首を横に振った。
「これ以上はいい」
その一言だけで場は静まる。
誰も反論しなかった。
長年ともに空を飛んできた隊長の判断を、最終的には誰もが受け入れるしかないのだ。
アレクセイはアレンたちへ向き直る。
「さあ、帰る時間だ」
穏やかな口調だった。
「私が外まで送ろう」
「何を言ってるんですか」
ヴェータが思わず声を上げる。
「隊長自らですか?」
「おいおい、いい加減にしてくれよ」
別の隊員も苦笑しながら肩をすくめる。
「子ども二人を見送るだけでしょう」
「それでも隊長が行くことじゃ……」
アレクセイはわずかに笑った。
「心配するな。すぐ戻る」
そう言うと、二人を促して指揮所を後にした。
長い通路を歩く。
コンクリートの壁に照明が淡く反射し、足音だけが規則正しく響いていた。
ローザは終始無言だった。
基地の中を歩くこと自体が、まだ信じられないのだろう。
やがて出口が見えてくる。
外から吹き込む冬の風が、通路を冷たく駆け抜けた。
夕暮れはすでに終わり、夜がゆっくりと町を包み始めている。
ローザが小さく肩を震わせた。
その様子に気付いたアレクセイは歩みを止める。
何も言わず、自分の外套の留め具を外した。
厚手の軍用外套だった。
肩章の付いたそれを、静かにローザへ差し出す。
「羽織っておくといい」
「え……」
思わぬ申し出にローザは戸惑う。
「でも、これは……」
「夜は冷える」
それだけだった。
命令でもなく、押し付けでもない。
ごく自然な口調だった。
ローザは遠慮がちに外套を受け取る。
羽織ると、体をすっぽり包み込むほど大きかった。
内側には微かに煙草と機械油の匂いが残っている。
戦場を飛び続けてきた人間の匂いだった。
アレンはその光景を黙って見ていた。
目の前にいるのは、妹を奪ったはずの男だ。
憎み続けてきた八芒星の隊長。
だが、その横顔は、想像していた“怪物”とは違っていた。
アレクセイは基地の出口付近で足を止めた。
背後では、掩体壕の奥に並ぶ戦闘機の整備音が響いている。
金属を叩く音。
遠くで回る発電機。
夜空へ消えていく燃料の匂い。
その全てが、戦争の中にいることを嫌でも思い出させ
アレクセイは出口の前で立ち止まり、アレンへ視線を向けた。
「少年、これは私のエゴだが」
少しだけ言葉を選ぶような間があった。
「もし寄る辺がないなら、またここへ来ればいい」
アレンは目を見開く。
「……どうしてですか」
家族を失った自分に、敵国の民である自分に。
どうしてそこまで言うのか。
アレクセイは静かに笑った。
「言っただろう、私のエゴだよ」
それ以上は語らなかった。
理由も説明もしない。
ただ、それだけだった。
やがて彼は基地の門へ目を向ける。
「帰り道には気を付けろ」
まるで、どこにでもいる年上の大人が子供へ向ける忠告みたいに。
アレンは答えられなかった。
胸の奥が妙にざわついていた。
なぜだかわからない。
拳銃を向けるはずだった相手。
殺したいほど憎んでいた男。
それなのに。
ほんの少しだけ、自分の中の何かが揺らいでいる。
ローザが小さな声で言った。
「……行こう、アレン」
門の向こうには、夜の町が広がっていた。
アレンは深く一礼する。
「……ありがとうございました」
ローザも外套の裾を押さえながら、小さく頭を下げた。
その声は静かだった。
冬の夜風が頬を撫でた。
背後では、巨大な掩体壕の灯りだけが静かに闇へ浮かんでいる。
アレンは一度だけ立ち止まり、振り返った。
基地の入口には、まだアレクセイが立っていた。
何も言わず、ただ二人が見えなくなるまで、その場から動こうとはしなかった。
二人は基地を後にした。
背後では、巨大な掩体壕の灯りが闇の中で浮かび上がっている。
まるで山の中に潜む獣の眼のようだった。
雪を踏む音だけが静かに続く。
ローザは借りた外套を胸元で押さえながら歩いていた。
「ねぇ、アレン」
「何?」
「あの人……本当に悪い人には見えなかった」
アレンはすぐには答えなかった。
冷たい夜風が頬を撫でる。
遠くで戦闘機のエンジンが唸った。
「……わからない」
それが、本音だった。
妹を殺したはずの男。
それなのに。
あの男の瞳には、どこか深い疲れのようなものがあった。
まるで、空のどこかに何かを置き忘れた人間の目だった。
二人は雪道を歩き続ける。
背後の基地から、やがて一機の戦闘機が夜空へ飛び立った。
轟音が冬の空を裂く。
アレンは思わず振り返った。
闇の中へ昇っていく機影。
尾翼には白銀の八芒星。
その姿は、どこか孤独だった。




