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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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3/7

開戦前夜②

重厚な扉が、音を吸い込むように閉じられた。

皇宮中枢――玉座の間ではない。

それよりも奥、より機能的で、より静かな部屋、戦時にのみ使われる、報告の間。

空気は冷たい、だが、それは温度の問題ではなかった。

そこに立つ者すべてが、同じ違和を共有している。

息を吸うたびに、何かを侵しているような感覚。

声を出せば、それが許されない行為になるような圧迫。

原因は明白だった。

中央の高座に座る一人の男。

第1927代ノルヴァイン帝国皇帝、ヴィヘルム・フォン・ノルヴァイン。

彼は動かない。

だが、その“動かなさ”が、場を支配していた。

報告が始まる。

一人目の側近が前に出る。

声は整えられている。だが、わずかに硬い。

「第一報。東方海域に位置する帝国管轄島嶼において――」

侵入。

爆撃。

通信遮断。

上陸後の状況。

語られる内容は、すでに参謀本部で共有されたものと同じ。

だが、ここでは意味が違う。

一つ一つが、裁定の材料となる。

皇帝は聞いている。

表情は変わらない。

目も閉じていない。

ただ、すべてを受け取っている。

二人目、三人目と報告は続く。

「北方列島群においても同様の事案を確認――」

「西方群島でも被害が拡大――」

「現時点で確認されている範囲では――」

範囲。

その言葉が出るたびに、空気が重くなる。

範囲は、まだ広がる。

誰もが理解している。

やがて、ある報告が読み上げられる。

「……生存者、確認できず」

その一文だけが、異様に明確に響いたその瞬間に変化が起きた。

それは音ではない、動きでもない。

だが、部屋にいる全員が“それ”を感じ取る。

圧が変わる。

見えない何かが、形を持ったかのように、空間の密度が増す。

報告官の喉が、一瞬詰まる。

だが止まらない。止まれない。

数字、推定被害、通信ログ。

すべてが読み上げられる。

報告は終わっても誰も口を開かない。

その沈黙の中心にいるのは、皇帝だった。

ゆっくりと、彼の顔が持ち上がる。

その動きは、極めて小さい。

だが、それだけで十分だった。

側近たちは、初めて見るものを見ていた。

怒り。

それも、衝動ではない、爆発でもない。

凝縮された、極めて純度の高い怒り。

それは表情に現れている。だが同時に、表情を超えている。

皮膚の下で何かが燃えているような、視線そのものが刃のように研ぎ澄まされている。

誰も、その目を直視できない。

「これを行った者たちは」

「自らが何をしたのか、理解しているのか」

その問いは、ここにいる者へ向けられていない。

だが、誰もが答えを求められているように感じる。

皇帝の指が、肘掛けを軽く叩く。

一度、二度、それだけで、時間の流れが歪む。

「これらの島嶼は、軍事拠点ではないな」

側近の一人が前に出た。

「はい。民間居住区域が主体です。防衛施設は最小限――」

「十分だ」

言葉は最後まで届かない。

その一言で、すべてが切り捨てられる。

余計な説明は不要、事実だけで足りる。

皇帝の視線が、わずかに動く。

「連邦か」

側近が応じる。

「現時点の分析では、最も可能性が高いと――」

「わかった」

それ以上の言葉は、必要ない、必要なのは、決定だけだ。

皇帝が立ち上がる。

だが、その瞬間、部屋の全員が無意識に姿勢を正す。

空気が、さらに引き締まり圧力が、形を持つ。

「各行政省に伝えよ」

一語一語には迷いも、揺らぎもない。

「我が国はこれより戦争状態へ移行する」

「宣戦布告、及び開戦命令は早朝06:00に発令せよ」

「同胞たちの犠牲を無駄にするな」

その言葉に、温度はない。

だが、重さがある。

圧倒的な重さ。

そして、ほんの一瞬だけ、間が生まれる。

誰も呼吸をしない。

「連邦を――」

その一語が、空気を切り裂く。

「徹底的に踏み潰せ」

そこに含まれているものは、報復ではない。

命令は終わったが誰もすぐには動けない。

「……了解いたしました」

最初に声を出した側近の声は、わずかに震えていた。

他の者たちも続く。

「各省へ通達を開始します」

「参謀本部と連動、作戦準備へ移行」

「広報局、対外声明の草案を――」

命令が、流れ始める。

歯車が噛み合う音が、聞こえないはずなのに聞こえる。

皇帝は再び座る。

だが、その存在感は変わらない。

むしろ、先ほどよりも明確になっている。

怒りは消えていない。

消えることはない。

それは、形を変えただけだ。

統制された怒り。

国家そのものを動かす力へと変換された、純粋な意思。

部屋を出る者たちの足取りは速い。

誰も振り返らない、いや振り返る必要がない。

すでにすべては決まっている。

扉が開き、閉じる。

外の廊下に、光と音が流れ出る。

命令は、帝国全土へと拡散していく。

軍へ、行政へ、産業へ静かに、だが確実に。

この瞬間、ノルヴァイン帝国は、戦争へと踏み込んだ。

そしてその戦争は、もはや引き返すための道を、どこにも残していない。

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