アレン④
アレンたちは帝国空軍第119士官学校を後にした。
巨大な正門が背後でゆっくり閉じていく。
鉄と石で造られた古い門柱、風に揺れる帝国旗、朝日に白く光る滑走路。
車が坂道を下り始めると、訓練機のエンジン音が少しずつ遠ざかっていった。
「どっちから行くんですか」
助手席のアレンが聞く。
男は片手でハンドルを回しながら答えた。
「陸軍省からだな。手続きがあっちの方が楽なんだよ」
「手続き?」
「古い戦時記録を見るには許可がいる」
男は面倒臭そうに煙草を咥える。
「海軍の連中は融通が利かねぇ」
信号で停車し、男は欠伸をした。
「……その前に飯だ」
「このまま腹すかせたままだと、ブレンドのおっさんに怒られる」
アレンは少しだけ笑った。
「ハンバーガーでいいか」
「はい」
「よし」
帝都の街並みが流れていく。
軍服姿の兵士、路面電車、古い煉瓦造りの建物。
戦後三十年が過ぎても、この国にはまだ軍靴の気配が残っていた。
しばらくして二人は街角の小さな店へ入った。
昼前だったが店は混んでいた。
油の匂い、焼ける肉の音、学生たちの笑い声。
男は慣れた様子で注文を済ませ、二人分のハンバーガーと紙コップを持って戻ってくる。
「ほら」
「ありがとうございます」
車へ戻ると、男はそのまま運転席へ座った。
エンジンがかかる。
男はハンバーガーを片手に運転し始めた。
「器用ですね……」
「昔からこうだ」
一口齧る。
数秒、静かな時間が流れやがて男が不意に口を開く。
「なぁアレン」
「はい?」
「お前はあの後どうしたんだ」
「あの後?」
「八芒星を見つけたあとだよ」
その言葉で、アレンの指先が少し止まった。
窓の外を帝都の景色が流れていく。
石畳、古い教会、戦争記念碑。
長い沈黙が車内に落ちた。
エンジン音だけが静かに響く。
アレンは視線を落としたまま、ゆっくり息を吐く。
「あの後……」
その声は、遠い冬の日へ沈んでいくみたいに静かだった。
—————————————————————————————————————————————————————————
町外れの麦畑の向こうに、当時まだ建設中だった道路があった。
海沿いの崖を切り開き、本土まで繋ぐ予定だった巨大道路計画。
開通すれば物流が変わる、島は豊かになる。
戦争の影など遠い世界の話だった頃、町長は演説台の上で誇らしげに語っていた。
――この島も時代の中心になるのです、と。
私はその演説を、退屈そうに聞いていた。
だが戦争は、すべてを塗り替えた。
いつの間にか、その道路は占領軍の野戦滑走路へ変わっていた。
削りかけの山肌には対空砲が据えられ、工事途中だったトンネルは掩体壕になっていた。
大型輸送機が着陸し、戦車が並び、燃料ドラム缶が積み上げられる。
静かな工事現場は、軍の基地へ変貌していた。
それが――
私が探していた『八芒星』の基地だった。
帝国機が空へ現れることは、もうほとんど無かった。
この島は完全に占領されていた。
基地から飛び立つ機体は、別の戦区へ向かう。
ある日は爆撃へ、ある日は制空戦へ、ある日は帰ってこない。
冬の風が吹く丘の上で、私はその基地を見下ろしていた。
「ここも変わっちゃったね……」
隣でローザが呟く。
彼女の声は、どこか寂しそうだった。
かつて麦畑だった場所には鉄条網が張られ、見張り塔が建ち、機関銃座が並んでいる。
戦争は、景色の形まで変えてしまう。
私は何も答えなかった。
ただ基地を見続けていた。
滑走路、格納庫、燃料車。
そして、尾翼に八芒星を描いた戦闘機。
私はそこで、復讐の準備を始めた。
酒場へ来る酔った占領兵の懐を探り、少しずつ金を盗み、時には殴られながらも、情報を集めた。
港の闇市でナイフを手に入れた。
何度も砥石で研いだ。
磨かれた刃は、冬の月明かりを細く反射した。
拳銃だって手に入れた。
古い軍用拳銃。
錆びていたが、撃てることは確認した。
私は毎晩、頭の中で復讐を繰り返した。
どう近づくか、どこで撃つか、何を言うか。
面と向かって突きつける言葉まで、何度も考えた。
だが。
だが――
それらを携えたまま、『八芒星』へ近づくことは出来なかった。
理由は単純だった。
あの男がいたからだ。
いつも隊長機の側へ控える、二番機のパイロット。
穏やかな顔をした男だった。
だがその目は、常に周囲を見ていた。
酒場でも、基地でも、車へ乗る時も、煙草へ火を点ける時でさえ。
まるで獣みたいに、一切の油断がなかった。
誰かが不用意に近づけば、静かな笑顔のまま立ち塞がる。
そこには、「これ以上近づくな」という意思が、はっきり存在していた。
私は何度も理解させられた。
この男がいる限り、八芒星へ刃は届かない。
列機の先頭へ立つその男。
八芒星の中心。
人々は彼を、『天界の王』と呼んだ。
アレクセイ・イグナトフ。
撃墜王、英雄、ヴェルテクス連邦軍最強。
彼は自らの戦果を誇らなかった。
むしろ、編隊全員を生還させることを誇りとしていた。
誰一人欠けさせない。
それが彼の戦い方だった。
だからこそ兵士たちは彼を慕い、住民ですら時に畏怖混じりで語った。
そして、その右腕として動く男。
ヴェータ・リンクス。静かな瞳をした副官。
周りは彼のことを『赤い処刑人』と呼んでいた
彼がいる時、八芒星へ危険は絶対に近づけない。
それは地上でも同じだった。
彼らの操縦がどれほど優れていたか、私には上手く言葉に出来ない。
だが、一度だけ地上から見たことがある。
夕暮れの空、八機編隊。
薄紫色の雲を裂きながら、機体が旋回していく。
他の六機も十分に上手かった。
完璧に近い編隊飛行だった。
だが、その中で二機だけが違った。
異質だった。
飛行機雲の線が違う、空を切り裂く角度、旋回の速さ、機体の沈み込み。
すべてが別格だった。
まるで空そのものへ選ばれた生き物みたいに、二機だけが違う世界を飛んでいた。
白い飛行機雲が、夕焼けを一直線に裂いていく。
その切れ味を、私は今でも忘れられない。
あの時、確信した。
あの翼の先に、私が探していたものがある。
家族を奪った存在、妹を、家族を焼いた炎、私の時間を止めた戦争。
全部、あの空へ繋がっている。
だが、確信だけでは、何も変わらない。
刃も、銃も、憎しみも。
あの二機の前では、ひどく小さく感じられた。




