最前線
夜明け前。
空はまだ鉛色で、東の地平だけがわずかに白み始めていた。
最前線では、一日の始まりを告げる鐘の代わりに、高射砲と野戦砲の砲声が大地を揺らしていた。
砲口から吐き出された炎が暗闇を裂き、砲弾は唸りを上げながら敵陣へ降り注ぐ。
着弾のたびに土煙が噴き上がり、爆炎が塹壕線を覆い隠した。
兵士たちは塹壕の中で身を低くし、出撃の時を待つ。
中隊長が土嚢越しに怒鳴った。
「砲撃が止んだら前進するぞ! 工兵部隊が前方に陣地を構築しているはずだ!」
「テメェら、ちゃんとついてこいよ!」
「了解しました、中隊長殿!」
誰もが銃を握り直す。
銃剣を確かめ、弾倉を叩き込み、泥に汚れた軍靴を踏み締めた。
砲撃はなおも続く。
敵陣からも反撃の砲弾が飛来し、頭上を凄まじい音で通過して背後で炸裂する。
土と泥が降り注ぎ、塹壕の壁が崩れ落ちる。
それでも誰一人として持ち場を離れなかった。
やがて味方砲兵隊の射撃が徐々に減少していく。
最後の一発が轟音とともに敵陣へ着弾した。
その直後。
ピーッ――。
鋭い突撃笛が戦場へ響き渡る。
「中隊、突撃!!」
「進め!! 進め!!」
兵士たちが一斉に塹壕を飛び越えた。
泥を蹴り上げながら敵陣へ向かって全力で駆け出す。
「止まるな、進め!!」
「敵の応射に呑まれるぞ!!」
「走っていれば弾など当たらん!!」
「走れ!! 進め!!」
その瞬間、敵塹壕から猛烈な銃撃が始まった。
無数の曳光弾が朝焼け前の空気を切り裂き、兵士たちの間を通り抜ける。
機関銃が唸りを上げ、迫撃砲弾が次々と着弾した。
土煙が爆ぜ、破片が飛び散る。
先頭を走っていた兵士が弾かれるように倒れた。
だが後続は止まらない。
倒れた戦友を飛び越え、さらに前へ。
「皇帝陛下万歳!!」
「ノルヴァイン帝国万歳!!」
怒号が戦場を震わせる。
数百の兵士が波のように敵陣へ押し寄せ、爆煙の中を駆け抜けていく。
工兵たちが先行して構築した前進陣地が視界に現れた。
土嚢が積み上げられ、対戦車壕が掘られ、機関銃座が急造されている。
先頭集団が次々と飛び込み、防御線を拡張していった。
「中隊到着!」
「陣地の火力化急げ!!」
兵士たちは直ちに機関銃を据え付け、迫撃砲を展開し、弾薬箱を運び込む。
工兵はさらに塹壕を延長し、有刺鉄線を張り巡らせていく。
夜明けとともに、新たな戦線が築かれていった。
「機関銃の据え付け終わり! 各員配置完了!!」
「弾薬十分! 射界良好!」
「敵の砲撃が止まった……敵が来るぞ!」
「備えろーー!!」
塹壕に身を伏せた兵士たちは一斉に小銃を構えた。
機関銃手は照準を敵が現れるであろう方向へ合わせ、装填手は弾帯を握り締める。
誰も引き金には触れない。
ただ静かに待つ。
朝靄の向こうには、まだ何も見えない。
「まだだ。」
中隊長が低く言う。
「クソ野郎どもの足音が聞こえるまで引き付けろ。」
誰も返事はしない。
乾いた唾を飲み込む音だけが塹壕の中で響いた。
「ヤツらが俺らのキルゾーンに入るまで撃つな。」
兵士たちは息を潜め銃床を肩へ押し当て、照準器の先を見据え続けた
戦場とは思えないほどの静けさだった。
その時だった。
ズン……
ズン……
ズン……
大地がわずかに震え始めた。
土嚢の上に置かれた空薬莢が小さく跳ねる。
「……ん?」
機関銃手が顔を上げる。
震動は次第に強くなっていく。
ズン……ズン……ズン……
規則正しい重低音。
兵士たちの表情が変わった。
「この震動は……」
中隊長は目を見開く。
「クソ……敵戦車だ!」
双眼鏡を覗いた観測兵が叫ぶ。
「前方に複数の車影確認! 戦車です!」
塹壕内に緊張が走る。
「急げ! 司令部へ無線を飛ばせ!」
通信兵は背負っていた無線機へ飛びつき、震える指で送信を開始した。
「こちら第七中隊! 敵戦車部隊接近! 繰り返す、敵戦車部隊接近!」
「対戦車支援を要請! 至急、至急!」
通信が終わるか終わらないかのうちに、地平線の向こうから鋼鉄の砲塔がゆっくりと姿を現した。
朝靄を押し分けるように、敵戦車隊が陣地へ向かって進撃を開始していた。
ドォォォンッ――!!
轟音が戦場を揺るがした。
敵戦車の砲弾が帝国軍前進陣地へ直撃する。
土嚢が吹き飛び、塹壕が崩れ、爆炎と土砂が兵士たちへ降り注いだ。
「うわああっ!」
「伏せろ!」
爆風に弾き飛ばされた兵士が泥の中へ転がる。
機関銃座は爆発で半壊し、砲煙が視界を覆った。
「中隊長殿ぉー!!」
副官が叫ぶ。
土煙の中から次席指揮官が立ち上がった。
軍服は泥と煤にまみれ、額から血が流れている。
それでもその目はまだ死んでいなかった。
「撤退命令は出ていない!!」
怒声が砲声を突き抜ける。
「対戦車戦闘へ移行せよ!!」
「急げ!!」
兵士たちは対戦車火器を抱え、塹壕を駆け回る。
対戦車砲が急いで据え付けられ、擲弾兵が発射位置へ走る。
しかし敵戦車隊は止まらない。
履帯が地面を噛み砕き、砲塔をこちらへ向けながら前進を続ける。
鋼鉄の壁がゆっくりと迫ってきた。
その時だった。
ゴォォォォォォッ――!!
戦場の後方から、重低音が近づいてくる。
兵士たちが一斉に振り返る。
土煙の向こう。
昇り始めた朝日に照らされ、鋼鉄の群れが姿を現した。
砲塔のシルエット。
低く構えた車体。
黒鉄色の装甲。
先頭車両の砲身には、帝国軍の紋章が描かれている。
「あの色……!」
「あの形は……!」
兵士の一人が歓声を上げた。
「帝国戦車大隊!!」
誰もが目を疑った。
「どうしてこんなに早く……」
考える暇はなかった。
先頭車両の車長が砲塔から身を乗り出し、腕を前方へ突き出す。
「パンツァーカイル!!」
数十両の戦車が楔形陣形を維持したまま一斉に加速した。
「撃てぇぇー!!」
号令と同時に戦車砲が火を噴く。
一斉射撃によって放たれた砲弾が、一直線に敵戦車隊へと襲いかかった。
この射撃により敵戦車は一時的に動きを止めた
「歩兵中隊諸君、司令部より伝令だ! 我々に随伴し、敵橋頭堡を奪取せよ!」
「了解した!」
次席指揮官は振り返ることなく軍刀を前方へ突き出した。
「中隊各員! 我々は戦車大隊に随伴し敵橋頭堡を奪取する!」
「進めぇ!!」
兵士たちは塹壕を飛び出した。
先頭を進む帝国戦車隊の後方へ駆け寄り、鋼鉄の巨体を盾にしながら前進していく。
戦車の履帯が泥を巻き上げ、大地を震わせる。
砲塔は左右へ旋回し、敵陣へ砲身を向けていた。
歩兵たちはその陰を縫うように散開し、小銃を構えながら慎重に進む。
「右を警戒!」
「左斜面にも注意しろ!」
「戦車から離れすぎるな!」
轟音の中、戦車砲が再び火を吹く。
敵陣地が爆炎に包まれ、土煙が舞い上がった。
しかし、その瞬間だった。
パンッ――。
乾いた銃声が一発、戦場を切り裂く。
先頭を走っていた兵士の身体が大きく揺れ、そのまま前方へ倒れ込んだ。
「軍曹殿ぉぉー!!」
叫び声が響く。
続けて別方向からも銃声。
土煙を裂いて飛来した弾丸が兵士のすぐ横へ突き刺さる。
「狙撃兵がいるぞぉー!!」
「伏せろ!!」
兵士たちは反射的に地面へ伏せ、岩陰や砲弾孔へ身を隠した。
どこから撃たれているのか分からない。
姿が見えない。
それが恐怖を何倍にも膨れ上がらせる。
ここは地獄だ。
砲弾が降り、銃弾が飛び交い、仲間が一人、また一人と倒れていく。
誰も生きて帰れる保証などなかった。
一人の若い兵士が爆風に足を取られ、斜面を転げ落ちた。
泥と血にまみれながら坂を滑り落ち、そのまま大きな水溜まりへ叩きつけられる。
泥水が顔へ跳ねた。
息を整えながら顔を上げた、その時だった。
目の前にいたのは味方ではない。
坂の上。
土嚢を盾にしたヴェルテクス連邦兵が、小銃を肩へ当ててこちらを見下ろしていた。
その口元には、まるで獲物を追い詰めたかのような薄い笑みが浮かんでいた。
銃口が、ゆっくりと兵士の胸へ向けられる。
引き金にかかった指が、静かに力を込めた。
しかし、乾いた銃声が戦場に響くよりも早く、別方向から放たれた一発が敵兵の胸を貫いた。
ヴェルテクス連邦兵は驚愕の表情を浮かべたまま仰向けに倒れ、手から小銃が滑り落ちる。
泥水の中に倒れていた帝国兵は、何が起きたのか理解できず息を呑んだ。
「大丈夫か?」
背後から声が飛ぶ。
振り返ると、帝国軍歩兵が銃口を周囲へ向けながら手を差し伸べていた。
「は、はい!」
兵士はその手を掴み、泥だらけの体を引き起こされる。
「急げ、後ろの塹壕まで戻るぞ!!」
「了解!」
二人は身を低くしながら駆け出した。
その背後では機関銃弾が土を抉り、迫撃砲弾が炸裂する。
泥と破片が空高く吹き上がり、硝煙が辺りを覆った。
戦車砲が唸りを上げ、帝国軍戦車が前進を続ける。
歩兵たちは鋼鉄の車体を盾にしながら敵陣へ肉薄していった。
怒号と悲鳴、爆発と銃声。
大地そのものが震えているかのようだった。
朝日はとうに昇り、戦場を容赦なく照らしていた。
青く澄み渡る空。
その美しさとは裏腹に、地上では無数の命が散っていく。
誰にも気付かれることなく、その蒼穹を一つの黒い機影が静かに飛んでいた。
太陽を背負う漆黒の翼。
光を吸い込むような黒い機体は、高高度を音もなく滑る。
黒い機体の機首は、激戦の続く前線へと真っ直ぐ向けられている。
「戦車長殿、司令部より伝令!! 援軍を向かわせたとのこと!」
無線手が受話器を押さえたまま叫ぶ。
砲撃と機関銃の轟音に掻き消されそうになりながらも、その声は戦車内へ響いた。
「援軍だと!? どこの部隊だ!」
「詳細は不明です!」
その時だった。
遥か上空から、小さな何かが白い尾を引きながら落下してくる。
一人の観測手が双眼鏡を覗き込み、息を呑んだ。
「識別煙弾を確認!」
周囲の兵たちも一斉に空を見上げる。
「色は!」
「黒、青、黒!」
その報告を聞いた瞬間、戦車長の目が大きく見開かれた。
「……あれは」
一拍の沈黙。
そして、次の瞬間。
「黒翼だ!!」
戦車長が思わず飛び跳ねるように叫んだ。
「黒翼の英雄殿が来た!!」
その言葉は塹壕から塹壕へ、戦車から歩兵へと瞬く間に広がっていく。
「黒翼だ!」
「本当に来たのか!」
「援軍は黒翼だ!」
先ほどまで死と隣り合わせだった兵士たちの表情に、恐怖とは別の色が宿る。
希望。
それは、この一週間で最前線に広まった一つの伝説だった。
上陸作戦。
夜明けの海で、漆黒の戦闘機が敵航空隊を次々と撃墜し、輸送船団を守り抜いた。
あの日、その場にいた者は誰もが見ていた。
黒い翼が戦場を駆け抜ける姿を。
圧倒的な技量で味方を救い、敵だけを撃ち落としていく姿を。
名前も所属も知らない。
それでも前線の兵士たちは、自然とその機体をこう呼ぶようになっていた。
――黒翼の英雄。
戦場で最も危険な場所へ現れ、味方を救い、そして誰にも気付かれぬまま空の彼方へ消えていく漆黒の守護者。
空を見上げる兵士たちの瞳には、確かな期待が宿っていた。
そして、雲を裂くように、一つの黒い機影が静かに降下を開始した。
泥水の中へ倒れ込んでいた若い兵は、荒く息をつきながら空を見上げた。
青空を、一つの黒い機影が駆け抜けていく。
ここが地獄なら。
その地獄を自在に飛ぶ彼は、悪魔なのだろうか。
耳に届くのは、味方の歓声。
「黒翼だ!」
「英雄殿だ!」
「援軍が来たぞ!」
彼は味方から「黒翼の英雄」と呼ばれていた。
だが敵兵は違う名で呼ぶという。
――黒翼の悪魔。
どちらが本当なのか。
若い兵には分からなかった。
ただ一つ分かることがある。
黒い翼が現れた場所は、必ず戦場になる。
敵軍を圧倒しているという高揚感。
生きて帰れるかも分からないのに、誰もが前へ走っていく。
ここは地獄だというのに。
ならば、地獄を先導する彼は救世主なのか。
それとも、友軍を破滅へ導く悪魔なのか。
その答えを考える暇すら与えられなかった。
一瞬だった。
敵戦車が砲塔ごと吹き飛び、黒煙と炎を噴き上げる。
爆風が地面を叩き、泥と破片が兵士たちへ降り注いだ。
「っう……!」
兵は腕で顔を庇う。
黒い機体はそのまま急上昇すると、空高く舞い上がり、美しい弧を描いて旋回する。
そして再び獲物へ襲い掛かる猛禽のように降下した。
爆発。
爆発。
さらに爆発。
敵戦車が次々と炎に包まれ、歩兵隊は陣形を崩して後退を始める。
「退け!」
「後退だ!」
「空を押さえられた!」
敵軍は敗走を始めていた。
その光景を見た帝国軍戦車長が砲塔から身を乗り出し、大きく腕を振る。
「行くぞ、戦車大隊!!」
戦車のエンジンが一斉に唸る。
「進め!!」
鋼鉄の群れが土煙を巻き上げながら突撃を開始する。
「英雄殿について進めぇ!!」
歩兵たちも雄叫びを上げた。
「走れ!! 走れ!!」
「歩兵は走るのが仕事だ!!」
無線には短い符丁が繰り返し流れる。
『愛する祖国よ、平穏なれ。』
『愛する祖国よ、平穏なれ。』
使い捨ての暗号。
それを流しながら、周囲の友軍を地獄の奥へ導いていく。
ならば、やはり悪魔なのだろう。
黒翼は。
『皇帝陛下万歳!!』
『ノルヴァイン帝国万歳!!』
歓声と絶叫が入り混じる。
兵士たちは前へ、ただ前へ進む。
東部戦線について、戦後に多くを語る者はいなかった。
そこには英雄譚とは無縁の悲惨さがあったからだ。
泥に沈み、血に塗れ、友を失い。
昨日まで名を呼び合っていた者が、翌朝には消えている。
そんな日常が続いた。
黒翼は誘蛾灯のように敵も味方も引き寄せる。
彼が現れれば戦場が生まれる。
彼が飛べば、そこへ兵が集まり、砲火が集中し、命が散る。
まるで死神だった。
しかし、神は、英雄は死なない。
では、我々は?
ドォォーン――。
すぐ近くで砲弾が炸裂する。
「っう!!」
衝撃波が体を叩きつけ、泥が全身へ降りかかる。
若い兵は歯を食いしばった。
「クソッタレ!!」
叫ぶ。
恐怖を振り払うように。
自分がまだ生きていることを確かめるように。
「うわぁぁぁぁぁぁあ!!」
銃を握り締め、敵陣へ向かって駆け出した。
その頭上では、漆黒の翼が再び蒼穹を裂いていた。
「はぁ……はぁ……」
肩で荒く息をする兵士たちが、奪取した塹壕へ次々と身を滑り込ませる。
先ほどまで敵兵が使っていた陣地は、砲撃と銃撃によって無残に荒れ果てていた。
崩れた土嚢。
折れ曲がった有刺鉄線。
砲弾で抉られた地面には泥と血が混ざり合い、硝煙と火薬の臭いが鼻を刺す。
壊れた小銃や空になった弾薬箱が無造作に転がり、塹壕の壁には無数の銃痕が刻まれていた。
戦線を押し上げた中隊各員は、それぞれ塹壕の壁にもたれ込み、乾いた息を吐いていた。
軍曹は腕時計へ目を落とし、静かに告げる。
「十分後、先行した戦車大隊を追う。各員、それまで小休止だ」
誰も返事をしなかった。
返事をする気力すら残っていない。
水筒の水を口へ流し込む者、震える手で弾倉を交換する者、ただ空を見上げたまま動かない者。
誰もが生きていることだけで精一杯だった。
若い兵士は泥に汚れたヘルメットを脱ぎ、汗と血の入り混じった顔を拭う。
視線は自然と空へ向いた。
もう黒い翼は見えない。
英雄殿。
英傑殿。
卓越した戦闘機パイロット殿。
あなたは確かに素晴らしいパイロットだった。
誰もがそう認めている。
前線に立つ帝国軍兵士、その総意として。
貴方は英雄だった。
敵を撃ち落とし。
敵を殺し。
味方を救い。
絶望の戦場へ希望を運んでくる。
だが。
その英雄が飛び去った後に残るものは、いつだって同じだった。
砕けた戦車、焼け焦げた大地、積み重なる死体。
敵も、味方も等しく地面へ横たわる。
英雄殿は導くだけ導き。
周囲が死に尽くした戦場を一瞥すると、また次の空へ飛び去っていく。
それが役目なのだと分かっている。
責める理由などない。
それでも。
「……クソッタレ」
誰にも聞こえないほど小さく、兵士は吐き捨てた。
その言葉は英雄へ向けたものではない。
戦争そのものへ向けた呪いだった。
こうして新兵は、兵士の顔になっていく。
死線という炉で溶かされ。
錬磨されるように。
戦場という鉄床で打たれ。
血と泥の中で何度も叩き直される。
昨日まで震えていた手は引き金を迷わず引くようになり。
昨日まで吐いていた血の臭いにも、やがて慣れてしまう。
人は戦争に適応していく。
それが、生き残るということだった。
若い兵士はふと隣を見た。
さっきまで肩を並べて走っていた戦友の姿は、もうそこにはなかった。
代わりに残っていたのは、泥の上に転がる認識票だけだった。
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『レイヴン1、対地援護任務ご苦労。
先ほど敵爆撃機編隊をレーダーに捉えた。
地上部隊へ攻撃される前に全機叩き落とせ』
「了解」
短い返答だけが通信回線を流れる。
カイは視線を持ち上げた。
ダークブルーの瞳が、遥か高高度を飛ぶ黒い影を捉える。
大型爆撃機。
その周囲を護衛戦闘機が幾重にも囲んでいた。
HUDには赤い識別マーカーが次々と点灯する。
機首がわずかに持ち上がる。
二基のエンジンが咆哮を上げ、蒼いアフターバーナーが尾を引いた。
漆黒の翼は一気に加速する。
空気が震え、衝撃波が機体を包み込む。
速度は音速を超え、高度を維持したまま一直線に敵編隊へ突き進む。
敵編隊のレーダーにも、その存在が映った。
『高速目標接近!!』
『識別不能! 速度が速すぎる!』
『迎撃機か!?』
『違う……あのシルエットは……』
先頭の護衛機が目を見開く。
『あの黒い翼は……』
一瞬の静寂。
そして恐怖に震える声が無線へ流れた。
『悪魔だ……』
別の機体も悲鳴を上げる。
『黒翼の悪魔が来た!!』
『全機散開!!』
『爆撃隊を守れ!!』
『来るぞ!!』
だが、遅かった。
漆黒の機影は編隊の頭上を一瞬で駆け抜ける。
AMRAAMが二発。
白煙を曳きながら飛び出した。
護衛戦闘機二機が炎に包まれ、空中分解する。
その爆炎を突き抜けるようにΛはさらに加速した。
敵編隊の中央へ。
『っひぃ!!』
恐怖だけが無線に残る。
カイの耳には、その悲鳴が静かに刻み込まれていく。
助けを求める声。
死を悟った声。
絶望だけを残した最後の叫び。
そのどれにも、彼の表情は変わらない。
ただ照準器だけが、次の獲物を静かに捕捉していた。




