覚悟①
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グリム王国王宮の謁見の間に重苦しい沈黙をもたらしていた。
そこに集められたのは、王国中枢の全てだった。
参謀総長、外務卿、財務卿、海軍元帥、空軍総監。
誰一人として口を開かない。
沈黙だけが重かった。
机の中央に置かれているのは、ヴェルテクス連邦から届いた最後通牒。
その紙一枚が、国家の運命を決めようとしていた。
「――“グリム王国は連邦との軍事同盟義務を直ちに履行せよ”」
読み上げられる文面に、誰一人として言葉を発しない。
「“四十八時間以内に正式参戦を表明しない場合、同盟破棄と見なし、経済制裁及び安全保障上の敵対行為と判断する”」
読み終えた瞬間、室内の空気は凍り付いた。
重苦しい空気の中、カール・エーデル・グリムは深く目を閉じ深く椅子に腰掛けていた。
顔色は悪い。
ここ数日ほとんど眠っていない。
机に置かれた指先が、微かに震えていた。
その顔には、この数日で一気に老け込んだような疲労が刻まれていた。
覇権国家同士の総力戦。
そこへ一国が加わったところで戦局を左右できるとは誰も思っていない。
それでも同盟は国家を縛る。
参戦を拒めば連邦を敵に回す。
従えば帝国と戦わねばならない。
どちらを選んでも、この国は血を流す。
王は静かにため息を漏らした。
「……恐らく、連邦の報せは嘘だ。」
「ヴィヘルムが……あやつが虐殺など命じるはずがない。」
王の脳裏に浮かぶのは、一人の男だった。
ノルヴァイン帝国皇帝、ヴィヘルム・フォン・ノルヴァイン。
手紙だけの交流。
直接会ったことは一度もない。
それでも幾度となく国の未来を語り合い、民について論じ合った。
閉ざされた帝国へ届く、数少ない連絡手段。
その文面から伝わる人格を、カールは信じていた。
「本当は連邦の者たちが帝国の民を虐殺したのだろう。」
重臣たちは互いに顔を見合わせ外務卿が恐る恐る口を開く。
「ですが陛下……証拠が……」
「証拠など無くとも分かる」
王は即座に切り返した。
「人間は言葉で誤魔化せても、本質までは隠せん」
王は立ち上がり窓の外を見る。
外には激しい雨が降り灰色の空が広がっていた。
まるで世界の終わりだった。
「……わしは、駄目な王なのだろう。」
背を向けたまま言う。
「……陛下」
「この国には、ただ明日を生きたい者たちがいる。」
「畑を耕す者も。」
「海へ出る漁師も。」
「工場で働く者も。」
「学校へ通う子どもたちも。」
「子を育てる母親も」
「恋人と未来を語る若者も」
「皆、生きたいだけなのだ。」
「じゃがわしは今その全てを、戦火へ投げ込もうとしている」
拳が震える。
「王とは何だ」
「国とは何だ」
「守るために存在するのではないのか……!」
感情が滲む。
だが誰も口を挟めない。
彼もまた理解していた。
もう逃げられない。
中立など存在しない。
この戦争は、世界そのものを呑み込む。
どちらにも付かなければ、どちらからも敵と見なされる。
そして小国から順に消えていく。
王は天井を見上げ、小さく呟いた。
「友よ……。」
「わしは、どうすればいい。」
長い、長い沈黙が流れやがて王はゆっくりと顔を上げる。
その瞳には、覚悟だけが宿っていた。
「連邦へ伝えよ。」
「グリム王国は参戦すると。」
家臣たちの表情が強張る。
「ただし、参戦予定日は二週間後とする。」
「陛下、それは……。」
「時間稼ぎじゃ。」
王は静かに言った。
「せめて一人でも多くの民を避難させる。」
「武器を整え、食料を備蓄し、子どもたちを安全な場所へ送る。」
「帝国との戦争になれば、我が国は戦場になる」
「ならば今できることをやるしかない」
「二週間あれば救える命もある。」
誰も反論しなかった。
王はゆっくりと立ち上がる。
「皆の者、心せよ。」
「これより我が国は、ノルヴァイン帝国との全面戦争へ向かう。」
「各軍は直ちに最大限の準備を開始せよ。」
謁見の間にいた全員の顔から血の気が引いた。
握り締めた拳は小刻みに震えている。
誰も望んだ戦争ではない。
それでも逃れることはできない。
王は最後に、静かでありながら力強い声で告げた。
「この国に生きとし生けるもの全ての者たちのために、その命を捧げよ。」
「この国の未来を。」
「明日を。」
「若者たちへ繋げるために。」
誰も歓声は上げなかった。
ただ静かに頭を垂れ、それぞれが国の命運を背負う決意を胸に刻んだ。
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リヴェリア共和国首都、ヴァレシア。
共和国議事堂の上空は、鉛色の雲に覆われていた。
窓の外では雨が降っている。
激しくはない。
だが絶え間なく降り続ける冷たい雨だった。
まるで国そのものを静かに蝕んでいくような雨。
共和国中央政府・地下戦略会議室。
部屋の中央の大型スクリーンに映し出されているのは、ヴェルテクス連邦政府から送られてきた正式文書。
最後通牒。
緊急招集された閣僚たちは、張り詰めた空気の中でその文書を見つめていた。
「――“リヴェリア共和国は連邦との軍事同盟義務を直ちに履行せよ。”」
読み上げられた声だけが静かに響く。
「“四十八時間以内に正式参戦を表明しない場合、同盟破棄と見なし、経済制裁及び安全保障上の敵対行為と判断する。”」
その瞬間、会議室は重苦しい沈黙に包まれた。
「総理、ご報告が……。」
一人の閣僚が震える声で口を開く。
「グリム王国は、帝国との戦争を決めたそうです。」
共和国首相アレクシス・ヴァルディエは、机に肘をつきながら目を閉じ狂ったような笑い声を上げた。
ここ数日で一気に老け込んだように見える。
頬はこけ、目の下には濃い隈。
その笑みには喜びなど一切なかった。
「……ハハ。」
「そうか。」
「ついに、あの国も決めたか。」
別の閣僚が資料を机へ広げる。
「総理、この前もお伝えしましたが、我が国は連邦への輸入が六割、輸出は八割を占めています。」
「連邦との交易が止まれば、国内経済は数ヶ月で崩壊します」
「燃料備蓄も保ちません」
「食料価格は暴騰し、暴動が起きる可能性があります」
「失業率は急上昇し――」
「分かっている」
「嫌というほどな」
さらに軍務大臣が続ける。
「加えて、連邦の軍事支援が失われれば東部国境の防衛は崩壊します。」
「ドラヴォスト人民共和国とゼルグラード連合が国境を越えてくるでしょう。」
誰も反論できなかった。
長年続いた現実。
東側諸国の脅威から国を守るため。
国を豊かにするため。
そのために連邦との同盟を選んだ。
だが今、その同盟は国家を守る盾ではなく、逃れることのできない首輪となっていた。
「……首輪か」
総理が呟く。
「いつの間にか、我々は飼われる側になっていたのだな」
外務長官が俯いた。
悔しかった。
だが否定できない。
覇権国家に依存するとは、そういうことだ。
生殺与奪を握られる。
必要な時だけ“同盟国”として扱われ、不要になれば切り捨てられる。
共和国は、自由だと思い込んでいた。
実際には違った。
総理は窓の外へ視線を向ける。
遠くには平和な街並みが広がっていた。
「……我々は、いつから間違えていたのだろうな。」
その問いに答えられる者はいない。
誰もが同じ疑問を抱きながら、答えを見つけられずにいた。
窓の外では雨が降っている。
遠くに共和国旗が見えた。
その旗は雨に打たれながらも、まだ翻っていた。
やがて総理は静かに決断を下す。
「連邦へ伝えろ。」
「リヴェリア共和国は同盟義務を履行し、参戦すると。」
閣僚たちは静かに頷いた。
「参戦予定日は、グリム王国と同じ二週間後だ。」
「了解しました。」
「各省庁は直ちに戦時体制へ移行。」
「軍は総動員計画を開始しろ。」
「開戦までに準備は万全にしておけ。」
総理は静かに呟いた。
「……さあ。」
「お前たち帝国が来るぞ。」
誰へ向けた言葉だったのか。
誰にも分からなかった。
総理は胸元で静かに手を組み、目を閉じる。
「おお神よ。」
「蒼穹の女神アステリアよ。」
「どうか。」
「どうか、この国の民をお救いください。」
「どうか……。」
その祈りに応える者は、誰もいなかった。
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セレナ連合にも、ヴェルテクス連邦から最後通牒が届けられていた。
「――“セレナ連合各国は連邦との軍事同盟義務を直ちに履行せよ”」
読み上げられた文面に、円卓を囲む各加盟国代表の表情が険しくなる。
「“四十八時間以内に正式参戦を表明しない場合、同盟破棄と見なし、経済制裁及び安全保障上の敵対行為と判断する”」
会議場を重い沈黙が支配した。
やがて一人の代表が口を開く。
「……どうする。」
別の代表が立ち上がる。
「ティターン空中空母群を投入しましょう。」
「一番艦オーケアノス。」
「二番艦コイオス。」
「三番艦ヒュペリーオーン。」
「四番艦クレイオス。」
「五番艦イーアペトス。」
「六番艦クロノス。」
「六隻を実戦配備すれば、帝国軍にも十分対抗できます。」
すると別の代表が机を叩いた。
「何を言っておられる!」
「あれは我ら最後の切り札だ!」
「ティターン級が存在するからこそ、世界中の列強が、我らに直接手を出せない!!」
「我らの独立と均衡は、あの艦隊によって保たれているのだ。」
「この戦争で失えば、連合そのものが立ち行かなくなる。」
「失えば終わりだぞ!」
「戦争になれば、どうせ出すことになる!」
空軍代表も怒鳴り返した。
「帝国軍がセレナ海まで来たらどうする!」
「ノルヴァイン帝国海軍を相手に通常艦隊で止められると思うのか!」
議場が一斉に騒がしくなる。
互いの意見が飛び交い、怒号が響き始めた、その時だった。
「静まれ。」
議長の一言で、場は水を打ったように静まり返る。
「参戦するか否かは、一か月前、開戦直後に連邦から最初の参戦要求が届いた際、既に決定している。」
議長は静かに議事録へ目を落とした。
「加盟各国による投票の結果。」
「セレナ連合は、ヴェルテクス連邦側として参戦する。」
誰も異議を唱えなかった。
既に決まっていた結論だった。
二週間後。
世界がさらに燃え上がる日。
外務代表が俯きながら呟く。
「本当にこれで良いのか……」
「帝国を敵に回すのだぞ……」
その瞬間、部屋の空気がさらに重くなった。
ノルヴァイン帝国。
その名は、海洋国家であるセレナにとって特別だった。
世界最強の海軍国、巨大戦艦群、長距離航空戦力、そして圧倒的練度。
帝国海軍は“海そのもの”と恐れられていた。
「帝国が本気でセレナ海に来れば……」
海軍大臣が低く言う。
「我々の島々は火の海になる」
「港湾は消え交易路は絶たれる」
「漁場も封鎖される」
「数千万の民が飢える」
現実だった。
セレナ連合は海が命だ。
その海を奪われれば終わる。
空軍代表が震える声で言った。
「だからこそティターン級が必要なのです」
「オーケアノス級六隻を全展開すれば、最低限抑止にはなる」
「ゼニス・アークにも対抗できる」
「帝国航空戦力にも」
「……本当にそうか?」
誰かが呟く。
返答は無かった。
全員分かっている。
超兵器があっても、この戦争を止められないことを。
むしろ戦争をさらに巨大化させるだけだと。
「参戦予定日は、グリム王国、リヴェリア共和国と同日。」
「各加盟国は総動員準備を開始せよ。」
「民間人の避難。」
「食料、燃料、弾薬の備蓄。」
「各ティターン空中空母の即応態勢維持。」
「全て遅滞なく進めること。」
各国代表は重々しく立ち上がる。
誰の表情にも勝利への期待はなかった。
あるのは、自国の民を一人でも多く生き残らせたいという切実な願いだけだった。
静まり返った議場で、議長は最後に静かに告げる。
「この戦争は、我々が望んだものではない。」
「だが、我々は生き残らねばならない。」
その言葉を胸に、各国代表たちはそれぞれの祖国へ戻るため、静かに会議場を後にした。




