アレン③
「……このとき、私の止まっていた時間が、一気に進みだしたんです」
アレンは空を見上げながら言った。
墓地の上には、雲ひとつない青空が広がっていた。
風が吹くたび、並ぶ帝国旗が低く鳴る。
男は黙ったまま煙草を咥えていた。
白い煙が、ゆっくり空へ溶けていく。
「復讐でもしたかったのか」
低い声だった。
責めるでもなく、哀れむでもなく。
ただ確認するように。
アレンは少しだけ目を伏せた。
「えぇ……少なくとも、あの時は」
風が吹き墓標の花が揺れる。
男は短く煙を吐き出した。
「そうか……」
その赤い瞳が、墓標へ向けられる。
細められた目。
まるで、遠い昔を見ているようだった。
しばらくして男はぽつりと呟く。
「俺たちも似たようなもんだった」
アレンは視線を向ける。
男はただ墓石を見つめたまま続ける。
「助けられなかった」
「守れなかった」
「だから力が欲しかった」
その声の奥には長年沈殿した後悔が滲んでいる。
墓地は静かだった。
戦争で死んだ者たちの名が、白い石の列になって並んでいる。
男は煙草を指で弾き、ふっと笑った。
「……アレン、何か飲むかい?」
突然、空気を変えるみたいに。
「少し場所を変えよう」
男は立ち上がり黒い帝国空軍のコートが風で揺れた。
「ここでこんな湿っぽい話をするのは、コイツに悪いからな」
そう言って墓標を軽く叩く。
その仕草は、親友に向けるものだった。
男は歩き出す。
だが数歩進いたところで、一度だけ振り返った。
そしてアレンには聞こえないほど小さな声で呟く。
「……また来るよ、エリス」
風が吹く。
「今度はカイも連れて。必ず」
その声だけが、静かな墓地へ落ちた。
二人は駐車場へ向かった。
そこには黒い軍用車が停まっていた。
年季の入った大型車両だったが、整備は完璧だった。
男は運転席へ乗り込み、エンジンをかける。
アレンも助手席へ座った。
車がゆっくり走り出し墓地が後ろへ遠ざかっていく。
アレンは窓の外を見ながら尋ねた。
「……どこに行くんですか?」
男はハンドルを片手で握りながら笑う。
「ブレンドのおっさんによく言われたんだ」
「''腹が減ったら、ろくなこと考えねぇ”ってな」
帝都の街並みが流れていく。
高層建築、古い石畳に復興工事のクレーン。
戦争が終わっても、この国はまだ傷だらけだった。
「この辺りで一番うまいピザを食わせてやる」
「よく休暇の時に、カイとエリスと食いに行った店だ」
少しだけ目を細めた。
「あそこは味だけは本物だ。保証する」
アレンは静かに聞いていた。
「そのあとは帝国空軍士官学校第119だ」
「俺の母校」
その声に、僅かな誇りが混じる。
「昨日、色んなヤツに片っ端から連絡したからな」
「色々なところに連れてってやるよ」
アレンは目を瞬かせた。
「……色々?」
「あぁ」
男は笑う。
「お前が知りたがってるだろう場所全部だ」
軍用車が橋を渡る。
川面に陽光が反射していた。
「一ヶ月は連れ回してやる」
さらっと言った。
「奥さんに連絡しとけ」
「……え?」
アレンが固まる。
男は当然みたいに言う。
「いきなりいなくなったら困るだろ」
「安心しろ。路銀は俺が持ってやる」
「え、そんな……なんでそこまで」
アレンは戸惑っていた。
だが男は不思議そうに眉を上げる。
「なんで?」
そして少し笑った。
「それだけ、お前に協力してくれるヤツが多いってことだ」
赤い瞳が前を見る。
その目は、どこか誇らしげだった。
「俺たちは、お前の目的まで連れてってやる」
「今までお前がやってきたことに対する、俺たちなりの敬意だ」
アレンは息を呑む。
世界中を回り記録を集め嫌がられながらも話を聞いた。
たった一人の男を追い続けた。
その時間を、目の前の男たちは見ていたのだ。
男はハンドルを軽く叩き男はニヤリと笑う。
窓の外。
青空を、一機の飛行機雲が横切っていく。
男はその白線を眺めながら静かに言った。
「お前の目的に、近づけてやるよ」
前に赤い屋根の小さな煙突のある建物が見えてくる。
「おい、アレン着いたぞ」
軍用車から降りた男が軽く顎をしゃくる。
アレンは一拍遅れて店の前に立った。
冬の風は鋭かった。
だが、この店の前だけは違った。
熱の層が、空気そのものを包んでいる。
焼けたチーズの匂いにトマトソースの酸っぱい匂い、薪の煙。
胃が、正直に反応した。
その音に気づいた男が、少しだけ笑う。
「ブレンドのおっさんの言った通りだろ」
アレンは何も言えないまま、扉を見た。
木製の古い扉。
何度も開かれ、閉じられ、削れている。
鈴が鳴る。
店内の空気が一瞬だけ揺れた。
「久しぶりだな、じいさん」
扉が閉まると、外の冷気が一瞬で遮断された。
店内は小さく、しかし不思議なほど居心地のいい空間だった。
薪窯の熱が壁に染みつき、赤い光がゆっくり揺れている。
奥のカウンターから、皺だらけの店主が顔を上げ目を細めた。
「お前、生きとったんか」
低い、ぶっきらぼうな声だった。
「二十年も顔を見せんで、どこ行ってたんだ」
男は肩をすくめる。
「ちょっと空の上だ」
「そこの坊主は誰だ?」
店主の視線がアレンへ向き男が軽く答えた。
「俺の客だよ」
それだけだったが、その言い方には妙な重みがあった。
店主はフンと鼻を鳴らす。
「客ねぇ……」
そして、皿を拭きながら続ける。
「なぁ、カイは最近ここに来てないのか」
その名前が出た瞬間、店の空気が少しだけ変わった。
男の指が、ほんのわずか止まる。
「お前と同じで二十年は見てないよ」
店主はぼやくように言う。
「本当にどこ行ったんだか……」
「寂しいなぁ……」
その言葉は軽かったが、軽さの奥に長い時間が沈んでいた。
男は短く息を吐く。
「そうだな」
そしてカウンターへ目を向ける。
「じいさん、いつもの頼むよ」
「三人前でいいのか?」
一瞬の間、男は少しだけ視線を落とした。
そして。
「二人前にしてくれ……」
そう言った。
その声は、さっきまでの豪快さとは違っていた。
わずかに、空洞のある声。
アレンはその横顔を見てしまう。
強い人間の顔だった、戦場を生きてきた顔だった。
それでも今だけは、どこか、置いてきたものを数えている顔だった。
店主は何も言わず頷く。
「わかった」
薪窯の奥で火が揺れる。
赤い光が、ピザ生地を伸ばす手元を照らしていた。
静かな時間が流れる。
その中で男は、小さく呟くように言った。
「今度はカイも連れて来いよ」
店主は当然のように返す。
「あぁ、わかってるよ」
男は一瞬だけ笑った。
だがその笑いは、どこか遠くを見ていた。
アレンはそれを見逃さなかった。
焼き上がる音。
チーズの弾ける匂い。
店の中に、ほんの少しだけ“戦争ではない時間”が流れていた。
ピザを食べ終えたころには、窓の外はすっかり茜色に染まっていた。
薪窯の熱気に満ちていた店内とは対照的に、外へ出た瞬間、冬の空気が肺を刺した。
男はコートの襟を立て、煙草を一本取り出す。
慣れた手つきで火を点けると、赤い火が一瞬だけその横顔を照らした。
「……相変わらず美味かったな」
吐き出された煙が、夕焼けに溶けていった。




