決議
ヴェルテクス連邦、大統領府。
地下深くに設けられた国家安全保障会議室には、重苦しい沈黙が漂っていた。
大型スクリーンには戦況図が映し出され、赤と青の戦線が複雑に入り乱れている。
帝国軍は占領地域の一部を奪還。
前線では膠着状態が続き、当初想定していた短期決戦は完全に崩れ去っていた。
「何故だ。」
大統領の低い声が会議室に響く。
「我らは勝てるという算段で戦争を挑んだのではなかったのか。」
誰も答えない。
「……あそこまでやって、これか。」
その場にいる誰もの脳裏へ浮かぶ。
開戦初日に行われた虐殺、炎に包まれた街、逃げ惑う民衆、あれほどの犠牲を払いながらも、帝国はなお立ち上がってきた。
大統領は机を強く叩いた。
「早く同盟国らに参戦させろ。」
「参戦要求はどうなっている。」
外務担当官が静かに答える。
「どの国も現在協議中です。」
「もう少し待ってほしいとの回答が続いております。」
苛立ちが室内を満たす。
その時、一人の軍高官が静かに口を開いた。
「大統領閣下。」
「……あの超兵器を使用しましょう。」
会議室の空気が変わる。
「ゼニス・アーク……。」
大統領が呟く。
「それに、トライデント・ノヴァか。」
「しかし。」
海軍参謀が即座に異を唱えた。
「ゼニス・アークを前線へ投入すれば、本土防衛の要がいなくなります。」
別の将官も続ける。
「その通りです。」
「トライデント・ノヴァは国家最高機密です。」
「それを今、世に出すというのですか。」
しばらく沈黙が流れる。
やがて航空戦力担当の将官が資料を机へ置いた。
「ならば、無人機群を投入しましょう。」
全員の視線が集まる。
「運用開始は本来まだ先の予定でした。」
「しかし、この戦争に敗れるよりは遥かにましです。」
「無人機数万機を投入すべきです。」
巨大なスクリーンへ資料が映し出される。
工場の無人の組み立てラインで作り出される無数の機体。
「現在、生産ラインは既に稼働しています。」
「完全自律型ではありませんが、AI支援戦闘は実用段階へ到達しました。」
「人的損耗を抑えながら、帝国軍航空戦力へ飽和攻撃を加えることが可能です。」
「帝国は有人機運用思想に依存しています。」
「今なら数で押し潰せます。」
その言葉に、多くの将官が頷き始める。
だが、一人だけ開発計画主任だけが席を立った。
「大統領閣下、ご再考を。」
室内が静まり返る。
「無人機は、あくまで補助戦力です。」
「実戦で数万機規模を一度に投入した前例はありません。」
「制御不能となれば、敵味方を問わず被害が及ぶ危険性があります。」
「……あのエースのデータを使ったことが、どのような結果を生むのか、我々にも分からないのです。」
その一言に空気が凍り付いた。
「あのデータは極めて特殊です。」
「学習速度も、戦術適応能力も、当初の想定を大きく超えています。」
「一度戦場へ放てば、後戻りはできません。」
「もし制御を失えば――。」
そこまで言ったところで、言葉は途切れた。
誰も続きを口にしようとはしなかった。
「いや、決定だ。」
大統領の低く断定的な一言が、会議室の空気を凍りつかせた。
「無人機群を投入する。ゼニス・アーク及びトライデント・ノヴァは即応態勢へ移行させろ。」
一瞬の静寂。
やがて数名の将官がゆっくりと立ち上がる。
「了解いたしました。」
「直ちに統合司令部へ命令を伝達します。」
「各生産拠点へ最終指示を送ります。」
だが、一人だけ席を立たない男がいた。
「お待ちください。」
張り詰めた空気の中、その声だけが真っ直ぐ響く。
「まだ間に合います。」
「無人機を数万機単位で実戦投入するなど前例がありません。」
「ましてや制御AIには、あのデータが組み込まれている。」
「危険すぎます。」
大統領はゆっくりと視線を向けた。
「何が危険だ。」
「制御不能となる危険です。」
「彼らは命令を学習し、自ら戦闘を最適化していきます。」
「あのエースの戦闘データを統合した以上、どのような判断を下すか予測できません。」
「一度戦場へ放てば、誰にも止められない可能性があります。」
「敵だけではありません。」
「我々自身にも牙を剥く危険があります。」
「お願いです、閣下。」
「どうかご再考ください。」
会議室は静まり返り誰も口を開こうとはしない。
大統領は感情のない声で言った。
「……いや、決定だ。」
「これ以上議論するつもりはない。」
「警備兵。」
重い扉が開く。
武装した警備兵が二名、無言で室内へ入ってきた。
「その者を拘束しろ。」
「な……何をする。」
男は立ち上がる。
「閣下!」
「お願いです!」
「彼らは我々が制御できる代物ではない!」
「天空の王のデータを載せたあれは、人間が扱っていい兵器ではありません!」
「必ず後悔します!」
警備兵が両腕を押さえ、そのまま会議室の外へ引きずっていく。
「離せ!」
「閣下!」
「あれは兵器ではない!」
「止められなくなる!」
「閣下ぁぁ!」
重い扉が閉じられ、その叫びは完全に遮断された。
室内には再び沈黙だけが残る。
大統領は何事もなかったかのように口を開いた。
「同盟各国へ最後通牒を送れ。」
「直ちに参戦を要求する。」
「拒否する国家には相応の措置を講じる。」
「了解しました。」
「無人機群の指揮統制はどうされますか。」
「制御AIはゼニス・アーク中央制御AIへ一任する。」
「全無人機群を同一ネットワークで接続。」
「戦域全体を単一の意思で統制させろ。」
「了解。」
命令は、静かに、そして確実に実行へ移されていく。
誰一人として、その決定が世界をどこへ導くのか知る者はいなかった。
大統領の命令が正式に発令されると同時に、その内容は最高機密回線を通じて各無人機生産施設、開発拠点、管制施設へ一斉に送信された。
地下深くに築かれた巨大な格納庫。
果てしなく並ぶ無人戦闘機の列は、灰色の翼を静かに折り畳んだまま、まるで眠り続ける兵士のように沈黙していた。
次の瞬間、電子音が格納庫中へ響き渡る。
一機、また一機。
そして、その全てが目を覚ます。
赤い光が機首の光学センサーに灯る。
まるで意志を宿した瞳のように。
静寂だった格納庫は、無数の起動音と冷たい機械音に支配されていく。
灰色の翼に、赤く輝く意志が宿った。
人の感情も、恐怖も、躊躇も知らない存在。
ただ与えられた命令だけを遂行するための翼。
その数は数万。
かつて誰も実戦へ投入したことのない、空前の無人航空戦力だった。
この瞬間、人が空を支配してきた時代は、大きな転換点を告げようとしていた。
そしてまた一つ、アストマリアの空の歴史は、大きく動き始める。




