畏怖と衝撃②
彼の瞳と同じようなダークブルーの空が、わずかに東から白み始めていた。
夜と朝の境界――明け方の空に、漆黒の翼を持つ機影が一つ、黙して翔けている。
F-15Λ。
漆黒の機体は朝焼けを映さず、ただ静かに蒼穹を切り裂いていた。
コックピットの中ではHUDが淡い緑色の光を放ち、高度、速度、針路、燃料残量、周囲の空域情報が整然と並ぶ。
彼の目は、冷静すぎるほどに淡々と情報を読み取り、操縦桿を握る手にも一片の迷いはない。
けれど胸の奥に広がるのは、言葉にできない空虚だった。
眼下には、朝霧を割って進む巨大な船団が姿を現す。
巡洋艦、駆逐艦、補給艦、そして無数の輸送船。
上陸部隊を満載した艦隊が、灰色の海を一直線に進んでいた。
艦橋には帝国旗が翻り、甲板では対空砲が空へ向けられている。
数百隻にも及ぶ艦艇が海を埋め尽くし、その航跡が白い帯となって後方へ伸びていた。
カイは通信回線を開く。
「こちら、レイヴン1。これより貴船団の護衛に入る」
わずかな間を置き、落ち着いた男の声が返る。
『こちら、第356輸送船隊。了解した』
『護衛に感謝する』
『我々は予定通り、セリオン群島への上陸作戦を開始する』
「了解」
短いやり取りだけで通信は終わった。
F-15Λは船団上空を大きく旋回しながら警戒を続けた。
やがて高度を上げと視界がさらに開けた。
そこには、この戦争の巨大さを物語る光景が広がっていた。
前方の海には帝国海軍の大艦隊、遥か上空には早期警戒機と空中給油機。
さらに周囲には護衛戦闘機隊が幾層にも展開し、上陸部隊を守る巨大な防空圏を形成している。
そのさらに先の水平線の向こうには、煙を上げる島々が見えた。
黒煙が空へ昇り、ときおり赤い閃光が島影を照らしていた。
帝国軍は、この国境付近全域を同時に奪還する作戦を開始している。
中央島、北部諸島、南部諸島、東西の小島群。
それぞれへ向かう艦隊が、海上で徐々に進路を変えていく。
巨大だった船団は枝分かれする川の流れのように分散し、それぞれの担当海域へ向かい始めた。
艦隊ごとに護衛艦隊も分離し、戦闘空中哨戒を担当する航空隊も散開していく。
無数の戦闘機が空で針路を変え、朝焼けの空へ白い飛行機雲を描いた。
「ケンタウロス隊、北部担当空域へ移動。」
『了解。』
「グリフォン隊、西方海域へ。」
『了解。』
「ヴァルキリー隊は中央島上空の制空任務を継続。」
次々と飛び交う無線。
統制された大軍が、一つの巨大な生き物のように動いていく。
カイはそれらを淡々と見つめていた。
彼に割り当てられた固定の担当空域はない。
必要と判断すれば、どこへでも飛ぶ。
誰の指示を待つ必要もない。
ただ一機。
黒い翼だけが、大空を自由に翔けていた。
太陽が水平線の向こうからゆっくりと姿を現し始め、群青だった空は朱と黄金を溶かし込んだような色彩へと移り変わっていく。
夜明けの光は雲の縁を白く染め、眼下に広がる海面には無数の艦艇が描く航跡が銀色に輝いていた。
帝国軍の上陸船団は予定どおり各島へ向けて進路を分け、護衛艦隊は幾重もの防空陣形を維持しながら静かに前進を続けている。
その上空では数十機に及ぶ帝国空軍戦闘機が高度を分けながら警戒飛行を行い、早期警戒機から送られてくる情報を共有していた。
静寂は長く続かなかった。
突如として警戒管制機から鋭い声が全周波数へ響き渡る。
『敵航空隊コンタクト! 方位〇八五、高度二万八千、距離百七十キロ! 多数!』
ほぼ同時に各機のレーダーへ無数の光点が現れた。
敵編隊は複数方向から接近している。
その数は一個飛行隊では終わらない。
次々と新しい反応が映し出され、表示された敵味方識別画面が瞬く間に埋め尽くされていく。
『敵戦闘機多数確認!』
『第二波も接近中!』
早期警戒機の冷静な声が続いた。
『全機、交戦を許可する。各隊、予定どおり迎撃に移れ』
帝国軍編隊が一斉に散開した。
高度を変える部隊、左右へ展開する部隊、ミサイル発射位置を確保するため加速する部隊。
整然としていた編隊は、巨大な網を広げるように空域全体へ広がっていく。
『各機、エンゲージ』
その一言で空気が変わった。
各機の兵装管制装置が作動し、レーダー照準が敵機を捕捉する。
コックピット内へ電子音が規則正しく鳴り響き敵味方双方が射程距離へ入り始める。
最初に動いたのは帝国軍だった。
『フォックス・スリー!』
『フォックス・スリー!』
『ミサイル発射!』
次々とAMRAAMが切り離される。
白煙を引いた長距離空対空ミサイルが轟音とともに加速し、空気を裂きながら敵編隊へ向かって一直線に飛翔していく。
数秒遅れて敵編隊も応射した。
『敵ミサイル発射!』
『回避行動!』
『ブレイク! ブレイク!』
数十発を超えるミサイルが互いに飛び交い、夜明けの空へ無数の白線を刻み始める。
誘導装置が目標を追尾し、警報音が各機のコックピットへ絶え間なく鳴り響く。
帝国軍機が急旋回を開始しフレアが一斉に放出される。
チャフが風に散り、太陽光を反射して銀色の帯を描いた。
敵機もまた同じように回避へ移る。
誰もまだ機銃射程へは入っていない。
空は遠距離ミサイルだけで埋め尽くされていた。
夜明けの蒼穹を何十本もの白線が交差し、巨大な蜘蛛の巣のような模様を描いていく。
その光景だけを見れば幻想的ですらある。
しかし、その一本一本が人命を奪う刃だった。
そのときカイは機首を僅かに下げたまま静かに速度を上げながら船隊の周囲を飛んでいた。
HUDへ敵編隊の位置が映し出される。
距離を示す数字だけが淡々と減っていく。
操縦桿を握るカイの手は微動だにしなかった。
視線も呼吸も変わらない。
ヘルメット越しに、小さく呟く。
「レイヴン1、エンゲージ」
その瞬間だった。
両エンジンの推力が一気に立ち上がる。
アフターバーナーが点火した途端ノズルから青白い炎が噴き出した。
爆発的な推力が機体全体を押し出し、F-15Λは矢のように前方へ飛び出す。
空気が機体表面を激しく叩く。
速度計の数字が一瞬ごとに跳ね上がる。
黒い機体は帝国軍編隊すら追い越し、誰よりも前へ出た。
レーダー上では一本の光点が敵へ向かって一直線に突き進んでいく。
『なんだあの速度は……』
敵編隊でも混乱が走る。
『あれは何だ!』
誰もその存在を知らない、誰もその速度を理解できない。
F-15Λは高度を保ったまま敵先頭編隊へ一直線に突入していく。
照準枠が一機を捕らえた。
ロック完了、電子音が短く鳴る。
カイは躊躇なく発射ボタンを押した。
ミサイルがレールを離れ猛烈な加速で敵機に迫っていく。
敵パイロットは警報音に反応して機体を傾けようとした。
『なんだ、この黒いのは……』
驚愕の声が無線へ漏れた次の瞬間。
『っな……』
爆発。
敵機は回避動作へ移る暇すら与えられなかった。
機首付近へ命中したミサイルが機体を真二つに引き裂き、巨大な火球となって空へ散る。
燃え上がる破片が朝日に照らされながら四方へ飛び散る。
黒煙が一本、蒼穹へ立ち昇った。
その爆炎を真正面から突き抜けるようにして、黒いF-15Λが高速で駆け抜ける。
敵編隊全体へ動揺が広がった。
『先頭機撃墜!』
『一瞬でやられた!』
『何が起きた!?』
『帝国軍新型だ!』
『警戒しろ!』
『全機散開!』
しかし、もう遅かった。
先頭機の撃墜。
それは単なる一機の損失ではない。
双方が最後の躊躇を捨てる瞬間だった。
夜明けの空を満たしていた緊張は、完全な殺意へ変わる。
無数の戦闘機が互いへ向かって雪崩れ込み、ミサイルと機銃弾が縦横無尽に飛び交い始める。
この一撃が戦争開始の合図となった。
コメントなどでアドバイスを貰えると嬉しいです。




