畏怖と衝撃①
時系列がバラバラになってしまいました。
ちょっと読みにくいかもしれません。
時間的にはep.6 のノルヴァイン帝国 宣戦布告①辺りです。
ノルヴァイン帝国・帝都ヴァルグラード。
中央軍司令本部――第3戦略統制室。
厚い防爆扉に閉ざされた地下深くの会議室には、重苦しい静寂が満ちていた。
壁一面の大型戦況表示装置には、帝国全戦域の状況が刻々と映し出されている。
国境線、海上戦域、航空優勢図、撃墜記録。
そして、その中央には先ほど終了したばかりの夜間迎撃戦の戦果が大きく表示されていた。
《敵新型戦闘機 六機撃墜》
長大な円卓を囲むのは、帝国軍中枢を担う将官たち。
参謀本部長、戦術航空軍司令、帝国海軍総司令部代表、陸軍統合作戦局長、機体開発局長、情報局副局長、各戦区統括司令官。
誰もが帝国軍最高位に名を連ねる人物だったが、その誰もが口を開かなかった。
静寂だけが部屋を支配している。
室内の空気は氷のように冷たい。
それでいて、どこか異質な熱を孕んでいた。
それは恐怖かそれとも興奮か、戦慄か。
誰にも判別できない感情が、そこには渦巻いていた。
やがて参謀本部長が静かに口を開く。
「……彼のおかげで、本土は守られたな」
誰も否定しない。
敵新型戦闘機六機。
いずれも従来機を大きく上回る性能を示した最新鋭機だった。
それを単機で迎撃し、なお無傷で帰投した信じ難い戦果だった。
戦術航空軍司令が報告書へ目を落とす。
「あれほどの戦果……まるで、あの時代の"彼ら"に匹敵する」
一瞬だけ空気が揺れた。
誰もその名を口にしない。
口にすることすら憚られる存在。
沈黙を破るように、機体開発局長が口を開く。
「敵機の性能も気になりますが……」
資料へ視線を落としたまま続ける。
「あの黒い機体は、一体何なのですか」
部屋の視線が一斉に集まる。
画面いっぱいに黒い機体が映し出される。
漆黒の機体。
蒼く輝く推進ノズル。
尾翼に刻まれた見慣れない紋章。
「……あの黒い機体は何だ」
「私も知らん」
空軍総監が首を振る。
「誰か知っている者はいないのか」
その言葉の意味を知らない者はいない。
だが誰も、その名を口にはしなかった。
その沈黙を破ったのは、情報局副局長だった。
「……今は、そのようなことは重要ではありません」
低く、感情を抑えた声だったがしかし、その一言で空気が一変した。
「何だと!」
陸軍統合作戦局長が机を叩く。
「我が帝国の空を、所属も正体も不明な者が飛んでいるのだぞ!」
「重大問題ではないか!」
情報局副局長は表情を変えない。
「本土に住まう十数億という民の命が守られた」
「それだけで十分ではありませんか」
「問題をすり替えるな!」
怒声が飛ぶ。
しかし、情報局副局長は見事に言い返してみせた。
情報局副局長は静かに視線を向ける。
「それならば」
わずかに間を置き、低く言った。
「我々はヴェルテクス連邦の策略にまんまと嵌まり、既に数百万という国民を失っています。」
室内が凍り付く。
「その直後に、どこの誰とも知れぬ黒い戦闘機が現れた!」
「正体を明らかにすべきだ!」
情報局副局長は静かに息を吐く。
「……今、議論すべきはそこではありません」
ゆっくりと全員を見回した。
「皇帝陛下より賜る、次なるご命令。」
「そのいかなるご命令にも即応できるよう、全軍を整えること。」
「それこそが我々の責務でしょう」
「それを踏まえて今議論するのは正体不明の一機を追及することですか?」
「それとも帝国を守ることですか?」
室内が静まり返る。
誰も言葉を返せない。
"皇帝"
その存在を持ち出されれば、議論は終わる。
参謀本部長がゆっくりと頷いた。
「……貴官の言う通りだ」
「今は陛下の次なるご命令に備えねばならん」
それでも、一人の将官がなお食い下がる。
「しかし……」
情報局副局長が静かに視線を向けた。
「貴官は、陛下に楯突くおつもりですか」
その声音に威圧はなっかたがそれでも、その場にいた全員が息を呑んだ。
将官は小さく首を振る。
「いえ……そのようなことなど」
「ならば従っていただきたい」
再び静寂が訪れる。
情報局副局長は誰にも悟られぬよう、小さく拳を握った。
――カイ・ラグナー。
――F-15Λ。
その存在は、まだ公にするわけにはいかない。
あの機体も。
あの男も。
帝国が最後まで秘匿しなければならない切り札だった。
知られるのは、まだ早い。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
皇歴記一〇四八二年九月十九日
冷たい金属の壁に囲まれた作戦室。
天井の照明だけが無機質な白い光を落とし、部屋には十数名の帝国空軍パイロットが整列していた。
誰も口を開かない。
静まり返った室内には、重苦しい空気だけが流れていた。
先程、皇帝より全軍へ開戦命令が下達された。
その命令は、この基地にも、そしてカイにも等しく届いていた。
前方へ立つ基地司令が、ゆっくりと口を開く。
「諸君も知っての通り、我々ノルヴァイン帝国はヴェルテクス連邦と戦争状態に入った」
低く落ち着いた声が室内へ響く。
「何が起きたのかは、既に全員が理解しているだろう」
脳裏をよぎるのは、国境地帯で命を落とした帝国臣民たちの姿。
焼け落ちた町、破壊された港、瓦礫の中へ取り残され焼け死んだ人々。
パイロットたちの表情は硬く、静かな怒りを滲ませていた。
だが、その列の中でただ一人、カイだけは違っていた。
静かに前を見据えているだけだった。
「これより諸君には、ヴェルテクス連邦との国境部占領地域奪還作戦へ従軍してもらう」
壁面スクリーンへ作戦図が映し出される。
帝国本土から国境海域へ向かう無数の矢印。
艦隊、輸送船団、航空隊。
「既に多数の艦隊および輸送船団が帝国を出港した」
「諸君の任務は輸送船団の護衛、および当該空域の制空権確保である」
海域一帯が赤く表示される。
「海上では大規模な戦闘が予想される」
一拍置き、司令は言葉を続けた。
「今回の主攻撃を担うのは、国防空軍第219部隊――コードネーム『ケンタウロス』」
室内へ再び静寂が戻り、やがて司令は全員を見渡し、短く告げた。
「以上だ」
「解散。諸君らに蒼穹の女神の加護があらんことを」
椅子が引かれ、パイロットたちが次々と部屋を後にする。
その中で。
「中尉、待て」
司令の声に、カイだけが足を止めた。
他の隊員たちが退室し、扉が閉まる。
作戦室には二人だけが残った。
司令は机の上に置かれた一枚の書類を手に取る。
「お前は第219部隊の一部として作戦へ参加する」
そこで視線を上げた。
「だが、戦力としては独立枠だ」
「与えられる任務は同じだが、戦術行動については貴官の判断を優先する」
「戦況に応じ、自由に動いて構わない」
「何かあれば対処は貴官に任せる」
「全権は、お前に委任する」
数秒の沈黙を挟み司令は真っ直ぐカイを見つめる。
「……問題はあるか」
カイは一切迷うことなく答えた。
「ありません」
司令は静かに頷く。
「よろしい」
カイは敬礼すると、そのまま作戦室を後にした。
重い扉が閉まり、静寂だけが部屋に残った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
廊下は白く、無機質だった。
鋼鉄とコンクリートが織りなす冷気が、飛行服越しにも肌を刺す。
天井の照明が等間隔に並び、白い床へ淡い光を落としている。
カイの乾いた足音だけが、長い通路へ規則正しく反響した。
ブリーフィングルームを後にしたカイは、無言のまま歩き続ける。
足取りに迷いはなかった。
表情にも変化はない。
だが、その胸の奥では、小さな違和感が静かに広がっていた。
(……違う)
(何かが……足りない)
理由は分からない。
言葉にもできない。
ただ、心のどこかが空虚だった。
ふと、士官学校時代の記憶が脳裏を掠める。
血が滾るような模擬空戦。
限界まで引き起こす操縦桿。
全身を押し潰すG。
互いの技量だけを信じ、命懸けで競い合った空。
あの空には、生きる理由があった。
誇りがあった、仲間がいた。
そして――、何よりも大切な何かがあった。
だが、それが何だったのか。
思い出そうとするたび、記憶は霧の向こうへ沈んでいく。
名前も、顔も、声も。
もう何一つ、思い出せない。
忘れたのではない。
忘れようとして、心の奥底へ閉じ込めた。
決して開けてはならない場所へ。
自分が失ってしまった大切なものの記憶を。
廊下の突き当たりにある窓から、空が見えた。
どこまでも澄み切った蒼穹、それは静かで、美しく。
まるで手を伸ばせば届きそうなほど近くにある。
それでも、そこには決定的に何かが欠けていた。
心の奥に穿たれた大きな空洞。
埋めようとしても埋まらない穴。
その奥を、冷たい風だけが音を立てて吹き抜けていく。
ヒュウ、ヒュウ、と。
月影の檻に深く根を張る闇。
記憶を喰らい、心を蝕み続ける黒い影。
そして、その闇に囚われた黒い翼は。
誰にも気付かれぬまま、静かに、脆く。
彼の心は抗うことのできない暗い暗い闇の中へと堕ち続けていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
カイの心の底には、小さな焦燥と渇き。
そして、深い孤独が広がっていた。
理由は分からない、何かを求めている、何かを探している。
だが、それが何なのか、自分自身にも分からなかった。
ただ一つだけ確かなことがある。
今のままでは、まだ足りない。
カイは滑走路を横断し、格納庫へ続く道を歩いていた。
朝の冷たい空気が頬を撫でる。
周囲では整備兵たちが忙しく動き、発進を控えた航空機の準備が進められている。
目に映るのはいつもの軍用基地の光景。
しかし、その全てがどこか遠く感じられた。
彼はただ歩き続けた迷いのない足取りで。
やがて、巨大な格納庫の扉が開く。
その奥に、F-15Λがいた。
黒く沈んだ機体。
光を拒むような漆黒の外装。
朝焼けの光さえも吸い込むかのように、静かに佇んでいる。
まるで、空へ飛び立つその時を待つ獣のようだった。
カイは機体の前で立ち止まる。
しばらく何も言わず、その姿を見上げた。
(まだだ……)
(こんなものじゃない)
この機体も、そして自分自身も。
まだ、辿り着いてはいない。
かつてたどり着いたあの空へ、届くためには。
もっと、もっと何かが必要だった。
「中尉」
背後から声が響く。
振り返ると、整備兵が敬礼していた。
「準備は完了しています」
カイは小さく頷くだけだった。
整備兵たちが作業へ戻る。
F-15Λの周囲で最後の確認が行われる。
機体表面に兵装そしてエンジン。
全てが完璧な状態へ整えられていく。
やがてキャノピーが閉じられる。
その瞬間、黒い機体は静かに目を覚ました。
電源投入しHUDが起動させた。
緑色のインジケーターが視界へ浮かび上がる。
システムチェック開始、エンジン始動。
低い唸り声が格納庫へ響く。
機体全体を震わせる鼓動。
それはまるで、眠っていた翼が再び息を吹き返したようだった。
F-15Λ。
それは、ただの兵器ではない。
カイにとっては、自らの意志を空へ運ぶための翼。
言葉を失った心の代わりに、空を求めるための存在だった。
黒い機体がゆっくりと牽引され、滑走路へ向かう。
コックピットでカイは各種装備の確認を開始する。
「右エンジン、出力安定」
「ノズル状態、良好」
計器を一つずつ確認する。
「レイヴン1、兵装確認」
「AMRAAM、4基」
「AAM-6、4基」
「補助燃料タンク、1基」
「ステルス塗装、表面温度異常なし」
「対Gスーツ、接続確認」
全て問題なし。
余計な動きはない。
必要な確認だけを、淡々と積み重ねていく。
管制塔から通信が入る。
『レイヴン1、確認完了』
『全航路グリーン』
『離陸を許可する』
カイは操縦桿を握る。
「了解、レイヴン1、離陸する」
スロットルを押し込む。
次の瞬間、エンジンが咆哮した。
アフターバーナーから青白い炎が噴き出す。
黒い機体が滑走路を駆ける、徐々に速度が上がる。
地面の振動が消える。
そして――F-15Λは空へ舞い上がった。
爆音が基地全体を震わせる。
しかし、その中でもカイの心には何もなかった。
怒りも、歓喜も、恐怖も。
ただ静かにただ真っ直ぐに。
目の前の空だけを見ていた。
黒い翼は、雲を切り裂く。
誰にも似ていない、誰にも届かない。
孤独な黒翼が、再び蒼穹へ昇っていく。
〜お願い〜
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