【君のぞ】black tulips Ⅱ
black tulips Ⅱ
和輝
心「鷹野さん。医療品届きましたよ」
和「わかった。ありがとう、教えてくれて」
寝室から、高い声が聞こえた。
軽く返事をしてから、玄関に置かれた段ボールを持ち上げる。
俺は鷹野和輝。thlips街唯一の病院を1人で営む医者だ。とはいえ、今は2人で過ごしているんだけどね。
1ヶ月前に、俺は一人の女性を助けた。
深夜の商店街を散歩していたら、見るからに大怪我している血だらけの女性が横たわっているのを発見した。とりあえず急いで自宅に連れ帰って治療するうちに、彼女には帰る家がないということが分かったので、俺の病院兼自宅で匿うことにしたというわけ。
彼女は、会塚心さんという若い女性。本人は全然若くないんだって言ってるけど、信じられないくらい可愛らしい人だ。
数日前くらいまではベットから起き上がることすらできないような様子だったけれど、今は一人で体を起こしたり食事したりすることができる。流石に、いい年した男が若い女性にご飯食べさせたりとか…ちょっと……ねぇ?って自分で思ってたから、よかった。
心「鷹野さん。山崎さんがいらっしゃいました」
また、彼女の声が聞こえた。彼女の声は少しあどけなさが残っているけれど、どこか落ち着いていて癒やされる声だ。こういう事考えてる自分に少し引くときもあるけど、まあこういう性格だししょうがないよね。
俺は病院の玄関に出向く。
そこには、俺と同い年で常連でもある、山崎孝がいた。病院の常連って……なんかおかしいけど、まあいっか。
和「ありがとう心さん。よいしょ、やっほー孝!」
孝「やっほー和輝。たまたま通りかかったから寄り道しに来た」
和「んなこといって、実は俺に会いたかったんじゃないの?」
孝「んー、君じゃなくて心さんに会いたいかな」
和「はぁー?あー、でも今は無理かも。今日お腹痛いらしいから」
孝「そっか。お大事にって言っといて」
和「了解!」
心「もう大丈夫です」
和「わー?!」
孝「あ、心さん!こんにちは。もう歩いて大丈夫なの?」
心「こんにちは山崎さん。もう大丈夫です。足に力が入るようになりましたし、腹痛も治りました」
孝「よかった〜」
和「ほんとによかった。心さん、いい感じに回復に向かってるね」
孝「お祝いの品!なんか、果物屋で美味しそうなブドウ見つけたんだ。はいこれ」
和「え、いいの?」
心「いいんですかっ!?」
孝「おぉ、もちろんいいけど…。心さん、めっちゃ喜ぶじゃん」
心「あ……えと…」
和「もしかして、心さん…ブドウ好き?」
心「はい!好きです!!」
孝「まじ?よかった!」
心「ありがとうございます!」
和「ありがとね、孝。あとでいただくわ」
孝「どういたしまして〜。じゃあね」
和「ばいばーい」
心「お気をつけて」
和「……へえ。心さん、ブドウ好きなんだ」
心「はい。小さな頃から好きでした」
和「そうなんだ。君の小さな頃の話、初めて聞いたなあ」
そう。心さんは滅多に自分の話をしない。自分の小さな頃の話とかなんて、絶対に口にしない。だから小さい頃から好きな食べ物、なんて小さなことも、今初めて知ったくらいだ。
何気なくそういうと、彼女は突然口をつぐんでしまう。
心「あ……」
和「ん、どうしたの?」
心「………っ」
和「……小さな頃の話とか過去とかあんまり聞かないから、安心して。無理に話す必要ないしね」
心「…ありがとうございます」
和「よし、ブドウ食べよっか!」
心「はい!」
心さんは、1ヶ月前と比べてよく笑うようになった。最初の方とかは体の痛みとかも相まってあまり笑わなかったし、言葉を発さなかった。でも今は、すっかりココロを許してくれているようだ。
だけど、過去の話とか自分の話はあまりしない。というか、全くしない。なにか隠したい過去でもあるのだろうか。なら、それはそのままでいいと思う。必死に隠したいものがあるなら、それを無理に暴くなんてできない。それほど無慈悲にはなれない。
「おーい、ちょっとふたりとも!待ってー!」
和「あれ?」
心「あ、星野さん」
照「やっほー和輝、それに会塚さん」
リビングに戻ろうとした俺等を、少し大きい声が呼び止める。振り返ると、玄関に一人の青年が立って手を振っていた。
この人も、俺の幼馴染で常連の星野稜也。さっき言った通り、病院の常連って絶対におかしいけど、孝と一緒で彼もよく遊びに来てくれる。
心「こんにちは」
和「やっほー稜也!どしたん?」
星「え、会塚さん歩けるようになったんだ」
心「はい、お陰様で」
星「よかったね〜」
和「回復が早くてびっくりしてるよ」
星「はいこれ。お菓子作ってきた」
和「やった!稜也のクッキーだ!」
心「ありがとうございます!今日は何の形ですか?」
星「今日はね、お花と星型、猫と犬だよ」
心「わあ、かわいい!」
和「相変わらずデコるの上手いなお前…どっか教室行ってるの?」
星「ううん、独学。嬉しいな、そう言ってもらえると」
和「ブドウと一緒にいただくか」
星「え?ブドウ?」
和「孝にもらったんだよ〜、ブドウ」
心「今日はおやつがいっぱいで嬉しいです!」
星「それはよかった♬」
和「楽しみだな〜」
星「じゃあ、俺はこのへんで。ばいばーい」
和「じゃあな〜」
心「さようなら〜」
和「うわー、今日のおやつ盛りだくさんだな」
心「そうですね✨️」
目を輝かせる心さんと一緒に、ダイニングに向かう。
彼女は、自分の足でしっかりと歩けるようになっていた。
和「……」
それを見た俺は、喜びと同時にもう一つ。
和「…もう、いなくなっちゃうのかな」
寂しさ、なんて呼べばいいのか。心さんの回復に対する嫉妬、と言えばいいのか……。抱くべきではない感情を抱いてしまった気がした。
この感情はなんて名付ければいいんだろう。心さんに、いなくなってほしくない…そんなとても醜くて、公言できないような感情は。
それを隠しつつブドウを洗って皿にのせ、クッキーも皿に出して机に置く。そして二人で椅子に座り、それらを食べ始めた。
和「わあ、このブドウ美味しい!」
心「はい…!甘くて美味しいです」
和「デラウェアっていうんだっけな。甘い」
心「クッキーも美味しいですよ。なんか…、いつもと味が違うのがあります」
和「えっほんと?……あ、マジだ。この猫いつもと違う」
心「犬は一緒なのに…」
和「この猫、まさか偽物?」
心「あははっ。まさかの偽物ですか」
和「アイシングも、いつもとちょっと違うしね」
心「可愛い…!」
あっという間に空になってしまった皿を持ち、俺はキッチンに向かおうと席をたった。その時。
心「…あの」
和「ん?」
どこか慎重な声で、心さんが俺を呼び止めた。その方を見ると、立ち上がった彼女がこちらを見ていた。
彼女のただならぬ緊張感を持った顔を見て、何を言われるのかどぎまぎしながらも、笑みを崩さずに尋ねる。
和「どうしたの?」
心「あの、鷹野さん。私をいつまでここにおいてくださるんですか」
和「え…?」
心「貴方のおかげで、私は九死に一生を得ました。体も復活し始めて、動けるようになってきました。助けがなくても一人で食事とか、歩いたりすることができるようになりました。全部全部、貴方のおかげです」
和「…」
心「……だから、私は貴方に恩返しをしたい。だけど、今の私はすでに病人でもけが人でもなんでもない、普通の20代の女です」
どこか辛そうに、けれど必死に言葉を紡ぐ彼女を見て、俺は体の向きを彼女に直す。
心「大の大人がこんな事言うのはどうしたものかって、自分でも思います。だけど……」
心さんは、少し顔を赤らめてから勢いよく頭を下げた。
心「…もう少しの間、私を匿っていただけませんか」
そして下を向いた彼女から、弱く震えた声が聞こえた。
彼女の今の言葉は、彼女自身にとって恥ずかしい頼み事だったのだろう。常識的に考えれば、心さんには申し訳ないけど、正常な判断だ。
心「この病院で働いたりとか家事だったりとか、できることは何でもします。だから…貴方に恩を返しきれる日まで、ここにいさせてください。お願いします…」
和「……」
心「私にはもう、帰る場所が…どこにも」
段々と彼女の声が震え、小さくなっていく。このまま俺が何も言わなかったら、そのまま彼女ごと消えていってしまいそうなほどに。
和「何言ってるんですか」
心「ッ…」
彼女の下がった頭に、言葉を振りかける。心さんは、怯えるように体を震わせた。久しぶりに彼女に使った敬語に驚いたのだろうか。それとも、自分でも驚くほどに、今の俺の声が硬かったからだろうか。
俺は彼女の前にかがむと、華奢な手を握った。心さんが驚き、こちらを見下ろす。
和「貴方を捨てるわけないじゃないですか」
心「……ぇ…」
和「最初に会った時、俺言ったじゃないですか。俺は貴方のことを認めて、心配して、助けようと思う人間だって。そんな人に見放されたら、すごく悲しいでしょ。俺はそんな事する人じゃないですよ。そんな無慈悲にはなれないし」
心「でも……私、邪魔じゃないですか…?夫婦でも恋人でもないのに、いい年した女と同居するなんて」
和「……」
心「…鷹野、さん?」
辛そうに目を伏せかける心さんを見て、俺は迷わずに強く言葉をかけた。言ってよいのか、判断をすることもせず。
和「いいんです。邪魔じゃないですよ。だって、貴女がいる時点で俺はすでに、貴女にたくさん恩を返されてるんだから」
心「…えっ?」
和「あ、えと…とりあえず、全然ここにいてもらって構いません。これからもよろしくお願いしますよ、心さん」
心「……はい!」
和「よし。じゃあ、お皿洗ってくるね」
心「私、洗濯物取ってきます!」
和「あ、よろしくっ!」
心「はーい」
俺は皿を持ち直すと、ベランダに向かった心さんを見送ってからキッチンに立った。
和「……」
シンクに皿をおいてから、蛇口をひねる。水が滝のように激しく流れ落ちてきた。その水のように、ココロの中の気持ちが溢れていく。
…俺は何を言っているんだ?
”貴女がいる時点で、俺は貴方にたくさん恩を返されてる。”
そんなの、”貴方のことが好きです”と言ってるようなものじゃないか。いや、そうはならないか…?ギリセーフなのか……?
いやそもそも、なぜ俺はあんな事を言ってしまったんだろ?でも、あれはでまかせじゃない。嘘じゃない。
俺は彼女と同居を始めてから、人の温かさを常に感じられるようになった。稜也や孝、患者さんと会って感じていた人の温かみを、毎日感じることができるようになっていた。そしてそれが、幸せだと実感するようになった。この幸せを、二度と失いたくないと思った。
この気持ちが、”あの惨劇”により生まれたものなのか、それともまた別の観点から生まれたものなのかはわからない。
和「…何がなんだか、わかんないなぁ」
いや、これは嘘だ。”わかんないなぁ”なんて、めちゃくちゃ嘘。
俺には1つだけわかってることがある。最近になって、ようやく自分で認めることができた。さっきの感情の、名付け方。
和「……”恋心”?」
俺は心さんに、恋をしてる。
心
ガラガラッ。
ベランダのドアを開きながら、私は喜びを噛み締めていた。
さっき鷹野さんに言われた言葉。その言葉は、”私がここに居候していい”ということを示していた。
私に、帰る場所ができた。帰る人ができた。
それが、ただただ嬉しかった。悪い気がしないわけではない。私がしていることが許されないことであるのも分かってるけど、今は彼と一緒にいたかった。
私が身をおいてきた世界から。
”あの人”から隠れたかった。”あの人”から遥か遠くの場所に、逃げたかった。
とはいえ、鷹野さんに嫌われたくないし、彼の役に立ちたいから、これまで以上にたくさん働かなくてはいけない。
小さい頃からいろんな家事をしてきたし、お母さんにも料理とか洗濯とか、たくさん教わってきた。休んでいる間に鷹野さんの働いてる姿をずっと見てきたから、病院での仕事も少しは手助けすることができるだろう。
私は次の日から、鷹野さんと一緒に病院の運営の仕事を始めた。
流石に医療関係の知識はないので、薬の運搬や電子カルテの入力や整理、受付等くらいしかできないけれど。それでも、彼は私を認めてくれるし、何なら仕事ぶりを褒めてくれる。
私が言えることではないけれど、こんな優しい方に助けてもらえて、本当によかったなぁ。
鷹「心さん、今日の仕事は終わりだよ〜」
心「はい!」
そんな事を考えていると、少し遠くから彼の声が聞こえた。
急いでその声のもとに走っていくと、彼が微笑んでいた。
鷹「いやー、心さんがいてくれるおかげで、孝とか稜也がたくさん来るようになって嬉しいな」
心「あのお二人は、鷹野さんのご友人なんですか?」
鷹「うん。結構前から幼馴染なんだよね〜」
心「ふたりともお優しいし、素敵な方です」
鷹「マジで?あいつらさ、軽い怪我しただけで病院に来るから大変なんだよな」
心「そうなんですか?!」
鷹「前は”紙で手を切った”っていう理由で遊びに来やがった」
心「きっとここがお好きなんですね」
鷹「ここに来ても何も出ないけどな〜。なにがしたいんだろ?」
心「ふふっ」
鷹野さんは茶目っ気たっぷりに笑ったあと、白衣をスムーズに脱ぎながら口を開いた。
鷹「ところでさ、心さん。一個気になってたことがあって」
心「はい!なんですか?」
鷹「……心さんを助けた、日について。なんだけど」
心「…?」
脱いだ白衣を椅子にかけると同時に、彼が質問を投げかけてくる。
鷹「なんであの日、心さんはあそこに血まみれで倒れてたの?」
その質問はとても予想外で…でも絶対いつか聞かれるだろうと思っていたものだった。
心「ッ!!」
鷹「…何か、言えないような事情があるなら無理に言う必要はないよ。でも、あの状況はあまりにも異常で……さ…」
心「……」
まあ、疑問に思うのも当たり前だ。
知らない女が、たまたま通りかかった道に血まみれで倒れていたら、どんな人でも不思議に思うだろう。むしろ、ここまで何も聞かずに私を治療してくれた鷹野さんは、すごく珍しい方だ。
…けど、なんて言えば良いんだろう。
心「えっと………」
本当のことを言えばいいのだろうか。すべての事実を打ち明けて、何があったのか全て伝えて。それでいいのだろうか。
なにより、こんなに親切にしてくれている人に、これ以上嘘を付くのは失礼だろう。
心「……ッ」
だけど。
鷹「…心さん?」
心「……」
本当のことを聞いたら、彼はどう思うだろう?そもそも、こんなことを言ったら、無関係な彼を巻き込むことになるのではないか。
彼を私の真っ暗な世界に引きずり込むのは、絶対にやめたい。
だけど、助けを求めることができるチャンスは、今だけ。
鷹「……何か…、あったんだね?」
心「…」
鷹「…辛いなら、言わなくて良い。でも、今回のことには少なくとも事件性がある。あんな大怪我もしてたし」
心「……はい」
鷹「だから、放って置くわけには行かないと思うんだ。場合によっては警察に連絡も……」
心「ッやめてください!!」
反射的に”警察”という言葉に反応し、硬く大きくなった声で鷹野さんの言葉を遮る。
鷹「……え?」
彼は焦ったように目を開いて、こちらを見ていた。
心「…あ……え、っと。警察に…連絡するのは、やめてください。お願いします。それだけは…」
鷹「あ、ああ。分かった。そんなに言うならやめておくよ」
心「はい……すいません」
その助けを求めることができる、一回だけのチャンスですら、私には活かすことができない。
必死に取り繕った笑顔で、なんとか誤魔化した。
鷹「だけど、何があったのかどうかは簡単でいいから教えてほしい。警察とかには言わないよ。俺と心さんとだけの秘密」
心「…ひみつ、ですか」
鷹「どうしても言えないなら、構わない。けど、君のココロの中にその傷を抱えたままでいると、いつか息もできないくらい辛くなってしまう。頼むから教えてくれ」
心「………」
”秘密”という言葉に少しばかり惹かれつつも、私は冷静に彼の瞳を覗き込む。その透き通った、黒いものが一切混ざっていない瞳を。
貴方は知らないんだよ。
私のことを全部打ち明けた瞬間に、私のココロも体も崩れ落ちてしまうってことを。
心「………っ」
(言えない…もう十分辛いけど)
鷹「…もしかして……。もしかしてだけど、解体魔のせい?」
心「ッ!?」
”解体魔”。この言葉を聞いた瞬間、体が一気にこわばった。なにか大きくて苦しくて熱い物が、体の中から込み上がってくる気がする。必死に腕を握りしめ、気持ちを落ち着かせようと試みるけどなかなか震えが止まらない。
鷹野さんはそんな私に驚き、遠慮がちに話し始めた。
鷹「あ…、やっぱり?……6年前から急に現れて、不定期的に殺人事件を連続で起こしている殺人鬼。もしかして…あの時、あいつに襲われたの?」
心「ぁ……あぁ………」
鷹「心さん…大丈夫?すごい震えてるよ?」
心「は、はいッ…」
鷹野さんが私の震える背中をさすってくれる。
…どうしよう。どう答えるべき?どう答えるべきだ?
今ならまだ助けを求められる。もしくは、嘘をつくこともできる。
私はどうするべきだ……?
鷹「…心さん?」
心「ハア、ハアッ……」
鷹「……あいつの…解体魔の、仕業?」
心「っ!!」
自分を守り抜くために嘘をつくのならば、”はい”。
素直に答えて助けを求めるのならば、”いいえ”。
私のために…いや、それよりも鷹野さんのために。私はどちらの答えを出せばいいのだろうか?どちらかを選べば、必ず後悔してしまう。それがどちらなのか、私には全くわからない。
焦りと罪悪感と困惑が頭の中でぐるぐると渦巻いて、吐き気すらも感じながら私は鷹野さんをもう一度見る。
鷹「……」
心「ッ…!」
彼の顔を見た私は、迷わず片方の選択肢を切り捨てた。
心「……はい、そうです」
汚らわしいものを何も感じさせない、彼の瞳を見た私が捻り出した答えは、こっちだった。
鷹「やっぱり…そうか。怖かったよね。無理に思い出させてごめん。絶対恐ろしくて、辛かっただろうに」
心「いえ……」
鷹「大丈夫だから。これからは、絶対にあいつに君を会わせないから。もう危険な目には、怖い目には遭わせないからね」
心「…ありがとう、ございます」
”嘘をつく”。
鷹野さんに抱きしめられる中、私は悲しみの涙を流した。
私はこれ以上、この温かさを感じることは許されないんだろうな。
No side
鷹「……」
完全に日が落ち、空が闇に包まれた深夜0時。
鷹野は会塚がベットで寝落ちしたことを確認してから、自室に入った。
控えめな足音とともに、鷹野の影がゆっくりと廊下を進む。
鷹野は自室に入ると、まっすぐ棚に向かった。
その棚の上においてある写真立てを愛おしげに見つめた彼は、その場に膝をついた。写真に映り込んでいる人影を見つめる鷹野の瞳は、悲しげに、でもどこか嬉しげに揺れている。
鷹「……よ。久しぶりだな」
写真に写っている男に、鷹野は話しかけた。
鷹「ほんとは、今日もこのまま寝ようと思ってたんだけど。…あいつの話題が今日出たからさ、なんかお前と話したくって。どうせ聞いてはいないんだろうけどね、いつも通り。まあ適当に聞き流してくれよ」
写真の中の男は何も言わない。
鷹「またあいつのせいで被害者が出かけたっぽいんだ。……ははっ、ほんと許せないよな。マジで許せない。俺はいつまでも認めないよ、こんなこと。まぁ俺ができるならなんとかしたいけど、あいつが今どこにいるかも分かんないし。見つけたとしてもどうすればいいか分かんないし……。…お前さ、前俺の空手のこと真面目に褒めてくれたよな、一回だけ。あれ結構嬉しかった。こんな俺でも…さ、アイツのこと倒せるかな」
鷹野は思いついたことを次々と連ねるように、言葉をつなぐ。
しかし彼はここで一度言葉を切ると、深呼吸をしてもう一度写真を見つめ直した。
鷹「……ここからが本題なんだけど…俺、好きな人ができたんだ。お前が聞いたら冷やかすだろうし、あんぐり口開けて固まるんだろうけど。こんなこと言えるのも、まぁ……孝とか、稜也くらいだけどね。一応お前にも言ったほうが良いかなって」
写真の中の男は笑ったままだ。
鷹「だから……お前も応援してくれよ。してくれるよな?お前、案外優しいもんな…。…でも、ほんとは隣で応援してほしいんだ。ここで笑ってるだけじゃなくて、俺の隣りに立って応援してくれよ」
写真の中の男は何も答えない。
鷹野が俯くとともに、顔に影が落ちた。
鷹「…俺はまだ認めてないんだよ、お前がここにしかいないってこと。まだ生きてるんだろ?ほんとは。まだ…まだ何処かで生きてるんだろ。お前は、あいつが有名になるために生まれて、壊されたわけじゃないんだから。そうだろ?…ていうか、あんなやつにバラバラにされたとか、そもそもただの悪い夢。そう…だ。そうでしょ……?」
段々と鷹野の声が震え、弱々しくなっていく。
鷹「応援…してくれよ。いや、無理に応援してくれなくたって良い。いつも通り悪口暴言ばっか並べて、からかってくれて良い。冷たくしていいし、お前力弱いから痛くないけど殴ったりしていいから。だから……俺の隣に来い。…帰ってこいよ……」
鷹「……ッ光軌」
彼の小さい声は暗闇が包むフローリングの床に落ち、透き通った涙とともに染み込んで、消えた。
「……」
その様子を見ていた女は、固く口を結ぶと音を立てずにその場を離れた。そのままゆっくりと一階に降り、キッチンに向かう。
彼女はキッチンの棚をそっと開くと、握っていたモノを一度じっくりと見直し、目を閉じて小さく頷いてからしまった。
銀色に輝く包丁を。




