【君のぞ】forget-me-not Ⅰ
forget-me-not Ⅰ
瑚菜津
静かな日曜日の、昼下がり。
温かな日差しに包まれながら、私は友達と公園のベンチに座っていた。
「いやー、瑚菜津ってやっぱピンク色好きよね」
瑚「そうだね…でも、今は赤色系は嫌い。血の色だから」
「あーそっか。ピンクって赤色系?」
瑚「うん。少し怖い」
「そっかぁ〜」
瑚「……」
「そりゃそうだよね〜。はぁ〜…」
友達は、青い空を見上げるとため息をつく。その姿を見て、私は込み上がってきた罪悪感や申し訳なさをこぼしてしまう。濁流のような負の感情たちが、私に謝罪をすることを強く促した。
瑚「千花、なんかごめんね。こんな私が」
千「ああーストップストップ!またひねくれモード入っちゃうよ〜?」
”千花”と私に呼ばれた彼女は、焦ったように顔を上げる。そして真剣な顔をして、こっちに顔を近づけた。
瑚「あ…ごめん」
千「もう。瑚菜津は悪いこと何もしてないんだから、卑屈にならなくていいってばー」
瑚「でも……」
千「わかってるわよ。貴方がどんな人生を送ってきたか。でもだからといって、貴方がどれほどつらい思いをしてきたかを完璧に理解することはできない」
瑚「……」
千「それは、瑚菜津が一番わかってるでしょ?」
瑚「…うん。私につけられた傷は埋められないの」
千「…」
瑚「……深すぎて」
千「うん」
そう自分で言葉を発した瞬間、思わず寒気がして身を震わした。千花が、そんな私を心配して背中を擦ってくれる。
私には、会話できる相手が千花しかいない。
それくらい、人と話すのが恐ろしい。いや、話すのが恐ろしいのではなく、目を合わせるのがとても恐ろしいんだ。
”殺されるんじゃないか”。…そう思ってしまうから。
5年くらい前。私は、自分の家族を殺された。
当時連続殺人を繰り返していた殺人鬼の仕業で、私の自宅には、それはそれは見るも無惨な情景が広がっていた。
家に帰ってきて、リビングに入ったときに見たのは、血で濡れた私以外の家族全員だった。そして、目の前にいたのは事切れた家族だけじゃなかった。
包丁を握った女の人も、立っていた。
恐ろしすぎて、何も言葉を発せずに突っ立っていると、彼女は私に気づかずに包丁を振り上げた。その包丁の刃先が迷わず捉えたのは、すでに死んでいたはずの家族の体だった。
あの時の音、匂い。今でも思い出せる。
肉体がちぎれる音。さっきまで当たり前のように人体の中を流れていたはずの血液の、鼻を突くような匂い。人の体に、肉に、骨に…冷たくて鋭利な刃物が入り込む醜い音。
ただただ信じられなかった。彼女は、家族を解体していたのだ。
その女と同じ人間である、私の家族を。全員。
あとはもう、よく覚えていない。
気がつけば、真っ暗な夜の公園に一人いて、大声で泣いていた。当時高校生だった私は、ただ叫んだ。そんな記憶がある。その後何があったかは、何も覚えていないけれど。
その時に喉が潰れて、血の味を感じるほどに出した自分の声が、とても醜かったから。鮮明に覚えている。まるで、自分が自分じゃないようだった。
それから私は、人間に近づけなくなった。家にも帰れなくなった。
あの人は殺人鬼かもしれない。あの人のバックに、包丁が入ってるかもしれない。それで襲ってくるかもしれない。
そうしたら、私は殺されて、解体されてしまう。そんなの嫌だ。痛いだろうし、怖いし…。あんなバラバラにされるなんて、嫌。
思い込みは、思ったより強い力を発揮するものだ。
いつしか私は、周りの人から遠ざけられていった。仕事も学校も居場所も家族も、全てを失った私は奇行を繰り返して、何度も警察に連行された。受験や勉強なんてもってのほか。第一志望だった大学のために毎日必死に勉強していたのに、机に向かうことすらできなくなっていた。ちょっと尖ったものですら、見れなくなっていたと思う。
そんな私に近づいてくれたのは、幼馴染の篠原千花だった。優しくてポジティブな千花のおかげで、私は言葉を喋れているし、いくらか精神も安定している。
でもやっぱり、人は怖い。
千「…あっ!ごめん、瑚菜津。私この後仕事だからさ、ちょっと早いけど行くね。ばいばーい」
瑚「うん。ありがとう。じゃあね」
千花がベンチから立ち上がって去っていくと同時に、私も立ち上がって公園をあとにした。千花がいない今の私ができるのは、千花のおかげでなんとか借りることができたアパートに帰ることだけだ。
見慣れたアパートの玄関に足を踏み入れる。
その時。
「ねえ、杉江さん?」
瑚「ッ!?」
後ろから不意にしわがれた声をかけられ、思わず驚いて声を発しかける。必死に抑え込んで後ろを見ると、顔をしかめた大家さんがいた。
「あら、失礼ね。話しかけただけなのに、そんなお化けを見たみたいな顔するなんて」
瑚「…っ」
「ねえ、なんとか言ったらどうなの?」
瑚「すっ、すいません……」
「まあいいんだけど。貴方の部屋って、204よね。なんか結構前から、異臭を感じるんだけど。まさかペット飼ったりしてないわよね?」
瑚「いえ!ペットなんて、そんなもの…」
「じゃあ、なんであんなに異臭がするの?」
瑚「異臭……?」
異臭?なぜそんなものがするのだろうか。あまりご飯は食べないし、ゴミも全然出ない生活を送っているというのに。
瑚「いや…、特に変なことはしてません……」
「205に住んでる田中さんが、少し前からずっと言ってるのよ。杉江さんがなにかやばいことしてる、って。ずーっと」
瑚「え…?」
「やばいこと、なんて抽象的すぎて分からなかったからね。貴方に直接聞いたほうがいいと思って」
瑚「いえ……私…も、わかりません」
「えぇっ、自分のことなのに分からないのぉ?…あ、田中さん。ちょうどいいところに!こっち来て!」
瑚「ぇ…」
田「あー、なんすか?あ、杉江さんじゃねえっすか」
瑚「……どう、も」
不潔な格好をした、隣の部屋に住む田中さんが歩み寄ってくる。見た目がすごく不良っぽくて威圧感もすごかったので、極力関わらないようにしてきたのだけど…今の状況で逃げ出すなんて、できない。大家さんに余計に不審がられてしまう。
「田中さん、杉江さんは何もしてないって言ってるけど。どうなの?」
田「あ゙ぁ?嘘つくなよ。お前、家の中に動物の死体とか大量においてるだろ?くっさくてたまんないんだわ」
瑚「えっ?!」
「えぇ!?そうなの?杉江さん?」
瑚「い、いや、ちが…」
”動物の死体”?そんな物置くわけないじゃないか。死体なんて置いたら、トラウマが復活するだけ。この人は一体何を…。
必死に否定しようとするが、そんな私を見た彼は嘲笑を浮かべながら、どこか楽しげに言葉を遮ってくる。まるで、私の反応で遊んでいるかのように、ココロから楽しそうに。
田「いやほんとっすよ。クソ気色悪いから、早く出てってくれませんかねー?隣の部屋に死体あるとか、事故物件の仲間入りじゃーん」
「まあっ?!事故物件!?」
瑚「違います、大家さん。そんなこと…」
「そんなの嫌よっ!やめてちょうだい!!」
田「あ゙ー、あとあんたってさー、あいつに家族殺されてるんだろ?」
瑚「ッ!」
「えッ?!聞いてないわよ!!」
田「知らないっすか?ほら、あの殺人鬼。一時期ちょー流行った奴。なんだっけな〜?」
大家さんが彼の言葉を聞いて、すごく嫌そうな表情を浮かべながら私を見てきた。いたたまれなくて、思わず目をそらす。
そんなこと言う必要がないと思ってたし、むしろ言わないほうが相手にとってもいいと思っていたというのに。なんでこの人は、私の傷口をえぐるの?
田「ちょっと調べたら簡単に出てきたっすよ?それで神経がイッちゃって、やばいことやらかしてんじゃないすか?とりあえずクソ臭いしうるさいし、出てってくれよ」
「どうなの、杉江さん!?」
瑚「う、嘘です。私そんなことしてないです」
田「お前こそ嘘つくなよ!」
「もうどっちなのよぉっ!!」
瑚「ち、ちがいますって…!」
田「ほら、じゃあ今から覗いてこようぜ?」
そう吐き捨てると、彼はものすごい速さでアパートの階段を駆け上がっていった。そして、まるで好奇心旺盛な小学生男子が何かを見つけたかのように、私達を置いて204のドアに突っ込んでいく。
瑚「えっ!?ちょ、ちょっとまってください」
私の止める声を聞かず、彼はドアを強引に開け放った。
ガチャッ。
田「むー?…うわっおえぇッ!くっさ!!」
瑚「え……?」
田「ちょ、大家さん来てください!?まじでこれやばくないっすか?」
「なになに、どうしたの?まさかと思うけど、本当にあるんじゃないわよね?!」
田中さんの上ずった叫びを聞き、私も急いで自分の部屋を覗く。
そこには、あり得ない光景が広がっていた。
瑚「…え」
見覚えのない小動物の腐った死体が、鼻が壊れるほどの異臭を発しながら廊下に転がっていたのだ。
「きゃあぁぁ?!」
田「くっせー……」
瑚「な…なにこれ」
事切れた動物が発する臭い。血に溺れた肉の破片。
全部嗅いだことがある。全部見たことがある。全部知ってる。
『嫌あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁぁッ!!』
瑚「う…ッ、、、」
頭の中に、真っ赤なトラウマが蘇ってきた。ぐるぐると渦巻くそれに溺れながら、私はもつれた足を必死に律し、なんとか立つ。
そんな私に対し、大家さんは容赦なく怒鳴ってきた。
「ちょ、なによこれ!!杉江さん、あんた私のアパートで何やってんのよ!!!バカじゃないの!!?」
瑚「ち、違います…。違いま」
「違わないでしょう、どう見ても!なによこれっ!!もういい、出ていってちょうだい!!」
瑚「ちが…ほんとに…」
「うるさいっ!!早くして!!!」
必死に弁解しようとするが、大家さんはパニックとヒステリーを起こしていて、まるで取り付く島もない。
そしてきっと全ての元凶である田中さんは、
田「さっさと出てけよ。二度と姿を見せんじゃねぇ」
瑚「あ……」
刃物よりも鋭くて冷たい視線をこちらに向け、鬱陶しそうに言葉を吐き捨てただけだった。
「早く荷物まとめてちょうだい?!早く!」
瑚「…ぁ、はい……」
もう大家さんの言葉を受け入れるしか、私に出来ることはなかった。
頭を真っ白にしながら、荷物をまとめる。アパートを出る時、田中さんがさも嬉しそうに笑っていた。
狂っている人間の隣の部屋に住むのが、それほど嫌だったんだろう。暗くて話もしなくて、大して可愛くもきれいでもない、汚れた過去しか持たない女の近くにいることが、とても嫌だったのだろう。当たり前といえば当たり前だ。
…当たり前だ。そんなの知ってた。だけど……。
私が欲しくて、手に入れた過去じゃないのに。
瑚「……ッなんで」
また、私が殺された。
私はふらつく足取りのまま、川沿いの道路を歩いた。
川からそこそこ高さのある橋の上につき、欄干に手をかける。真下を流れる川の水がどこまでも透き通ってきれいで、自由に見えた。きっと色んな景色を見て、自由気ままにありのままに流れているんだろう。
あの自由の中に飛び込めば、私は楽になれるかな。
今の私には、失うものが何もない。つまり、今死んでしまえば一番楽なんだ。私を惜しんでくれる人も、悔やんでくれる人も、心配してくれる人も、誰もいない。存在しない。
……そう。何もないんだ。
そんな状況で死ぬのが、きっと一番楽で、幸せだろう。世界で一番、幸せな消え方なんだろう。
瑚「…私って、幸せものなんだなぁ」
さようなら、すべてに。
橋の外に飛び込めるよう、欄干に体を預ける。
自由という名の救いに飛び込むために、体を欄干から出す。
きっとこの”さようなら”も、誰も聞かない。
空気が、自分の上半身を包んだ。私を自由の元に運んでくれるそれは、少し冷たかった。
その時。
ガシッ。
瑚「えっ!?」
思い切り腕を掴まれ、力任せに引っ張られた。
そのまま勢いに任せて、後ろに倒れ込む。しかし、地面にぶつかる痛みは感じず、代わりに柔らかい手が私の背中を支えてくれた。
瑚「っ…はなして、ください!」
もう一度飛び降りを試みようと立ち上がるが、私の腕を捕らえた手はなかなか力が強く、はなれなかった。
私の腕を捕らえているのは、確実に人間だ。怖い。殺される。殺される。解体されて、血だらけにされる。嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ。死にたいけれど、誰かに殺されたくはない。そんなのもう嫌だ。
瑚「近寄らないで、触らないで!!もう誰も信じれないし、信じないの。どうせ貴方も、私を殺しに来たんでしょう!?」
必死に叫ぶ。久々に出した自分の大声は、自分でも引くくらいに醜いものだった。
「俺は、お前を殺す人間じゃねえ。そんなんで捕まりたくねぇし、第一俺はお前をそういう奴らから守る側の人間だっつーの」
瑚「…え」
返された。……言葉を。
当たり前なのに、動けなくなってしまうくらい驚いた。思わず、目の前の人を見上げる。
彼は、警察の制服に身を包んだ人だった。片目を長い前髪で隠し、こちらに向いたもう片方の目は鋭く光っていた。
まるで獣のような威圧感を覚え、震える声を小さくこぼす。
瑚「え、と……」
「おまえさ、今ここから飛び降りようとしてたよな。残念だけど、そんなことはさせないぜ。俺、人が死ぬのあんま好きじゃないから」
瑚「…そんなの、関係ないじゃないですか。死なせてください!私にはもう…帰る場所も頼る人もいない!!私に生きる価値なんてないんです!!!」
「じゃあ、なんで今日まで生きてんだよ。この手首にある傷跡とか、あんたの目を見るには、その闇をお前が抱え始めたのは結構前からだろう?なら闇を抱えた時点で死ねばよかったじゃねぇか」
瑚「あ…えっと……それは」
たしかに、この人の言う通りだ。
家族が殺されてから、私はずっとリストカットを繰り返した。おかげで、手首はいつもボロボロだった。
じゃあ、なぜその時に死ななかったんだろうか?
その場にヘタっと座り込み、自問自答をする。
「答え、見つかるか?」
瑚「……わかんない、です」
「わかんないのか。じゃあ、まだお前は生きる価値を見つけ出せてないだけだな。まだお前は、自分の人生の中で最も愛したいものとか大切にしたいものを見つけてない。それか、忘れてしまってる」
瑚「…最も、愛したいもの……」
「それがあってこそ、生きる価値がわかるんだろ?思い出せるんだろ?まだそれすらもしてねぇくせに死のうとすんじゃねぇよ」
瑚「は……ぁ」
「分かったか?」
瑚「………」
「返事は?」
瑚「…はい」
「よし、よくできた」
瑚「……」
なんか、いい感じに言いくるめられてしまった。
とりあえず返事をして、同意を示してしまった。たしかにこの人の言うことは正しいし、説得力があるけど…。でも…。
瑚「あの、でも私…には……」
私には、そんな立派なものを見つけるために生きる場所がない。
たった今、住む場所を奪われたばかりだ。なのに、どう生きていけばいいというのか。
瑚「その……」
「あぁ、帰る場所がねえって言ってたよな?それなら大丈夫だ。俺がなんとかしてやるよ」
瑚「えっ!?いやッ、そんな…」
「俺がなんとかする」
瑚「え、でも」
「遠慮すんな。お前に俺は結構偉そうなこと言ったからな。中途半端にはしねぇよ。ちゃんと、お前が自分の人生の中で最も愛したいものを見つけるまで、支えてやる」
瑚「……」
感謝を伝えていいのだろうか。
ここで感謝を伝えたら、私は彼の提案を受け入れ、彼に相当の苦労をかけることになる。何の関係もない、ただ自殺しようとしてただけの私に、お金と時間を使わせてしまうことになる。それでいいのだろうか。
「このままだと私は、相当彼に迷惑をかける事になるのではないだろうか。なら、断ったほうが良いのか…?」
そう。断ったほうが………。…え?
瑚「えぇっ!?な、なんで私の考えてることを…」
「はは、正解?どうせ、そんなこと考えてんだろ?もうお前の頭の中、ぜーんぶわかっちゃうから」
瑚「な…っ」
「ここで意地はっても帰る場所ねえんだろ?頼れるやついねぇんだろ?じゃあもう、お前に残された選択肢は2つしかねぇじゃん。ここで死ぬか、俺に賭けてみるか。どうだ?どっちがいい?」
瑚「……」
死にたい。死にたかった。消えたかった。
だけど、このまま死んじゃうなんて嫌だ、と思う自分も確かにいた。
千花という頼れる人はいるけど、千花ばかりに負担をかけさせるのも申し訳ない。どうすれば……。
死ぬ?それとも、差し伸べられた見知らぬ人の手を取る?
瑚「…ッ」
私は、どっちを選びたい?
「……」
瑚「…私は」
「私は?」
瑚「……貴方に、賭ける」
やけになって絞り出した答えは、これだった。
そして彼の手を、そっと取る。それを見て彼は嫌な顔をするどころか、楽しそうに笑った。
「お?俺に賭けてみるか?賭けちゃうか?」
瑚「…はい」
「おっけー!じゃあ、お前の賭けに期待できるようなことができるよう頑張ってやるよ。よろしくな」
瑚「はい…あの、よろしくお願いします。色々ご迷惑をおかけしますが、いつか絶対恩返ししますので」
「あーそういうのいらない。見返り求めてやってるわけじゃねぇし、お前が人生かけて大切にしたいものを見つけられたら、それで俺は十分嬉しいんだからな」
瑚「…なんで、そんな優しいんですか?優しくできるんですか」
「えー、なんでだろうな。俺そんな優しくねえから、覚悟しとけよ。…あ、脅しじゃないからね?そこは安心しろ」
瑚「えと…」
「俺は片山葵。myosotis街の警官だ」
瑚「片山…さん。警官なんですか」
片「見た目でわかるだろ?俺は警官、人なんて殺さねぇよ。んで、お前の名前は?」
瑚「えっと、私は……杉江、瑚菜津です」
片「杉江…瑚菜津?……瑚菜津ね。りょーかい」
瑚「え、呼び捨て…?」
片「嫌か?それとも、短いほうがいい?”こな”とか”こ”とか?」
瑚「いえ、瑚菜津で大丈夫です」
片「りょ。じゃあこれからよろしくな」
瑚「お願いします」
目の前の初対面の彼と、当たり前のようにここまでコミュニケーションが取れていることに驚きつつ、私はほっと胸を撫で下ろす。
少しの時間だけかもしれないけど、自分の居場所ができた。
その事実に喜びを抱えていた時。
「おーい、片山ー!!」
片山さんより少し高い男声が響いた。
瑚「っ?!」
片「おお、康介。おい瑚菜津、こいつのことビビんなくていいよ。こいつヒョロヒョロで弱いし馬鹿だから」
「誰が馬鹿だオラー!」
片「黙ってろ!瑚菜津、こいつ俺の相棒。寿賀康介っていうらしい。仲良くしてやって」
寿「らしいって、お前元から知ってるだろ!こんばんは、瑚菜津…さん?だよね。俺、この自己中心的クソウザ警官・片山の相棒、寿賀康介です。よろしくお願いします」
片「お前家ついたらタックルするから。覚悟しといて」
寿「やだぁ〜」
片「拒否権なーし」
寿「ひどくね?不平等〜」
瑚「あの……」
片「あ、俺とこいつは同居してんの。んで、瑚菜津は俺が借りてる家に住んでもらうわ」
瑚「え…?」
片「俺等2人の家の隣だから安心しろ。あと新築だしそこそこ綺麗で広いぞ?2LDKだった気がする」
瑚「そっそんなところ、住まさせてもらっていいんですか!?」
片「ああ。さ、行くぞ」
さっそうと立ち上がり、いつの間にか下がっていた夕日をバックに歩き出した彼を、私は必死に追いかけた。そんな私の後ろを、寿賀さんが優しい言葉をかけながらゆっくりと着いてきてくれる。
人を信じきれるわけじゃない。
片山さんのこと、寿賀さんのことを完全に信じたわけじゃない。彼らだって、もしかしたら人を殺したことがあるかもしれない。
けど、今だけは頼ってみよう。
この頼れる背中について行ってみよう。それでもし裏切られたり捨てられたりしたら、死ねばいい。もうとっくに、死ぬ覚悟はできている。もし、彼の言う通り、命をかけて大切にしたいものができたら、それに命をかけて果てよう。いずれにせよ、死ぬのは変わらないから。
今はただ、この嬉しさに身を任せよう。
彼は、こう言ってくれた。
”大切にしたいものがあるといいな”…じゃなくて、
片「…瑚菜津の大切にしたいもの、見つかるといいな」
私が大切にするべきものは、この世界にすでに”ある”。
そう、言ってくれた。
瑚「…はい。見つかるといいなぁ」
屈強で、でも優しげな背中の隣に立った私は、これまで出してきた声の中で、一番澄んだ声で言った。
片「……絶対、見つかるさ」




