【君のぞ】black tulips I
black tulips Ⅰ
心
(物語の初めや、場面の切り替わりの際に出てくる下の名前は、「これからこの人からの視点になりますよ」という合図です!No sideの場合は第三者視点になります!!)
「は、はぁっ…」
ガタッという、重いものが床にぶつかる音が夜空に響く。
目の前で倒れた肉体が、赤い液体をいたるところから流しながら、力なくその場に座り込んだ。
荒ぶった自分の呼吸を整えつつ、その肉体に手を触れると、そこにまだ体温が残っているのを確認できる。私は背負っていたリュックの中からナイフを取り出すと、そんな生暖かい肉体に刃を入れ込んだ。
人の体だったものを解体しながら、私は無表情のまま考える。
私は今…何をしているんだろう。何のために、こんなことをしているのだろう。なんのために、これを……。
すべてが、わからない。私のことなのに、わからない。
心「ねえ。私って、なんだと思う?」
すでに事切れている死体に問いかけながら、刃を思い切り引く。その途端、鮮血が勢いよく吹き出した。その血を動じることなく全身に浴びながら、フッと力なく笑う。
心「わかんないよね。なーんも」
嘘だ。本当は分かっている。自分が今なんでこんなことをして、なんでこんな人間になってしまったのか、なんて。
というか、きっとそれは私しか知らない。だから私の、自虐と快感でぐちゃぐちゃになった感情を剥き出しにした笑みを向けられたこれは、きっと困惑しているだろう。自分でも、そう分かる。
乾いたココロに久しぶりに蘇った感情を抑え込みながら、私は死体の解体をスムーズにこなした。
私の名前は会塚心。
どこにでもいる20代の女。本当はそうなるはずだった。
6年前にあんな悲劇が起きなければ。
無事に死体を解体し、見るも無惨な光景を作り出した時。
「…おい。なんか異臭がしないか」
「……ほんとだ。明らかにゴミとかの匂いじゃない」
「着いてこい。もしかしたらあいつかもしれないぞ」
深夜の闇に包まれた誰もいない路地裏に、突然男の声が響いた。その声を聞き、思わずヒュッと呼吸を止める。
奴らはきっと警察だ。逃げなければいけない。ここにいて捕まったら、私のココロはきっと直されてしまうだろうから。きっとすべてが、悪い方向に向かっていってしまうだろうから。
カンが働き、私はリュックを背負うと暗い夜道を駆け出した。
その時。
「おい!あいつあそこから出てきたぞ!」
「うわっ、これ死体だ…。あそこを走ってるやつを追え!もしかしたら、あいつが犯人かもしれない」
力強く野太い声が辺り一帯に鳴り響く。
しまった。どうやら彼らに、私の姿を確認されてしまったみたいだ。響き渡る言葉を聞く限り、私が今追われているということが十分にわかる。
「うわぁ!?」
「この死体、解体されている…間違いない。これは”奴”の仕業だ!あいつを止めろ!」
「おぅっ!!」
心「ッ…!」
ひときわ低い、大きな声が空気を揺さぶった。私は足を必死に動かしてその場から走り去ろうとする。リュックの重さも足の重さも全て忘れて、ただ目の前に広がる闇に飛び込んで駆ける。
逃げるのは得意だ。けれどいつもはあまり見つかることがないから、不穏に胸が震えてしまう。
「逃がすものか」
そんな私から遠く離れた後ろの方で、地を這うように低い声が落ちた。
その声が耳に届くと同時に、大きな破裂音が響く。
そして、
心「ッ…!?」
脇腹に鋭く熱い痛みを感じた。
「えっ!?」
「――さん!拳銃を安易に使用しては…」
「構わない。後から叱りを受けるだけだ。奴を絶対に逃がすな」
背後で交わされている会話と腹部に訪れた熱さから、自分が今撃たれたということは容易にわかった。
本気で、警察に追われている。とてもまずい。不都合だ。
心「ぃ……嫌…ッ」
こういう致命傷を負ったときは先に傷の手当をしたいのだが、それは叶わなさそうだ。鋭い痛みは見て見ぬふりをして、とにかくこの場から遠いところに行かなくてはいけない。
足の速さと体の丈夫さには、それなりに自信がある。とはいえ、逃げ切れるだろうか…。
何度目かわからない発砲音を聞きながら、私はなんとか警察官たちを巻いて暗い商店街にたどり着く。
心「はあっ、ぁ……ゴホッ」
何度撃たれたんだろう。とてもお腹が痛いし、足も動かない。うまく足に力が入らず、がくんと膝を曲げるとその場に倒れ込んだ。あまりにだらしない姿を晒している。今が夜で本当に良かった。
地面の冷たさが体に伝わると同時に、吐き気の塊が喉を這い上がってくる。既に満身創痍な私の体に、勢いよく上ってくる熱く苦い塊を体内に押し戻す力なんて、とうに存在しない。私はそれを外に吐き出した。
心「ウッ…はぁ……はぁっ…」
目の前に広がった、赤みがかった吐瀉物を見ながら私は考えを巡らす。
また警察が来るかもしれない。逃げなきゃいけない。捕まってしまったら、もうこの私に戻れなくなってしまう。それだけは嫌だ。そうわかってるのに、脳に命令を出しているはずなのに、起き上がれない。
視界の端の地面が、赤く濡れ始めた。きっと、私の血だ。
このままじゃ絶対死ぬなぁ…。
でも、もう何もできない。する気力も起きない。
むしろ、この今の世界から逃れることができるなら……狭くて暗い場所に閉じ込められるくらいなら、このまま果ててもよいのではないかと思ってしまう。このまま終わってしまえば…、それは私が一番望んだ結末じゃないのだろうか。
目を閉じても、走馬灯は見えない。走馬灯として蘇るような、素敵な過去を持ち合わせていないことに…胸が少し痛む。持ってない訳では無いけど、そんな素敵な過去を思い出せなくなった過去も同様に持っているせいで、きっと何も蘇ってこないんだろう。
そんな苦しい生活ももう終わりだ。これで死ねるんだ。
腹あたりの痛い熱さを、むしろ寒い時にギュッと握ったカイロのような、心地よい温かさのように感じながら、意識を少しずつ手放す。
そっと自分の意識を、流れ出る己の血液に溶かしていくように。
その時。
「あの…!大丈夫ですか!?」
緊迫した、けれどどこか柔らかい声が、頭上から降ってきた。それと同時に体を両脇から掴まれ、軽く持ち上げられた。
視界がくるくると回り、商店街の天井を捉えて止まる。
そして同じ視界の中に、人の顔らしきものが現れた。暗くてよく見えないけれど、なんとなく男の人っぽい。男の人に抱かれながら、仰向けで寝転がっている。そんな状況だ。
この人も警察の人だろうか。さっきの人だったら、もしかしたら私の正体がバレているのかもしれない。このままどこかに連行されるのかもしれない。
その恐怖に苛まれたまま、彼の顔に必死に焦点を合わせようとする。
「聞こえますか?聞こえるのなら、一回頷いてみてください」
優しくて早口な声に従い、一回そっと頷く。それを見た彼はホッとしたように短く息を吐くと、また口を開いた。
「よかった。俺の家が近くにあるのでお連れしますね。治療します」
想定外の言葉が、耳に届いた。
私を家に連れて行く?治療する?どちらもそれは、私のことを匿うということに直結する行為だった。そんなこと、絶対あってはならない。この人のためにも、絶対に。
申し訳無さと少しばかりの恐怖によって、体に力が入る。床に片手をおいて力を入れ、必死に立ち上がると声を張り上げた。
心「大丈夫です。1人で、歩けます」
「えっ…待って」
自分でもおかしく感じてしまうようなかすれ声をひねり出しながら彼に背を向ける。そして顔を顰めつつ、その顔を見られないように俯きながら、一歩床を踏みしめようとした時。
心「うッ?!」
後ろから自分の胸を思い切り突き刺されたような…体の自由をすべて奪うほどの痛みを感じ、その場に倒れるように座り込んだ。
心「ゲホゲホッ…!」
「大丈夫、大丈夫。ゆっくり深呼吸して」
重い鉄の味が喉から込み上がってきて、勢いよくむせてしまう。こんな状態では、何かから逃れることなんてできない。
そんな私の横に懲りずにしゃがみ込んだ男の人は、私の背中を擦りながら変わらず柔い声をかけてくる。
「無理なさらないでください。ご自身が思っているより大怪我をしてますよ。大人しく俺の家に来てください」
心「いやっ…大丈夫です。流石に、そこまで…は……」
「こんな小さな街の中で意地はっても、無駄ですよ。みんながみんなを助け合おうとするんですから」
心「助け……ぁ…?」
「いいから、ほら」
男の人に促され、私は震える手を彼の肩にかけた。そのまま、彼は私の体を軽々と持ち上げる。そして何もいうことができないまま、しっかり背負われてしまった。
人の体温から来る温もりを感じながら、彼の凛とした声を聞く。
「少しだけ、我慢してくださいね」
心「……は、い」
何も言うことができないなんて、当たり前だった。あっという間の出来事だったし、私自身もう、返事をすることすら苦しかったのだから。
この人に体を預けてしまって本当に良かったのか、この人が何者で、なにか裏に目的があるのかどうかも、何もわからない。もしかしたら彼は、凄く悪いことを企んでいるかもしれない。
けれど。わからなくて、よかった。
久しぶりに人に心配されて、それがただただ…嬉しかった。
「……ふぅ。よしっ。これで大丈夫」
ベットに座り込んだ私の足にきつく包帯を縛り付けると、彼は笑みを浮かべる。
「完了〜。お疲れさま」
心「あの……」
「あ、完全に大丈夫ってわけじゃないですけどね。お腹に銃弾がかすった痕が複数あったので、動くのも寝るのもきついと思います」
心「…」
「足の怪我は、まあ完治するのにあまり時間はかからないと思いますよ。お薬はいくらでも出すので、安心してください」
心「す、すいません。あの…」
「ん?」
心「なんで見知らぬ私のことを……こんな、私なんかを…」
”なんで私を助けたんですか。”
そんな言葉が喉まで這い上がってきたが、必死に飲み込んだ。こんな言葉を投げかけられても、彼は困るだけだろう。今は、まだ。
というか、そもそも深夜の路上で血だらけでぶっ倒れている女の人に簡単に声をかけて助けるなんて、どんな神経をしているんだ。この人は。普通警察に突き出すか、逃げ出すかのどちらかじゃないのだろうか。なのにこの人はあろうことか、第三の選択肢である”助ける”を選んだ。
彼は私のかすれた声を聞くと、きょとんとした顔をした。長い前髪と眼鏡でよく見えなかった彼の目が、こちらを向くのが見える。
「なんでって…当たり前じゃないですか。困ってる人がいたなら、誰であったとしても助けますよ」
心「え、でも…血だらけの女が倒れてて、普通近寄りますか……?襲われるかもしれないし、殺されるかもしれないんですよ」
「うーん…確かに?」
心「ほら……」
「まあ、そういう時はそういう時です!」
心「え?」
あまりの彼の軽快で簡単な返答に、私は思わず声を漏らす。
よく見ると彼の表情にも、楽しげな笑みが広がっていた。まるでゲームの攻略を楽しむ子供のように。
「襲われないかもしれないじゃないですか。実際、貴方は襲ってこなかったし」
心「え…そんなもの、ですか」
「ええ。それに、俺はこの街唯一の医者なんです。怪我とかしてる人がいたら、絶対助けますよ」
心「……お医者さん?」
「はい。俺は鷹野和輝。医者です」
私の命の恩人であり、何かと優しい彼は”鷹野和輝”と名乗った。
鷹野さんの名前を復唱すると、彼の瞳がどこか嬉しげに揺れる。
心「鷹野…和輝、さん」
鷹「そうです。これから、よろしくお願いします」
心「……え?これから…?」
鷹「貴方のその怪我とお腹の様子じゃ、運動はおろか移動も難しいでしょ。thlips街唯一の医者として、俺が貴方の生活を支えますよ」
心「えっ。え…」
鷹「あれ、嫌でしたか?」
心「いや、そんな滅相もない!ただ、私みたいなのを匿うなんて…あまりに申し訳ないと言うか」
鷹「そんな事言わなくていいんですよ。このまま我関せずといった顔で帰す方が、俺からしても申し訳ないし」
心「そ、そんなことは…」
鷹「…あ、でも……。明日から出張…とかそういう事情があったり、家に帰ったりする必要がある場合なら考えますけど。それこそ、道を教えていただければ、お宅まで送ります」
心「ぁ…」
鷹「そうそう、ご家族にも伝えないとですし」
”家”。”家族”。
その言葉が頭に届いた時、私は無意識のうちに硬い声を出していた。
心「ないです」
鷹「……ぇ?」
家、家族。日常生活にいっぱい溢れているような、ありきたりな言葉。
その言葉に私は、過剰に反応してしまった。私の中には存在しない、記憶から忘却したい言葉だったから。
鷹野さんは急に低い声を出した私を見て、驚いたように言葉を止める。
心「私には家族も家もないです。帰る場所も、帰りを待ってくれる人も何もいないし、ない。私がいられる空間は、この世界の…どこにもないんです」
鷹「え…」
心「私が存在することを認めてくれる人間も、どこにもいない。いないし、…いい。いらない。家族なんて。家族、なんて」
鷹「……」
心「…ッあ」
家族なんて、と言葉を小さく繰り返していると、周りの空気の温度が少しずつ下がっていくような、そんな嫌な感覚を覚えた。我に返って前を見ると、鷹野さんが静かに私を見つめている。
絶対に戸惑わせてるし、なんなら引かれたかもしれない。怒らせたかもしれない。これはいけないと思って、急いで謝罪の言葉を連ねる。
心「ッ!あ、すいません!なんか変なことばかり言っちゃって…あの、すいません……すいません」
鷹「謝らなくていいんですよ。人それぞれ、色々ありますからね。俺 だって色々あるし」
心「すいません…ありがとうございます」
鷹「…それに、人間。いますよ」
心「え?」
そう言うと彼は、急に真面目な顔をして私の方に向き直った。
鷹「貴方を認める人間」
心「え……」
鷹「簡単に言っていいのか、少しわかんないんですけど」
少し困ったかのように微笑んだ彼は、白い指で頭を搔く。逡巡しているのか一度口を真一文字に結んだ。
しかしその閉ざされた口を開いて、彼は言った。
鷹「少なくとも俺は、貴方のことを心配するし助けようと思う。だから、貴方を認める人間はこの世界にいますよ」
当たり前のように、彼はそう言った。
ほんとに当たり前のよう、当然のように…でも、ココロから真剣に。
心「……」
鷹「…こんなことを見知らぬ人間に言われても、信じられないって思うかもしれませんけど」
そう言って鷹野さんは照れたように、そして少し困ったように言葉を紡ぐ。その言葉を向けられた私は、そんな彼に気を使って言葉をかけることもせずに、自分のココロの中で様々な感情や言葉を反芻していた。
心「……信、じ…」
冷たく積もっていく意識を放置して、私は静かに俯く。
”あの出来事”から、私は人の言うことを信じられなくなっていた。
この世界には、たくさんの優しい言葉が転がっている。甘い言葉が転がっている。でも、その素敵な匂いに誘われて迂闊に信じると、隠されていた苦みとかが、一気に体中を駆け巡り始める。
そんな話の流れが当たり前だと、信じ込んでいた。そんなオチは周りの人にはもしかしたら訪れないのかもしれないけど、私にはそのオチしか訪れない。それが当たり前…むしろ、それでいいとすら思っていた。
…だけど。
心「……嘘じゃ、ないですか」
鷹「えっ?」
心「今言ったこと……。いや、言ってくださったこと。それって全部、私に向けてくださったものですか」
鷹「もちろん。貴方以外、いませんよ」
心「……そう、ですか」
今は、そんな考えが頭に浮かんでこなかった。
数年ぶりに、人の温かさに触れてみようと思った。そう、思えた。これまで頼っていた冷たくて恐ろしいものじゃなくて、生きている温かいものにすがりたい。きっと、少しだけならばこの人も、そんなわたしのわがままを許してくれるはず。
本当にこれでいいのか、わからない。分からなくて当たり前だと思った。きっと、これで良いことはない。
だけど、今ばかりは許されても良いんじゃないか。
だから。
心「……心、です」
鷹「こころ?」
心「会塚、心です。よろしくお願いします」
鷹「心さん…。こちらこそよろしくお願いします」
心「ッ!」
鷹「一応ちゃんとした医者としての実力はあるはずだから、安心して」
心「あ…ありがとうございますッ」
急いで下げていた顔を上げると、目の前で笑う鷹野さんの目が見えた。
軽く揺れた、茶色がかった前髪の間から。
青色のシンプルな眼鏡の、レンズ越しに。
心「ッ…!」
そこから見えた目も、ちゃんと笑ってた。
これが、”ココロからの笑み”なのだろうか。私が死ぬまでにもう一度見たかった、人間が発することのできる笑みなのだろうか。
心「…ふふっ」
鷹「え?なんか俺、顔についてます?」
心「いえ…ちょっと嬉しくて」
なんて、素敵で優しいものなんだろう。




