23-4
古谷は、エトをその手にそっと掴むと、誰もが見ている中で堂々逃亡を図った。
行き先など考えず、がむしゃらに足を動かす。とにかく、ここから逃げ出すことだけを考えた。
というのも、彼に残された時間が少ないからだ。胸の結晶体の点滅はもう秒読みとでも言わんばかりに点滅を速めている。ゴーレムのままでいられるうちに、なるべく距離を稼がなければならなかった。
しかし、そう長くは続かなかった。間もなくすると限界が訪れて、古谷は膝をつく。そのまま岩石の体は無数の瓦礫となって崩壊した。
ギリギリまで変身していたからだろう。両手をつき、荒く息を吐いている古谷。そこにエトが言う。
「平気?」
「ああ、何とか。それよりも追っ手は?」
「まだみたい」エトは首を振る。「もしかしたら、もう一度戦闘にもつれ込んだのかも」
ありうることだった。両陣営がゴーレムという戦力を失ったことで、もう理不尽なまでの戦力差はない。
敵陣営側が、本拠地を破壊されて町がボロボロの状態の今こそ責め時と見て戦闘を再開することは大いに考えられた。
「なら、もう少し時間はかかるか」
「油断はできないけどね」
「まぁな」
「でもとりあえずは少し休もっか」
「俺なら大丈夫だ」
「駄目だよ。消耗してるんだからしっかり休まないと」
「だが、そんなこと言ってる場合じゃあ」
「いいから。いざという時は、フルヤが頼りなんだから」
「……それもそうか」
「うん、それにこの二人のこともあるしね」
そう言って、彼女はまだ意識を失っている二人へと視線を落とす。一人はゴーレムの変身者。もう一人はそれに巻き込まれる形で一緒に変身したマーフォーク。
古谷が手に抱えたまま、連れてきてしまったのだった。
「悪い、無我夢中で」
「一応、聞いておくけど人質というつもりじゃないんだよね?」
「いや、うっかりしてだけだ」
「だよね。フルヤならきっとそうだと思った」
「どういう意味?」
うっかり屋さんと言いたいのか、人質を取るような非道な真似はしないと言いたいのか。
ともあれ。
「あそこに行ってみようか」エトが指差す。
その方向は、一見すると城のような豪奢の作りになっている建物だった。
「誰かいるんじゃないか?」古谷が問う。
「いや、多分大丈夫だと思うけどね」エトは知ったようなことを言う。
何か検討でもついているのか、古谷は彼女を信じて付き従うことにした。
気を失っている二人に関しては、今の古谷の力を持ってすれば背負うことなど全然苦にならなかった。浮力のおかげもあったのかもしれない。
道すがらエトにこれまでの経緯を語る。
他所の町からの侵攻。その最前線にはゴーレムがいたこと。古谷は戦わされ、おそらく相手のゴーレムも同様なこと。
それから相手のゴーレムが窮地に陥った際、近くにいたマーフォークを巻き込む形で変身したこと。
エトはさして驚いた様子もなく、「なるほど」と言った。
「私たちと同じことが起こったんだね」
一緒に変身したことについて言及しているらしい。
「え、いや、まぁそうだが。その前に」
「何?」
「事情、知っていたのか?」
「私が閉じ込められている間、何もしてないと思ったの? 心外だなぁ。これでも自分なりに情報を集めて推測を立ててたんだよ」
「そ、そうか」
エトは推理力に優れている。僅かな情報からでも全貌を掴むことができるので、かなりの精度で事情に通じていたと思って差し支えないだろう。
「でも、フルヤも大胆なことしたね」
「何がだ?」
「建物壊して私を探そうだなんて」
「それ以外に思いつかなくて」
「妙に振動が大きいから何事かと思ったよ」
「だが、察しがついたんだろ?」
「うん。ただ暴れてるだけならもっと大々的に壊しているだろうし、これは多分何かの意図があってのことだなって。で、誰がそれをして得をするのかって考えてみたの」
「さすがだな」
「へへ」エトは得意げに笑う。「で、話を戻すけどさ」
「何だっけ?」
「ゴーレムと一緒に変身した件だよ」
「ああ、それか。多分身体接触が条件かと思うんだ」
「その時も、体の一部が触れてたんだ」
「ああ。マーフォークが変身者を確保していて、抱え込むようにしていたんだ」
二人が変身する際も、だいたい手を繋いで変身する。初めて一緒に変身した際にそうしていたので、それが慣例となっていただけだが、改めて考えればそういうことなのだろう。ただ近くにいたというだけでは巻き込まれない。
「で」エトは言う。「本来できないはずの連続変身を成し遂げた」
「おそらく、命の危険が迫ったからじゃなかと思うんだ」
「本能的に? それとも力が自発的に発現した?」
「いや、どっちだろうなぁ……。そういや、俺が初めて変身した時も同じだったのかもしれん。今にして思えばだが」
あの時は、瓦礫に押しつぶされそうになっていた子供を庇い、次の瞬間にはゴーレムになっていた。いつも踏むようなプロセスで巨人になったわけではない。
しかし、エトにとってはその情報はあまり関心がないらしく、独り言ちるように呟いていた。
「後者だった場合、力に意思があるってことになるのかな? じゃあゴーレムとして覚醒したらその意思はどこに行くの?」
割り込むような隙もないほど思考に没頭している様子だったので、古谷はとりあえずそのままにしていると、やがて目的地へと辿り着く。
「どこかで見たことあるような……」古谷は呟く。
しかし、この町に来るのは初めてだ。
「どこも似たような作りなんでしょ」エトはやはりわかったように言う。「さ、入ろっか」
「あ、ああ」
が、一歩足を踏み入れると、どことなく違和感を覚えた。淀んだ水、仄かに漂う腐臭。
「……やっぱりやめとこうか」エトがすぐさま足を止めて言う。
「だが、せっかくここまで来たんだし」
「でも様子が変だし……」
「元からそういう場所なのかもしれない」
「それはないよ……」
「なんでそう言い切れるんだよ。それに、逆に隠れるならもってこいじゃないか?」
「……まぁ、前向きに考えればそうかもね」
エトは渋々納得を示した。周囲に他の建物はなかったし、今にも追っ手が迫ってきている可能性だってある。別の隠れ場所を見つけることができないまま、追っ手に見つかればいよいよ休んでいる場合じゃない。
「仕方ないよね」背に腹は代えられない、とでも言わんばかり。「元はと言えば、私が言い出したことだし」
奥へと進む。進むにつれて、段々と腐臭が強くなっていった。
「何の匂いだ? ……こっちの方からだな」古谷は何気なくその方へと足を向ける。
「あ、ちょっとそっちはいかない方が」エトが引き留める間もなかった。
そこは薄暗い一室だった。三方の壁にブロック状の棚が据え付けられているだけの簡素な部屋。
しかし、そこら中に何かが漂っている。
半透明の、クラゲのようなものが無数に。
古谷は何気なく一つ手に取ってみる。丸みを帯びたボウル状で、縁は破かれたかのように不揃い。ただギザギザしているというだけでなく、ある部分は突出していたり、ある部分は深い切れ込みのようになっていたり。
球体の一部を強引に引きちぎれば、こうなるだろうなというものだった。
裏返して中を覗きこめば、何か小さな赤黒い物体がこびりついていた。
「何だこれ?」
「ね、ねぇ」エトが声を掛けてくる。「もう行こうよ」
「行くったって、どこに……」
次第に暗闇に目が慣れてきた。徐々に部屋の光景が鮮明になるにつれて、古谷の記憶を刺激する。
かつてマーフォークの町に訪れた際、品性を疑うくらいけばけばしいピンクに包まれた施設があった。そこは見かけ上はラブホテルのようだが、実態は人魚たちが産み落とした卵の保管所だ。
他所の町からやってきたものを誘い、そこに受精させる。それが圧倒的男性不足である種族としての生存戦略だった。
しかし今やそれはなりを潜めて、地味な佇まいになっている。
そして、中にあった卵たちは見るも無残に全てが割られていた。
「何だよ、これ……」
「おそらく」薄々察していたエトは言う。「マーフォークたちが全部潰したんだよ」
「何のために」
「この町ではマーマイトは処刑されている。それと同じ理由だよ」
「同じって」
「純血種の産まれる可能性を排除したんだよ」
*
薄気味の悪い場所だったが、かといって他に行く当てもない。隠れる場所としてももってこいなので利用しない手はない。
ただ、元卵の保管部屋だけは避けた。とてもではないが、まともな精神で居座ることはできない。
そんなわけで一向は、各部屋の扉が連なる廊下に座り込んだ。採光用の窓より姿勢を低く、なるべく人目にはつかないように。
しばらく二人の間には沈黙が流れていたが、間もなくしてエトが破った。
「少しだけ休んだら行こっか」
「あ、ああ」
「町から離れれば追うのは難しくなってくると思うんだよね」反応の鈍い古谷に気を遣い、彼女は一人喋る。「マーフォーク族は海底の亀裂から差し込む明かりを中心にして町を形成するから、海底の暗さに適用できるほど目がいいわけじゃない。きっと撒けるよ」
「……そうだな」
「それで、その二人はどうする?」
「二人? ああ、そうか」
ゴーレムの変身者と、それに巻き込まれたマーフォークのことだ。未だに目を覚まさない。
「どうしようか。放っておくこともできないし」
ゴーレムの変身者は当然置いていくことはできない。そんなことすればまたマーフォークに囚われて、薬漬けにされて戦わされる羽目になる。
一緒に変身したマーフォークも放置するのは躊躇われた。ただでさえ巻き込まれる形でゴーレムに成り代わり、変身者の精神状態の影響も受けている。目を覚ます気配がないことも加味して、どういう状況なのか把握してからにしたかった。
もし同じく精神に異常をきたしているようなら、適切な処置を施す必要が出てくる。
散々なことをしてきたいけ好かない連中の一人であるが、かといって捨て置くのは後味が悪い。
「そうだね」そんな彼の心情を察して、エトは言った。「もし悪い影響がありそうなら、カーさんのところに行こっか」
彼女は、個人で病人を見ているドラゴニュートの名前を出す。
「ああ、そうしよう」古谷は同意した。
が、そんな雰囲気も束の間。どこからか、くつくつと笑い声が聞こえてくる。押し殺すような、それでいて堪え切れないといったようなものだ。
二人が視線を向けると、連れてきていたマーフォークの一人が小刻みに体を揺らしている。
その視線を感じたからか、彼女は口を開いた。
「まったくおめでたい連中だ。こんな奴らに我々の命運を託すなど、初めからどうかしていたんだ」
「ずっと、起きていたのか」古谷が問う。
しかし返事を受け取るよりも早く、エトは言う。
「逃げるよ!」
「え?」
「早く!」
「何をそんな慌ててるんだ」
「忘れたの? マーフォークは特定の周波数で遠くの同族とコミュニケーションが取れるんだよ? 起きていたのに拘わらず、ずっと寝たふりをしていたってことは」
「居場所を伝えられた?」
「今更気づいても遅い!」マーフォークが割り込む。「もう間もなく仲間がやってくる。巨人の力がないなら、お前らなんて我らの敵ではない!」
「くっ!」
古谷は動き出す。まだ目を覚まさないゴーレムの変身者を確保しようと手を伸ばした。
だが、その手前でマーフォークに掻っ攫われる。
「こいつは我々が頂く。お前の代わりにな」
「そんなことさせるか!」
駆けだそうとしたところで、横やりが入る。文字通り、眼前に三又の槍の先が突き出されたのだ。
見れば、マーフォークの軍勢が窓の外に控えていた。
まさに絶体絶命だった。あそこまで滅茶苦茶にして逃亡を図ったのだから、まず生かしてはおかないだろう。
ゴーレムの力もまだ使えないので、窮地を脱出するには自力でやるしかない。
(いや? 待てよ)古谷は思う。(命が脅かされれば、俺もまたゴーレムになるんじゃないのか?)
しかし、それを試す度胸はない。
万が一の保険にするとして、とりあえずは生身で何とかするしかない。
幸いにして、ゴーレムの力の恩恵で身体能力が増強している。
(やれるだけ足掻いてやる!)
そう内心で意気込んだ時だった。
「んんっ」
ゴーレムの変身者が目を覚ました。
誰もの意識がそちらへ向く。驚きと、警戒心からだ。
彼を抱えているマーフォークなんかは、小さく毒づいていた。
「ちっ、面倒なタイミングで」
しかし、変身者はまだ半覚醒状態といったところで、周囲の光景をぼんやりと眺めていた。
それを好機と見たのか、彼を抱えていたマーフォークは再び眠らせようとする。用意なんて何もないので実力行使だ。首を絞め、無理矢理昏睡させようとしていた。
「やめろ!」
ただでさえ体力を消耗しているのだから、それ以上は命に係わる。仮にゴーレムに変身したとしても同じだろう。本来、危険だから連続変身が封じられているだろうからだ。
だが、そんなことを気にかけているものは古谷とエトだけだった。マーフォークたちはむしろそれ推奨しているかのようで、駆けつけようとする古谷の行く手を阻む。
そうしている間にも、変身者は無抵抗にも呼吸を浅くしていく。やがて眠るように目を閉じた。
その時だった。
彼を中心にまたも光が発生した。やがてそれは目も眩むほどの大きさとなって辺りを包み込む。
そして、次の瞬間には建物が崩落した。屋根を突き抜けるようにして、岩塊の巨人が立ちあがったのだった。
しかし、どうも様子がおかしい。
変身早々、既に胸の結晶体は点滅しているし。
(うぅ……)呻き声をあげている。
案の定、体が連続変身に耐えられていないのだった。このまま放置すれば、死んでしまうかもしれない。
(でも、どうすれば)
もちろん、戦うわけにはいかない。かといって、他に方策など浮かばない。
第一、まだゴーレムに変身できないのだ。打つ手がなさすぎる。
そう思った時だった。ゴーレムはマーフォークの群れに手を伸ばしたかと思うと、まとめて鷲掴みにする。
(な、何をする気だ)
ゴーレムは手の中でもがくマーフォークたちなど気にもかけず、結晶体に近づける。すると、次の瞬間にはマーフォークたちの姿は消えた。
「え?」
まるで結晶体に吸収されたように見えた。
それはさながら。
「捕食、しているみたい」
エトが呟いた。




