23-1
純血種の襲来により文明の崩壊した町、マルイズエ。
そこを後にした二人の次なる行き先は、海の上だった。
「もし、あの町の惨状がシオンさんのせいならさ」エトは地図を広げながら言った。「ここに行けば何かわかると思うんだよね」
そう言って指差したのは一つの地下都市。かつてダンピールの原種であるヴァンパイアが住んでいたとされる町だ。
人間族と血が交じり合い太陽の光を克服したので遺棄されたのだが、シオンはそこを我が物としていて、実験場だったり、実験に使うものの倉庫として便利に使っていたりする。
種族同士の関わりが断絶される前に作成されたその地図には、当時のあらゆる種族の住処が描かれていた。
「だが、シオンのせいと決まったわけじゃあないんだろ?」古谷は言う。
「それはそうだけどさ、確認くらいしてもいいかなって。違うなら違うでいいし」
「それもそうか」
それに、もし彼女の予想通りマルイズエの町が魔獣の楽園と化したのがシオンのせいなら、ゴンドーたちの戦いは徒労に終わる。無限に復活する魔獣を相手に、ただ疲弊していくだけだ。
さすがにそれは見過ごせない。
しかし、問題はその場所だった。
「さて、どうやって行こうか」
そこは完全に島となっていた。地下がどうなっているかまではわからないが、少なくとも陸地から行くには海を渡る必要が出てくる。
だが、幸いにしてマルイズエは港町だった。貿易など久しくしていないが、まだ使えそうな船が一隻くらいはあるだろう。
そういうわけで早速、探してみると比較的状態のいい小舟が見つかった。二人乗るくらいがせいぜいの代物だ。
だが、大きな船にしても二人で動かすのは大変だ。これくらいがちょうどいいのかもしれない。目指すべき島も肉眼で目視できるくらいなので、無謀と言うほどではないだろう。
そう思っていたのだが。
「いや、これ」古谷はオールを動かしながらぼやく。「日が暮れちまうんじゃねぇか?」
船が進む速さを計算に入れてなかったのだった。
風向きも悪い。横殴りにするような風が吹いており、いちいち方向修正を余儀なくされる。
おかげで遅々として進まず、日はもう真上にまで登っているのにも拘らず、島はまだまだ遠くにあった。
「あ、あとちょっとだよ」エトが気休めを言う。
「全然そうは見えん」
しかし、航行の一番つらいところは中断ができないということだ。もう少し大きい船ならば船内で一泊も考えられたが、この小舟ではそれも難しい。
かといって引き返せばまた振り出しだし、結局、何が何でも今日中に島に辿り着くよりほかなかった。
古谷はゴーレムの力の恩恵で身体能力が底上げされているからこその強行でもある。並みの人間ならば、とっくに潰れていたとしてもおかしくない。
そんなわけでエトが応援する傍らで、古谷が一人でえっちらほっちら漕いでいると、不意にすぐ傍の水面が飛沫を立てた。
「え?」
出てきたのは一本の手だ。それが小舟の縁を掴むと、そのまま引きずり込むように舟を傾けていった。
まさに一瞬の出来事。古谷とエトは何が起こったのかを正しく認識する前に、海中へと投げ出されてしまった。
覚悟も何もないままだったので、口から鼻から水が入り込んでくる。二人は必死に、半ば本能的に酸素を求めて水面へと上がろうとした。
しかし、それを阻む手が伸びてくる。複数本の手が二人の体を捉えると、海底に向かって下へ下へと引きずり込んでいく。
古谷だけならば危機を脱するのは容易い。ゴーレムに変身してさえしまえば、呼吸の心配はなくなる。
しかしエトはそうはいかない。
最悪、ゴーレムに変身して暴れちらかしてしまおうかとも思ったが、水流でエトをどこかへ流してしまうかもしれない。
それでも背に腹は代えられないかと、彼を捉える腕を強引に振り解こうとしたが。
「余計なことはするな」耳元で言われる。「でなくちゃ、連れ合いがどうなるか保証はできない」
つられてエトを見る。彼女の体を捉えていたのは二人のマーフォークだった。
ヒレを思わせる先の尖った耳。下半身は鱗に覆われており、尾ひれへと続いている。
古谷には三人ものマーフォークが付いており、逃がすまいと血眼になって押さえつけてくる。必死に海底へと鎮めようとしていたのだった。
(いったいなんで!)
マーフォークと言えば、比較的人間族には友好的な種族だ。というのもマーフォーク族のほとんどはマーメイドと呼ばれる女性性で、男性性のマーマイトは数百人に一人しか生まれない。
繁殖するには当然そのマーマイトの存在が必要不可欠なのだが、一人で数百人を相手にするのは限度がある。そのため繁殖期を迎えたマーメイドは産卵をすると、他種族を招き入れて受精してもらう。
そうして、自らの遺伝子を受け継いでいくのだった。
だが、その友好的なはずのマーフォークが他者の命も省みず強引に引きずり込んでいく。
果たして殺してしまおうという魂胆か、それとも別の意図か。問おうにも、声は出せない。
仕方がないので、されるがままにされるしかなかった。
やがて海底へと辿り着く。海底の亀裂から緑の光が差し込んでくる種族特有の町並みが見えてきた。
その町でも一層立派に作られた神殿のようなものへと連れられていった二人は、その入り口で地面に伏せられるように押さえつけられる。
息は限界だった。頭痛もしてきた。一刻でも早く呼吸をしてしなくては死んでしまう。
そんな中で悠長に、おそらく一人のマーメイドが現れる。
肉付きの悪い、随分と年を食ったマーメイドだった。
「よくやった」
老婆が労いの言葉を掛けると、ここまで連れてきたマーメイドたちは頭を垂れた。
それから老婆は、古谷に言う。
「あんたには選択肢がある。今ここで溺死するか、あたしらに迎合するか。もし後者を選ぶなら、これを」
そう言って差し出されたのは丸薬だった。
まるで土団子のようなそれはよっぽど強く固められているのだろう、水中にあるにもかかわらず形を崩さない。
「これを飲めば、呼吸ができるようになる」
その説明に一も二もなく飛びついた。一口で飲み込む。
「エトにも!」
すぐさまそう訴えると、老婆は鷹揚に頷いた。それから同じようにして傍らにいたマーメイドに頷くと、伝言ゲームのようにエトの傍らにいたマーメイドに頷く。
そうして懐から丸薬を取り出すと、エトに含ませる。
彼女はほとんど意識がない状態だった。が、マーメイドに介助される形で咀嚼し、ゆっくりと飲み込んでいく。
間もなくすると苦しそうに歪んでいた顔は緩み、やがて眠っているように穏やかな顔つきになる。
ひとまず、難は去ったようだ。
「目的はなんだ」
安堵も束の間、古谷は険しい顔つきで老成したマーマイトを睨んだ。
「先も言った通りさ、あたしたちに迎合しな」
「迎合?」
「そうさ。今からここをあんたの終の住処とし、一生を過ごしてもらう」
「悪い、何を言ってるかさっぱりだ」
そう告げると、老婆は呆れたように溜め息を吐いた。
「察しの悪い男だね。あんたのその力を使って、あたしらを守れと言っているのさ」
「守るって、いったい何から」
「脅威からに決まっているだろ」
「脅威って何だ。具体的に言え」
「いったい誰に口を聞いてるんだい? この海で、あんたがあたしたちに敵うと思っているのかい?」
「質問に答えろ」
「全く、躾のなってない男だね。……まぁいい、教えてやるさ。つい数か月前、この海に怪物が生まれた」
「怪物……純血種か」
「そういうのかい? 詳しくは知らないが、とにかくめちゃくちゃヤバい奴さ。そいつはあたしたちマーフォークを襲いに襲った。しばらくの間、この海は悲鳴と助けを求める声で溢れたのさ」
マーフォークには特殊な音波で遠くの同族とコミュニケーションを取る能力がある。純血種に襲われたマーフォークがそれを用いて、助けを乞うていたということも古谷は知っていた。
その結果に起こったことも。
「多くの同族はノイローゼに陥り、自殺した」老婆は吐き捨てるように言った。「全く、馬鹿なもんさ。自ら命を捨てるなんざ」
かつての人魚の町で訪れた際に知り合った、セラというマーメイドも集団自殺を図ったものの一人だった。
幸いにして彼女は一命をとりとめて、個人で怪我人などを保護しているもののもとで療養している。
「どういうわけか、それはぷっつりと消えたわけだけど」老婆は話を続ける。「またいつ起こるとも知れない。で、原因の究明したところ、どうやら子供の中にその化け物が紛れていたっていうじゃないか。そこで、今やマーフォーク族の中じゃあそれに対抗できる力を保有するってのがトレンドなのさ」
「トレンドって」
「つまり、あんたのことさ」
「俺の力のことはどこで知った」
「見させてもらったさ。あんたが力を使うところを」
どうやらマルイズエの町にいる間、監視されていたらしい。
「要するに自分たちじゃあどうしようもできないから、他所から防衛力を見繕うってことか。素直に助けてくれとは言えないのか?」
「安い挑発だね。だけど生憎様、こっちは命がけなのさ。手段なんか選んじゃいられないよ」
「代表はなんて言ってる」
「代表はあたしさ」
「何言ってる? マーフォークは代々、マーマイトが長を務めるんだろ?」
「そんな奴はとっくのとうに処刑したさ」
「処刑?」
「当たり前じゃないか。あんな連中がいるから子が生まれる。謂わば、化け物の元凶じゃないか」
「殺したのか? マーマイトだからというだけで?」
「どこも似たようなことをやってるって噂だよ」
さも当然のように言い捨てる老婆に、古谷は二の句が継げなくなった。
それを会話の切れ目と見た老婆は、「連れていきな」とマーメイドたちに命じた。
「安心しな。あたしらは客人を丁重に持て成す主義さ」
そう言い残して、去っていく。
古谷は追い縋る気にすらなれなかった。無抵抗のまま、マーメイドたちに連れられて行く。
*
老婆の言葉に嘘はなかった。
てっきり扱いなんて奴隷同然で独房か何かに閉じ込められるものとばかり思っていたが、意に反して普通の部屋に押し込められることとなった。
貝殻のベッドに、机や物入。以前別の人魚の町に訪れた時、宿屋に世話になったがそこの一室とそう代わり映えしないように感じられる。
せいぜい外鍵で内側から開錠不可能なことくらいが敷いてあげる不満だ。
それから。
「エトは無事なのか」当然、彼女とは別々にされることとなった。
言うことを聞かせるため、人質とする魂胆なのだろう。
「貴様に知る権利はない」問われた見張りは突き放すように言う。
そう簡単には教えてくれないだろうとは思っていた。
だけれど、せめて彼女が目を覚ましたかどうかくらいは知りたかった。
しかし懇願しても無駄だろう。古谷は脅してみる。
「少しでも手を出してみろ。お前ら全員生かしておかないからな」
「おお、そいつは怖い」
「証明してみろ」
「は?」
「まだエトが無事であると証明しろ。さもなくば、今ここで叩き潰す」
だが返ってくるのは嘲笑だけだった。
「なら、試してみるんだな」
*
閉じ込められてからというもの、どれくらいの時が経っただろう。
初めの頃は食事の回数からそれとなく割り出せるかと思っていたが、差し入れられる時間帯が不定期になっていると気づいてから考えるのを止めた。
おそらく、向こうもそれを狙ってのことだろう。
考える機会が減ると思考が鈍化していく。思考が鈍化すると感情が麻痺していく。
自分でも驚くくらい自然と、この状況を受け入れつつあった。
そんなある日のことだった。
不意に扉が開いたかと思ったら、例の老婆が立っていた。
「出番だよ」
「出番?」
「何寝ぼけてるんだい。ただ飯ぐらいはお断りだよ」
わけも分からないうちから連れられて行く。
そうして、引き連れられてきたのは神殿の外だった。
「あれは……」
まだまだ遥か先、茫洋とだが何かが見える。
だが、そのシルエットは見間違えようもない。何より胸に灯る青白い光は幾度となく目にしてきた。
「他所の町が攻めてきたのさ」
「どうして」
「化け物を生み出されちゃ困るからだろうさ」
「だが、どこでも対策してるんだろ」
「はっ! そんな言葉信じるほど、あたしたちはお人好しじゃない」
「……俺にどうしろって言うんだ」
「決まってるさ」老婆は言った。「戦いな。そして、あたしたちを守るんだよ」




