20-2
戦いを終えて戻ってきたレン。未だ打ちのめされている様子の古谷は、部屋の扉を開けて現れたその姿を、どこか眩しそうに見つめた。
「何だよ、その顔」町を救った英雄は、照れ臭そうに言う。
「いや」対する古谷は、卑屈そうに視線を逸らした。
が、そんな感情を気取られたくないからか、こう切り出した。
「倒したんだな」
誰をかなんて、言わずもがな。
「ああ」レンもわかりきったことを尋ねるような真似はしなかった。
「これで、よかったんだよな」
「さぁな。これで救われた奴もいるかもしれないし、救われなかった奴もいるかもしれん。古谷の言う通りだ」
「慰めはいい」
「……何イラついてんだ」
そう言われ、古谷はすぐに気が萎んだ。
「悪い、そんなつもりじゃなかったんだ。ただ」
「ただ?」
「俺は何もできなかった。モラゴの町でも結局決断もできないまま、何もかも最悪な結果に終わっちまった。人間も、亜人種も、どっちも守る。一度はそう決めたはずなのに」
もちろん、言うほど簡単ではいかないことはわかっていた。自分の身の丈には余るということも。
でも、そうしたいと思った。力あるものとしての宿命だとか、ゴーレムの使命に対しての反骨精神だとか、そういったまどろっこしい理由はない。
誰かの悲劇は見たくなくて、ゴーレムの力を使えばそれができそうだった。ただそれだけのことだ。
しかし今の自分を見てみればどうだ。うじうじと悩みまくるだけで何もせず、結局レンに全てを解決してもらった。
考えれば考えるほど、情けないことこの上ない。古谷は我知らず、膝の上の拳を強く握りこんでいた。
そんな彼をどう見たのか、レンは一つ溜め息を吐くと、彼の隣にどっかりと胡坐をかいた。そうして、こう告げる。
「言ったよな、お前らしいよって」
「え、いつ」
「ワーウルフの純血種と対峙した時だよ。結局こうなっちまったって謝るお前に、そう言ったよな?」
古谷は眉間に皺を寄せる。
「あ、覚えてないのね。オッケー、オッケー」レンは一つ咳払いをして、気を取り直す。「ま、ともかくだ。俺はすげぇらしいと思った」
「……馬鹿にしてんのか」
「ちっげぇよ。今の流れでどうしてそう思うんだよ。確かに古谷は他人の顔を伺い過ぎるきらいがある。すぐに他人に同情して、何とかできないかなんて考えちまう」
「まぁ」不貞腐れた声で言った。
図星だったので、渋々認めた形だ。
「だがそれは」レンは続ける。「お前の優しさでもあるんじゃないか?」
「優しさ」
「そうだ。誰も彼もがハッピーエンドなんつーのは無理難題だけど、それをひたすらに追い続けるお前みたいな馬鹿、俺は嫌いじゃない」
「レン……」
「その結果、何もできなくなるっつーなら」拳を突き出す。「俺が力を貸してやる。お前は一人じゃない」
古谷はしばらく彼のことを見つめていたが、やがて顔を伏せると応じるようにして拳を突き合わせた。そして、こう告げる。
「……やっぱり馬鹿にしてんじゃねぇか」
*
エトはどうしたらいいのかわからなくなっていた。
言いたいことはたくさんあったし、聞きたいこともたくさんある。だけれど、その前に再会を喜ぶべきなのかもしれない。あるいは、泣き出した方がいいのか。
感情と理性とが混濁し、話すことすらままならない。十三年前の姿とまるで変わらない父の前で、彼女は呆然と立ち尽くしていた。
「久しぶりだな、エト」やがて父の方から話し出す。「大きくなった」
「う、うん」
「こんなところで立ち話もなんだ。移動しよう」
唯々諾々と従った。瓦礫の町並みで、後をついて行く。
あれだけ遠くに感じられた父の背中が、すぐ目の前にあった。どれだけ追いかけても一向に追いつくことのなかったものが、今は手を伸ばせばあっさりと届きそうなほどの距離にある。
あるいはこれは、シオンに盛られた薬によって見せられた幻覚なのではないか。そんな疑念を抱き、試しに手を伸ばしてみる。
掴めそうになったその瞬間、全てが霧となって消えるのではないかと思われたが、憂いとは裏腹に手が届く。その小さな手が、服をくしゃりと握った。
「どうした? エト」父が振り返り、優しげな声を投げかける。
そうしてようやく、彼女は父の存在を知覚できた。
「お父さん……」
「なんだ?」
「お父さん! お父さんだ!」ついつい何度も呼びかけて、飛び込むようにして抱き着く。
それを受け止めた彼。
「おいおい、どうしたんだ。もう大人だと思ったのに」
「いーの!」エトは甘えた口調で言う。「いつまでもお父さんの子であることには変わりはないんだから!」
「困った子だ」などと言いつつも、まんざらではなさそう。
かくして、親子はしめやかに再会を祝したのだった。
*
「どうして、この町にいたの? っていうか前、グエンキレの町でも見かけたんだけど、あれもお父さん? それに年も取ってないよう見えるし……っていうか、今までどうして手紙一つくれなかったのさ!」
エトは矢継ぎ早に言う。
場所を変えた後のことだった。と言っても、二度に渡って騒動のあったこの町に落ち着ける場所は少ない。もちろん、また時間が立てばチラホラと町人が姿を見せ始めるだろうが、それでも一番被害の大きいこの辺りにまでは来ないだろう。夜風を凌ぐには、さすがに風通しが良すぎた。
しかし今の二人にはそんなこと気にもならなかった。適当な廃墟に潜り込むと、中はまだいくらか原型を留めている。食卓を挟む形で、椅子に腰を下ろした。
食事中に慌てて逃げ出したようで、辺りには食べ物が散乱していた。机の上はもちろん床にもぶちまけられており、壊された元この家のものだった木片や戦闘の衝撃で飛び込んできた土とが入り混じっている。
だが、それらもまた気にした様子なく、二人は会話を交わしていた。
「待った、待ってくれ。いっぺんに言われても答えられないって」
「そ、そうだよね、ごめん」と、折れそうになったエト。
が、よくよく考えてみれば悪いのは父の方だ。長い歳月音沙汰なしでいたというのに、未だ謝罪の一つもないまま。それでいて、まるで何気ない風にふらりと姿を現した。
これで怒らないでいられる方が無理というものだ。
「って、なんで私が謝らなきゃいけないのさ!」すんでところで、気を持ち直す。「悪いのはお父さんの方でしょ!」
「それはわかってるよ」あっさりと認めると、机に両手をついて頭を下げた。「長い間、一人にして悪かった」
「お父さん……」あまりにも物分かりが好かったので、エトは却って自分が悪いことをしてしまったような気になった。「ううん、大丈夫」
その言葉を聞き届けると、父はようやく顔を上げた。相好を崩す。
「それにしても本当に大きくなったな。見違えるようだ」
「そうかな」
「ああ、もうすっかり大人だ。いい人はいないのか?」
「い、いい人?」予想外の話の流れに素っ頓狂な声が出てしまう。
「エトも、もうそういうのを考える年だろう。いや、少し遅いくらいか?」
「それは、そうかもしれないけど」
「けど?」
「ちょっとそれどころじゃないというか」
「そうなのか?」
「今はいろいろ立て込んでて」
「そうなのか」
しばしの間、正直に話すかどうか迷った。純血種とゴーレムの生存をかけた戦いは、あまりにもスケールが大きく、久しぶりに再会した肉親と話す内容としてはふさわしくないように感じられたからだ。
「……今ね、ある人と旅をしてるの」だけど、結局話すことにした。
ここで隠し事をして余計な壁を作りたくないという願いからだった。
「旅?」
「うん、私がここにいるのも、そのおかげ。で、その人はやりたいことがあって、私はその手伝いをしようって思って」
「同行を申し出たのか」
「うん、そんな感じ」
「なら、その人に挨拶をしないとな。これまで娘がお世話になったんだから」
「それは……今はちょっとできないというか」
「どうしてだ?」
「離れ離れになっちゃって」
「生き別れになっちゃったのか。この町の騒動が原因で?」
「いや、それは関係ない。なんていうのかな、気持ちのすれ違いというか」
「そうなのか。……込み入った事情があるのはわかった。それで、エトはどうしようと思っているんだ?」
「再会したいと思ってる。でも、ちょっと怖くはあるの」
「怖い?」
「会って、何を言えばいいのかわからないままだから。また拒絶されたら、どうすればいいんだろうって……」
「それは難しい問題だな」
「ねぇ、お父さん」
「何だい?」
「お父さんは、もうどこにも行かない?」
「ああ、行かないよ。ずっと傍にいる」
「そっか……。なら、もういいかな」
「諦めるのかい?」
「何だか疲れちゃったし」
「そうか、エトがそう言うなら止めない。これからはずっと一緒にいよう」
「うん……」エトは顔を俯かせた。
ずっと、ずっとほしい言葉だった。十三年前に彼女の前から去っていってからと言うもの、遠のいていく背中が頭の片隅にこびりついて離れなかった。一度も振り返ってくれることはなく、その瞬間、父から自分と言う存在が消えてしまったのだと感じとった。
死して尚、愛するものの心の中で生き続けることを「生」と呼ぶのなら、愛するものから忘れられてしまったら例え生きていても「死」と同義だろう。それが唯一の肉親ともなれば、猶更だ。
エトは父に去られてしまったその時から、自分が概念的な死を遂げたと思ったのだった。だからこそ未だ肉体が生きていることに妙なズレを感じてしまい、希死念慮のようなものを抱くに至る。自らの命すらも厭わず、森の湖畔に住むようになった。
でも運よく生き続けた。幾度と死ぬかもしれないような目にもあったが、それを乗り越えて今ここにいる。
それもこれも、この瞬間のためだったのかもしれない。どれだけ自分は概念的死を遂げたなどと物分かりのいいふうに言ってみたって、その実、心の奥底ではこれを望んでいたのかもしれない。
もう一度、父と生きていくことを。
積年の願いが今、現実になろうとしている。それは長いこと抑え込んでいた感情と一緒くたになって、込み上げてきた。
「うん……うん……」何度も頷きながら、涙を零す。「そうだね。これから、ずっと……」
そのようにして俯き、感情に呑まれていたので彼女は気づかなかった。
目の前にいる男の冷たい視線に。




