20-1
レンとクライカの戦いを、宿屋の窓から眺めていた古谷。それが決着を迎えると、徐々に顔を俯かせた。
戦闘の余波で清々しいほどの青空が広がっている。そこから差し込む日差しが古谷のもとにまで届いており、俯かせた彼の顔により濃い影を作った。
表情はわからない。しかし、膝の上に握られた拳が感情を物語っていた。
(レン、お前はどこまでもカッコいいよ……)古谷は思う。
これがアルドの言っている生き様なのかどうかはわからない。ただ、迷う素振りすらなく戦い抜く姿を見てどこまで格好いいと感じてしまった。
全く論理的じゃない。いくら格好つけたところで何の足しにもならないし、見栄と言われればそれまでだ。
だが、どうしようもなくその姿が眩しかった。
どうせいつか果てる命なら、格好よく終わる方がいい。エトの故郷であるラムーベでエルフの純血種に立ち向かった時や、そもそも異世界へと転生するきっかけになった轢かれかけた子供を助けた時でさえ、そんな思いがなかったとは言い切れない。
それを偽善と糾弾する者もいるだろう。
古谷も古谷で、やらぬ善よりやる偽善などと使い古された言葉を吐くつもりもない。
ただ単に、理屈ではない感情が彼の心を揺さぶっていた。
今回の一件で一つだけわかったことがある。絶対的に正しいことなんて、この世にはない。
トゾーガが町を存命させるためにとった政策が結果的に非道なものに取って代わったのも、それに縋るしかないので心を殺している亜人種の住人も、逆にそれを許せないながら暴れることが関の山のクライカも、その全ての気持ちがわからないではなかった。
誰しもにも自分なりの理屈というのがあって、それがそれなりに正しいと思えてしまう。
だからこそ、わからなくなる。一方を立てればもう一方が立たず。トゾーガの町を潰そうとしたクライカの行動はもちろん根本的な解決にならないが、やはり救われるものだっていただろう。そのため、それを食い止めたレンの行動が正しかったかとも言い切れない。
つまるところ、どれだけ考えたって正解はないということだ。乱暴な考え方をするなら、何をしたところで間違っているとも言える。
レンは、クライカの所業に関しては一つも気にかけていなかった。あくまでも自分のために彼を追っていたに過ぎない。もちろん、放置はできないという思いもあったにはあったのだが、それはついでだっただろう。
誰の顔色を窺うでもないその信念。利己的とも言える一方、だからこそ自分を見失ったりしない。
(それに引き換え、俺は……)
*
戦いを見届けていたのは何も彼だけではなかった。
二体の巨人の戦闘の最中、遠巻きにするようにして一軒の家屋の上に彼女はいる。被害にあわないよう悲鳴を上げて逃げていく町人たちには一瞥することすらなく、ただひたすら退屈そうにゴーレムたちの戦いを見つめていた。
「やはり現れないのねぇ」シオンは間延びした呟きを漏らす。
期待半分で来てみたはいいものの、思っていたような結果は得られなかったようだ。
「肝いりの彼がいないと駄目ってこと?」
普段は何でもかんでも見透かしたような態度を取っているというのに、今は珍しく困惑している様子だった。
というのも、こうして彼女が巨人同士の戦いを眺めるのは二回目だからだ。
一回目は昨日。クライカが突如としてトゾーガの町に現れて、対抗するために古谷が立ち向かった。その時にも、シオンは戦いを遠巻きにしていた。
しかし、その時にも期待していた結果は得られなかった。そのことを思い出し、彼女は首を振る。
「そういうわけでもないのよね……わからないわ」
それから、視線をすぐ横に向ける。そこにはこの騒ぎであるのにも拘わらず、ぐっすりと眠りこけている青髪の少女がいる。状況には似つかわしくなく、安らかな寝息を立て、心地よさそうな寝顔を浮かべていた。
そんなエトの頬を指先で撫でるようにしながら、シオンは言った。伸びた爪でうっかり肌を傷つけないよう、実に慎重な手つきで。
「それにしても彼も現れなかったわね。どうしてかしら?」
当然、返答はない。しかしそんなことお構いなしに、それからもしばらく寝顔を見つめていたが、やがてそれまでしゃがませていた体を立ち上がらせる。
それから、先ほどまでの慈しむかのような雰囲気とは打って変わって、おもむろに頭を鷲掴みにし出す。そのまま片手にぶら下げるように屋根の縁まで歩いていくと、エトを掴んでいる方の腕を突き出した。
「……まぁ、どうでもいいのだけれど」
そう告げて自らの片手だけに支えられた小さな体を、冷酷な目で見つめる。
彼女が手を離せば、地面へとまっ逆さまだ。家屋一軒分の高さなので確実に死亡するかどうかは絶妙なところだが、意識がないとなれば受け身も取れないのでその確率はぐんと高くなる。
たった一本の腕で生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているのに、エトが目を覚ます気配はまるでなかった。
そのまま数秒の時が流れた。今はまだ戦闘の最中なので、断続的な振動がやってくる。意図せずとも、うっかり手を離してしまってもおかしくはなかった。
が、最悪の事態は訪れなかった。やがてシオンは呆れたように溜め息を吐くと、腕を引いたからだ。
その傍らでレンが光線を放っていた。クライカがそれを食らい、光に包まれていく。
シオンは一人の男の最後を、冷めた目で見届けていた。
エトは、そんな彼女の腕の中で赤子のようにすやすや眠りこけていたのだった。
*
目を覚ましたのはそれから数時間後のことだった。
辺りは真っ暗だったので一瞬、自分が本当に目を開けたのか疑わしかった。しかし瞼に違和感もない。目が慣れてくるとうっすらと暗闇の奥の景色も見えてきたので、眼球だけが抉り取られているということもないようだ。そんな状態で瞼を開けられるのかどうかは不明だが。
ともあれ、異常はないようだ。目以外も言わずもがな。
(そうか、私)徐々にはっきりしてきた頭でエトは思う。(シオンさんに眠らされて)
それから、どうしたのだろうか。これまでずっと眠りこけていた彼女に、その間何があったかなどわからない。もちろん、説明してくれるものもいない。
何にせよ、わざわざ眠らしてきたということは目的あってのことだろう。もっとも考えられる可能性は人質。が、そうでなくとも囮役を買って出るつもりでいた。それはシオンも承知の上だっただろう。
だというのにも拘わらず薬を盛った。眠っていた方が囮感があるからなどとかいう演出目的ではないだろう。土壇場になって拒否される可能性か、あるいは予想外の行動に出て計画が台無しになる可能性のどちらかを嫌がったのか。
(いや)
シオンはそもそも、古谷には興味を持っていない。未だに名前を憶えていないことからそれは察せられる。
だというのに、エトに協力を申し出てさえ彼の存在を求めた。
(もしかしたら、フルヤも中継地点だったのかもしれない。私と同じように)
では、本当の目的はどこにあるのか。
自らの命を付け狙うジュンに対しての牽制であるならば、エトでも十分だ。むしろゴーレムになる力を持たない分、御しやすい。
残る可能性は。
(ゴーストだ)
以前から古谷にやたら付きまとっているという存在。エトからしてみれば、文献などに度々名前が出てくるので噂程度には知っているが実態はようとして知れず、依然として謎の存在という認識だ。なぜ古谷の周りをウロチョロしているのかも知らない。実際は彼だけには限らないということも。
とにかく、シオンはゴーストと接触したいから古谷を追っている。だが、彼もゴーレムになれるから一筋縄でいかず、エトで言うことを聞かせたい。そういう目論見だったのだろう。
確かに結果的にはwin-winの関係だろう。再会を果たすことはできる。が、ゴーストが絡むとなるのはあまりいい気がしなかった。
エッバグーサの町での一件で相当に陰湿で卑劣な性格であることを知っているし、エトが置いて行かれるきっかけともなったモラゴの町での戦闘でも古谷はひどく取り乱した様子だった。シオンが何をしようとしているにせよ、二人を引き合わせるのはよくない。
(逃げよう)
幸いにして拘束されていない。どうやらベッドの上に寝かされているだけのようだった。
自身の現在地もわからないが、そんなことで臆している場合じゃない。とにかく、シオンから手から逃れなくてはならない。でなくては、人質を取っているのをいいことに古谷に何をさせるかわかったものではない。
そもそも、シオンに協力しようということからして間違いだった。いくら再会を望んでいるからと言ったって、よりにもよって一番手を貸してはいけない相手に靡いてしまった。一度は警戒心を抱いていたはずなのに、まんまと心の隙を付け入られてしまった。
(どうかしていた)
反省し、今更ながら自らの軟弱さを嘆く。そんな自省もそこそこに、ベッドを抜け出した彼女は外へと繰り出した。
広がっていたのは廃墟同然の町並み。振り返ってみてみれば、自分が今しがた出てきた家屋も半壊している。他とは違い芸術的に破壊されていて、地面から屋根に向かってほとんど対角線状に抉られている。屋根だけは形を残していて、奇跡的なバランスで保っている状態だった。
だが、いつ倒壊していたとしてもおかしくない。中でのんびりし続けていたら生き埋めになっていた可能性は大いにあっただろう。
エトはいよいよ見切りをつけて、すっかりと夜の更けた町を駆けだした。
初めはここがどこかわからなかったが、進んでいくとどこか見慣れた光景があることに気づく。走る傍らで記憶を探り続けると、間もなく思い至った。
そこはトゾーガの町だった。
が、彼女が訪れた時と比べてすっかり荒廃した様子。自分がどのくらい眠らされていたのか気になった。
思えば、おぼろげながら追加で薬が投与されていたような覚えがある。半分も覚醒していない状態だったので、痛みも何も感じなかった。あるいは夢か思われたが、こうなってくるとどうやら現実の出来事だったらしい。
何があったかは概ね予想できる。これだけ広範囲で破壊行為が行われるのは、魔獣が純血種かゴーレム同士の戦闘だけだ。地震などの天変地異によるものならば一区画だけが被害にあうなんてことはあり得ないし、町民による暴動にしては人気がなさすぎる。
何が戦ったかまでは正確なところはわからない。クライカか、あるいは野生の魔獣か。だが少なくとも片方には古谷がいるはずだ。
(まだ近くにいるかもしれない)
エトは自らが逃走中であることすら忘れて、彼の存在を探し出した。
もっと彼女は慎重になるべきだっただろう。そもそも、なぜこうもあっさりと逃げ出すことができたのかということから。
しかし、それもこれも昏睡状態が続いていたということが原因の一つに挙げられる。まだ薬が抜けきっていないことに加えて、寝ている間ほとんど飲み食いをしていないので全く頭が回っていなかったのだった。
もちろん、体力的にも厳しいものだったので、すぐに底がついた。駆けていた足が徐々に縺れていく。膝をつくまでしなかったのは、ほとんど気力によるものでしかなかった。
そうして、余計に思考が鈍くなっていく最中、不意に人影を視界の端に捉える。
(誰?)
あるいは古谷かと思い、足を止めてじっくりと見定める。中々焦点の合わない視線が、やがて鮮明になっていくと、そこには予期しない人物が立っていた。
「嘘……」思わず、呟く。
そこにはあったのは、十三年前にラムーベの町で生き別れとなった父だった。当時の姿のままで。




