18-4
「いくら好奇心が強いからと言っても、ああいうところに一人で行くのは感心しないわ」
シオンは言った。
路地裏にて彼女から助け出されたすぐ後だった。そのままの足で宿屋へと引き返すと、まるで朝食をやり直すかのように席に着く。
「サラダとパンにしようかしら? エトちゃんは?」
「え? 私ですか?」
「ええ、お腹空いてないかしら?」
「うーん」
どちらかと言われれば空いている寄りだ。食べるには食べたが大変な目にあったこともあり、助かった今や安心感も相俟って空腹感を覚えていた。
だいたい、今は時間的に遅めの昼食だ。
「じゃあ、せっかくなので」
エトも軽く食べることにした。
それにしてもシオンが至ってヘルシーな食物を選んだこと意外だった。ダンピールなので、直接的に血液とまでは言わずとも、血の滴るステーキくらいは食べるものと思っていたからだ。
ともあれ、注文の品が揃ってからシオンが先のように切り出したのだった。
「そういうんじゃないんです」エトは言い返す。
「あら、そうでもないのに用があったの?」
「そう言われると語弊が生まれる気がしますが」と、言い添える。「フルヤを見かけたんです」
「彼だって男よ、そういう日もあるわ」
「……やはり、そうなんですかね」
さっき路地裏で絡んできた男の目つきを思い出す。あの欲望に滾らせた目を、古谷もしているのかと思うと気落ちした。
知らない一面を垣間見たような気がする。再び彼のことがわからなくなってきた。
すっかり閉口してしまった彼女をどう見たのか、シオンは一つ嘆息すると告げる。
「本当に彼だったという保証はないんじゃない? 見間違いと言うこともあるわ」
「……ですかね」
形ばかりの気休めだったが、効果があった。他でもないエト自身がそう思いたいという願望のおかげだった。
そうして微かに気を取り直したので、そっと昼食にありつき始める。彼女が頼んだのは、果実を絞ったジュースと煮豆だけだ。
それを見てシオンは俄かに微笑むと自らも食べ始めた。
そのまま沈黙のまま食事は続いたが、やがて冷静になったエトが気まずさに耐えかねたのか口を開く。
「どうして、助けてくれたんですか?」
「曲がりなりにも協力関係にあるわけだから、助けるのはそうおかしなことではないように思うけれど?」
「いえ、それではなくてもっと前の話です」
「前?」
「ドレステンの町が焼失する際、酸欠を起こした私を助けてくれたのはシオンさんですよね?」
あの時、怪我人などを有志で保護しているカーというドラゴニュートから、救出者はダンピールだったと聞いている。状況的に見て彼女で間違いないはずだ。
しかし単刀直入に尋ねて、素直な答えが返ってくるかどうか。てっきり白を切られるとばかり思っていたものだから。
「そうよ」あっさりと事実を認めたことに却って驚いた。
あまりにも平然と答えるものだから、しばらく言葉を失う。
「どうして、黙っているの?」と問われて、ようやく口が利けるようになったくらいだ。
「ごめんなさい、そんなすぐに認めるとは思わなかったので」
「私をどう思っているのよ」呆れたように言うシオン。
「……わかりません」エトもまた、素直に答えることにした。
魔獣や人を平気で犠牲にする実験を繰り返し、命を命とも思わないのかと思いきや、自分のことは助ける。いったい何を考えているのだろうか。
「シオンさんの目的はなんですか?」
などと単刀直入に尋ねてみたって、今度も素直に答えてくれるとは限らない。それどころか、それっぽいことを言って煙に巻かれる可能性だってある。
なので。
「シオンさんは新しい魔獣を作ろうとしているんですか?」もう少し具体的な事柄から問いただすことにした。
かつて抱いた疑問だ。地下都市で見た縫合痕生々しいキメラ魔獣や、不死の魔獣。それから孵化するかのように現れた黒い魔獣。いわゆる「中の人」。
エトはそれらの事実から、そう推理したのだった。
「どうして、そう思うのかしら?」
「どうしてって……魔獣を愛でるような感じでもなかったですし」
「そうね、飼いたいとは微塵も思ってないわ」
「微塵も、ですか」
「エトちゃん、私はね。永遠の命が欲しいのよ」
「永遠の命って、ダンピールは元から死なないんじゃあないですか?」
長寿のハーフエルフ。寿命が尽きても転生してまた赤子からやり直すドラゴニュート。それから不老のダンピール。
それら三つの種族は、誰が呼んだか上位種に位置付けられていた。
「ただ年を取らないだけよ」シオンは訂正する。「病気にはなるし、殺そうとすれば殺すことは可能だわ」
「それは……まぁ」
でなくては、ジュンの復讐は全て無意味ということになってしまう。
「それに」それまでと一転して、どこか寂しげな笑みを浮かべる。「私だけ生きていたってしょうがないじゃない」
「……それって、どういう意味ですか?」その変わりように、エトは恐る恐る探りを入れてみた。
が、彼女はその真意には触れなかった。
「例えばだけれど、エトちゃんがうっかり命を落としてしまったとする」
「うっかり」
「そこで私はこう言うの。私は命を二つ持ってきた、そのうちの一つをあげようってね」
「命を新たなに生成して、固形化するってことですか? そんなことが本当に可能だと?」
「たとえ話よ。……エトちゃんは、魔獣が結晶体から生み出されているということは知っているかしら?」
「ええ。何でも一体が亡くなれば、補填されるように一体生み出されるって」
「その通りよ。肝心なのは、そうして生み出された個体は全て同一の遺伝子を持っているということ。言い換えればこれは、結晶体が本体とも言えるわ」
「もしかして……」
「相変わらず察しがいいわね、やっぱりエトちゃんは賢いわ」
せっかくお褒めに預かったが、エトはあまり嬉しい気持ちにはなれなかった。というのも彼女の推理はあまり気のいいものではなく、それを肯定されてしまったからだ。
「私はね、こう考えたの」シオンは言った。「結晶体に一人の人間の遺伝子情報を上書き出来たら、それはもう永遠の命を得たとは言えないかしらって。いくら肉体が滅んでも、本体は結晶体。いくらでも再生成すればいいわ」
「でも、それじゃあ人間とは呼べないんじゃあ……」
「生身の肉体に拘ることないじゃない。それが生命の可能性を狭めているとは思えないかしら?」
「それで、魔獣で実験を繰り返していたんですか?」エトは問いかける。
言いたいことが山ほどあるので、とりあえず哲学的議論は置いておくことにした。
「その通り。でも頭打ちね」
「頭打ち?」
「どうやっても結晶体の情報は上書きできそうにないとわかったからよ。どれだけ魔獣同士を繋ぎ合わせても、不死にしてみても、結晶体はその情報を保存しない。これは謂わば、肉体を再生成する度に記憶がリセットされるようなもの。それじゃあ、時間が止まってしまっているのも同然だわ」
「ドレステンの町の人々を一人残らず実験台にしたのは?」
「さっきの実験の一環で、魔獣には寄生虫を取りつかせたのよ。そうして脳を乗っ取らせた結果、できたのが不死の魔獣というわけ。でも、それはやがて中で成長を遂げて孵化したわ」
「それが、あの黒い魔獣ですか」
「そうよ。でも、あれは副産物だったの。本来は後で解剖して寄生虫だけを取り出して、魔獣の体内で何を得たのかを調べるつもりだった」
「何か、わかったんですか」ついつい気になって、話を中断してまで問いかける。
すると、シオンは俄かに微笑んで言った。「やっぱ、エトちゃんは好奇心旺盛ね」
「あ、いえ」
「いいわよ、教えてあげる。何もよ」
「何も? 何もわからなかったんですか?」
「そうね、そう表現した方が正しいのかもしれない。少なくとも、私は何もわからなかったわ。魔獣の体は至って普通なのよ。私たちや、そこらの野生生物と体組成は全く同じ」
「でも、ジュンさんは生物として一般的な機能を備えておきながらそれを活用できないって。神経がおかしいとかって言っていたような……」
「それは間違いないわね。でも、おそらく脳の問題よ。……無理なのよ、脳は構造が複雑すぎて解析できないの」
「そう、なんですか」
「話を戻すわね。私は魔獣に寄生させると大きく成長することを知ったの。では、人ではどうなるのか。それを調べてみたくなったわけ」
「それで、寄生させたんですか」
そうしてできたのがドレステンの町で一瞬だけ襲われかけた、ゾンビのような人々というわけだ。
が、それも全て絶命した。
「どうやら肉体が耐えられないみたいね。魔獣に取りつかせても、状況が再現される魔獣と、そうでない魔獣とに分類されたわ」
「つまり、あの黒い魔獣が生まれるには条件があるってことですか?」
「そういうことになるわね。人間でもそうなのかと思って、何人も試してしまったわ」
などと自らのお茶目ぶりと述懐するかのようだが、やっていることの惨たらしい以外の何物でもない。
エトが不快さに眉間に皺を寄せると、シオンはさらに言った。
「これでも少し期待していたの」
「期待?」
「もし人間でも同様のことが起きたら、孵化した方はどちらなのだろうって」
「どちら?」
「虫なのか、それとも人なのか」
「……そんなの寄生虫に決まってるじゃないですか」
「わからないじゃない。現に魔獣から生まれた個体は、生まれたその時点で戦う術を身につけていた。虫ではなく、極めて魔獣に近い存在になっていたのよ」
「でも根本は変わりません。仮に寄生虫が宿主の記憶を引き継いでいたとしても、所詮は虫です」
結局、議論が哲学染みてきた。生命というものを、議題にしているのだからこうなるのはある意味では必然と言えた。
そのようにして白熱しかけたわけだが。
「かもしれないわね」と、シオンはあっさりと引き下がる。「どの道、それを調べる以前の問題だったわけだけど」
「それで、魔獣の研究はもうやめるってことですか?」
「そうね。もうこれ以上の成果はないだろうと思っているわ」
「今後はどうするつもりなんです?」
「対象を変えてみるわ」
「対象?」言葉を繰り返したエト。が、すぐにその意味に思い至り顔を険しくさせる。「もしかして……」
「その通りよ、本当に察しがいいわね」
真意が知られたというのに、シオンは至って落ち着いた笑顔を見せる。
「フルヤには!」そう抗議の声を上げようとしたが。「……あれ?」
立ち上がりかけたところで、体がふらつくのを感じた。立っていることすらままならなくなり、床へとへたり込んでしまう。
「ようやく効いてきたみたいね」
「食べ物に……混ぜたんですか……」
「ええ、店員さんにお願いしたらやってくれたわ。もちろん、ただではなかったけれど、その価値はあったみたい」
「価値?」
「何せ、効き始めるのが遅かったもの。きっと、ゴーレムと一体化したおかげね。やはりゴーレムには生命を進化させる可能性を秘めているわ」
一人ペラペラと喋るシオン。エトは彼女の言葉が残響のように聞き取りながら、襲い来る眠気と闘っていた。
「フルヤには……手を、出さないで……」
「自分を捨てた男に対して、随分と義理堅いこと。でも安心してね、私の目的は彼ではないの」
「なら、なんで……」
そう問いきる前に、重くなった瞼に抗えなくなった。目を閉じる。
「今にわかるわ」暗闇の中で、声だけが聞こえる。「お休み、エトちゃん」
ついに耐え切れなくなり、エトは意識を手放した。




