18-3
気まずさから、ロップの家を逃げ出すように後にした古谷。そのままクライカの捜索へと戻るのだが、当然手掛かりに関してはゼロのままだった。
これだけ探し回っても目撃証言一つないとなるなら、いよいよ本格的にこの町にいないことを検討しなくてはならない。既に町を離れたか、そもそも訪れていないか。
どちらにせよ、それならばもうここには用はない。
だが、その判断は慎重を期さなくてはならない。
クライカが仮に既に次なる町に移っていたとするなら、暴れ出す前に現地にいなくては止められない。だが、逆にこの町に残っているのなら離れるのは悪手だ。
要するに古谷が慎重になっているのはその点だった。クライカの暴挙を止めるためには彼から目を離すわけにはいかない。エトがいない今、飛行すること叶わず、機動力は格段に落ちていたので常に近くにいる必要があったのだった。
(もう少しだけ探してみるか)古谷は思う。
捜索範囲を変えてみることにした。
クライカはこそこそと身を隠すような性格ではない。その目立つ容姿から、人目に止まれば記憶に残ることを期待して人通りの多い場所を選んできた。結果的に目撃証言を得ることは叶わなかったわけだが、全く予期しない行動範囲にいるとしたらそれも納得だ。
そのヒントはクライカ自身が言っていた。ゴーレム化を恐れたものは大抵食い気か色気に走る、と。
飲食店に関しては見かけるたびに覗いてきた。決して、古谷自身が食欲に突き動かされたというわけではない。
残る可能性は。
(……行ってみるか)
どの町にも大概、大なり小なり風俗街というのが存在する。娯楽の少ない小規模な町ほど顕著で、中には性産業を売りにしている町さえある。
これまで古谷は、エトとの二人旅だったので後ろめたさからなんとなく避けていたが、決してその手の情報に触れる機会がなかったかと言うとそんなことはない。利用したことこそないが、うっかり迷い込んでしまったことだってあったくらいだ。
あの時の感覚に従えば、見つけられるだろうと踏んだ。そうでなくともどこにあるくらいはなんとなく当たりをつけられる。だいたい薄暗い路地裏にあると相場が決まっている。
そんなわけで足を踏み入れていく。と言ってもはっきりと境界線があったわけではない。気づけば雰囲気が変わっていたのを肌で感じ取ったのだ。
あからさまではない。看板も立っておらず、辺りは不気味な静けさに包まれている。ピリピリと、肌を突き刺すような静寂だ。
まだ日が高いからか、人通りもまばらだった。
それでも、耳をすませば微かに嬌声のようなものが聞こえてくる。
古谷は自らの体が強張っているのを自覚しながら、進んでいく。すれ違う人とは極力目を合わせないようにした。それはお相手も同じらしく、お互いに不自然なくらいに顔を背け合っていた。
そんな不干渉の不文律の中で、声を掛けてくるものがいる。
「お兄さん、いい子いるよ」もちろん、知り合いなどではない。
妙にやつれた男だった。眼窩が落ちくぼみ、相対的にこぼれんばかりの目が嫌に印象的だ。キャッチと思われる。
おそらく、ずっとここらで張っているのだろう。いろんな人を見ているはずだ。ちょうどいいので問いかけてみることにした。
「人を探しているんだが」
「ここに来る人はみんなそうだよ」
「いや、そういうんじゃなくて。短髪のエルフなんだが」
「変わった趣味だね。そんな嬢いたかなぁ……」
「だから違くて」
「でも、お兄さんがどうしてもって言うなら用意するよ」
「よ、用意?」
「要は髪を短くすればいいんだろ? 切ればいい」
「そんな簡単な話じゃない気が」
髪は女の命と聞く。いくら業務命令だからって、おいそれとは聞き入れてはくれないだろう。
しかし。
「それが、そうでもないんだな」男はしたり顔で言った。
古谷は思わず顔を顰める。嬢を「用意」すると言ったり、まるで人を人とも思わないかのような口ぶりだ。
第一印象でなんとなく察していたことだが、あまり話していて気持ちのいい相手ではなかった。
「俺が探しているのは」なので、さっさと話を締めにかかる。「男なんだ」
「男! お兄さん、本当に変わった趣味だねぇ!」
「だから! 違うんだって!」
話しかけたこと自体、後悔した。
*
「おかしいなぁ」エトは独り言ちた。「こっちに行ったような気がしたんだけど……」
数十分前の出来事だった。
机で二度寝を決め込んだシオンを置いて、一人町へと繰り出した彼女。特段目的もないが、宿屋にいてもやることもないからに過ぎなかったのだが、思わぬ収穫があった。
決してそれを期待していなかったというと嘘になる。が、幸運に頼る以外他なく、望みは薄い。ただ闇雲に町中をブラブラしたって見つかるとは思いもよらなかった。
「フルヤ……」
人混みの中で彼の姿を見たような気がしたのだ。
あるいは見間違いかもしれない。彼女の願望が見せる幻覚も知れない。
それでもエトは、居ても立ってもいられず駆けだした。後を追って、路地へと入っていく。
いつだったか、似たようなことをした。
確かあれはグエンキレの町でのこと。長らく行方不明だった父の姿を見かけ、後を追った。その姿が行方不明となった十三年前と変わらないものに見えたのだが、そんなことは些末な問題だった。
かつて追いつくことの叶わなかった父の背中。今度こそ追いつきたい。それは半ば執念だった。
そして今度は自らのもとから去っていったフルヤ。
思えば、彼女はいつも背中を追うという行為に囚われている。
しかしどれだけ必死になっても現実は非常で、歩幅の違いからか、あっさりと見失ってしまった。
しかも、どうも雰囲気が怪しい。通常、路地裏はアングラな人間どもの溜まり場になりがちだが、それとはまた違う空気を感じ取った。
何と言うか、匂いが違う。別に概念的な話ではない。鼻を刺すようなきつい香料と、その中に混じる生臭い匂いとが入り混じっていた。
「うっ……」思わず、むせ返りそうになる。
それでも引き返すことはせず、鼻をつまみながら進んだ。
(フルヤは、こんなところに何の用なんだろう)未だ実体は知らないまま思う。
しかしそう言っていられるのも束の間。彼女はついに知ることになる。
「お嬢ちゃん、可愛いねぇ」見知らぬ男が声を掛けてきたことがきっかけだ。
みすぼらしい男だった。やせぎすで、よれよれの服を着ている。面長で、欠けた歯を恥ずかしがるような笑みを浮かべるので、どこか卑屈に見えた。
そんな男がへらへら笑いながらこう問うのだった。
「いくらだい?」
「へ?」
エトは尋ねられていることの意味がわからず、素っ頓狂な声を上げてしまう。問い返すように見つめるも、男には通じないようでこう続けた。
「どこの店の子?」
「店……」
「もしかして、個人?」
「あの、さっきから何の話ですか?」
「しらばっくれなくていい、わかってるから。いくら払えば抱かせてくれる?」
「だ、抱く……」直接的表現に、思わず鳥肌が立つ。
まるでそれが当然であるかのような口ぶり。金さえ払えば、女が手に入ることを疑いもしていないかのようだった。
(違う)エトは察する。(ここではそれが常識なんだ)
自分がどこに足を踏み入れてきてしまったのか。そして、古谷が訪れたその理由にも勘付いてしまう。
(いや、まだそうと決まったわけじゃあ……)
咄嗟に否定したくなるも、それ自体が不信感の証左となる。いまいち信じ切れないで心が揺れていると。
「ねぇ、無視しないでよ」いつの間にか男に目前まで迫られていた。
「あの、えっと」ともかく、この場を何とかしなくては。「私、そういうつもりはなくて」
そう思い、急いで否定するも。
「そんなこと言わないでよ」彼には逃げ口上と思われたらしい。「こう見えても金ならあるんだ」
「いえ、そういう意味ではなくて」
「頼むよ、昔好きだった人に似てるんだ」
どうしてそう言えば許してくれると思ったのか。同情でも買っているつもりなのかもしれないが、そもそも見知らぬ彼に情など湧かない。
「あの、本当に違うんです」とにかく、ひたすら否定を重ねる。
その場を凌ぐだけならば、わざわざ相手の理解を得ずとも逃げ出せばいいものを。どこまでお人好しと呼ぶほかない。
結局、お相手も聞き入れてはくれるはずもなく。
「いいのかな、そんなこと言っても。この辺で買春行為しているのがバレたら、大変な目に合うよ?」そう言い、嫌がるエトに構わず腕を掴んだ。「黙ってほしかったら、ね?」
極度の緊張状態からか、手汗は滲み、小刻みに震えている。異様に力が入っており、反射的に振り解こうともしたのだが、余計に力を込められる結果に終わった。いくら痩せぎすの男と言っても、やはりそこは男と女。力の差は歴然だった。
痛みや恐怖やらで、ついに身動ぎ一つ取れなくなると、男はそれを了承の意と見たのか、ゆっくりと顔を近づけてきた。荒い鼻息。生ゴミみたいな口臭に思わず顔を背けたくなるも、目を離せば何をされるか分かったものではない。
(フルヤ!)心の中で助けを求める。
すると、その願いが通じたのか。
「その子を離してくれないかしら?」割り込んでくる声があった。
「なんだぁ?」男が白けた表情を浮かべるのも一瞬、声の主に視線を向けると、先ほどよりも一層いやらしい笑みを浮かべる。
それもそのはず。
「シオンさん……」そこにいたのはまさに妖艶と称するにふさわしい女だったからだ。
さっきまでの寝起きの姿などどこへやら、すっかり普段通りの見た目になっていた。どこか危険な雰囲気が漂うその姿は、眩暈のしそうなほど非日常的なこの路地裏では却って煽情的だった。
「私のツレなのよ」彼女は男の粘っこい視線などどこ吹く風で、平常と変わらぬように告げる。
「へぇ」と、彼はねめつけるような視線を注ぐ。
もうエトになど興味はないとばかりに、あっさりとその手を離した。
「なら」男が言う。「君に相手してもらおうかな」
「いいわよ」
「し、シオンさん?」あまりにも簡単に言うので、エトは口を挟む。「あの、これはつまりですね」
意味を分かっていないのかと思い説明を試みたが。
「ただし」と、彼女の言葉に続きが阻まれる。
そして次の瞬間、背中から薄い皮膜状の羽を生やす。それを見せつけるように大きく広げると、周囲は俄かに暗くなったように感じられた。そんな中で、彼女の真っ赤な瞳だけが一層赤みを増して輝いている。
ダンピール本来の姿を露にしてこう告げた。「生きて帰れる保証はないけれどね?」
そこまで過剰に演出した甲斐があったからか、男は悲鳴を上げて腰を抜かす。一歩一歩、近づいてくるシオンに対して、尻餅をついたまま同じ分だけ後ろへ下がった。
「どうしたのかしら?」わざと犬歯を覗かせながら、舌なめずりをして見せる。「早く始めましょう? もう待ちきれないわ」
それが決め手となった。男は「ご勘弁!」と叫ぶと、抜けた腰もそのままに這うようにして逃げ出す。
いくら共存の町と言っても、ダンピールはやはり珍しいらしい。謎めいている分だけ、血を吸う怪物としての認識が根強いようだ。
「大丈夫かしら?」
逃げ出す男の背中には見向きもせずに、シオンが手を差し伸べてくる。
「あ、ありがとうございます」
エトは素直に礼を告げ、その手を取った。
そう言えばかつてグエンキレの町で父の背中を追いかけた時も、同じようにして路地裏に迷い込んでしまったことを思い出す。その時も暴漢に絡まれてしまったのだが、そこで助けてくれたのもやはり彼女だった。




