7.逆転
次の日、渚はいつものようにクリーパー教授やマイク達と発掘現場へ出かけていった。朝出て行くとき少しは元気が戻っていたようなのでピョンはホッとした。このまま警察が手を引いてくれればいいが、それは希望的観測だろう。今度あの巨体の男達がやって来たら、例え踏み潰されてもいいから悪態をついて追い返してやろうか。いや、そんな事をすれば余計渚の立場を悪くするだけだ。
「はぁ・・・」
小さくため息を付いてピョンは宿泊所の外に広がる広場を見つめた。ここは天気のいい日は宿泊所の壁際に置いてあるガーデンチェアに座ってぼーっとしたり、夜は星を眺めたりと皆のいい休憩所になっている。
元は草だらけの庭を少しだけ開墾して渚が野菜等を植え、今日は休みのクレイがそんな小さな菜園に水をやっていた。
涼やかな風が通り過ぎ、穏やかな日差しが辺りの緑を照らす。民家もこの周辺には少ない為、ただ静かな時間が流れていた。しばらくすると水やりを終えたクレイが歩いてきてピョンの座っている椅子の横にあるベンチに腰掛け、汗を拭いながらかぶっている帽子を脱いだ。
「ふう・・・」と一息つくと、クレイはこちらを見ようともしないピョンに話しかけた。
「何を考えてるんだい?ナギサの事?まっ、それ以外にはないか」
ああ、又だ。どうしてこの男は他の人間の前ではいい顔をしているくせに、俺にだけいちいち感に触る言い方をしてくるんだ?
「お前には関係ない。ワイが何を考えようと」
「ふうん。どうせ自分には何も出来ないって己の非力を嘆いているんだろ?まあそりゃそうか。仲間達はナギサを信じる事で彼女に力を与えた。なのに君は何一つ彼女の力にはなってないんだからね」
「そんな事・・・!」
思わず叫びそうになってピョンは言葉を飲み込んだ。
そんな事は言われなくても分かっている。だがピョンもただ黙って状況を見ていた訳ではなかった。どうしても・・・の時の為に最後の手段として用意をしてきた策もある。だがそれは渚の性格からしてきっと受け入れられない方法だと分かっていたので使えなかったのだ。
だがこんな風に自分がライバル視している人間に見下されると、どうしても歯がゆくて仕方がない。
「そうやな。お前の言う通りや。状況を見ているだけなんて性に合わん。ナギサを酷い目に遭わせたあの太っちょ共、徹底的に潰したる。どんな手を使ってもな」
ー 一週間後 ー
いつものように発掘現場から戻ってきた渚は、宿泊所の前に止まっている警察車両を見て唇をぎゅっと噛みしめた。今度こそ警察署に連れて行かれるのだろうか。そうでなくても以前よりもっと厳しい追及をされると思うと足が怯みそうになる。今日はクリーパー教授がまだ現場に残っているので彼の助けも期待できない。渚達が車から降りるのを待っていた様にパトカーから降りて来たのはいつもの太った警官コンビで、相変わらず警官とは思えない様な暗い目つきで渚の前に立ち塞がった。
「コーンウェルさん。悪いが又話を聞かせてもらうよ」
マイク達が居るのでいつもより語調は柔らかいが、ふてぶてしい態度は相変わらずだった。警官達のそんな態度に以前から不満を抱いていたマイクは直ぐに渚をかばうように前に立って彼等を睨み上げた。
「一体いつまでナギサ先生に尋問する気だよ。そんな事をしている暇があったら、とっとと石板を見つけてきたらどうなんだ?」
「そーよそーよ!」
必死に虚勢を張るマイクをグレースが加勢した。ハーヴィーも不快感をあらわにしながら頷いている。
「とにかく少し話を聞くだけだ!」
そう言いつつ男はマイクを押しのけ、渚の腕を強引に掴もうとした。
「待ちたまえ!」
後方から聞き慣れない声がして、皆がその方向を振り返った。長い黒髪を後ろに束ねたすらりと背の高い男が、この辺りには全く似つかわしくない高級車から降りてきた。引き締まった身体にぴったり沿うブランド物のダークスーツは品が良く、自信にあふれた笑顔は英国紳士そのもので、男は優雅に歩いて来ると、渚の隣に立った。
皆驚いたようにその男を見つめていたが、一番驚いたのは渚だった。
4年前、又いつか会いましょうと約束した友。
泣きそうな声で「行かないで下さい」と抱きしめてくれた。まさかこんな所で会えるなんて・・・。
「アンドルー?」
「はい。アンドルーです。ナギサ先生」
懐かしい友人の登場で久しぶりに心の底から笑顔になった渚に微笑み返すと、アンドルーは急に冷たい顔になって目の前の2人の警官を見た。
「アルトロ・ヴィン警部補とジサ・トレド巡査ですね。私はこういう者です」
自分達の名前を見も知らない男にはっきりと告げられ、男達は少々たじろぎながらアンドルーの差し出した名刺を受け取った。名刺にはアルティメデス・エ・ラ・ハザードの名と代理人 アンドルー・ゲルフォードと記されている。
「私は普段はイギリスの名門一族ゴードン家にお世話になっておりますが、ミスタ-・ハザードに依頼された時にはこうして代理人として代わりに行動させて頂いております。まずミスター・ヴィン、そしてミスター・トレド。あなた方は初めからミス・ナギサ・コーンウェルが犯人と決めつけておられるようですが、それは確たる証拠があっての事なのでしょうか。それともまさか警察官の感などと言う根拠のない心証のみでこのような強引な捜査をなさっていたのではないでしょうね」
「そ、それは・・・」
目を白黒させた後、2人の男達は互いに顔を見合わせた。
「しかし、状況的に見てもコーンウェルさんが怪しいでしょう。だから我々は・・・」
「ああ、実はその件に関してハザード氏から預かっている物があります」
アンドルーは持って来たスーツケースの中からピョンと同じ大きさのカエル型ロボットを取りだした。
「こちらはミス・コーンウェルが持っているAIロボットと同型の物です。彼女が持っているのはこれに合成で作ったカエルの皮をかぶせ本物のように見せていますが、中身はこれと同じ物です。ハザード氏はこのカエル型ロボットを通じて遠く離れた本国で全ての状況を見る事が出来るのですが、勿論それだけではなく他にも色々な機能が付いております。その内の一つが録画機能で、勿論ロボットは寝る事はありませんので24時間、全て録画されているのです」
「ま、まさか、それは・・・」
「ええ。勿論事件のあった夜も全て録画されておりました。ミス・コーンウェルは一度も夜中に起きる事なく、朝金庫を開けるまで一度も金庫には触れていない。それが全てこちらに録画されています」
胸ポケットからSDカードを取り出すと、アンドルーはそれを警官達の目の前に差し出した。
「ああ、それからあなた方のミス・コーンウェルへの振る舞いは、政府を通して警察の方に厳重に抗議いたしました。いずれ警察署長か長官から厳格な処分が下るでしょう」
SDカードを受け取ろうとしていたアルトロの手がピタリと止まった。2人共太っているので、凄い脂汗だ。顔だけでなく体中にシャツがべっとりと張り付くほど汗をかいて固まっている。
「な・・・そ、それは一体、どういう・・・」
アンドルーはわざとらしく大きくため息を付くと、ニヤリと口元を歪めた。
「あなた方はアルティメデス・エ・ラ・ハザード氏がどういう方なのか分かっていなかった様ですね。彼はアルセナーダ遺跡発掘の一大プロジェクトの最大の支援者です。彼の支援金がなければこのプロジェクトは動き出す事も出来なかった。彼が政府に全ての支援金を引き上げると一言言えば、今まで政府が払った金も全て無駄になるでしょう。さて、この国はどちらを選ぶでしょうか。国家的予算に匹敵する程の支援金と一地方の警官2人」
アンドルーはいかにも楽しげに口元に手を当て、クスッと笑った。
「ああ、こんな田舎じゃ警官を首になったら再就職は難しいでしょうねぇ。実にお気の毒だ」
「なっ、はっ、そ、そんな・・・」
2人共息苦しくなったのか青い顔をして益々汗を流しながらハァハァと息を切らしている。ショックで倒れるじゃないかと見ている者達は思った。
今までの態度から見るに警官の権力を利用して驕傲に振る舞って来たのだろう。きっと頭の中でその権力を全て失い、無職になった時の自分の惨めな姿を思い浮かべているに違いない。衝撃で何も言えなくなったアルトロの代わりに何とか巡査のジサが声を振り絞った。
「ど、どうすれば許してもらえますか!首になるわけにはいかんのです。まだ家のローンもあるし、子供は3人も居るし!」
「へえ、自分の子は可愛いのに、人の子には大層な態度を取れんねんなぁ」
アンドルーのポケットの中から皆が聞き慣れたダミ声が聞こえて来た。ポケットからカエルを取り出すと、アンドルーは警官達をピョンがよく見えるよう掌の上に乗せた。
「で?この2人、何て名前やった?」
「アルトロ・ヴィン警部補とジサ・トレド巡査です、ミスター・ハザード」
「ふうん。ローンがあるのは大変やけど、ワイがスポンサーをしている人間をイジメたんやから家は諦めてもらわなあかんなぁ。子供は気の毒やけど、ワイも他人の子供の事までは知らんし。まあ政府の担当者には連絡してもうたし、後は沙汰を待って貰うしかないな。行くで、アンドルー」
「はい」
「ちょっ、お待ち下さい!ミスター・ハザードぉぉっ!」
やっとの事で声を上げるとアルトロは地面に掌と両膝をついてアンドルーとピョンを見上げた。
「どうしたら、どうしたら許してもら・・・いっ、頂けますか!何でも、何でもいたします!」
「ふうん、何でも?別にどーでもえーなぁ。そうは思えへんか?アンドルー」
「そうですね。でもとりあえずナギサ先生に謝ってもらいたいですね」
その言葉に彼等は2人揃って素早く渚の前に手をついた。
「す、すみません。コーンウェルさん、いや、コーンウェル博士。二度と、二度とお気持ちを煩わせるようなまねはいたしません。本当です!」
「申し訳ありませんでしたぁ!」
土下座をしている男達が滑稽でマイクとグレースは笑いを堪えている。プルプルと震えながら青ざめている大男達を前に渚は呆然と立ちすくんでいた。
「どうや、ナギサ。ちょっとは溜飲が下がったか?」
「う、うん。心から謝ってくれたなら、それで」
「アンドルーはどうや?」
「まあ、ナギサ先生がいいと言っているなら許してもいいかもしれません」
「そうか。そやけどなぁ・・・」
ピョンはびっくりするくらい大きな口を、にやぁっと歪めて笑いながら男達を見下ろした。
「ワイは粘着質な性格でなぁ。いっぺん噛みついた奴を許すほど心広ないねん。まあ一応首にだけはならんように連絡しとったるわ。さあ、早よ戻って上司の顔色でも窺った方がええんちゃうか?ワイの気が変わる前にな」
最後の怒気を含んだ声に縮み上がると、彼等は慌ててパトカーに向かって走り出した。
「おい、この証拠品は要らないのか?」
アンドルーの声に「い、要りません!」と悲鳴のような声を上げ彼等はドアを凄い勢いで閉め、そのまま走り去った。




