6.仲間を信じる心
ピョンが憂慮している事は渚も考えていた事だった。警察の尋問の中で、渚が犯人ではないかと疑っているような文言がいくつもあったからだ。例え仲間達が自分を責めなかったとしても自分の過失で重要な出土品を紛失してしまった事、そして警察からその犯人として疑われている事を考えると、このまま消えてしまいたいほど辛くなる。
今は皆信じてくれていても、いずれは疑いの目を向けられるかも知れないと思うと、怖くてベッドから出る事も出来なくなりそうだった。やっとこの手に掴んだと思った夢が跡形もなく砕け散っていく、そんな恐怖を感じた。
もし無実の罪を着せられたら碑文の研究だけでなく、古代語の研究者として今まで積み重ねてきた全てのものが跡形もなく崩れ去ってしまうだろう。
「どうしたらいいの・・・?」
涙を止める事も出来ず、渚は弱々しく呟いた。
それからも何度か警察の人間が訪ねて来たが、捜査に進展はないようだった。そのせいか警察が渚に対してより疑い深くなっているようで、厳しい質問を投げかけるようになっていた。
「あんたにとってあの石板は非常に魅力的な物だったんじゃないのか?論文が正しかった事を証明する証拠物だったんだろう?」
「だからといって石板を盗んだりはしません。盗んだ物の研究を発表して世間に認められると思いますか?私はアルセナーダ研究の第一人者として、自身の研究に誇りを持っています。貴重な出土品に手を出すなんて有り得ません」
「しかし金庫に無理矢理開けたような形跡がなかった以上、鍵を持っているあんたが事件に関与しているとしか考えられんだろう。特に金庫はあんたの部屋に置いてあった。なのに言い逃れをするのか?」
警察官2人の内40代半ばほどの太った男が決めつけるように言った。大きな腹のせいでシャツのボタンがはち切れそうになっている。この男は事情聴取の時から渚の事を疑っているようで、いつも棘のある言い方で渚を責め立てた。
渚も気丈に質問に答えるのだが、日本人の渚にとっては外国人の男達、しかも太い腕と大きな体つきの警察官2人が目の前に居るだけで酷い圧迫感と恐怖を感じるものだった。
「それは分かっています。でも私はそんな事はしません」
「口では何とでも言える」
太った男は吐き捨てるように言うと立ち上がった。捜査が一向に進展しないので、しびれを切らしているようだ。
アルセナーダ遺跡の発掘は国家が推進する一大プロジェクトだ。その途中で貴重な文化財が盗まれたとなれば、国から警察に圧力が掛かるのも仕方ない事だろう。でも・・・。
「私はやっていません。本当です!」
渚は立ち上がると胸に手を当てて叫んだ。
「じゃあ、やってない証拠を出すんだな」
やっていない証拠など出せるはずはない。警官達が出て行った後、渚は頬に流れ落ちた涙を拭って皆が待っている食堂に向かった。入り口に渚が姿を現すとピョンが心配そうに渚を見つめた。
「ナギサ」
「大丈夫?ナギサ先生」
グレースとマイクも渚の側に走り寄って来た。
「全く、この国の警察はけしからん。研究者の矜恃がなんたるかを分かっとらんのだ」
教授は真実を追究する研究者が盗みなどしないと渚を擁護した。ダイニングの椅子にふんぞり返りながら。そしてハーヴィーは共感を表わすように何度も深く頷いた。
「皆さん・・・」
自分の事を信じてくれている仲間達の言動に渚は胸が熱くなった。その後はグレースやマイクが用意してくれた食事を皆で取った。食後のコーヒーを飲んでいる時、クレイがふと漏らした。
「それにしても、渚は外部の人間なのに皆仲間意識が強いんだね。何だかうらやましいな」
彼の言葉を聞いてマイク達はそれぞれ顔を見合わせて頷き合った。そして「実は・・・」と言いつつ、マイクが皆を代表してその理由を話し始めた。
渚がクリーパー教授の元を訪れる半年ほど前、クリーパー教授の研究室に学生の一人が良く出入りするようになった。大学2年のノーラ・ギブソンという女子大生で、彼女も幼い頃から考古学に興味を持ち、クリーパー教授が在籍しているという理由で彼の居る大学に入学してきたのだ。彼女は決して他の生徒より抜きん出ているわけではなかったが、細かいところに良く目が行く気の利いた性格で、研究室の掃除やマイク達助手の雑用などもこなしてくれる優しい性格の女性だった。
しかし彼女が出入りするようになってから3ヶ月ほど経ったある日、クリーパー教授の机の上に置いてあったある重要な研究資料がなくなってしまったのだ。そんな大切な物を机の上に出しっぱなしにしていたクリーパー教授にも責任はあったが、当時教授の部屋の掃除をノーラがしていた為、書類を紛失したのはノーラではないかと疑われた。
勿論ノーラは何も知らないと否定をしたが、大学側から厳しく追及され、又別の研究室の人間も彼女の人間性を知らないが故に疑いの目を向けた。そのせいで精神的に追い詰められたノーラは心を病んでしまい、とうとう大学にも来なくなってしまった。
しかしその後、長期出張に行っていた隣の研究室の教授が戻って来て、長期出張前にその書類を持ち出していた事が発覚した。彼も一言クリーパー教授に言ってから借りるつもりだったのだが、たまたまクリーパー教授が席を外していた為、直ぐ返すつもりで持って行ってしまった。そして本当に直ぐ返せば問題はなかったのに、出張前でせわしなくしていた彼は資料を返却するのをすっかり忘れてそのまま出張に行ってしまったのだ。
全てが明るみになり、クリーパー教授も資料の管理不行き届きを問われ、大学側から厳重注意を受け、書類を持ち出した教授も3ヶ月の減給と助教への降格処分を受けた。しかし無実が確定し、大学側から正式な謝罪を受けたノーラだったが、大学への不信感か、もしくは精神的ショックからまだ立ち直っていなかったのか、そのまま大学を退学してしまった。
「それを知った僕たち研究室のメンバーは直ぐにノーラの住んでいるアパートを訪ねて彼女に謝ろうとしました。でもすでに彼女はアパートも引き払っていて、消息を絶っていたんです」
かなり後悔したのだろう。グレースやハーヴィーも悔しそうに唇を噛みしめている。クリーパー教授も責任を感じて暗い表情のまま俯いていた。
「僕達はノーラに謝る機会さえ与えられませんでした。当然でしょう。何もしていない無実の彼女をあそこまで追い詰めたんです。勿論僕達は直接彼女に疑いの言葉をかけた事はありません。でも心のどこかで彼女の事を疑っていて、それが何となく態度に出ていたのかも知れません。
この事件は僕達一人一人に忘れてはならない重い罪の呵責を背負わせました。その時みんなで誓ったんです。もし又同じような事が起こっても、決して仲間を疑ったりしないって。だから何があっても僕達が仲間の誰かを疑う様な事はありません。ナギサ先生も僕達の仲間ですから」
彼等の過去の辛い経験と決意を聞いて、渚は皆に疑われるかも知れないと恐れていた自分を恥じた。私の仲間達は辛い経験を只記憶として残すだけではなく、それを訓戒として自分を戒める事が出来る人達なのだ。
こんな人達と出会えて共に研究に携われる事を渚は誇りに思った。
「ありがとう、皆さん。私必ず無実を証明して見せますね」
とは言ったものの、自身の無実を証明する手段など渚には何もなかった。夜シャワーを浴びた後髪を乾かすと、渚はベッドの端に座って隣に居るピョンにふと漏らした。
「何の根拠もないのに、みんなの前であんな大見得を切ってしまって恥ずかしいわ。あの時はみんなの気持ちに感動してしまって思わず言っちゃったの」
渚は赤くなった顔を隠すように俯いたが、下から仰ぎ見ているピョンからは丸見えだ。ピョンは“ 可愛いな ”と思いつつ慰めるように言った。
「大丈夫や。みんな渚の気持ちはよう分かってる。あいつらに心配かけんように言うたんやろ?」
「うん。ピョンちゃん・・・でも・・・」
胸の奥から不安がわき上がってくるように言葉を詰まらせた後、渚はピョンを両手ですくい上げそっと胸に抱きしめた。
「又あの人達が来たら・・・どう答えたらいいのか分からない。怖いの。凄く・・・怖い・・・」
「渚・・・」
警察も証拠がない以上、渚を警察署に連れて行く事は出来ないだろう。だからこそ精神的に追い詰めて自白させようとしているのだ。
“ 一体どうしたらいい?どうすれば渚を救えるんだ? ”
渚の手の震えを体中で感じたピョンは、それが全て彼女の痛みとなって伝わってくるように感じた。




