4.男達の葛藤
その日の夜、ピョンはぐっすり寝入った渚の顔を見ながら考えにふけっていた。クリーパー教授が渚の休みの日に限って、いきなり新しい発掘場所の相談がしたいと言って来た時から何となく嫌な予感はしていた。発掘の行程はある程度把握しているので、新規の予定を立てるにはまだ早いはずだ。しかし教授に作業員の手配や配置の問題があるのでと押し切られてしまった。
渚は今日一日別に用はないと言っていたので仕方なくクリーパー教授と打ち合わせに入ったが、戻ってみると部屋で待っていると思っていた渚の姿がなかった。嫌な予感が当たって、どうやらマイクと出かけていたらしく2人揃って帰ってきたばかりか、得体の知れない若い男まで連れていた。しかもその男をこの宿泊所に泊めるなんて言うものだから更に驚いた。
いくら見目のいい男でも渚が心変わりをするとは思わないが、それでも不安を拭い去る事が出来ない。
マイクでもクレイでも、人間の男なら渚を本当の意味で幸せにする事が出来る。このまま自分と居れば彼女は一生まともに結婚も出来ず、子供を産む事も出来ない。渚はそれでいいと言ってくれるが、女性にとって最も大切で幸せな経験を自分の為に諦めさせていいのか、それを考えるだけで申し訳なくて胸が苦しくなる。
ピョンは渚の枕元まで行くと、そっと額にキスをした。
「それでも一緒に居たいなんて、何処まで俺は強欲なんだろうな・・・」
「あーっ、何でこんな事になっちゃうんだよ!今日はナギサ先生に告白する大事なイベントの日だったのに!!」
自室には戻らず、宿泊所の裏手にあるバーベキュースペースまで怒りに燃えながら歩いてきたマイクはクレイを殴りたい衝動に駆られながら叫んだ。
「大体僕はハーヴィーと同室なのに、狭いとは言えあいつが一人部屋ってどういう事だよ!」
あのイケメン好きのグレースが敵に回らなきゃ何とかナギサ先生を説得出来たかも知れないのに、あんな奴、背が高いだけでボロボロのTシャツに汚いバッグを担いで、まるっきり浮浪者じゃないか。
「そうだよ。ほんのちょっと僕より背が高いだけで・・・」
実際は15cm以上差があるのだが、マイクは何とかそう呟いて自分を慰めるほか無かった。
途中までは本当に上手くいっていたのに。買い物だって食事だって凄く楽しそうにしてくれたし、告白だって絶対上手くいくはずだった。
「とにかく、あいつを絶対ナギサ先生に近づけないようにしなきゃ」
マイクは固く決意した。ところが・・・・。
次の日の朝、いつものようにマイクが食堂に行くと、奥にあるキッチンから楽しそうな笑い声が聞こえて来た。渚の声だ。久しぶりにみんなに食事を振る舞ってくれるんだ。今日の朝食当番のハーヴィーはラッキーだったな。
そんな事を思いつつキッチンを覗いたマイクは、衝撃的な光景に固まる事になった。キッチンカウンターの前で料理をしている渚の隣に居るのは、昨日ここへやって来たばかりのクレイだった。なのに2人はまるでずっと前からの知り合いの様に楽しそうに笑い合いながら調理をしていた。
「ナギサは料理上手なんだね。6人分の食事をこんなに手早く仕上げていくなんて」
「そんな事ないわ。クレイが手伝ってくれるからよ」
「あっ、ナギサ。ほっぺに小麦粉が付いてる」
そう言って渚の頬の汚れを人差し指で拭うクレイ。そんな彼に渚は満面の笑みを向けて「ありがとう」と言った。
楽しそうに笑い合う2人の声がキッチンに響いて、マイクは目眩を覚えた。
“ 何なんだ、あいつは!いくら何でもナギサ先生に馴れ馴れしすぎるだろ!何がほっぺに小麦粉だよ!ナギサ先生に来やすく触れるんじゃない! ”
こんな時、絶対に直ぐ口出ししてくるあのカエルは何処に行ったんだ、と周りを見回したが姿はなかった。
“ チクショー、まだ寝てるのかぁ。バカヤロー!ハーヴィー、ハーヴィーは? ”
振り返ると彼は渚達に朝食を作ってもらえるので、ラッキーとばかりに食堂の端にあるソファーでだらしなく眠っていた。
“ くそっ、どいつもこいつもぉぉぉっ! ”
こうなったら自分で邪魔に入るしかない。渚に嫌われたくないので、あくまで紳士的に、だが。
気を取り直してマイクはキッチンに近付いた。
「ナギサ先生、お早うございます」
「まあ、マイク。お早うございます。今朝は早いのね」
「ええ。ちょっと現場でやる事があって。ナギサ先生、僕も手伝いますよ」
「じゃあカウンターの上の料理をテーブルに持って行ってくれる?」
「分かりました。あっ、その前にクレイ、先にテーブルの上を拭き上げてくれるかい?昨日使ったままだから」
本当は毎朝拭き上げたりしていなかったが、渚の隣からクレイを引き離す為の作戦だ。するとクレイは朝日のような爽やかな笑顔で答えた。
「もう掃除は終わってるよ、マイク。直ぐ運んで貰って大丈夫だ」
“ くっ、このヤローッ。あくまでナギサ先生の隣を譲らないつもりだな?それなら・・・ ”
マイクはキッチンカウンターの上に並べられている料理の皿を、満席時のウェイターのように素早い動きで食堂のテーブルの上に並べると、クレイの反対側の渚の隣にやって来た。
” ふっ。右側はあいつが居ても左側は僕のものだからな。もう2人でイチャイチャさせないぞ ”
そうほくそ笑んだが、すでに料理が完成していたので渚はピョンを呼びに部屋へ戻ってしまった。
“ ああああーっ、ナギサ先生ー! ”
朝食の香りにつられてかグレースやクリーパー教授も食堂に集まって来たが、マイクは彼等より先に来ていたのに席に着こうとはしなかった。
「ナギサが来るのを持っているのかい?今日は隣に座れるといいね」
耳元で囁く声に驚いて振り返ると、クレイがにっこり笑って通り過ぎて行った。
“ な、な、何で、何で僕の心が読めたんだ? ”
いつも一緒に居るグレースやハーヴィーならまだしも、昨日来たばかりのクレイに気持ちがバレてまった事で、マイクはまたしても動揺して頭がクラクラしてきた。しかも相変わらずピョンがグレースとクリーパー教授の間に渚が座る事を勧めたので、マイクの両隣はクレイとハーヴィーになってしまった。
“ ああっ、今日も隣に座れなかった。ナギサ先生がみんなと一緒に食事を取るなんて滅多にないのに! ”
朝食を食べるのも忘れてそんな事をマイクが考えていると、渚と話をしていたグレースが嬉しそうに声を上げた。
「聞いてみんな。これからしばらくの間、ナギサ先生が朝食を作ってくれるんだって!」
どうやらクレイを連れて来たのは渚なので他の3人にクレイの分まで作らせるわけには行かないと思い、彼が居る間は渚が食事を作る事にしたらしい。
「ナギサ、気を遣わせてしまってすまないね。僕も毎朝手伝うよ」
「無理しないで。足もまだ治ってないでしょう?昼と夜はみんな適当に外食したりするから朝だけなの。どうせ私とピョンちゃんの分を作るんだから大して手間じゃないのよ」
にっこり微笑み合う渚とクレイを見てマイクは決意した。
“ 冗談じゃない。今朝みたいにクレイにナギサ先生を独占されてたまるもんか。明日からは僕も早起きして朝食を作るぞ! ”
勿論ピョンもクレイと渚の様子を見ていい気はしなかったが、所詮クレイは怪我が治ったらここを出て行くのだ。マイクのようにあからさまに不機嫌な顔をしているのを見ると、自分もあんなみっともない表情をしているのかと思い、幾分冷静になる事が出来た。だからどんなに長くてもこの辛抱は、あと一週間くらいだとピョンは思う事にした。
しかしそのピョンの思惑は大きく外れる事になった。その一週間の間にクレイはすっかりクリーパー教授とも仲良くなり、遺跡の発掘を手伝うようになったのだ。
昼間は渚も現場に出て皆と同じように発掘の手伝いをしたり、昼食の弁当を配るような雑用をこなしている。宿泊所で留守番をしているピョンは只悶々としながら、次第に仲良くなっていくクレイと渚を見ている他はなかった。
「ナギサ、準備は出来た?」
近頃クレイは渚達の部屋まで普通に訪ねて来るようになっていた。
「ごめんなさい、クレイ。あと5分待ってて!」
親しい友人に対するように寝室の中から渚が叫ぶと、クレイは「急がなくていいよ。教授達には先に出発して貰ってるから!」と返事をしつつ、慣れた様子でダイニングの椅子に腰掛けた。
そんな様子は当然ピョンに取って屈辱的なものだった。いっその事、渚は自分の恋人なのだから手を出すなと忠告してやろうかとも思ったが、自分はロボットで皆がミスター・ハザードと呼ぶ人物はどこか遠くの国にいる事になっている。そんな人間が何を言っても説得力はないだろう。
ピョンに出来る事は不愉快そうな態度を取って、少しでも彼を牽制するのが関の山だった。
「お前、いつになったらここを出て行くんや。もうとっくに怪我は治っとるんやろ?」
「うん。でもここが気に入ったんだ。もう少し居るつもりだよ」
「もう少しっていつまでや!」
「うーん。そうだなぁ」
クレイは考えるような仕草を見せた後、急に意地の悪そうな瞳をピョンに向けた。
「俺が飽きるまで?」
「な・・・」
今まで誰にも見せた事のないクレイの表情に驚いて、ピョンは一瞬言葉を失った。その時渚が寝室から出て来てクレイに笑顔を向けた。
「お待たせしてごめんなさい、クレイ。ピョンちゃん、行ってくるわね」
ドアを出て行く渚の後を追いつつ、クレイはそっとピョンにだけ聞こえる声で囁いた。
「カエルの身は辛いねぇ。愛する人の側に居る事も出来なくてさ」
ドキッとしてピョンが顔を上げた時には、すでに彼の姿はドアの外に消えていた。
“ あの男はワイの正体を知っている? ”
そう考えると心臓がないはずなのに、胸がドキドキするようだ。ここに居る人間は渚以外皆ピョンをロボットだと思っているはずだ。だがさっきのクレイの言い方は、ピョン自身がアルティメデス・エ・ラ・ハザードだと知っているようだった。
まさか渚が言ったのだろうか。そんな事は有り得ないと思いつつも、近頃の彼等の親しそうな様子からつい話してしまう事もあるかも知れないと思えた。だがそれならそうと何故自分に一言言ってくれなかったんだろう。そんな風に彼等は皆にも言えない秘密を共有する仲になったのだろうか。
独りで居ると悪い考えばかりが思い浮かんで、ピョンは軽くパニックを起こしたように息苦しくなってきた。今までどんな事があっても信じていた渚を、疑うような事を考えてしまった自分に嫌気がさす。自分は立派な人間ではないと分かっているが、こんなにも愚かで狭量な奴だとは思わなかった。それともカエルとしての人生が余りにも長すぎて、身体だけではなく根性まで愚鈍になってしまったのだろうか。
「渚・・・会いたい・・・」
たった今別れたばかりなのに、心の底から彼女に会いたいと思う。会って話せたら、このひどく乱れた心も少しは落ち着くだろうに・・・。
どうする事も出来ずにピョンは瞳を閉じて俯いた。




