2-19
貴族街で最も平民街の近い区画を、カルフェール伯爵家が管理している。その中で一際大きい屋敷がカルフェール伯爵家の住まいだ。屋敷の壁は灰色の石材で積まれ、その中で白色が混在して味気ない色合いを解消していた。屋根は尖塔となって高い天井以外、堅実な造りとなっている。
レイアは一週間前の平民街の騒ぎで、イベリアに呼び出しを受けていた。一週間もあいたのは、騒ぎの収拾とレイアの怪我の治療に気遣った、というのは表向きでほとんど自分の部屋から出られず、いわば謹慎である。
怪我も大半はカイルにやられたもので、不審な連中に負わされた怪我はたいしたものはない。
今日はようやく謹慎が解かれ、上司から会議室に来るよう呼び出されていた。部屋の前で立ち止まり、ノックを鳴らす。
「入れ」
初老を迎えた男の厳めしい声である。
中に入ると、ネルディー中将が待ち構えていた。歴戦の騎士と呼ぶに遜色ない、貫禄と威圧感だった。今もなお鍛錬を欠かせない身体は、岩のような筋肉が盛り上がっている。
額にはネルディーが若かりし頃、凶悪な魔物と一騎打ちしたさい、鉤爪で切りつけられた跡がくっきりと残っていた。その一打以外傷を負わず、斧で滅多打ちにして肉塊にしたと聞く。その強さは衰えを知らないが、それでも彼もちゃんと年を重ねているのを証明するよう、年々頭髪が寂しくなっている。
レイアはネルディーが苦手であったため、自然と顔がゆがむ。
「また、平民街で問題を起こしたらしいな。しかも、今度は平民に怪我を負わせたと」
「怪我と言っても、少し衝突しただけだろ」
「上司には敬語を使わんか、馬鹿者が! お前が負わしたものも、打撲程度だが怪我は怪我だ! カルフェール騎士団の騎士が、平民に怪我を負わせるとは何事かっ。今まで問題を起こすたびに寛容なイベリアさまが温情で擁護してきたが、もう庇えきれないだろう。この愚か者がっ」
レイアは公爵家出身であるが、貴族として必須な知識や礼儀作法を学ぶのを幼少期から嫌ってさぼりがちであった。そのせいか、嫌っていた礼儀作法や畏まった敬語を使うと、身体が拒否反応を起こしていた。
「だが、ロッセリー商会の代表を助けるのに尽力した、はずですが?」
レイアは嫌々ながら、おざなりな丁寧な物言いをして述べるが、
「その場に居合わせたら、カルフェールの騎士なら当然な行為だっ」
大声でレイアの反論を一掃する。カルフェール騎士団は、民のためにいかな状況でも尽力するのを本気で掲げている。ルドルフ王国の歴史を振り返っても、ここまで民を思いやる貴族はいないだろう。だからこそ、カルフェール伯爵家は平民から絶対的な人気を誇り、貴族から嫌悪感を買うのだ。
返す言葉もなく、レイアは苦虫を噛み潰したような顔で、沈黙の選択しか残されていなかった。
この場にイベリアがいないのは、まだ今回の事件でモンルート侯爵が介入した問題が解決しておらず、深刻に捉えたイベリアは断固うやむやに終わらせまいと、精力的に動いているからだろう。そのため、今回は時間を取れず、欠席となっていた。
逆立ちしても真似できない彼女の高潔さは、敬服にはほど遠いレイアでもカルフェール騎士団の統率者として認めざるを得ない。
「カルフェール伯爵家の名に泥を塗りおって、今日限りお前をカルフェール騎士団から解雇とする。荷物をまとめてとっとと出て行け」
「わかったよ、解雇になることは予想の範疇だ。さったと出っていってやるよ。世話になったと、イベリア大将には伝えといてくれ、薄毛中将」
それだけ言い残すと、もう用はないと話を自から終わらし、速やかに部屋を退出した。部屋の中で、憤怒して呼び止めているような気がするが、もはやレイアの耳には入ってこない。
長い廊下は等間隔に窓ガラスが取りつけられ、柔らかい日差しが降りそそいでいた。廊下の先に、レイアの教育係の姿があった――カルディだ。
「その様子だと、今回はダメだったみたいだな」
「どんな顔だよ」
唐突な言葉に、レイアはしかめ面とする。相変わらず先輩に対する態度ではないが、カルディには気にせずに、やれやれと苦笑を浮かべていた。
「短くないつき合いだ、隠していても喜んでいるのがわかる。ここでは、俺やレイアは浮いているからな。人つき合いが苦手なレイアは、特に居心地が悪かっただろう」
「別に、昔から居心地がよかったことなどない。どこ行っても、私は厄介者だ」
「そんなことはない。少なくともイベリア大将や俺、そして一応ネルディー中将も不器用ながらレイアと向き合ってくれていた」
確かに少数だが、レイアのような戦闘狂で戦い以外眼中になく、真面に交流を取られない人間を根気よく向き合おうとしてくれていたのかもしれない。
針のむしろだった実家と同じは言いすぎかと、レイアはどうでもいい話しだが、心の一片で訂正する。
「ふん、そんな寒気が走る話をする気で、こんなところで突っ立てたのか?」
「勿論そうだと言いたかったが、違う。レイアたちが衝突した正体不明の組織連中がわかったぞ、名は《マイグラント》。得体の知れない組織ではなく、最近設立した荒事専門の人材派遣商会らしい」
「興味ねぇよ。もう、捕まった奴らなんて」
奏太にブライアンが倒された後、その部下たちは抵抗の意思を見せていたが、駆けつけたウイング兵団らは怒りを帯びたサンドリーを中心に士気が高く、抵抗虚しく彼らをあっという間に鎮圧して捕らえられた。しかし、あの仮面を被った長身痩躯の輩には、混乱を乗じて逃げられてしまい、不満を残す結果で事件は終結を迎えてしまう。
ただ、妙な出来事が起きていた。ウイング兵団がブライアンを捕らえた場所が、貴族街へ通ずる大門側ではなく、そこから離れた通りだったのだ。その場所では、戦闘が行われたような痕跡と、地べたで伸びているブライアンの姿があった。彼の側には、黒刃の魔剣が粉々に砕かれてもいた。
「そういうなよ。捕まっていたブライアンが、ウイング兵団の留置所から脱走した」
予想だにしなかった情報に、レイアの顔色が変わる。
「どうやって逃げた。あそこにはイベリア大将に匹敵するサンドリーや、用心深いイディリオがいるんだぞ」
ウイング兵団のトップ二人に気取られないのは、並大抵のことではなかった。針のような隙間を掻い潜るようなものだ。
「さあな。どんな魔法を使ったのか、それともウイング兵団に裏切り者がいたのかは現在調査中だと、イディリオ副総隊長殿が語っていた」
「つかえねぇ奴」
相変わらずのレイアの人を邪険にする態度に、カルディは呆れたように首を横に振る。
「次、レイアが世話になる人間に心底同情する」
「言ってぇろ」
レイアはカルディの横を通りすぎ、自分の部屋を戻ってまとめていた荷物を手に取ると、数年間世話になったカルフェール伯爵に感慨深げに思い出に浸ることもなく、清々しいぐらいあっさりとした格好でカルフェール伯爵家を後にした。
軍服からレザージャケットと革パンへと着替え、レイナは平民街に訪れる。
身に包む衣服は、平民でも熟練の狩人や冒険者が着そうなものとなっていた。Bランクの魔物の皮を素材とし、その上から付与魔法を施したものとなっている。剣や魔法を受けても簡単には破けず、鋼の鎧を装着しているのと同等で、しかも重量は衣服とほぼ変わらない。問題があるとすれば、価格が高価なぐらいだろう。おかげで、レイナの蓄えが消し飛んでしまった。
腰には実家を出るときに持ち出した魔剣を帯剣し、肩には数日の着替えが入った鞄だけだ。
レイナの目的の人物の家は、謹慎中の間にカルディに調査を頼んでわかっていた。その者は、住宅街でも小金持ちでなければ住めないような物件に住んでいるとの情報だ。
辿り着くまで、久しぶりの外出に胸を躍らせる。周囲を見回し、美味しそうな脂の乗った鳥の串焼きの匂いに釣られ、露店で足踏みした。唾を飲み込み、結局食欲に勝てなかったレイアは串焼きを買う。
食べ歩きながら住宅街に歩んで行き、ようやく辿り着く。
これから、新しい人生が始まるのかと思うと、血が滾って戦いたくなるが、ここは我慢だ。ここで暴れては家主を怒らせ、同居を断られるかもしれない。それぐらいレイナでも拝領する心情は持ち合わせていた。
「へーなかなか立派な家だ」
視界に映る家は、元貴族から見ても立派な建物だった。綺麗に整備された家を囲む外壁と、頑丈に作られた鉄門だけでも軽い驚きを覚えた。
レイアがこれから住む家を上機嫌に眺めていると、門の奥から口論の声が聞こえてきた。
「だから、帰れと言っているだろう。今は人と会いたい気分じゃないんだよ」
「それは困る。俺はあんたの側で、戦いかたを学びたいと考えている」
「無理だ。なにが哀しくて、男につきまとわれなきゃいけないんだ。帰れ帰れ、俺は自分の見る目のなさに絶望して、死にたい気分なんだよ」
家主は全体的に淀んだ空気をまとって、悄然としていた。暗澹たる表情で、瞳には光が失っている。絶望に打ちひしがれた人間のようだ。
「まさか、モニカが一六歳だったなんて……俺はそんな子供に欲情させて、下半身を反応させたかと思うと自分に情けなくなる」
早熟すぎるだろ、と吐露する家主だった。ロッセリー商会の代表が成人を迎えたぐらいなのは、レイアも聞きおよんでいた。若くしてあれだけ大商会をまとめあげるのは、器もさることながら次々と斬新なアイディアを思いつく商才には、一部の貴族も注目している。
「一六歳なら大人だろう」
「馬鹿野郎! 俺の国では未成年なんだよっ、完全にアウトだっつうの」
「それは他国だろう。このアルバーニア大陸では、一五歳以上は大人扱いされるのは共通している。一六歳にそういった感情を抱いても、恥ずかしい話しではないし、合法だ」
「そういう問題じゃねえ! 俺は一八歳未満を女と見るような性癖は持ち合わせてないだよっ。くそ、信条を大切にするあまり、足元すくわれた気分だ」
女に飢えるあまりに子供に発情してしまった家主は、「俺のアイデンティティが失ってしまう!」と嘆いていた。
この家主は、自分の雇主や肉づきのいい女性たちを視姦する人間が、細かいことを口にするものだとレイアは呆れかえる。彼女らから訴えられるのが早いか、もしくは性犯罪で捕まるかは時間の問題だろう。
気を取りなおし、レイアが同居をお願いする家主とは奏太であった。当人は、どうやら虫の居所が悪いようだ。レイアの中では、奏太の家で同居は決定事項となっているのだが、当人からまだ承諾はもらっておらず、これから頂く予定である。
――と、レイアの目が、先ほどから奏太と会話をしている背を向けた相手、ひとりの男に目が留まる。
その相手とは眉間に縦皺を作り、仏頂面の男――カイルだった。
彼の顔を見た瞬間、レイアの血液が沸騰する。
「こらぁ、くそ矮躯! なんで、お前がここにいる」
「やはり来たか、狂犬」
カイルはレイアがこの家にやって来ることを予想していたさまで、驚いた態度を見せない。その横で、奏太はなにをしに来たという面持ちだ。
「なんで、お前も集まって来ているんだよ」
「今日から、この家に住むことになったレイアだ」
奏太の心情を気にも留めず、笑みを作って宜しくと言うふうに手を上げる。
「はっ!? なに勝手なことをっ」
「俺も、部屋を借りるつもりだ」
「お前もかよ!」
家主の心情を配慮することもなく、淡白な口調でカイルも便乗する。
「辛気くさいお前がいると、家の中にカビが生えるんだよ! とっとと帰れっ」
「黙れ。お前に、そんな権利はないだろう」
レイアの言葉を適当にあしらい、カイルは言葉を紡ぐ。
「ソウタの強さを知るために、この家に通うのも面倒だ。それに、俺は家事には少し自信がある。住まわせてくれている間は、この家の家事はすべて受け持ってもいい」
男のくせに家事が得意とはと言いたげに、レイアは鼻で笑う。いかにも根暗の上に神経質なカイルらしい女々しい特技である。
だが、その言葉を聞いて奏太は口ごもり、「なんだと」と反応を示した。思った以上にカイルの特技は、奏太の心を動かすものだったようだ。苦い顔で低く唸っている。このままでは、レイアより先に奏太への挑戦権がカイルに移行してしまいそうだ。
これはまずいと、レイアの中で焦りを生む。ところが、残念ながらレイアは戦う以外これっといった特技はない。なにかないかと考えたあげく、レイアは妙案を思いつく。即座に動いた。
この一ヶ月、奏太と戦いを断られ続けていたレイアは、奏太の性格や行動を炯眼で観察をしており、奏太がどういった人間なのかあるていど把握している。
「私は、家事はできないが……」
レイアは黒髪の家主に近づいていき、そして彼の腕を自分の腕に絡ませ、自身の大きくて柔らかい胸へと密着させる。初めてする行為に、レイアは大胆かつ豪快に押しつけたのもあり、衣服越しから大きな乳房をその捥に埋もれさせた。
途端、奏太は今まで苦々しい表情が、見る見る表情が抜け落ちていく。まさに無だ。
「たまに、こうして身体を密着してやってもいい――それに、お前が気にしている年だが、私は一九だ」
微動だにしない奏太の耳もとを、触れるか触れないかまで薄い唇が接近して述べる。吐息が鼓膜をくすぐった。
しばし、無言だった奏太はようやく口を開き、
「二人とも、家の中では喧嘩禁止だぞ」
「「わかった」」
奏太から今まで聞いたこともない穏やかな声音に、レイアとカイルは返事を重ねて答えた。




