2-18
モニカはなにが起きたか理解できなかった。ブライアンは振り向きざまに剣を振るい、なにかと激突する音を響かせた。フードを被った精鋭らは、貴族街の大門と反対方向へと駆けていった。
目の前で起きたことについて理解できなかったが、それよりも今はモニカの意識はギルダーで占めていた。全身は夥しい血で濡れそぼり、魔力欠乏した状態での連続の戦闘にて、ギルダーの命は風前の灯火となっていた。
「離して! ギルダーっ、ダメよこんなところで倒れたら。約束したじゃない。子供の頃、ずっと守ってくれるって。あれは嘘だったの?」
キリカは声を張り上げ、ピクリとも動かないギルダーへ必死に呼びかけた。
「離してやれ、嬢ちゃんも逃げる気はない」
面白いものを見るように笑んで、ブライアンが言う。すると、両腕を捕らえていた男から解放され、モニカはギルダーのもとに走った。横で膝まずき、ギルダーの頭を抱きかかえる。名を呼ぶが、反応がなくピクリとも動かない。
モニカの涙が、ギルダーの顔を濡らしたその瞬間、ギルダーの瞼がゆっくりと開いた。彼女を認める。
「……なんで、泣く必要がある、代表」
ギルダーは小さく笑み、か細くモニカの呼び声に返事をした。その声には生気を感じられない。それと、身体の下の血溜まりに、安堵する余裕などできるはずがなかった。
モニカはギルダーの大きな手を強く握る。現世から旅立とうとするギルダーを、胸を張り裂けそうになりながらモニカは必死に引きとめた。
剣を握ってできたタコが幾度も潰らした戦士の手は、小さかったモニカの頭をなれない手つきで撫でてくれ、それを握るモニカの手を握りかえす力は残されていない。
「ここまで来る間に、巡回中のウイング兵団に奏太へ言づてを頼んでいた」
言い終えてすぐ、咳き込むギルダーは血塊を吐き出す。モニカの顔が悲哀に満ち、死にゆくギルダーをなす術なく見下ろした。
彼の目的は、時間稼ぎだったのだ。初めからブライアンやその部下たちに勝てるなど思っておらず、モニカを助け出せる可能性が低いと見越していた。奏太に望みをかけ、命がけの時間稼ぎを行ったのだ。
使っていた剣も、いつも使っているものと違い、ウイング兵団の隊員から借りた物であった。
「じゃ、この騒ぎは」
「ああ……もう、大丈夫だ。俺がいなくなっても、自分に成り代わってソウタがロッセリー商会を守ってくれるはずだ――最後に代表を守りきれて……よかった」
独白を噛みしめるように、言葉が途切れる。ギルダーのその表情は、安らかで眠るように瞼が閉じられた。
よりいっそう力強く握りしめ、モニカは意識をつなぎとめようとする。しかし、その望みは叶わず、ギルダーの瞼は開けられることはなかった。ここまで生きているのが奇跡であり、強靱の精神と身体だからこそ鼓動を弾ませ、ロッセリー商会の守護者は動けたのだ。
「来たか」
ブライアンの視界の前方に、奏太の姿があった。
ジャケットをはだけさせ、逞しい上半身を露出させるブライアンが、傲然と前に立ちはだかる。モニカにはブライアンの背中しか見えないが、彼は歓迎するかのようで、なにか期待をしているようも感じ取れた。
奏太は、奥で横たわるギルダーとモニカの姿を視認すると、嘆息して頭を掻きながら歩を進める。
ブライアンは唇の端をつり上げ、長剣を担ぎなおして仁王立ちになって立つ。帯びる空気は穏やかそのもの。
「お前だろう? さっき仕掛けてきた奴は。一目見ただけでわかる。お前のまとっている空気が他の奴らと違う」
質問には答えずに歩みは続け、大柄の男との間合い踏み込む。その瞬間、担いだ長剣が銀光の旋風をなびかせながら、奏太の首を撃ち落とそうと襲う。
「ちょっと、どいてくれ」
身に迫る銀光が辿り着く寸前、奏太の拳が相手の下顎を狙い打つ。打ち放たれたブライアンは、矢のごとく上空へと吸い込まれ、弧を描きながら滑空する。モニカの頭上を通過し、数軒先の離れた場所に落下した。
今起きたことに目もくれず、奏太はモニカらのもとに歩み寄る。モニカは奏太の顔を改めて見やり、今まで耐えていた不安や恐怖が決壊して滂沱の涙を流す。
「ソウタ……お兄ちゃんが……お兄ちゃんが死んじゃう」
変わり果てた姿のギルダーを目にし、ところが奏太の表情は普段そのもの。全身のいたるところが斬りつけられ、一目見て彼はもう助からないと察せるだろう。
「まあ、なんだ。泣いてばかりいないで、お礼を言ってやったらどうだ」
「で、でも、私のせいでお兄ちゃんがこんなに酷い目に――いつも、私のせいで迷惑ばかりかけちゃっていて……」
「そうか? 男が命がけで仕事を果たしたんだ、満足だろ――そんな男前に、とびっきり美味いジュースを飲ましてやるか」
あんまり数がないから、他人にはあまり分けたくなかったのだが、と話しながら無造作に横手の空間に手をもぐり込ませる。それを引き抜くと、一個の果実を取り出す。それは見たことがない果実だった。ただし、どこか神秘性を秘めており、色は黄金に彩っている。
「これはサバイバル生活していたときに、腹を満たしてくれる食糧として大きく助かった果実で、リンゴだ。俺の国じゃ色は赤かったけど、まあ細かい話だな。本当はギルダーのような、色男には絶対にあげたくないのが本音なんだが、ダンディーな男前は特別だ」
奏太に護身術を教授してくれた完璧執事のように、ダンディーな男へは寛大であった。
弱々しいがまだ息のあるギルダーの口を開き、その上でリンゴを握り潰して果汁を喉の奥にむりやり流し込む。搾り終わると、残りを自分の口に放り咀嚼して飲み込んだ。
そうな黒髪の男の行動に、モニカが胡乱げに見やった。
「いや、本当に美味いからな、このリンゴ」
「リンゴ? そんな果実が、アルバーニア大陸にあったかしら」
新しくリンゴを取りだし、奏太から譲ってもらうと、あまりの神々しさに圧倒されて愕然とする。黄金の輝きを放つ金塊のようで、両手から転がり落ちないよう大事に受け取った。
「それ食べている間に、全部終わらせる。だから、ここでおとなしく待っていてくれ」
そう言い、ギルダーの安らかに寝ているようにしか見えない顔を一瞥して、目を上げる。
前方には男が顎を擦りながら、こちらに歩いて来ていた。
「ブライアン……奏太の拳を受けて、まだ立てるなんて」
「そ、そうだな。なかなか、タフな奴だ」
急にしどろもどろとなる奏太に、モニカは不審を抱く。
この緊迫した状況下でも少しもたじろがず、普段と変わらない奏太が傍らにいることで、モニカの頭は多少冷静さを取り戻していた。
奏太と出会ってもうすぐ三ヶ月が経とうとし、モニカは徐々に彼の性格を理解していた。怠惰のこの男の気持ちをモニカは悟る。膨大な借金を背負った奏太は、借金を恐れるあまり、街中では力を抑制がかかってしまうのも不思議ではない。
魔人の身体を散り散りに屠る男の一撃を、ブライアンだけではなく、地上の人間が無事でいられるか疑問だ――もし、強いて上げるとすれば、歴代最強と称賛される今代の勇者ぐらいだろう。
もっとも、あの一撃に耐えられるだけ、やはりブライアンもただ者ではないのは変わりない。
「効いた。こんな生きのいい拳を受けたのは久しぶりだ。そこで、屍となろうとしている元冒険者とは大違いだ」
口の端をつり上げるブライアンを、「誰のせいで」とモニカは今にも飛びかかりそうな、キッ、と睨むように怖い顔を浮かべる。
「おい、平民街のS○Xシンボルを泣かすなよ」
「なっ、街中でなに言い出しているの!」と、モニカの怒声の大音量がこの場で吹き乱れる。
「知らなかったのか? 平民街の男たちでは、モニカはそういう認識だったぞ」
初めて聞く情報にモニカの表情は赤面から、顔面蒼白へと忙しく移り変わる。
「くくく、そりゃ悪かった。だが、心配するな。嬢ちゃんは、これから貴族の玩具として、泣くだけではなく、喜怒哀楽全ての感情を失う」
つまり、酷烈な拷問を身に被り、感情を失うとブライアンは言っている。戦慄する話しに、モニカの肌からさらに血の気が失われていく。
「そんな起こりもしない話しで、無意味にモニカを怖がらすなよ」
「人の話を聞いてないのか? これから俺たちが――」
「あぁぁもういい。そんなよた話されても、眠くなるだけだ」
奏太はブライアンの話を遮り、そのように言ってのけた。
「だいたい、ギルダーのようなダンディーで、渋い男相手だから泣く泣くあきらめたのに、薄汚い爺どもにモニカが汚されるぐらいなら、俺が汚したほうが断然いいだろう」
どこまで辱めれば気がすむのかと、モニカの両手を握り拳へと変え、怒りで震える。その表情は目尻が険しくつり上がっており、視線だけで視殺せそうな怒りを奏太の背中へぶつけた。
モニカが怒りを抱いている間に、ブライアンと奏太の距離は狭まっていた。ブライアンの得物の全長は、成人男性ほどある。ブライアンはその間合いの一歩前で止まった。対峙する奏太と、二メートルを超える長身のブライアンと比べて、奏太も低くはない背丈だが、どうしても低く見えてしまう。
「残念だが、その戯言は幻に終わる」
「終わらないさ、モニカは俺にとって欠かせない人間だ。それを邪魔するなら、貴族だろうと王様だろうと俺が力づくで黙らせる」
唇を弧に描き、ゾッとする凶悪顔を浮かべるブライアン。それに反して、奏太の表情は至って平素なものだった。
大柄の身体ながらブライアンにとって、その距離は無にひとしかった。一瞬で零にし、縦横無尽に鋭く放ってくる。幾筋の流線を作りだすそれは、モニカでは刃を目で追うことはできず、肩から先が残像にしか見えない。離れたモニカまで圧迫感をあたえる斬撃だった。
奏太はそれを難なく見切り、常人離れの反応速度で身を反らし、冷静にすべて躱しきる。
鈍く輝く黒刃が、一条の漆黒となって垂直に落とされた。黒刃は奏太の顔へと降りそそぎ、それを難儀なく、パシ、と五本の指腹で掴み取ってしまう。
「おい、とっとと本気だせよ。じゃないと、見せ場なしに終わらせるぞ」
「生意気な野郎だ」
少なくとも素手で、しかもたやすく受け止められる剣撃ではなかった。そもそも、相手が武器を持っている相手に、素手で挑むのが無謀なのである。
矜持を傷つけられたブライアンの瞳が、怒りに染まる。それでも、彼の口もとはニヤリと笑みを浮かべていた。彼の笑み見て、モニカはブライアンの持つ魔剣の特性を思い出す。
「奏太、すぐにその魔剣から手を離して! その魔剣に触れると魔力を吸われるのっ」
「は? 嘘だろ」
奏太は背後からのモニカの声に振り返ろうとしたが、
「もう、遅い。身体中の魔力を奪ってやる」
主人の意思に従うように、魔剣の紋様が赤く光り、奏太の魔力を吸引始めた。魔力欠乏すれば立っていられず、戦闘どころではなくなってしまう。それは常人離れした奏太でも、例外ではないはずである。
――そのはずが、奏太はどれだけ魔力を吸引され続けても、身体に異常をきたす変化は表れた様子はない。
ありえない出来事だった。奏太の魔力量はモニカに劣り、並の平民と同等ぐらいしかないのだ。すぐに体内で蓄えられた魔力を吸引され、枯渇されるはずであった。
ところが、どこも怪我はないと格好で腹部を掻いていた。
「それで、お前の隠し玉は終わりか」
「……まだだ」
ブライアンから余裕がかなぐり捨てられ、その顔にはどうなっていると感情が刻まれていた。やはり、奏太のような変化が表れないことは、過去になかったようだ。
魔剣を掴まれたまま、ブライアンは奏太から吸い出した魔力で、黒刃から魔法を放った。
奏太は間近で浴びせられ、凄まじい衝撃を殴られたお返しにと炸裂させた。
ブライアンの放った魔法は、無属性魔法の魔力の塊を解き放ち、その破壊力は魔力量に左右されるが、放たれた魔力量は身体がズタズタに引き裂き、即死あるいはよくても五体満足とはいかないものだった。
魔法を受けた奏太から、爆煙が吹き荒れて身体を包み隠す。白煙が徐々に薄れていき、その中から奏太の姿が現れる。
「あーくそ、口の中に砂が入った」
魔法との激突は粉塵を巻き上げ、地面を二本の足で摩擦を生じながら砂地を抉り、数メートル後退させただけだった。魔法を受けた本人は、痛くも痒くもないといった格好だ。
「そろそろ終わらせるか」
ここでようやく、奏太の右手が拳をつくる。
「簡単に死ぬなよ。ウイング兵団にたっぷり絞ってもらうのだからな」
「舐めるな、ガキ。すぐに三枚におろしてやる」
鋭い眼光を奏太に送り、長身から殺気を周囲に撒き散らす。ブライアンの姿が視界からぶれた。
刹那、奏太の眼前に現れ、魔剣を振り下ろしていた。刀身には急速に魔力が膨張する。白き軌跡が螺旋状に絡みつき、バーストするかのように暴風となって吹き荒れる。
魔剣から凄まじい魔力を感じる。あれを食らえば、いくら奏太でも無傷とはいかないはずだ。モニカは無意識に奏太の名を呼んでいた。
「死ね」
ブライアンの呟きとともに、奏太が斬り伏せられる、そう思えた。魔剣にまとった風の刃を、奏太は無造作に左腕で迎えるように差し出し、そして受け止めた。凄まじい爆音を街に響き渡らせた。まばゆい閃光とともに路面が弾け、地中から突き上げられた土塊が真上へ噴きあげる。
奏太の足裏は地面に沈んでいき、すり鉢状の穴を造り出した。それは、二台の魔導車が余裕を持って行き交いできる大通りを、両脇に並ぶ民家へと手がとどくほどの規模であった。
魔力をまとった刃が接触し、驚愕にも奏太の左腕は繋がっており、生きてその場に立っていた。
「お前、本当に人間か」
「人間に決まっているだろう」
奏太は、おかしなことをいう奴だとした顔で言い捨てると、右の拳が放たれた。大気が唸りを上げる。猛進と接近する重い拳は、計り知れない破壊力を宿しながら繰り出された。その拳には風を竜巻状におびて、先行してブライアンの髪を風で舞い踊らせる。
瞬間の後、天地を打ち砕く打撃がブライアンの胸部を射抜く。
ブライアンはなされるがまま、衝撃を殺しきるのができずに弾丸の勢いで打ち上げられる。その軌道はずれることなく一直線に伸びていき、街を遮る内壁に激突した。砲弾を撃ち込まれたよう轟音をたて、内壁を揺るがした。
「おし、手加減できた」
奏太は安堵するように述べた。
あれほど手強かったブライアンが、まるで赤子のように簡単に倒されてしまった。内壁にめり込んだブライアンは、彫像のようにピクリとも動かない。どうやら、気絶したようだ。
終始奏太は涼しい顔で戦っており、どこまでも底が見えない男であった。
間抜けに口を開けて呆然とするモニカをそっちのけで、貴族街の大門を管理する守兵たちが騒ぎ出す。彼らは、王族の息がかかった者たちで組織されている。平民街でなにが起ころうと知らぬ顔だが、貴族街の壁が壊されれば黙っていないだろう。ただちにこの場を離れるべきだ。
モニカはそのことを奏太に伝えようとしたとき、奏太が振り返り、
「ところで、ギルダーをお兄ちゃんってどういうこと? できたら、その辺り詳しく教えて欲しいだけど」
モニカに発した第一声がそれであった。奏太はロッセリー商会で作ったネクタイの結び目をしめなおし、モニカに詰め寄り彼女の肩に手を置く。
「いやぁぁぁついさっき失恋したばかりで、落ち込んでいたんだよ。これは偶然? いや、運命だな」
独り、なにかを噛みしめるように頷く奏太の横で、モニカは憮然として吐息を漏らした。
ギルダーをはなはだ危険な状態で、すぐにでも薬師のもとに運ばなければいけないにもかかわらず、暖気な顔を浮かべて場違いな質問。こんな男に助けられたのかと思うと、情けない気持ちと相まって怒りが湧き上がる。
「ところでどうだろう。俺と結婚を前提に彼女になってくれると、すごくすごく嬉しいのだけど」
「いい加減しろ!!」
モニカの憤怒の雄叫びが、平民街に響き渡った。




