捜査file.8 闇からの叫び
地下本部の通路の陰。自動販売機の裏の暗がりで、S(佐々木)とE(神条)が身をひそめるように肩を寄せ合っていた。
「Eさん、準備はできた?」
Sが声を潜め、懐から小さな超小型集音マイクを取り出す。
「バッチリだよ、S! BOSSの部屋の換気ダクトにこの超小型ドローンを潜り込ませれば、あの『得体の知れない神出鬼没の小柄な老婆』の正体……プライベートの秘密が全部暴けちゃうんだから!」
Eがタブレット端末の画面をタップしながら、ニヒヒと悪戯っぽく笑う。
二人が企んでいるのは、S.I.C.Sの最大の謎——どんな時もすべてを見透かしている絶対的BOSSのプライベート捜査だった。
「よし……いけ、マイクロドローンちゃん!」
「……ほほう。わしのプライベートが、そんなに気になるのかね?」
「「ヒェッ!?」」
背後から直接聞こえた、はんなりとしつつも冷ややかな声。二人が飛び上がって振り返ると、そこにはいつの間にか、小さな湯呑みを手に持った着物姿の老婆——BOSS(お初)が佇んでいた。
「ボッ……BOSS!? な、なんでここに……! 今、自室にいたはずじゃ……?」
Eが顔を引きつらせてタブレットを隠そうとするが、BOSSは煙管をくゆらせながら、底知れぬ目を細めた。
「甘いわい。この地下本部の空気の揺らぎ一つ、わしの目を盗めると思うてか?……SとE、人の部屋を覗き見ようとするような不調法者には、相応の務めを果たしてもらわねばのう。」
「えっ……あ、あの……!?」
「地下本部のトイレ全箇所の磨き上げじゃ。ピカピカになるまで、今日の業務はそれ以外一切認めん。よいな?」
「「そんなぁぁぁーーーっ!!」」
絶叫するSとEを冷たく一蹴し、BOSSはゆっくりとミーティングルームへと歩き出した。その口元には、どこか楽しげな微かな笑みが浮かんでいた。
「……また下らん悪巧みをして、BOSSに絞られたか。」
「ハハハハハッ!BOSSに挑むとは、いい度胸だな、お前たち!」
ミーティングルームで刀の鯉口を切っていたK(鴉天狗)が、意気消沈してバケツとブラシを持ち歩いていくSとEを横目にあきれ顔を向ける。それに、悔しそうに顔を歪める二人とそれを見て笑うQ。しかし、部屋に流れていたわずかな和やかさは、J(山田)がモニターの前に立った瞬間に吹き飛んだ。
「全員、持ち場につけ。……緊急事態だ。」
Jの冷徹な声に、全員が表情を引き締める。
「先ほど、警視庁本庁から『警視監特命』として、緊急の捜査差し止め命令が発令された。S.I.C.Sの全データベースへのアクセス権が一時凍結。……さらに、私個人に対する『本庁への即時出頭および単独聴取』の命令が出ている。」
「なっ……!? 捜査差し止め!?」
トイレ掃除のバケツを抱えたまま、Sが素声を上げた。
「Qが掴んできた『裏コードネーム』の情報を解析しようとした矢先にこれかい!? 完全に本庁の幹部……裏切り者が潰しにかかってきてるじゃん!」
Eも憤慨してタブレットを叩くが、画面には『ACCESS DENIED』の赤い警告文字がむなしく点滅する。
「正規の警察プロトコルを通じた行政命令なんて……! 完全に組織の力で押し潰す気です!」
Nが悔しそうに拳を握りしめる。
チームに緊張と焦燥が走る中、静かに湯呑みを置いたのはBOSSだった。
「……慌てるな。向こうも必死ということじゃ。Qが裏のルートから『しっぽ』を掴みかけた故、焦って強引な手に打って出たのよ。」
BOSSは小さな身体から、場を圧倒する重厚な圧を漂わせた。
「J。お前はどうするつもりじゃ?」
「……出頭するさ。」
Jは迷いのない瞳でBOSSを見つめ返した。
「敵の真の狙いは、俺とS.I.C.Sの分断、そして俺の隔離です。俺が素直に向かわなければ、S.I.C.Sそのものが強制解体される口実を与えてしまう。……相手の土俵に上り、向こうの動向を直接プロファイリングしでやろうじゃないか。」
「Jさん! 無茶ですよ!」
Sが前に踏み出す。
「本庁のどいつが敵か分かんないんですよ!? 呼び出しておいて、途中で消される可能性だって……!」
「分かっている。だが、これが最も確実に『影の首謀者』を引きずり出す一手だ。」
Jの強い決意に、Sは言葉を詰まらせた。BOSSは煙管の煙をゆったりと天井へ吐き出し、冷徹な指示を言い渡す。
「……よいだろう。Jは指示通り、本庁の送迎車に乗れ。……そして他の者ども…。」
BOSSの目が、鋭い光を放つ。
「表面上は命令に従うフリをし、大人しくしておれ。……だが、裏で爪と牙を研いでおくのじゃ。相手が不審な動きを見せた瞬間、全力で噛み千切るぞ。」
「「了解!!」」
◼️◼️◼️
地下本部の作戦室。出頭の準備を整えるJの元へ、重厚な足音とともにQが近づいてきた。
「……本当に行くつもりか、J。」
Qは低い声でJに声をかけた。その腕には、怪我の包帯が痛々しく巻かれている。
「ああ。敵の真の狙いは俺とチームの分断だ。俺が向かわなければ、本庁は組織の力を使ってS.I.C.Sそのものを潰しにかかる。」
Jが淡々とガンホルダーを装着すると、Qは「ハッ」と鼻で小さく笑った。
「相変わらず可愛くない男だ。冷静なプロファイラー気取りもいいがな、あの『顔の見えない翁』の手先どもが、お前を大人しく取り調べ室まで運ぶと思うか?」
「思わないな。……だが、毒を喰らわば皿までだ。奴らが仕掛けてくるなら、その現場で首謀者の尻尾を掴む。」
「手伝うか?」
「…できるのか?」
Jが不敵な笑みを浮かべると、Qはドンと力強くJの肩を叩いた。分厚い手が絶大な信頼を伝える。
「ふん……肉うどんを大盛り一杯奢れよ?」
「スーツはやめた様だが、まぁ、その服を無駄な筋肉で破かなかったらな。」
「……死んで帰ってきたら、俺がお前の魂をプロテインと一緒に喰らってやるからな。……おいS、K。」
Qが背後に控えていた二人へ振り返り、鋭い眼光を向けた。
「Jの野郎がいくら『一人で行く』と言おうが関係ない。お前たち、裏から車をマークしろ。奴の首皮一枚繋ぎ止めるのが、お前たちの役目だ。」
「へへッ、言われなくても! Jさんを一人で狼の群れに放り込むわけないでしょ!」
「了解だ、Q。」
SとKが強く頷いた。
一方、すぐ横のモニターの前ではEとNが急ピッチでキーボードを叩いていた。
「Nちゃん、僕が本庁からの遠隔監視アクセスを偽装信号でブロックするから、その上から霊的な遮蔽結界を被せて!」
「はい! Eさんのデジタル防壁に、芦屋の隠蔽陣を重ねます! これでJさんの通信と位置情報は、本庁の監視網から隠し通せます!」
「頼んだぞ、二人とも。」
Jはチーム全員を見渡し、静かに作戦室を後にした。Qはその背中を無言で見送りながら、腕組みをして低く呟く。
「……しくじるなよ、J。」
チームの固い絆に見送られ、Jを乗せた黒塗りの本庁送迎車が地下駐車場を滑り出していった。
◼️◼️◼️
都心へ向かう高速道路の地下トンネル内。
後部座席に座るJは、窓の外を流れる橘色の街灯を静かに見つめていた。運転手と助手席に座るスーツ姿の男たちは、一言も喋らない。不自然なほど静まり返った車内。
……おかしい。都心へのルートなら、この時間帯は激しい渋滞に巻き込まれるはずだ。…待て…前後の車両が消えている……?!
Jが手首の時計に目をやると、秒針が狂ったように逆回転を始め、ピタリと停止した。
ガタタッ……!
突如、トンネル内の空間全体がぐにゃりと歪み、周囲の壁面が黒いモヤへと変貌し、エンジン音が消え、静寂と不気味な霊波が車内を押し包む。運転席の男たちがゆっくりと振り向いた。その顔には目も鼻もなく、平坦な「黒い影」だけが蠢いていた。
「……本庁の捜査官ではないな。」
Jが冷徹に言い放ち、懐からカスタム大型拳銃を引き抜く。だが、引き金を引こうとした瞬間、強烈な金縛りのような霊圧が全身を襲い、指一本動かせなくなった。
『ククク……無駄だ、山田迅。いや……我が『器』よ』
トンネルの闇の奥から、歪んだ重厚な声が響き渡る。
空間が裂け、黒いモヤの中からゆらりと現れたのは、あの『顔の見えない翁』だった。
……この威圧感……! 影食いの時とは比べものにならない……! 本体か……!?
金縛りに抗い、冷や汗を流しながら眼前を見据えるJ。翁はJの喉元に冷たい影の指を滑らせ、嘲笑うように語りかけた。
『お初の手元で偽りの名を与えられ、正義の味方気取りで飼い殺されていた気分はどうだ?……お前が失った記憶の半分は、私の中にしかないというのに…。』
「……くっ……俺の……記憶……!?」
Jが歯を食いしばり、必死で金縛りを押しのけようとしたその時。『顔の見えない翁』は嘲笑いながら、自らの顔を覆う黒いモヤを、すっと長指で払い落とした。
『思い出せ……あの燃え盛る夜を。我が計画を阻まんと抗い、散っていった愚かな仲間たちの死に様をな……!』
現れたその素顔を見た瞬間——。
ッッ────!!!!
Jの脳裏で、砕け散っていた記憶のピースが一気に激突し、爆発した!
脳裏に広がる、数年前の燃え盛る惨劇の記憶。
倒れ伏す仲間たち、血の海、そして目の前で冷たく嘲笑う、瓢箪のような頭部と妖気を纏った異形の姿——!
……あいつだ……! 記憶の底に眠っていた……あの夜の……恐怖の元凶……!
Jの瞳が限界まで見開かれ、絶望と怒りが交錯した声が漏れ出た。
「……あ……あいつは……! 違う……翁などではない……! 『ぬらりひょん』……!!」
『クハハハハ! ようやく思い出しか! お前の失われた過去も命も、すべてここで回収してやる!』
ぬらりひょんが黒い鉤爪を振り上げ、Jの胸元へ繰り出そうとした——まさにその瞬間!
ズドバァァァァンッッ!!!!
結界で閉じられた空間の天頂が崩落し、漆黒の斬撃と凄まじい雷光が叩きつけられた!
「Jさんに手ぇ出してんじゃねぇよ、この化け物がぁぁッ!!」
空間を突き破ったSが爆走タックルで異形の側面に強烈な体当たりを叩き込んだ。
「グァッ!?」
体勢を崩した敵の隙を見逃さず、空中で三回転したKが疾風のごとき居合の一閃を繰り出す!
「ハァァッ!!」
刃が敵の影の腕を深く切り裂き、Jを拘束していた金縛りの霊圧が弾け飛んだ。
「……S! K!」
「Jさん、無事ですか!?」
「立てますかJ! ここは長居する場所ではありません!」
身体の自由を取り戻したJは、間髪入れずに懐から大型拳銃を引き抜き、周囲を取り囲む影の雑魚どもへ連続射撃を叩き込む!
ズドォン! ズドォン! ズドォン!!
「ちっ……群がる雑魚どもが邪魔だ!」
Jが吐き捨てたその時、崩落した天井の穴から、溢れんばかりの圧倒的な霊圧が押し寄せてきた!
「どけ……雑魚どもッ!!」
九本の尻尾を鞭の様にしならせタフな体躯を躍動させ、大妖怪たる圧倒的な打撃と霊力で周囲の影の群れをQが一瞬で叩き潰し、薙ぎ払う。
「Q……!」
「フン、おいJ! 間一髪だったな!」
Qは不敵に口角を上げると、激怒して妖気を爆発させるぬらりひょんを見据えた。
『おのれ……お初の飼い犬どもがぁぁッ!!』
「ハッ、 俺たちは犬じゃねえ!S.I.C.Sだッ! Eさん、Nさん、脱出ルートを開けろ!」
「俺は狐だ!」
「…じゃぁ、私は烏?」
「もう!こんな時に何言ってんすか?!」
Sの叫びに、通信インカムから頼もしい二人の声が重なって響く。
『OK! 僕のサイバープログラムで信号を偽装して敵の結界を撹乱したよ!』
『今です、芦屋の術式で結界の弱点を完全破断しました! 脱出してください!』
「全員…退くぞ!」
Jの冷徹かつ明確な指揮のもと、Qが絶大な霊圧で敵の視界を完全に遮断! その隙にSとKがJを挟み込み、崩落した穴から現実の高速道路へと一気になだれ込んで脱出を果たした。
夜の静寂を取り戻した首都高速。
激しい戦闘を終え、安全圏まで退避した指揮車の車内で肩で息をするSとK、そして腕組みをして不敵に笑うQ。
「……ハァ、ハァ……マジで死ぬかと思った……! 一体何なんだよあの頭のでかい化け物……!」
Sが力尽きたようにシートへ倒れ込む。
「……ああ。だが、Jが無事で何よりだ。」
Kが小さく微笑み、Jを見つめる。
Jは震える自らの拳を固く握りしめ、前を見つめていた。
「……みんな、すまない。……そして、感謝する。」
Jの言葉に、Qがニヤリと笑った。
「礼なら、肉うどんだ。……それよりJ、奴の顔を見て、自分の過去を思い出せたのか?」
「……ああ。あいつは…あの翁は…大妖怪『ぬらりひょん』だ。数年前の極秘部隊壊滅の黒幕であり……俺の仲間を殺し、俺の記憶を奪った張本人だ。」
Jの瞳に、宿命の炎が宿る。
「逃げるのは終わりだ。……次はこちらから仕掛ける。」
◼️◼️◼️
地下本部の室長室。
モニター越しに生還報告を受けたBOSS(お初)は、静かに煙管を置き、古びた引き出しから一本の古い短刀を取り出した。
「……ぬらりひょん。ついに現れたか……。」
小柄な老婆の背後から、一瞬だけ世界を圧迫するような底知れぬ霊気と威圧感が溢れ出す。
「わしの愛しい部下たちに手を出し、東京を混沌に陥れようとするならば……容赦はせんぞ。」
東京の街を包む闇が、静かに、そして激しく蠢き始めていた。
(第8話・完)




