捜査file.5 百鬼夜行と配信者
午前8時30分。朝日がほんのりと届くS.I.C.S地下本部のオフィス。
S(佐々木)は自分のデスクに深く腰掛け、マグカップのコーヒーをすすりながら、あくび混じりにスマホの画面を眺めていた。
「ふぁ〜あ……。今日も平和だといいなぁ。最近ずっと怪異とドンパチ続きで、肩こりがヤバいんだよな……。」
一口コーヒーを飲み、ふうっと息を吐いた瞬間——
「……肩こりには、葛根と芍薬を煎じた茶が効くぞ?」
「ひやぁぁぁぁぁッ!?」
突如、真横から耳元に届いた低い声に、Sは跳ね上がってコーヒーを盛大に撒き散らしそうになった。
慌てて振り向くと、そこには漆黒のジャケットに身を包み、黒マスクを着けたK(鴉天狗)が、至極当然といった顔で立っていた。
「け、K!? 頼むから普通に部屋に入ってこいよ! なんで気配ゼロなんだ!? 鴉天狗の『忍び』のクセ!?」
「……普通に歩いてきたが?」
心外そうに眉をひそめるK。その手には、古びた竹かごと不気味な土瓶が握られている。
「なにそれ……朝ご飯?」
「うむ。乾燥させた乾パンと、山で採った薬草の煎じ茶だ。」
「それ完全に修験者の修行食じゃん!! 令和の警察官の朝食じゃないでしょ! コンビニでサンドイッチ買ってこいよ!」
「添加物まみれの食料など、刃の切れ味を鈍らせるだけだ。」
「頑なだなぁ……。」
Sが呆れ果てていると、奥のデスクから分厚い教本を両手で抱えたQ(九尾)が、死にそうな顔で歩いてきた。額にはピキピキと青筋が浮かび、目の下には濃いクマができている。
「……乾パンでも何でもいい、俺にプロテインと一緒に寄こせ……。脳の糖分が完全に枯渇した……。」
「Qさん、どうしたんですかその本……『道路交通法・完全攻略1000問』!?」
「BOSS(お初)の課題だ……。明日の学科再試験で90点以上取れねば、俺は内勤だ。…人間が作った重箱の隅をつつくような問題など、九尾の狐に解けるかぁっ!!」
「あはは……まあ、頑張ってください……。」
苦笑いするSたちの前で、オフィスのメインモニターがピコンと高らかに鳴り響いた。
「みんな〜! 朝から元気に頭抱えてる〜?」
天井のオペレーションルームからE(神条)の声が響き、メインモニターに一つの動画ファイルが展開された。
「E、遊んでいる暇はない。捜査案件か?」
J(山田迅)が淹れたてのコーヒーを手に姿を現すと、一瞬で部屋の空気が引き締まる。
「大正解、J! これ、昨日の深夜、歌舞伎町の有名な廃ビルで起きた事件なんだけど……まずはこれを見て。」
Eが再生ボタンを押すと、若者向けの動画配信画面が映し出された。
画面の中では、派手な髪色をした人気ストリーマーの青年が、スマホのライトで暗闇を照らしながら興奮気味にカメラへ語りかけている。
『ハローYouTube! 今日は若者の間で話題の最新ARアプリ「百鬼」を使って、マジで本物の幽霊が出てくるのか検証してみまーす! チャンネル登録よろしくな!』
青年がスマホ画面のアプリを起動すると、カメラ越しの暗闇に、画面を通して気味の悪い黒い人影(妖)が浮かび上がった。
『うわっ、マジで出たよこれ! リアルすぎ——!』
次の瞬間。
画面のノイズが激しく走り、カメラの向こうから「本物の黒い霧」が煙のように吹き出した。
『ヒッ……!? 待っ、アプリが勝手に……うわぁぁぁぁぁぁッ!?』
青年の悲鳴とともにカメラが床へ落下し、画面が黒い霧に覆い尽くされた。そして霧が晴れた時には、スマホだけが転がり、青年の姿は完全に消え去っていた。
「……神隠しか?」
Kが目を細める。Sは思わず寒気を覚えて身を乗り出した。
「え、これヤラセじゃなくて……?」
「うん、本物。捜査一課は「登録者数を稼ぐための狂言誘拐」って突っぱねたんだけどね。うちで動画の波形をスロー解析したら、カメラのノイズの中に本物の怨霊が発する高周波の霊的波動がバッチリ映り込んでたの。」
「被害者の名は?」
「歌舞伎町を中心に活動する人気配信者・トモキ。そして彼だけじゃない……ここ数日で、同じアプリ「百鬼」を使って生配信をしていた若者が、すでに3人も行方不明になってる。」
Eの言葉にJは首を傾げる。スマホでほとんどアプリを使わないJは全く見当もつかなかった。
「アプリ『百鬼』……。具体的にはどういうものだ?」
Jの問いに、Eが手元の端末を操作してアプリの概要をモニターへ映し出す。
「位置情報を利用したARゲームアプリだよ。「街に潜むあやかしを画面越しにキャッチして、お祓いごっこをしてバズろう!」っていうのが売りで、ここ1ヶ月で若者の間で爆発的に流行してるの。」
「画面越しにお祓いごっこ……。愚かな。妖を玩具にするなど、自ら災いを招くようなものだ。」
Qが教本を伏せ、険しい表情で吐き捨てる。
そこへ、部屋の奥からN(芦屋)が静かに歩み寄ってきた。Eから転送されたアプリの内部ソースコードを食い入るように見つめている。
「……Jさん。このアプリ、ただのデジタルプログラムではありません。」
「どういうことだ、N?」
「ソースコードの背後に配置された数式と暗号……。これは、数千年前の古代陰陽術における『憑依招来の陣』の配置と完全に一致します。……画面を通じてユーザーの生命力を微量に吸い上げ、それを餌にして本物の低級あやかしを引き寄せ、凶暴化させる仕組みです。」
Nの言葉に、Sが息をのんだ。
「じゃあ……あのアプリを起動した時点で、自ら悪霊を呼び寄せて餌になってたってことですか!?」
「そうだ。そしてこの術式の組み方……素人に作れる代物ではない。陰陽道の禁忌を熟知した者が関わっている。」
Jの瞳が冷たく光った。
「E、アプリの配信元と開発者のサーバーを特定しろ。S、K、Qは歌舞伎町の現場へ向かい、消えた配信者たちの足取りを洗うぞ。」
「うむ! 現場捜査だな! よし、テスト勉強は後回しだ!」
Qが嬉々として立ち上がろうとすると、Jが冷ややかに言い放った。
「Qお前は、移動中の車内で100問テストの暗記だ。S、助手席からQに問題を提出しろ。」
「えっ、俺がですか!?」
「ぬあぁぁぁぁッ!? 逃げ場がない……!!」
Qの絶叫が地下本部に響き渡る中、S.I.C.Sの新たな捜査が開始されたのだった。
◼️◼️◼️
歌舞伎町へと向かうS.I.C.Sの捜査車両。運転席のKが静かにハンドルを握る中、後部座席ではQとSによる、緊迫の「問題演習」が繰り広げられていた。
「よし、Qさん、第42問! 『交差点付近で緊急自動車が接近してきた場合、右側に寄って一時停止しなければならない。○か×か!?』」
「ぬぬぬ……っ! 緊急車両だから左に寄るのが基本だが……道路の状況によっては右に寄ることもあるから……×か!?」
「残念、○です! 『一方通行の道路で左に寄るとかえって妨げになる場合は右側に寄る』でした〜!」
「な、なんだその引っかけ問題はぁぁぁッ!? 道路交通法を作った人間をここに連れてこい!!」
Qが頭を抱えて、堪えきれずに現れた尻尾振り回す。それに運転席のKが、ミラー越しに冷ややかな目を向けた。
「……Q、叫ぶな。集中力が乱れる。」
「K! お前は空を飛べるから免許など不要だろうが、俺の死活問題なのだぞ!」
「静かにしろ、現場に着た。」
Kが車を滑り込ませたのは、歌舞伎町の裏路地に佇む半倒壊の廃ビルの前だった。
車を降りたSたちは、トモキが配信を行っていたビル3階のフロアへと足を踏み入れる。室内には散乱したゴミと怪しげな落書き、そして床にはトモキが落としたスマートフォンが転がっていた。
「S、不用意に触るな。」
KがSの腕を制する。黒マスクの奥から鼻腔を鳴らし、周囲の空気を探る。
「……やはりな。人間の生臭い匂いではない。低級の怨霊が放つ、腐った肉の臭いだ。それも、通常のあやかしとは違い、強烈な『執着の念』が練り込まれている。」
Sが落ちていたスマホの画面をのぞき込む。画面はひび割れていたが、ARアプリ『百鬼』のアイコンが不気味に点滅を続けていた。
「アプリを通じて、歌舞伎町中のあやかしが集められてる……。これ、トモキだけじゃなくて、アプリを使ってる一般人もヤバいんじゃないですか!?」
「ああ。急ぐぞ、Eから連絡だ!」
通信端末からEのキーボードを叩く高速な音が響く。
『みんな〜! アプリ「百鬼」のサーバーをハッキングして、開発者の個人情報を特定したよ! 名前は矢口達也(24)。都内のIT企業を退職したフリーのプログラマーで、今は歌舞伎町近くの雑居ビルに事務所を借りてる!』
「よし。S、K、Q、そのまま矢口のアジトへ急行しろ。」
指揮車内のJが冷徹に命じる。
「Q、お前は入り口の退路を断て。逃がすなよ。」
「フン、テスト勉強の鬱憤を晴らす絶好の機会だ。骨ごと噛み砕いてやる。」
数分後。雑居ビルの一室。
バゴォン!!
Kの蹴り一閃によって重厚なドアが破られ、SとKが部屋へ踏み込んだ。
「警察だ! 動くな!」
「ひっ……!? な、なんだお前たち!?」
部屋の奥、無数のモニターに囲まれたデスクで青ざめていたのは、目の下に酷いクマを作った気弱そうな青年——矢口だった。
Sが手錠を構えて歩み寄る。
「矢口達也だな! 危険なアプリ『百鬼』を使って、配信者たちを神隠しに遭わせた容疑で拘束する!」
「ち、違う! 僕はただアプリを作っただけだ! 配信者が勝手に消えたなんて僕のせいじゃない!」
矢口が半狂乱になって叫ぶ。その時、車内で待機していたJからの冷たい声が通信越しに届いた。
『矢口。お前のようなしがないプログラマーが、数千年前の「大陰陽術の陣」をプログラム化できるはずがない。……誰に教わった?』
矢口はガタガタと震えながら、モニターの画面を指さした。
「ほ、本当なんです! 僕はネットの闇掲示板で……『顔の見えない翁』と名乗る人物からアドバイスを受けただけなんです! 『このコードをアプリに組み込めば、絶対にバズる』って……!」
「顔の見えない翁……?」
Sが首をひねる。Jが即座に追及する。
『その「翁」との通信ログを見せろ』
「は、はい! これです!」
矢口が操作した画面には、暗号化されたチャットログが映し出されていた。そこには、アプリのコード構成だけでなく、信じられない一文が刻まれていた。
『人間に手軽な力を与えよ。あやかしを弄ばせよ。……さすれば、街は自ずと宴の場(百鬼夜行)となる』
「な……なんだよこれ……!?」
Sがゾッとして息をのむ。
その時、Nの声が通信に割り込んだ。
『Jさん! 大変です! このログの暗号署名……この間の「猫又の祭壇マニュアル」や「天導の会」の裏にあった暗号パターンと完全に同一のアルゴリズムです……!』
Jの瞳が凍りついた。
……やはり繋がっている。個別の事件に見えていたものはすべて、裏で誰か一人の手によって糸が引かれていた……!
「ひぇぇぇっ!?」
突如、矢口が悲鳴を上げた。
デスクのメインPCが真っ赤なエラー画面に染まり、部屋中のスピーカーからギギギ……と不気味なノイズが鳴り響き始める。
「な、なんだ!? 何が起きてる!?」
『おそらく、バグだ! サーバーが勝手に暴走を始めた! アプリをダウンロードしている全員のスマホから、蓄積された霊的エネルギーが一斉に解放されてる……!』
Eの言葉に。矢口がパニックになりながらキーボードを叩くが、操作を受け付けない。
『J! 歌舞伎町の地下ライブハウスに、アプリで呼び寄せられた数百匹の低級あやかしたちが一気に集結し始めてる!』
Eの悲鳴のような報告が響く。
『アプリの「自動集客機能」が暴走して、失踪したトモキたち配信者だけじゃなく、ライブハウスにいる一般のお客さんまで巻き込んで……本物の「現代の百鬼夜行」が始まっちゃうよ!!』
「チッ……誘い出されたか!」
Kが黒マスクを締め直す。Jは静かに、けれど絶対的な威厳を持って指示を飛ばした。
「全員、現場の地下ライブハウスへ向かえ! アプリの物理サーバーと霊的術式の破壊、および人質の救出を行う!」
「了解!」
Qが袖を捲り上げ、凶悪な笑みを浮かべた。
「ククク……地獄のテスト勉強で溜まったストレス、すべてあの化物どもに叩きつけてやる……!」
◼️◼️◼️
歌舞伎町のビル地下にあるライブハウス。
かつて若者たちが歓声を上げていたフロアは今、異様な紫色の霧と重苦しい悪臭に包まれていた。
「ギャァァァァッ!!」
「助けて……助けてくれぇぇっ!!」
ステージ上には、最初に失踪したトモキたち配信者や、アプリに誘い出された一般客が蜘蛛の巣のような黒い霊糸で縛り上げられている。その周囲を、アプリの暴走によって実体化した無数の妖たちが、舌をずり下げて取り囲んでいた。
ドカァッッン!!
突如、ライブハウスの天井と非常扉が一斉に吹き飛んだ!
「警察だ! 全員動くな!」
煙の中から躍り出たのは、SとKだった。
「ケッケッケッ……人間の肉だぁぁッ!」
肉塊のような巨大な妖が牙を剥いて飛びかかってくるが、Kが風を切るような一閃で手刀を叩き込む。
ズドォ!!
「S、人質の解放を優先しろ! 雑魚は私とQで食い止める!」
「了解!」
Sはすばやく身を翻し、特殊警棒で人質を縛る霊糸を叩き切っていく。一方、現場近くの路地に停められた漆黒の指揮車内。
大型モニターの群れに囲まれたJは、ヘッドセットを装着し、目にも留まらぬ速さで戦況データを分析していた。
『J! アプリの暴走プログラムが第二段階に入ったよ! 歌舞伎町中のスマホから霊気を吸い上げ続けてる!』
オペレーションルームのEが悲鳴を上げる。Jは冷静に画面をタップした。
「慌てるな、E。N、アプリに組み込まれた『憑依招来の陣』の霊的結界の『眼』はどこだ?」
隣のモニターで数術を計算していたNが叫ぶ。
『ステージ中央のメインスピーカー内部です! あそこに妖を引き寄せる霊的サーバーが仕込まれています!』
Jが車内からQの通信へ割り込んだ。
『Q。ステージ中央のスピーカーを叩き潰せ。ただし、内部の霊的コアを破壊する際、周囲の人質に衝撃波を飛ばすな。……角度は左45度、力加減は3%だ』
通信を受けたQが、群がる妖の首を片手で掴み上げながら豪快に笑った。
『フン、注文が多い男だ! ……だが、100問テストの鬱憤、この一撃で晴らさせてもらうぞ!!』
Qが袖を弾けさせ、全身の筋肉を脈動させる。
「パワー制御、3%……叩き割れぇぇぇッ!!」
ゴォォォォォォン!!!!
Qの渾身の拳がスピーカーへ炸裂! 精密にコントロールされた衝撃波が、人質たちを綺麗に避けてスピーカー内部の「霊的コア」だけを跡形もなく粉砕した!
同時に、車内でEとNがコードを強制シャットダウンさせる。
『よしっ! アプリのマスターサーバー、完全ダウン! 霊気の吸引、止まったよ〜!』
コアを失った無数の妖たちは悲鳴を上げ、次々と黒い霧となって消滅していった。
そうして、事件は収束し、救出されたトモキたち配信者や客は、S.I.C.Sの特殊記憶処理によって「ガス漏れによる集団幻覚事故」として無事に保護された。
◼️◼️◼️
Jは一人、モニターに映し出されたアプリ開発者・矢口のPCから抽出した「通信ログ」を見つめていた。画面には、『顔の見えない翁』と名乗る人物からの暗号化されたメッセージが漂っている。
『猫又の祭壇』……そして今回の『呪術アプリ』……。
Jの脳裏で、これまでの事件が一本の線でつながっていく。…誰かが意図的に、現代のテクノロジーやネットを媒介にして、知識を持たない一般人に「妖を扱う術」をバラ撒いている。目的は明確だ。現代社会の人間と妖の境界線を曖昧にし、東京を混沌へと陥れること——。
「……見えざる敵、か。」
Jが静かに緩くなったコーヒーに口をつけた。
地下本部の和室で、モニター越しにその全てを静かに見つめていたBOSS(お初)がいた。
お初は湯呑みをデスクに置き、暗い部屋の中で小さく息を吐いた。
「……ついに動き出したか……あやつめ。……迅(J)の記憶が戻るのも、そう遠くはないかもしれんのう……。」
お初の言葉は誰に聞かれるでもなく、夕闇が迫った部屋に溶けていった。




