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第17話 「今を変える未来」

佳子の過去編、もう一つの転機です。


「今」を見られるようになった佳子が、それでも届かないものにぶつかる話になります。


彼女の眼帯の理由にも触れていきます。

それから、季節が少しずつ流れた。


私は御鏡さんと共に、各地で起きている異常現象を調べるようになった。


御鏡さんと行動を始めてから、もうすぐ一年になる。


「右へ二歩!」


御鏡さんが動く。


飛んできた瓦礫が、足元を通過した。


「そのまま動かないで!」


御鏡さんは止まる。


頭上を、鋭い風が薙いでいく。


「今です!」


御鏡さんが片手を前へ出した。


正面から放たれた衝撃が、その手のひらへ触れる。


鈍い音が響く。


だが、御鏡さんの身体は一歩も動かない。


受け止めた力だけが、御鏡さんの中へ吸い込まれたように消えていく。


敵の表情が変わった。


御鏡さんは一気に距離を詰め、その腹部へ拳を叩き込む。


男が地面へ崩れ落ちた。


静寂が戻る。


私は両目に宿った淡い光を消し、小さく息を吐いた。


「最近、無茶をしすぎです」


「このくらいしないと何も進まない」


「そうですが……それでも、私は……」


最後の言葉は出せなかった。


御鏡さんは何も聞かずに歩き出す。


私は、その背中を少しだけ睨んだ。


だけど。


御鏡さんは、私の指示を一度も疑わなかった。


私が右と言えば、右へ動く。


止まれと言えば、理由を聞かずに止まる。


私では止められないものを、御鏡さんが受け止めてくれる。


御鏡さんには見えないものを、私が伝える。


その信頼が、私には嬉しかった。


気づけば口元が少しだけ緩んでいた。



数日後、別の戦いを終えた帰り道。


私は、少し前を歩く御鏡さんへ声をかけた。


「御鏡さん」


「何だ」


「最近、時々考えるんです」


御鏡さんが足を止める。


「今をちゃんと見れば、できることはあります」


「みく姉ちゃんが、そう教えてくれました」


あの日から私は、過去の失敗ばかりを数えることをやめた。


間に合わなかったことではなく、今できることを探すようになった。


それでも。


「見つけた時には、もう間に合わないこともあるんじゃないかって」


御鏡さんの指先へ目を向ける。


先ほど受け止めた攻撃の反動で、僅かに震えていた。


「前みたいに、起きたことを引きずっているわけじゃありません」


「ただ……あと数秒でも早く気づけたら、助けられるものもあると思うんです」


御鏡さんは黙って私を見た。


「すべてを救うことはできない」


「分かっています」


「救えなかったものまで背負えば、いずれ動けなくなる」


「それも、分かっています」


御鏡さんは少し間を置いて言った。


「なら、今のお前に見えるものを見ろ」


「その一秒を重ねて未来を救え」


「……はい」


私は頷いた。


言っていることは正しい。


それでも。


胸の奥に残った小さな引っ掛かりまでは、消えなかった。


その時。


地面が大きく揺れた。


遠くで、轟音が響く。


慌てて振り返る。


商店街の一角から、黒煙が上がっていた。



現場では、三棟の建物が同時に崩れかけていた。


左の建物の入口には、足を痛めて動けない母親と、その身体に縋りつく子供。


正面では、崩れた看板の下に男性が挟まれている。


右の建物からも、子供の泣き声が聞こえる。


私は両目に意識を集中させた。


壁を走る亀裂。


傾いていく柱。


瓦礫にかかる重さ。


人の位置。


避難ルート。


今、起きていることはすべて見える。


だからこそ、分かってしまった。


どれも限界だった。


「佳子!」


御鏡さんが三棟を見渡す。


「どこから行く」


私の力を頼りに救出しようとしている。


けれど、このままでは全員を救えない。


誰かを助ければ、誰かが犠牲になる。


それが分かるまで、一秒もかからなかった。


呼吸が荒くなる。


「はぁ……はぁ……ま、待ってください」


左の柱が軋む。


正面の看板が沈む。


右の建物から、ガラスの砕ける音がした。


「どこだ」


「このままじゃ……誰かが犠牲になります……」


左を選べば、右が間に合わない。


右へ行けば、正面の男性が潰される。


正面へ向かえば、左の親子が崩れた壁に呑まれる。


私が選んだ順番で、誰かが死ぬ。


「お前が重荷を背負う必要はない」


御鏡さんが、私を見る。


「俺だけを見ろ」


「どこへ……」


「右だ。後は、見えてから考える」


そう言って、御鏡さんは一番近い右の建物へ踏み出した。


御鏡さんを守るために、私が視る。


だからこそ。


間違えるわけにはいかない。


だけど。


「今は見えているのに……」


三つの建物から、同時に亀裂の音が響く。


「確実に救える先を見たい……!」


誰かの悲鳴が聞こえた。


時間がない。


正しい答えを探している場合ではない。


それでも、今見えているものだけでは選べない。


「今じゃなくて、この先を知れたら」


左目の奥が熱を持つ。


「選べる時間が欲しい」


ドクン。


胸の奥で、何かが脈打った。


未来が少しだけ見えれば、今を変えられる。


私たちが動けば、全員に手が届く瞬間。


「今を変えるための未来を――」


左目に、激しい光が宿る。


「見せて!」


その瞬間、私の世界から音が消えた。


三十秒後。


正面の看板が完全に落下する。


その十秒後。


右の建物で、二階へ続く階段が崩れる。


あと十秒で、頭上の柱が折れる。


見える。


まだ間に合うルートが存在した。


逆再生のように、世界が巻き戻る。


十秒先の私。


五秒先の私。


一秒先の私。


それらが次々と現在へ重なり、


最後に、今ここにいる私へ戻ってくる。


意識が、一気に鮮明になった。


「御鏡さん、違います!」


右へ向かいかけた御鏡さんが、足を止める。


「正面です!!」


御鏡さんが振り返らずに進路を変えた。


「看板の右端を持ち上げてください!」


「男性を引き出したら、すぐ右へ!」


私は右の建物を指差した。


「そこにいる人! 窓の下に集まってください!」


近くにいた大人たちが、弾かれたように顔を上げる。


「右の建物は階段が崩れます!」


「窓です! 子供を窓から逃がしてください!」


御鏡さんが、看板の下へ飛び込む。


私は左の建物へ向かって走り出した。


未来が上書きされる。


今と未来が、凄まじい速度で入れ替わる。


自分が今を走っているのか。


未来の自分を見ているのか。


その境目さえ、分からなくなっていく。


足元が揺らいでも、走るのをやめなかった。


「立てますか!?」


母親が痛みに顔を歪める。


「足が……」


残り十秒。


頭上の柱が折れる。


「私に掴まって!」


母親の腕を肩へ回す。


もう片方の手で、子供の手を握った。


重い。


一人では支え切れない。


それでも。


ここで止まれば、二人とも死ぬ。


「お願い、押してください!」


私は近くにいた男性へ叫んだ。


男性がすぐに駆け寄り、母親の背中を支えた。


「走って!」


子供が母親の腕を引く。


私たちは、崩れかけた入口から外へ転がり出た。


直後。


背後で柱が折れる。


轟音。


崩れた壁が、先ほどまで私たちのいた場所を呑み込んだ。


間に合った。


視界の端で、御鏡さんが看板の下から男性を引き出しているのが見えた。


右の建物では、集まった大人たちが窓の下で腕を広げている。


泣きじゃくる子供の身体が、窓から外へ押し出された。


御鏡さんが駆け寄り、その身体を下から受け止める。


全員に、手が届いた。


未来が少しだけ見えれば、今を変えられる。


もっと早く見えれば。


もっと先まで見えれば。


もっと多くの人に、手が届く。


なんて凄いんだろう。


もっと先を、もっと知りたい。


そう思った瞬間。


未来が、さらに先へ進み始めた。


十秒。


一分。


一時間。


一日。


「え……?」


救助の先にあったはずの景色が、凄まじい速さで流れていく。


見たかったのは、ほんの少し先だけだった。


全員を救える順番だけだった。


それなのに。


「待って……」


街を歩く人々。


空に灯る無数の光。


人と人を結んでいく、幾つもの線。


一つの光が消える。


それに繋がっていた光が、また一つ消える。


次々と。


まるで世界そのものが、ほどけていくように。


「もう、いい……!」


未来は、私の意思を無視して進み続ける。


季節が流れる。


街が燃える。


建物が崩れる。


知っている人たちの姿が、一人ずつ消えていく。


笑っていた顔。


怒っていた顔。


泣いていた顔。


名前も知らない誰かの顔。


それらが、光の粒のように消えていく。


空に、巨大な裂け目が走った。


その向こうから、何かが入り込んでくる。


やがて、人の姿はすべて消えた。


何も残されていない大地に、人の形をした影だけが立っていた。


顔はあるはずなのに、見ようとするほど輪郭が崩れていく。


男なのか。


女なのか。


子供なのか。


大人なのか。


何一つ、認識できない。


私は、その顔を見ようとした。


誰なのか確かめようと、さらに力を込める。


「そこにいるのは……誰?」


左目の奥で、何かが裂けた。


「ああああああっ!!」


焼けた針を、眼球の奥へ突き刺されたような痛みが走る。


私は左目を押さえ、その場へ崩れ落ちた。


指の隙間から、熱いものが流れていく。


それでも未来は止まらない。


「痛い……!」


「もう、やめて……!」


見たくない。


もうやめたい。


なのに、目を閉じることすらできない。


「ああああっ!!」


視界が赤く染まる。


最後に残った人影まで、赤の中へ溶けていく。


そして。


左側の世界が、完全に消えた。



「佳子!」


御鏡さんの声で目を覚ました。


病院に運ばれたみたいだ。


身体を起こそうとすると、左目に激痛が走る。


「触るな」


御鏡さんが私の手を止めた。


左目は、厚い布で覆われている。


「私の目……」


「もう見えていない」


私は右目を閉じた。


左側には、何もない。


暗いのではない。


そこだけが、私の世界から切り離されている。


事故の記憶も。


先ほど見た未来も。


こんなふうに、自分から切り離せたら。


そう思った瞬間、涙が溢れた。


見えている右側の景色だけが、滲んでいく。


そのことが、嫌でも現実を突きつけてきた。


私は必死に堪えながら御鏡さんに状況を尋ねた。


「建物にいた人たちは……?」


「全員助かった」


御鏡さんは短く答えた。


「お前が言った順番で間に合った」


「……よかった」


胸の奥から、息が漏れた。


よかった。


本当に、それだけでよかった。


そう思ったはずなのに。


左側の消えた世界には、あの景色がまだ焼きついていた。


御鏡さんの右手を見る。


膝の上で、強く握られていた。


その指先は、僅かに震えている。


「ずっと、ここにいたんですか?」


「お前が目を覚ますまではな」


その一瞬だけ、ほんの少し、痛みが和らいだ気がした。


「何があった」


御鏡さんは、私の左目は見なかった。


ただ、私だけを見ていた。


私は、あの光景を言葉にしようとした。


「未来……だと思います」


声が震えた。


「世界が、壊れていく未来です」


御鏡さんの表情が変わる。


私は、布の上から左目へ触れた。


もう見えない。


けれど、あの光景だけは消えてくれない。


「その世界に……」


一度、言葉を止めた。


「誰かが、一人だけいました」


「それが敵なのか、味方なのかも……」


「それから……まだ、何かを見たはずなんです」


「でも、思い出そうとすると……」


言葉がうまく続かない。


咄嗟に左目を強く押さえた。


見たものは、まだ私の中に残っている。


でも、それを形にしようとすると、左目の奥がまた熱を持つ気がした。


御鏡さんが、私の言葉を遮った。


「佳子」


名前を呼ばれて、息が止まった。


「お前が生きている」


「今は、それでいい」


私は、左目を押さえていた手を、ゆっくりと下ろした。


第17話を読んでいただき、ありがとうございました。


今回は、佳子が「未来を見る」力に触れた話でした。


ほんの少し先が見えれば、もっと多くの人を助けられる。


その願いは間違いではなかったはずなのに、佳子は大きな代償を払うことになります。


第15話から続いた佳子の過去編は、ここで一つの区切りです。


次回からは現在の物語へ戻ります。


感想・評価・ブックマークをいただけると、とても励みになります。


次回もよろしくお願いします。

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