第15話 「今を見る」
今回は佳子の過去回です。(いつもよりボリューム大です)
彼女がどうして「今」を見れるようになったのか。
そして、御鏡との出会い。
少しだけ、佳子という人物の奥に触れる話になります。
「正反対?」
俺が聞くと、佳子は小さく頷いた。
「はい。でも、距離がありすぎて、これ以上は視えません」
佳子の右目から、淡い光が消える。
「今すぐ接触する可能性は?」
「低いと思います」
御鏡は少し考えてから、首を横へ振った。
「なら、今は後回しだ」
御鏡の視線が、少し離れた場所にいる一花へ向く。
正体の分からない二つの波長も気になる。
だが、その前に確かめなければならないことがあった。
俺たちは傷の手当てをしながら、一花の話を聞くことにした。
「御鏡さん。腕を出してください」
「この程度なら必要ない」
「必要です。右腕の震えが、まだ止まっていません」
佳子は有無を言わせず、御鏡の右腕に包帯を巻いていく。
「落さん。そちらを押さえてください」
「あ、ああ」
俺は言われたとおり、包帯の端を押さえた。
佳子が包帯を結び終える。
少し離れた場所から、一花がこちらを見ていることに気づいた。
「何か言いたそうだな」
「別に」
一花はすぐに視線を逸らした。
「ただ……」
「何だよ」
「皆さん、普通なんですね」
「普通?」
「怪我をしたら手当てをして、無茶をしたら怒って」
一花の視線が、御鏡の包帯へ向く。
その目が一瞬だけ、別の誰かを思い出したように揺れた。
リアの姿が、俺の頭をよぎった。
拝島に傷つけられても、命令がなければ手当てすらしなかった少女。
一花も、同じことを思い出しているように見えた。
「勘違いしないでください」
一花が俺を睨む。
「あなたたちを信用したわけではありません」
「何も言ってないだろ」
「言いそうな顔をしていました」
どんな顔だよ。
「拝島さんから聞いた話と、私が実際に見たものは違っていました」
一花は少し間を置いた。
「だから、あなたたちの話も聞きます」
「自分で見極めると決めましたから」
自分で見極める。
あの時、一花が選んだ道だった。
俺は口にするだけで精一杯だったことを、一花はもう行動に変えようとしている。
そう思うと、少しだけ情けなくなった。
「一つ、聞いてもいいですか?」
一花が俺たちを見回す。
「皆さんは、長いこと一緒にいるんですか?」
御鏡が答える。
「俺と佳子は、一年以上の付き合いになる」
「落が加わったのは、つい最近だ」
「……最近?」
一花が俺を見る。
「何だよ」
「もっと長く一緒にいるのかと思いました」
「それだけ息が合ってたってことか?」
「そういう意味ではありません」
一花は即座に否定した。
少しくらい考えてから答えてもいいだろ。
「御鏡と佳子は、どうやって知り合ったんだ?」
そういえば、二人のことを何も知らない。
戦いが立て続けに起きて、聞く余裕がなかった。
それだけじゃない。
以前の俺なら、疑問を持っても口には出さなかった。
知らなくても困らない。
そう考えて、俯いて終わらせていた。
「一年以上前です」
佳子が答える。
「私がBeginningに目覚めた頃、御鏡さんと出会いました」
「その頃から、あんな連携を?」
「最初からできたわけではありませんよ」
佳子が僅かに笑う。
俺の視線が、佳子の眼帯で止まった。
御鏡と出会った頃から、既につけていたのだろうか。
「その眼帯も、能力と関係あるのか?」
佳子が目を細める。
「女性の顔をそんなに見つめていると、陽菜さんに嫌われますよ」
「いや、違う!」
「能力とか、戦いとか……分からないことが増えすぎて、気になったものを全部繋げて考えただけだ」
「陽菜とは、別にそんな関係じゃ……」
「ふふっ」
佳子が、からかうように笑った。
御鏡は小さく息を吐く。
「話が逸れてるぞ」
「……悪い」
佳子は眼帯に、そっと指を触れた。
先ほどまで浮かべていた笑みが消える。
「はい。この眼帯は、私の能力と関係があります」
「いい機会ですし、お二人にも知っておいてもらった方がいいですから」
佳子の指が、眼帯の表面をなぞる。
「御鏡さんとの出会いと、私の力のきっかけを」
佳子の声は、いつもより少しだけ静かだった。
「少し、昔の話をします」
◇
一年と少し前。
「また、失敗しちゃった……」
私は、今日の失敗を何度も頭の中で繰り返しながら歩いていた。
学校で行われたグループ発表。
自分の番で、話す順番を一つ間違えた。
発表そのものは無事に終わった。
同じ班の友人も、「気にしなくていい」と笑っていた。
それでも、その瞬間が頭から離れなかった。
あそこで間違えなければ。
もっと練習していれば。
私ではなく、別の人が発表していれば。
「佳子、まだ考えてるの?」
隣を歩く姉の未来が、呆れたように笑う。
「でも、私のせいでみんなが……」
「誰も気にしてなかったでしょ」
「そうかもしれないけど……」
「じゃあ、気分転換しよ」
みく姉ちゃんはそう言って、私の少し前に出た。
「駅前のパン屋、期間限定のやつ今日までなんだって」
「え、でも……」
「でもじゃない。反省会は歩きながら禁止」
みく姉ちゃんは振り返って、わざと大げさに笑った。
「今日の佳子、放っておいたら家に着くまで百回くらい謝りそうだし」
「そんなに謝らないよ」
「嘘。今もう五十回目くらいの顔してる」
みく姉ちゃんの冗談に、私は少しだけ笑った。
けれど、すぐにまた発表の場面が頭の中へ戻ってくる。
私が順番を間違えた瞬間。
一瞬だけ止まった空気。
友人たちの顔。
本当は怒っていたのではないか。
笑って許してくれたのも、気を遣わせてしまったからではないか。
「佳子?」
みく姉ちゃんの声がした。
でも、その声も水の中から聞こえるみたいに遠かった。
私は考えたまま、みく姉ちゃんの後ろを歩いていた。
駅前へ向かう道は、いつもより少し人が多かった。
学校帰りの生徒。
買い物袋を持った人。
自転車のベル。
車のエンジン音。
いろんな音が混ざっていたのに、私は何も見ていなかった。
交差点の手前。
歩行者用の信号が、青から点滅に変わる。
みく姉ちゃんは先に渡りきって、向こう側で足を止めた。
「佳子、待って!」
その声に、私は顔を上げなかった。
点滅していた信号が、赤に変わる。
それでも私は、考え事をしたまま一歩を踏み出した。
その瞬間。
横道から、左折してくる車が飛び込んできた。
運転手も、前を走る自転車を避けるようにハンドルを切っていた。
私と車の間にあった距離が、一気に消える。
「佳子!」
大きなクラクションが鳴った。
反射的に顔を上げる。
車が、すぐ目の前まで迫っていた。
身体が動かない。
次の瞬間。
向こう側にいたはずのみく姉ちゃんが、私へ向かって走ってきた。
「佳子!」
みく姉ちゃんの手が、私の肩を強く押す。
私は歩道の方へ倒れ込んだ。
甲高いブレーキ音。
鈍い衝突音。
地面へ倒れた私の視界を、みく姉ちゃんの身体が横切った。
「……みく姉ちゃん?」
みく姉ちゃんの身体が、道路へ投げ出されていた。
左脚が、不自然な方向へ曲がっている。
「みく姉ちゃん!」
私は這うようにして駆け寄った。
呼びかけても返事がない。
震える手で、みく姉ちゃんの手を握る。
温かい。
まだ生きている。
「誰か……」
声がうまく出ない。
「誰か、助けてください!」
周囲の人たちが集まってくる。
救急車を呼ぶ声。
運転手へ声をかける人。
誰かが私とみく姉ちゃんを引き離そうとする。
それでも私は、みく姉ちゃんの手を離せなかった。
さっきまで考えていた発表の失敗は、頭から消えていた。
代わりに。
信号を見なかったこと。
みく姉ちゃんの声を聞かなかったこと。
私を庇ったみく姉ちゃんが倒れていること。
取り返しのつかない後悔だけが、何度も頭の中で繰り返されていた。
◇
みく姉ちゃんの命は助かった。
しかし、左脚には大きな傷が残った。
以前と同じように歩けるかは分からない。
医師からそう告げられた日から、私は毎日のように病室へ通った。
「ごめんなさい」
病室へ入るたびに謝った。
「私が信号を見ていたら」
「佳子のせいじゃないよ」
「みく姉ちゃんの声を、ちゃんと聞いていたら」
「もういいって」
「あの発表で間違えなかったら、ぼんやり歩くことも……」
みく姉ちゃんの表情が変わった。
「もう!」
突然の声に、私は顔を上げた。
「また、過去のことばっかり引きずって!」
「でも……」
「小学生の時、私の大事にしてたコップを割ったこともそう」
「私がとっくに忘れてるのに、何年も謝ってきたよね」
「友達と喧嘩した時だって、仲直りした後まで、あの言い方が悪かったってずっと悩んでた」
「今日の発表だって、みんなが気にしてないって言ってくれたんでしょ?」
「それは……」
「今回とは重さが違うよ」
みく姉ちゃんの声が、少しだけ優しくなる。
「私の足が元に戻らないかもしれないことも分かってる」
「佳子が簡単に忘れられないことも」
「でも、佳子は昔からそう」
「終わったことの中に、ずっと正しい答えを探してる」
私は膝の上で拳を握った。
「あの時、どうすればよかったんだろうって……」
「それが分かったら、もう失敗しないかもしれない」
「分かるまで考えたいの」
「でも、その答えはいつ出るの?」
私は答えられなかった。
みく姉ちゃんが、真っ直ぐに私を見る。
「誰も佳子を責めてないのに」
「佳子だけが、ずっと佳子を責めてる」
「だって、みく姉ちゃんは私のせいで……」
「違う」
みく姉ちゃんは強く言い切った。
「あの時、私は佳子を助けたかった」
「考えるより先に、身体が動いた」
「私が自分で決めたことまで、佳子の失敗にしないで」
少し強い言葉だった。
みく姉ちゃんは、すぐに困ったように笑った。
「ごめん。怒ってるわけじゃないの」
「ただね」
みく姉ちゃんの手が、私の頬へ触れる。
「佳子、病室に来てから一度も、私の顔を見てないよ」
「え……?」
「ずっと私の足ばかり見てる」
「佳子が見てるのは、今の私じゃない」
「事故に遭った時の私だけ」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
みく姉ちゃんは笑っていた。
痛みがないわけではない。
以前と同じように歩ける保証もない。
それでも、目の前で生きている。
「私はここにいるよ」
みく姉ちゃんが、私の手を握った。
「後悔するなとは言わない」
「でも、今の私まで、あの日の中に閉じ込めないで」
「なくなったものばかり見ないで」
「今ここにいる私も、ちゃんと見てよ」
みく姉ちゃんの目には、涙が浮かんでいた。
私が過去を見続けることで、目の前にいるみく姉ちゃんまで苦しめていた。
そのことに、私は初めて気づいた。
「……ごめん」
また、同じ言葉が出た。
みく姉ちゃんは呆れたように笑う。
「ほら、また謝った」
私も僅かに笑った。
それでも。
夜になれば、事故の瞬間を思い出した。
クラクション。
突き飛ばされた感触。
車と身体がぶつかる音。
あの日の音は、何度も私の中で鳴った。
みく姉ちゃんの言葉を理解しても、すぐには変われなかった。
それでも私は少しずつ、傷ついた左脚ではなく、目の前で笑うみく姉ちゃんの顔を見ようとし始めた。
◇
数週間後。
私は、車椅子に乗るみく姉ちゃんと公園を目指して歩いていた。
みく姉ちゃんが外へ出るのは、事故の日以来だった。
風が木々を揺らしている。
子供たちの笑い声が聞こえる。
「今日は三歩も歩けたんだよ」
みく姉ちゃんが嬉しそうに言う。
「先生も驚いてた」
「……うん」
「今度は佳子も見に来てよ」
「でも、私がいると……」
「また失敗するかもって?」
私は何も答えられなかった。
みく姉ちゃんは小さく息を吐き、それ以上は何も言わなかった。
その時。
近くの工事現場から、金属が軋む音が聞こえた。
きい、と嫌な音だった。
私は顔を上げる。
吊り上げられていた束になった鉄骨が、風に煽られて小さく揺れていた。
それを支えるワイヤーが、一本だけ不自然に震えている。
細い金属の繊維が、数本ほど裂けていた。
今にも切れそうだった。
「……危ない」
私は呟いた。
工事現場のすぐ近くでは、二人の子供が遊んでいた。
男の子と女の子。
二人は転がったボールを追いかけ、立ち入り禁止の柵の隙間へ近づいていく。
「そこ、だめ!」
声を出したつもりだった。
けれど、喉が詰まって、うまく届かない。
次の瞬間。
ぱん、と乾いた音がした。
ワイヤーが切れた。
作業員の叫び声が響く。
束になった鉄骨が、大きく傾く。
落ちる。
そう分かった時には、もう遅かった。
真下にいた男の子と女の子が、音に驚いて立ち尽くしていた。
作業員たちは叫んでいた。
近くにいた大人たちも走り出そうとしていた。
けれど、鉄骨が落ちるまでの時間はあまりに短い。
誰も、二人の元へ届かない。
「危ない!」
私は走ろうとする。
だが、足が動かない。
車道に立ち尽くしていた自分。
迫ってくる車。
私を突き飛ばしたみく姉ちゃん。
また同じことになる。
私が子供たちを助けに行けば、みく姉ちゃんを一人にしてしまう。
また、私の見ていない場所でみく姉ちゃんが傷つくかもしれない。
「佳子!」
みく姉ちゃんの声が響く。
「でも……」
「みく姉ちゃんを置いていったら、また……」
「私はここにいる!」
みく姉ちゃんが、車椅子の車輪を強く握った。
「私は自分で動ける!」
「だから、事故に遭った私ばかり見ないで!」
私の瞳が揺れる。
みく姉ちゃんは、鉄骨の下にいる子供たちを見る。
「過去の私を助けようとしないで!」
「今を見て!」
その言葉が、私の胸へ突き刺さった。
過去は変えられない。
みく姉ちゃんの傷も消せない。
何度後悔しても、あの日には戻れない。
それでも。
今、助けを待っている人がいる。
私は顔を上げた。
男の子を見る。
女の子を見る。
落下する鉄骨を見る。
自分で車椅子を動かすみく姉ちゃんを見る。
今、目の前で起きていることを見る。
「もう……」
胸の奥で、何かが脈打つ。
「あの日ばかり見るのは、やめる」
ドクン。
右目に、淡い光が宿る。
「今、目の前にいる人を助けたい!」
瞬間。
私の視界が変わった。
切れたワイヤー。
鉄骨の傾き。
落下する軌道。
地面へかかる重さ。
二人が逃げられる方向。
周囲の人々の視線と重心。
今そこにあるものが、一本の流れとなって見える。
「右です!」
私の声に、二人の子供が顔を上げる。
「右に走ってください!」
けれど、恐怖で動けない。
鉄骨が落下する。
その時。
一人の青年が、二人の前へ飛び込んだ。
青年が両腕を伸ばす。
落下した鉄骨が、その腕へ触れた瞬間。
不自然に勢いだけを失った。
だが、鉄骨そのものの重さは消えていない。
青年の膝が沈む。
私には見えていた。
鉄骨の重心が、僅かに右へ傾いている。
そして、その右側にだけ、潰されない細い空間があった。
安全な線。
そこだけが、光って見えた。
「右です!」
「そこ、安全ラインが見えます!」
青年が一瞬だけ、こちらを見る。
私は叫んだ。
「少しだけ右へ動いてください!」
青年が右足をずらす。
「そこで止まって!」
青年は言われたとおり、その場で踏みとどまった。
「左手だけ、少し下げられますか!?」
青年が左腕を下げる。
鉄骨が傾き、子供たちの前に僅かな隙間が生まれた。
「二人を左へ押してください!」
青年は片腕で鉄骨を支えたまま、二人の背中を押した。
男の子と女の子が地面を転がり、鉄骨の下から抜け出す。
「もう離れて大丈夫です!」
青年が身体を引く。
直後。
鉄骨が地面へ落下した。
轟音とともに、土煙が舞い上がる。
二人の子供は、駆け寄ってきた母親に抱き締められた。
私はすぐにみく姉ちゃんを振り返った。
みく姉ちゃんは安全な場所まで、自分の力で車椅子を動かしていた。
目が合う。
みく姉ちゃんは涙を浮かべながら笑った。
「ほら」
「今の佳子、ちゃんと見えてたよ」
私の目から、涙が零れた。
過去の失敗ではなく、今できたことを見られた。
◇
騒ぎが収まった後。
青年は、制服についた土埃を手で払っていた。
「腕……大丈夫ですか?」
「問題ない」
青年は私の右目を見る。
「それがお前の力か」
「力……?」
「今の目だ」
私は自分の右目へ触れる。
「こんなふうに見えたのは、初めてです」
青年は僅かに考え込む。
「名前は」
「今見佳子です」
「御鏡真」
それだけ名乗り、御鏡さんは歩き出す。
私は、その背中へ問いかけた。
「どうして……」
御鏡さんが足を止める。
「どうして、私の指示に従ったんですか?」
「会ったばかりなのに」
「間違っているかもしれなかったのに」
御鏡さんは振り返らない。
「右だと言ったのは、お前だ」
「安全ラインが見えるとも言った」
私は息を呑んだ。
御鏡さんは、少しだけ顔を横に向ける。
「なら、俺はそれを信じる」
それだけ言って、御鏡さんは再び歩き出した。
私は、その背中から目を逸らさなかった。
第15話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は佳子が「今を見る力」に目覚めるまでの話でした。
過去ばかり見て、後悔ばかりの佳子が、初めて目の前の今を見る。
そのきっかけに、みく姉ちゃんの言葉と、御鏡との出会いがありました。
ただ、佳子の眼帯の理由はまだ残っています。
次回は、佳子が「未来を見る」ことになります。
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次回もよろしくお願いします!!




