第13話 「見極める者」
今回は、一花が自分の意思で立ち止まる回になります。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
鉄製の手すりが、根元から折れた。
二階の外階段に取り残されていた女性が、宙へ投げ出される。
その真下。
崩れた歩道に開いた穴から、折れた鉄骨が突き出していた。
「危ない!」
その光景を、俺は知っていた。
足元が崩れる感覚。
反転する景色。
迫ってくる地面。
あの日は、俺が落ちる側だった。
今は。
落ちていく誰かを、俺が見ている。
また、何もできないのか。
女性の身体が、鉄骨へ近づいていく。
落ちるな。
なんとかなれ。
俺は女性だけを見て、手を伸ばした。
「止まれ!」
グッ――。
女性の身体が、上へ引かれたように揺れた。
落下する速度が僅かに鈍る。
一緒に落ちた手すりの破片が、女性を追い越して穴の底へ消えていった。
止まったのか。
そう思った次の瞬間。
女性の身体が、再び落ち始める。
何が起きたのか分からない。
だが、考えている暇はなかった。
その一瞬で十分だった。
俺は穴の縁へ滑り込み、地面に膝をつく。
上半身を乗り出し、女性へ手を伸ばした。
指先が、女性の手首に届く。
「ぐっ……!」
落下の勢いに引かれ、胸から地面へ叩きつけられる。
右肩に激痛が走った。
それでも、手は離さなかった。
女性の身体が、穴の中で揺れている。
「離さないで!」
「離すかよ……!」
だが、片腕では支え切れない。
俺の身体まで、少しずつ穴の方へ引かれていく。
砕けた地面に爪を立てる。
それでも止まらない。
女性を掴んでいた指が、一本ずつ開いていく。
その時。
後ろから、誰かが俺の腰を掴んだ。
「支えます!」
制服姿の少女。
一花だった。
一花は片手で俺の身体を支えながら、穴の中へ手を伸ばす。
女性の空いている腕を掴んだ。
「引き上げます!」
「ああ!」
二人で力を込める。
女性の身体が、ゆっくりと持ち上がっていく。
何とか安全な場所まで引き上げた。
「ありがとうございます……!」
女性は何度も頭を下げ、避難所へ走っていった。
俺はその場に座り込み、荒い息を吐く。
隣では、一花も肩で呼吸をしていた。
少し離れた場所では、御鏡が拝島を牽制している。
黒い鎖が地面を擦る音だけが、静かに響いていた。
「どうして……」
一花が俺を見る。
「あなたたちは、悪い人なんじゃないんですか?」
「違う」
「俺たちは能力者を襲ってない」
「でも、拝島さんは……」
一花が言葉を止める。
俺を見る。
御鏡たちを見る。
何が正しいのか分からない。
その迷いが、表情に浮かんでいた。
「誰かに言われたからって」
俺は言葉を探す。
「そいつが正しいとは限らないだろ」
一花の瞳が揺れる。
「じゃあ、何を信じればいいんですか?」
「それは……」
言葉が出なかった。
頭の中に、二冊の学校案内が浮かぶ。
食卓の上に並べられた、二つの進学先。
「どっちがいい?」
母親に聞かれ、俺は片方を指差した。
「こっち」
通いたいと思っていた学校だった。
母親の表情が曇る。
「本当に?」
「普通は、こっちを選ぶと思うけど」
指差されたのは、もう一つの学校。
向かいに座る親族も、呆れたように息を吐いた。
「将来のことを考えたら、どちらが正しいか分かるだろ」
「でも、俺は……」
「あなたのためを思って言ってるの」
二人の視線が、俺へ向けられる。
答えを変えるまで、この時間は終わらない。
それは、いつものことだった。
「じゃあ……そっち」
俺は、もう一つの学校を指差した。
母親が安心したように笑う。
「そう」
「最初から、そう言えばいいの」
次に浮かんだのは、赤い点数が並んだ答案だった。
授業についていけず、眠れない日が続いていた。
「もう無理だ」
「学校に行きたくない」
そう伝えた俺に、母親は言った。
「どうして私たちのせいにするの?」
「最後に決めたのは、あなたでしょ」
親族も冷たい声で続ける。
「自分で選んだんだから、責任を持ちなさい」
俺が望んだ答えは、最初から許されなかった。
大人たちが望む答えを口にしただけなのに。
それはいつの間にか、俺自身が選んだことにされていた。
それから。
何かを選ぶたび、俺は相手の顔を見るようになった。
自分が何を選びたいのかではない。
何を選べば、怒られないのか。
何を選べば、正解なのか。
そればかりを考えた。
やがて。
自分が何を望んでいたのかさえ、分からなくなった。
「俺も……分からない」
声が震える。
「何が正しいのかなんて、俺にも分からない」
それでも、一花から目を逸らさなかった。
「俺は、分からないからって考えるのをやめた」
「そのせいで、何も選べなくなった」
拳を強く握る。
「あんたが誰を信じるかなんて、俺には決められない」
「でも……」
乱れた呼吸を整える。
「分からないからって」
「考えるのまで、やめるな」
一花の足元に、淡い光が現れた。
ひび割れた道路の上を這うように伸びていく。
一本は、拝島の足元へ。
もう一本は、俺たちのもとへ。
だが。
どちらの光も、途中で枝分かれした。
二本が四本へ。
四本が八本へ。
迷いが深くなるほど、道は細く、弱くなっていく。
◇
その時。
一花の頭の中へ、男の声が響いた。
《戻れ》
大津凪。
同じリンクに名を刻んだ者だけに届く声。
《拝島。卑弥。リア。一花》
《今すぐ戻って来い》
拝島が、御鏡たちへ視線を向ける。
「今なら一気に倒せる」
「この機会を逃すのか?」
大津に返事が届かないことなど、拝島も分かっている。
それでも、不満を隠そうとはしなかった。
再び、大津の声が届く。
《反論は戻ってから聞く》
《それより優先すべきことができた》
僅かな沈黙。
《リアの位置が、さっきから動いてねぇ》
《酷使しすぎだ》
拝島の表情が歪む。
「制限があると不自由だな」
リアの背中から伸びていた糸が、拝島の指先から外れた。
少女の身体が、力なく地面へ降りる。
拝島は黒い鎖を御鏡へ向けた。
「リアなしでも行けるぜ」
一花は、地面へ降ろされたリアを見る。
傷だらけの身体。
糸が外れても、自分から逃げようとはしない。
ただ、次の命令を待っていた。
一花は、落の言葉を思い返す。
落は、誰を信じろとも言わなかった。
正しい答えも教えてくれなかった。
ただ。
考えるのをやめるなと、それだけを言った。
一花は拝島を見る。
次に、御鏡たちを見る。
どちらが正しいのか。
まだ分からない。
なら。
分かるまで、自分の目で見ればいい。
誰かに決められる前に。
一花は顔を上げた。
拝島と御鏡の間へ走る。
「退いてください」
拝島が足を止める。
「何のつもりだ?」
「まだ、どちらが正しいのか分かりません」
一花の足元で、枝分かれしていた光が動く。
拝島へも。
落たちへも向かわない。
二つの陣営の間へ、新しい一本の道が伸びた。
「だから、見極めます」
一花が、自分の意思で拳を構える。
「今は、どちらにもつきません」
細かった光が、迷いを振り切るように輝きを増す。
幾つにも分かれていた道が、一つに重なった。
強い光が、一花の身体を包む。
「私は――」
拝島を真っ直ぐに見据える。
「中立を選びます」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
一花が選んだのは、どちらかの陣営ではなく、自分の目で確かめることでした。
この選択が、落やリアたちに何をもたらすのか。
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