第6話 前編 「元一般女性さん、王子様と踊る」
第6話の後編も追って本日投稿します。
よろしくお願いします。
日が沈む。
あらゆる光を吸い込む湖面は黒く、湖岸に生える月光に照らされた木々が見えなければ、自分が世界に取り残されたかのように感じてしまいそうだ。
緋夏たち生徒はティターノ王子がまもなく到着するとの知らせを受け、いそいそと寮の自室で着替えなどの準備を始めた頃だった。
緋夏もリィサから夜のパーティーに向けて「着替えをしましょう」と言われ、渋々今着ているドレスを脱ぐことを了承した。
貴族というのは、寝間着のネグリジェから朝用のドレス、昼の外出用のドレス、帰宅後の屋敷内で過ごすためのドレスと一日に何度も着替えさせられる。
ゲームでは見えなかったそんな面倒なしきたりに緋夏が大人しく従うはずもなく、「朝はネグリジェにガウンを羽織るだけ、昼には動きやすいドレスを、寝る前にはまたネグリジェね」と抵抗すると思ったよりあっさり受け入れてもらえた。きっと使用人たちにしても面倒だったのだろう。
だからこの時も昼の外出用のドレスを着ていて、緋夏自身も可愛くて動きやすいので好きだったのだがこれをわざわざ着替えるとリィサは言うのだ。
リィサは普段であれば先に着替える服を用意するのだが、この時はなぜか先にドレスを脱がされたので、緋夏は「なんでだろう」と首を傾げていた。
すると、リィサはやけにひらひらとして胸元もガバッと開いた赤いドレスを持ち出してきた。それを着せようとしてくるので緋夏は必死で抵抗するのだった。
「そんな服、破廉恥よ!わたしまだ学生!だから着ない!」
「前まで喜んで着てたじゃないですか!わがまま言うのはやめてください!」
緋夏が綿の肌着のまま窓辺に逃げ込んだ時に、真っ暗な闇を掻き分けるように暖かな陽光のような光が湖面を走った。
——サンタクロースだ。
緋夏はパッと見た時、そう思った。何やら動物に引かれた、空を飛ぶ馬車。よく考えてみればサンタクロースはソリなので違うと言えば違うのだが、なんだかシャンシャンと鈴のような音が響いてくるので勘違いしたのだ。
湖面を颯爽と駆け抜ける派手な登場。ティターノ王子が遅ればせながら到着したことを生徒たちは知った。
———
パーティーは校舎とは別の、舞台会場の建物で行われる。緋夏は結局ドレスを着せられたが、胸元を晒すのは避けられた。リィサに「絶対に合わないからやめてください」と言われたが、赤いドレスの上から白いレースのカーディガンを羽織っている。
——紅白でめでたいじゃない。別におかしくない、おかしくないわよ…たぶん。
会場へ向かう道中、他の生徒たちの視線を感じるような感じないような、こそばゆい感覚を覚えながら歩いていると——
「エメルダ様!こんばんは!」
アンネリーサが落ち着いた白のドレスを身にまとい、小走りで駆け寄ってきた。
「素敵なドレスですね!白のカーディガンも…寒いんですか?」
「あ、アンちゃん、こんばんは。えっと寒いとかじゃなくって…なんというか…。」
「恥ずかしいから、羽織ると言って聞かないんですよ。」
「リィサさん!こんばんは。——そういうことなんですね。確かに貴族令嬢方はセクシーなドレスが多いですし…。てっきり恥ずかしいとかそういうのは無いのかと思ってました。」
「恥ずかしいわよ…。ほとんど、裸じゃない?」
「わたしもアンちゃんみたいなドレスが良かったな…。」
「ダメですよ。お嬢様は公爵家の令嬢ですから、注目を集めるくらいでないと。なんなら流行りはお嬢様が作るくらいの気持ちでいてもらわないといけませんよ。」
そんな会話をしながら会場前に着くと、そこには荘厳さを感じさせる無駄にお金のかかっていそうな馬車があった。周りにはカウベルのようなものを持った学校の職員たちがいる。
そして、これまた豪奢な服に身を包んだ、異様に美形の青年が馬車の中にちらりと見えた。
ティターノ王子だ。
緋夏は「話しかけた方が良いんだろうな」と思ったが、実に面倒そうな予感を覚え、ひとまず足を止めた。
「あの馬車!すっごく綺麗ですね!お馬さんも毛並みが滑らかで…とても大切にされてるんですね!」
アンネリーサは普段なら見ることのない王族の装いに興奮しているらしく、少し声が大きめだ。
周囲の生徒たちが、無礼とまでは言えないその振る舞いに目を丸くしていると、アンネリーサの声に気づいたティターノ王子が馬車から降りてきた。
「可愛らしいお嬢さん、ありがとう。僕の自慢の馬だよ。幼い頃から毎朝世話してきてるからね。褒めて貰えて嬉しいよ。」
「そして、我が婚約者エメルダ。ご機嫌よう。レディを待たせて申し訳ない。」
「素敵なドレスだね。カーディガンは…新しい流行を作ろうとしているのかな?うん、良いと思うよ。」
「ご、ご機嫌よう、殿下。殿下が無事に来られて良かったですわ。」
「殿下もとてもお似合いで…す、すごくかっこいいですわ!」
自然に褒めてくれるティターノ王子。緋夏もそれに応えるべく褒めようとするが、前世を合わせても男性にそんな言葉を言ったことがなくて気恥ずかしくなってしまう。
「か、かっこいい…かあ。あっははっ、ありがとうエメルダ。なんだか君少し変わったかい?前に会ったときは何というか……薔薇のようだったんだが、今はまるで向日葵のようだ!」
「向日葵!わたしも大好きです!」
アンネリーサがあまり空気を読まないで、にこやかに笑う。
——わたしが、ひまわり?な、何か例えて返さないといけないのかしら!?
「殿下は…そう、たんぽぽみたいですわ!金色でキラキラしていて、首元のファーもたんぽぽの綿毛みたいですもの!」
「くふっ…た、たんぽぽ!あっはっはっはっは!なるほど、僕はたんぽぽか!随分と可愛らしい花に例えてくれたね。そうか、気に入ったよ。たんぽぽ殿下は少し着替えを済ませてくるから、先に会場へ入っていてくれたまえ。あっはっはっ、たんぽぽか!」
ティターノ王子は笑いながら会場を入ってすぐの部屋に姿を消した。
「…わたし、そんなにおかしなこと言ったかな?」
「ダメ、ではないかもしれませんが、たんぽぽはよくその辺りで見かける平凡な花ではないですか。殿下が怒らなくて良かったですね。」
リィサがため息混じりに答えてくれる。
「わ、わたしは好きなんだから別にいーじゃないの!」
「エメルダ様、わたしも好きですよ、たんぽぽ。可愛いですよね!」
アンネリーサの本気かフォローかわからない言葉は緋夏の反省を促すには十分な効き目があった。




