第2話 「元一般女性さん、穏やかに過ごす決意をする」
第3話は8/1(土)の深夜に投稿します。
よろしくお願いします。
——あら、おはよう。今日もいい天気ね。絶好のお嬢様日和だわ。
「なによ、お嬢様日和って……。」
緋夏はおかしな状況に心が逃げてしまいそうになるのをひとりノリツッコミで引き戻す。
「は?……ば、ばあやには、よくわかりませんねぇ。う〜ん、お美しくあるには良い日でしょうか?」
「…ひとりごとですよ、ひとりごと。」
緋夏は目頭を押さえながら俯く。自分の、やけに細くスラリとした指が目頭に触れて、ますます頭痛が痛くなる。ついでに腹痛も痛くなって、いっつっつだ!
エメルダ・ブライアロードは「聖アウロア魔法学院」の悪役令嬢だ。なんと、全22種類のエンディングのうち5種類のエンディングで、主人公アンネリーサはエメルダに殺害される。
初見プレイヤーが普通にプレイして引くエンディングはほぼエメルダによる殺害エンドだ。
おかげで付いたあだ名は”地獄令嬢”。というか、ゲーム内ですら陰で、「”Briaroad”ではなく、”Hell’s lord(地獄卿)”」と呼ばれている。
——熾烈にして苛烈、高慢で傲慢な彼女に転生してしまうなんて…。インガな話だ。
——茨木さんちの娘さん、悪役令嬢に転生するんですって!んまぁああ、大変ですわね!
「やかましいわ!」
「ひぃ!!も、申し訳ございません。ただちにこ…この息を止め……。」
老婆は自分で自分の首を絞め、顔が赤く染まっていく。
「ぎゃあああ!何やってんですか!やめ、やめて、やめなさい!!」
「はぁ、はぁ、はぁぁ。」
老婆の首を絞める手を解いてやると段々落ち着いてくる。自分より慌ててる人を見ると落ち着く、あれだ。
——そうか、自分は転生したのか。もう日本には…。というか死んじゃったのね、わたし。
両親の顔、大学の友人、同僚や上司の顔が順に思い浮かぶ。喉の奥から何かが溢れてくる感覚に、緋夏は唾を飲み込んだ。
——やめだ。考えても仕方がない。時間をかけてゆっくり消化する方がいい気がする。
そんなことより目下の懸念が先だ。乙女ゲームならエメルダは闇堕ちして婚約破棄され、場合によってはアンネリーサを手にかけてしまうのだから。その後は描かれなかったがどう考えても幸せな未来なんてない。
——中身が緋夏なんだから、破滅エンドに行こうとしなければまず大丈夫、よね?アンちゃん殺しません!闇堕ちだってしません!
——それに、もしかしたらエメルダが大人しくしてれば、アンちゃんの未来だって良いように変わるかもしれないしね。
色々と考えてしまうが、お嬢様生活なんて小市民の自分にしてみたら憧れだ。大人しくしながら、贅沢三昧して楽しもうと、そう心に決めてベッドを出る。
「——お嬢様、ありがとうございます…!ありがとうございますぅ!」
老婆は今だに天蓋付きのベッドの横で平伏している。
——エメルダは普段使用人の方にどんなふうに接してきたのだろうか。想像に難くないが…。
「もういいですよ。どうでも。着替えたいんですけど…。」
緋夏は「出ていって」というつもりで言ったのに——
「はいっ、ただいま!」
老婆が手をぱんぱんっと打ち鳴らすと、壁際に控えていたメイド服を着た女性たちがパタパタと近づいてくる。
緋夏はどきりとして顔を引き攣らせているとあっという間に可愛らしい黒のネグリジェは剥ぎ取られてしまう。
——こんなにきっちり寝間着を着て寝てるなんて…。わたしはいっつもシャツにパンイチなのに…。
「…じゃなくて!えっち!彼氏にだって脱がされたことないのに!…彼氏いないけど…。」
「お嬢様、いくらなんでも脱がさないで着替えはできないかと…。」
メイドの一人、長身で筋肉質な感じの女性がつぶやくように言う。
「これ!リィサ!やめんか!お嬢様に失礼であろうが!!」
「お婆様、甘やかすからつけあがるんですよ、お嬢様は。」
リィサは表情を変えずに、剥ぎ取ったネグリジェをリネンカートにそっと入れ、瀟洒なドレスを持ち出してくる。
「い、いや、自分で着替えるから——」
「お嬢様!手を上げる!」
「はいっ!」
緋夏はもう諦めて、恥ずかしいとかは脇に置いて着替えをリィサに任せることにした。
——転生したのはもう諦めるしかないとして、今はいつ頃なんだろう?学院は全寮制のはずなので、入学前だろうか?
「あの…リィサさん?わたしって今何歳でしたっけ?」
「先日16歳になられました。来週には聖アウロラ魔法学院に入学のはこびとなります。」
「そして、わたしは20歳です。」
「いや、あなたの年齢は聞いてないけど…そう、なんだ。」
——やったね、若返ったわ。*2歳から16歳!およそ半分ね!
——しかも、学校での寮生活!エメルダの婚約者、ティターノ第三王子様とのキャッキャウフフな青春ラブコメディを楽しもう!
——アンちゃんにも会いたい気はするけど…わたしは悪役令嬢だしね。遠目で見て満足しよう…!
「そういや、今日の予定とかあるんですか?お嬢様だし…。」
「今日はお嬢様のこしぎ……ご学友となられる諸令嬢とお茶会のご予定です。」
「今、腰…まあ良いですけど。それキャンセルできません?ちょっと具合が悪くって。」
今その諸令嬢と会えば、失態を犯す気しかしない。なんせ作法も何も知らないし、その諸令嬢とやらもゲームに出てきていればいいが、出てこない知らない人たちだと失礼になってしまう。
「かしこまりました。断りの連絡に加えて、学院でお会いしましょうという旨の手紙を出しておきます。」
——なに、この子すっごく有能。20歳そこそこでそんなに気を回していては過労死するんじゃなかろうか。
「では、今日は一日お屋敷でお過ごしになられるということですね。」
「そうですね。…ちなみにお父様とお母様って…。」
エメルダの両親など、ゲームには出てきていない。緋夏は、彼らに会う勇気がちょっと湧かないのだが——
「王都ですが…?例年通り年末にはお戻りかと…。」
——よかった。じゃあ、変に頭の病気とか疑われたりしなさそうね。娘に訳のわからぬ悪魔が取り憑いて!みたいなん大変そうだし…。
緋夏、鼻から深く息を吐き顔を上げる。
「ふぅん。じゃ、書庫で過ごしたいから、準備をお願いできます?」
「かしこまりました。」
学院で波風立てないよう、入学式までの一週間で貴族令嬢らしく、目立たず影をうすぅく引き延ばせるようにしておきたい。
付け焼き刃でもいいから、マナーだとかこの世界の歴史の勉強も少しはしておかなければ。
——あと、せっかく魔法のある世界に来たのだから、お茶会より魔法の勉強がしてみたいなって。
———
「なんだか、今日のお嬢様随分、なんというかその、”まとも”でしたね。」
「そうだったかね?わたしの首を絞めたりしていつもと変わらないと思ったけどねぇ。」
「いや、あれはドロシーお婆様が勝手にやっていただけで…。——なんだか、お屋敷に来た頃に戻ったみたいでした。」
「あの頃は姉妹のように大切にしてくださっていたからねぇ。まあ、お前が言うならそうなんだろうよ。」
ブライアロード家の大きな屋敷の片隅にあるリネン庫ではひっそりと使用人たちがそんな会話をしていた。
緋夏はそんな会話などつゆ知らず、書庫で魔法書を片手に、ぶつぶつと試した詠唱で——
「ぎゃあああああ、ほ、本に火が!こんな簡単に使えるなんて危なすぎるでしょ!むちゃくちゃや、この世界!」
ボヤを起こした後始末に追われていた。
入学式までは一週間の時間があるが、果たして”一週間も”なのか”一週間しか”なのかは、大人しく過ごす予定の緋夏にとってはあまり関係のないことだったのだ、このときは。




