第19話 前編 「元一般女性さん、雨の休日を過ごす」
第19話後編は9/27(日)の夜に投稿といたします。
よろしくお願いします。
聖アウロラ魔法学院は巨大な亀の背に建っている。しかし、入学してすぐの頃の緋夏の感想を言えば「どう見ても学院を乗せて湖に浮かぶ島」でしかなかった。
ただ、実際にそこで生活してみるとどうやら真実らしいというのが見えてくる。朝起きてみると微妙に風景が変わり続けているのだ。そして入学から四ヶ月が過ぎた時には当初の湖から数百キロは離れているらしい森林地帯に学院はあった。
緋夏はこんなに大きな生き物が移動なんてしたらとんでもない環境破壊になるのではないかと心配だったが、その辺は魔法生物らしく邪魔なものは破壊するのではなく移動させつつ動いているらしかった。亀の進んできたらしい道は、塔の上から周囲を見渡しても見つけられない。ただ、森の中にぽっかりと穴を開けたように学院が建っているのだ。
しかし、リィサに言わせてみれば環境なんぞより、洗濯物の乾き具合の方が問題らしい。
「あぁ、また日の向きが変わってる…。最近雨も多いというのに、全く面倒な…。もう魔法で乾かした方が早いかな…?」
緋夏の朝の支度をしながらぼやくリィサ。湿気が酷いので、緋夏の髪を纏め上げてくれている。
「別に適当に乾くまで放っておいたら良いんじゃないの?」
リィサの入れてくれた温かい紅茶で唇を濡らしながら緋夏は反応してみる。
ぴくりと髪を結う手が震える。
「…お嬢様の着ているややこしい服はですね?適当に乾かすとカビが生えてしまうんですよ。おまけに生地ごとに扱いが変わりましてですね——」
顔は見えないが気配が怖い緋夏はすぐに謝った。
「ご、ごめんね?わたし別にジャージとかあればそれでも良いからね?」
「じゃーじぃとは?」
「運動するための服かな。飛んだり跳ねたり、走ったりするのにちょうどいい服ね。」
「ほぉう?では運動をなさるわけですね かしこまりました 乗馬用の服の余りを簡単に仕立て直すので それ着て外出なさってください。」
リィサが早口で捲し立てる。
——どうやら、今日わたしは外出して運動をするらしい。まあ別にいいけどさ。いつも、大変だろうし厄介払いされてあげますよ…。
今日は週に一度の自習日。つまり休日なのだ。大体は部屋でぼんやりしているか、三銃士とアンネリーサとで集まってお茶をして、お喋りしているだけの日だが、今日は散歩に出かけることにしたのだった。
「ああ、そうだ。——お嬢様。出かける時は傘をお持ちくださいね。最近は晴れていると思っても、突然降り出しますからね。」
「はーい。わかったわよ。」
———
リィサとそんな会話をした後、緋夏は朝食を食べに食堂に向かった。
食堂に着くと学院で雇われている給仕が席に案内してくれる。席は四人がけの丸テーブルだ。
ここに来て緋夏は自分が一人であることに気づく。いつもなら自然に集まるメンバーがいるが、今日はいない。
普段より朝食に出た時間が少し早かったためだった。
特に”何人で利用しましょう”などという決まりはないものの、一人で使うには広すぎるテーブルに流石に気が引けてしまう。
久しぶりの静かな食事はなんとなく味気なかった。一週間ほどしか過ごさなかったが、ブライアロード家の屋敷を思い出す。あの時も、料理は美味しいものの、食卓を囲むでもなく突っ立ってる使用人たちのせいでなんとなく食べた気がしなかったものだ。
「はぁ、ご馳走様。」
緋夏は深く息を吐いて席を立つ。
食器類は給仕が片付けてくれる。至れり尽くせりだ。
——でも、なんというか…わたしが庶民だからかしら。身の回りのことなんでもしてもらえるのは助かるようで、でも人間らしさを失うような…。
——皿洗いも洗濯ももうずっとしてないもんね…。
食堂を出た後、何気なく校舎内をぶらりと散歩してみることにする。
一度部屋に戻ってから外を歩いてみるつもりだったが、わざわざ戻る理由もなかったから。
———
外観からして瀟洒な聖アウロラ魔法学院の内装はこれまたすごかった。
生前、あるいは前世のとき、海外旅行で訪れた城を緋夏は思い出す。その時に見た、展示品の無駄に凝った豪華な椅子やら机と似たようなものが今まさに目の前にあって実用に供されているのだ。自分の金は一銭も出していないから”学費がいくらか”などはわからないが、こんな立派なところに通うのはとんでもない金額がかかりそうだ。
——見よ、足元の石畳でさえ何か模様が描かれているぞ。まことにいとをかし、ね。
美術館やら博物館へ観覧に行く高尚な趣味は緋夏にはないが、それでも見ていて楽しい。頭が良くなった気がしてくる。
その後も気が向くままに校舎内を散歩していると、図書室の前に差し掛かる。自習日とは言え実質休みの今日だ。そもそも開いているのだろうかと扉に手をかけ力を込めてみると簡単に開いてしまう。
——あ、あっ、開いちゃった。
ドアのほんの隙間から中が見えてしまう。受付に座っていたオルビス先輩とちょうど目が合ってしまい慌てて扉を閉める緋夏。
——すませ、すみません!わたし先輩に用ないから!消えるから許して!
悪いことは何もしていないが、勤勉な彼の鋭い視線は緋夏の怠惰な心を刺してくるのだ。つまり、嫌いではないもののちょっと苦手意識がある。
少し小走りで緋夏はその場を離れた。
◇
休日にまで図書室で勉強をしようという生徒は少ない。つまり、そこにいるのは勤勉な生徒ばかりで、それなりに人はいるのに静寂に包まれている。
彼もまたこなすべき課題を終わらせるべく早朝から図書館を訪れて勉強をしていた。「そろそろ朝食に行け」と腹の虫が騒ぎ始め、集中力も切れかかったときだった。
ぎいっ
図書室の静寂を破る、少し無遠慮な扉を開く音がした。
音を出した本人は想定外だという顔をして、慌てて扉を閉めた。
彼にとって見知った顔の女性だ。気の強そうな造形の顔をしているのに、その実、優しさと人間臭さの同居した彼女。
なんとなく追いかけたくなった彼は机に広げていた資料を書物鞄に押し込み席を立った。




