第76話 細海先輩と御森くんと静かに働きたいだけの先輩社員ですが、エネルギーの塊みたいな新人後輩の教育係になった結果、今日も絶妙に噛み合わないです。
昼と夜の温度差が分かりやすくなってきたな、とジャケットを羽織る。
基本、暑がりの俺だけど秋はやっぱり秋の色をした長袖が着たいから
仕事終わりにこれくらいの気温だとすごく胸が踊ってしまう。
「(今年もお前を着る季節が来たんだなぁ)」
愛用しているお気に入りのジャケットに心の中で話しかけた。
当時の年齢だと少し背伸びした買い物だったけど
こうやって社会人になっても着れるんだからバイト頑張って良かったなと思う。
「(せっかくだし今日はちょっと寄り道して帰ろうかな)」
袖口のボタンのわずかな重みとか
視線の端々に入る布の質感がまっすぐ帰るのはもったいないと訴えかけてくるようだ
「(でも匂いとかつくの嫌だし晩御飯食べにいくのはちがうな~、なんかもっとしっくりくる感じの…)」
そこまで考えて、ふと帰り道の少しわきに大きな書店があったと思いつく
いいじゃんいいじゃん“読書の秋”!
久しぶりに小説とか読んじゃう?
ここ数ヶ月、環境の変化や覚えることが多くて空いた時間を意識できていなかったと思う
軽い足取りで書店の自動ドアをくぐると紙とインクのにおいに包まれて思わず口角が上がった。
「(この感じめっちゃ久しぶり)」
俺は普通の人よりも趣味が多いらしい
ゲームも漫画も小説も好きだし、夏になれば海に行きたいし冬はスノボができたら嬉しい
そんな訳で読むジャンルも面白そうだと思えばなんでも読む
ミステリー・SF・ファンタジー・恋愛・歴史・青春・純文学。
ホラーとサスペンスを見ないふりして漫画コーナーに差し掛かった時だ
「そんな訳で細海ちゃんにはアニメを布教したい、ってわけ」
聞き覚えのある声にライトノベルコーナーを覗き込む
「物部先輩!細海先輩!さっきぶりです!!」
退勤時に「お疲れ様です」と別れた2人の先輩に駆け寄った。
「御森くん!!!良いところにきた!!!」
会社での頼り甲斐のあるお姉さんな雰囲気がなりを潜めキラキラな瞳で俺を見る物部先輩と対照的に
隣で細海先輩が「あー…あーぁ…」みたいな表情をしているのが気になる
「御森くん、これ知ってる?」
「“無能と呼ばれた薬師ですが、作った回復薬が国宝級だったみたいです”いや、読んだことないっすね」
いわゆる“なろう”系小説だ
「こういうタイトルが長い小説って気になってたんですけど面白いんですか?」
「『面白いんですか?』かぁ~」
随分と含みのある物言いで物部先輩がニヒルに笑う。
「昨今、タイトルが長いライトノベルが繁栄しているのは何故か?そう面白いからだよ。読者は賢い。タイトルを見た瞬間に自分の欲しい物語かどうか判断できる。説明不足は美徳じゃない。情報は多ければ多いほどいい、さらに内容も基本的には「ざまぁ」することが前提のため最後まで読み切った時のスカッと感が中毒症状を起こす代物なわけ、でこの“無能と呼ばれた薬師ですが、作った回復薬が国宝級だったみたいです”については面白いなんてものではない、これは人生の聖典になるべき一冊で」
この瞬間、細海先輩の「あー…あーぁ…」みたいな表情の意味を理解した。
「あ、そんな面白いなら」
「面白いというか崇高!!尊い!!この表紙の黒髪の子が特に」
「あ、や、めっちゃ好きなんですね」
「そぉぉぉぉ!!!」アニメ化もするんだけど声優さんがまた豪華でぇ」
「(どっかで“じゃあ買ってみます”って言いたいのに物部先輩の語りが止まらない)」
困った、ちょっとお腹すいてきた。
チラッと横を見ると細海先輩はすべてをあきらめたような顔で表紙を見つめいている
「あ、あのものべせんぱっ」
きゅるるるるん
なんとか会話をしようと声を出したタイミングで盛大にお腹の虫が鳴いてしまった、は、恥ずかしい…
「御森くんはお腹すいた時の音まで愛嬌があるんですね」
「細海先輩、今のは黙って聞き流して欲しかったっす」
「ごめんね御森くん!!お腹すいたね??よし、お姉さんがご飯奢ってあげるからもう少し付き合ってよ!!」
あれよあれよと引きずられていく最中
「今日お気に入りのジャケットなんで、匂いのつかないお店で!!物部先輩聞いてますかー!!」
と小声で叫ぶ俺の後ろを歩く細海先輩が「お気に入りのジャケット良い色ですね」とサムズアップしながら褒めてくれた。
違う違う、ほめてもらえるのは嬉しいですけど!!助けてください!!
今日も真面目が一周回って少しズレてる先輩と大型犬系新人の俺は絶妙に噛み合わないです!!
ちなみに、心配したお店のチョイスは細海先輩が「禁煙個室有の和風カフェ」を提案してくれたおかげでお気に入りのジャケットの匂い問題は事なきを得たのだった。




