第29話 細海先輩と御森くん体感温度
その日は暑かった
まだ春というには着る服に困るほどの気温を叩き出した。
朝のお天気ニュースでも『半袖にアウターを合わせて体温調節できるように』などと言っており
服装自由の弊社では、季節感がバラエティに富んだ一日の始まりとなった。
「服装ミスりました…」
そう言って、私の隣で腕まくりをする御森くんは
長袖のシャツに綺麗めのスプリングジャケットという組み合わせだったが、彼の筋肉量では少し暑かったらしい
「暑かったらジャケット脱げば良いかなぁ、って思ってたんですけど、そもそも長袖が暑すぎます」
ビルで管理されているエアコンは
まだ時期的に冷房を選択させてくれないため
仕方なく暑がりの社員は窓を開ける。
太陽は暑くても空気はまだまだ春の匂いで
少し乾いた涼しい風が居室を通り抜けていく
「早く冷房がつけられるようになると良いですね」
そう言った私の事をなんなく見ながら
「細海先輩は暑くないんですか?」
と御森くんが首を傾げた
御森くんが入社してから気温関係なく同じ服を着回しているからだろう
今日も暑いというのに私はまだ冬の寒さが残っていた時期と同じ服を着ている
「暑くないです。体感温度の許容範囲が広いので」
基本ブラウスにスラックスを基本にインナーを発熱素材の長袖にしたり
上に羽織る物を調節すれば一年大きくワードローブを変えなくても問題無い
そもそも冷え性寄りなので半袖を着ることが無いのでこれからの季節、恐らく御森くんからは信じられない物を見る目で見られる日が来るだろう
「許容範囲とは?」
「そうですね、そもそも冷え性なので寒いのはもう仕方ないことですし、暑いと思うのも御森くんが思うよりずっと暑くならないと〝暑い〟って認識しないと思います」
今までも
誰かが暑いと言って冷房をつけ
誰かが寒いと言って暖房をつけていた
自分の体感温度で居室の温度を調整しようと思うまでに至った事はない
「それって…気圧の時と同じで〝しんどいけど我慢できる〟範囲ってことじゃないですか?」
最近この後輩は〝ジト〟とした目で私を見る事がある
大概が御森くんの尺度で〝無理をしている〟と認識された時に発動するこの目が私は苦手だ
「我慢してませんよ!冷房寒いなって思ったらちゃんと手持ちのカーディガンと膝掛けを装備します!」
「ほら!!本当は寒いのに冷房我慢してるじゃないですか!!そこは〝温度少し上げて良い〟か確認してもいいと思います!」
御森くんの言葉に思考が停止した
誰かが温度に不満があればその不満を解消する事が正解であって、自分の不満は自分の手元で解消できるから問題無いと思っていた
「でも、合わせられる人が合わせた方が合理的じゃないですか?」
暑い人は冷房の温度を下げて
下げた分、寒さを感じたら着込めば良い
「もしかしたら暑い人が暑さを感じないで、寒い人も寒がらなくて良い温度があるかもしれないじゃ無いですかぁ!片方だけが快適は快適じゃないと思いますっ!」
御森くんの述べた持論は、私にとって机上の空論のようなものだ
そんなに都合良く、全員が快適に過ごせる環境なんて難しい必ず誰かがどこかで割りを食わなくてはいけないと思う
私は少なくとも、そう思う、けど
「…確かにそうですね、少し自分の快適と向き合ってみます」
そう言ったのは嘘では無い
御森くんの言葉が実現したら良いなと思ったからだ
「はい、1人で〝まだ大丈夫〟はダメっすよ」
正誤はともかく、私はこの日
この新人の理想論に少しばかり乗っかってみるのも良いかもしれないと、柄にも無く思ってしまったのだ
そんなやり取りを、密かに部長が嬉しそうに見ていたのを
私は気付かなかった




