39/友達
カントレッジを出発して五日が経っただろうか。
場所はステラ北部。ムメイの街よりもさらに北側にある草原地帯を、わたしたち三人と一匹は歩いていた。
この五日間、メルリヌスさんは親切にもたくさんの魔法の稽古をしてくれた。おかげで撃つ、爆発、凍結といった氷魔法は安定して使えるようになった。特に撃つの威力は丁寧に詠唱をしていた頃よりも高くなっているので、これなら戦闘も少しは安心して行える。
幻に関しても、これを使ったらどうだい、とメルリヌスさんが持っていた貝殻とやらで簡単に使えるようになってしまった。貝殻にあらかじめ術式を刻み込んでおいて、使う時に魔力を込めて起動するだけ。詠唱も必要なく、簡単に相手に幻影を見せることができるという優れもの。
そして、変質。これに関してもだいぶ安定して魔力行使を行うことができるようになったと思う。メルリヌスさん曰く、変質に関してはわたしの技量不足以上に魔力不足が大きいという。最初の頃にテイルに言われた通り、長時間……一日どころか一年、もしくはそれ以上の時間……効果を持続させたければ、魔力器官を繋げた状態で魔力供給を続けるしかないらしい。
一日だけであれば、一度魔法をかけるだけで十分らしいけれど。
テイルはわたしがメルリヌスさんに魔法を教わっていることが面白くないのか、肩の上で不満そうに唸り続けていた。それでもわたしの成長自体は嬉しいのか、時折よしよし、と満足そうに頷いていた。
「…………?」
今日はあいにくの曇り空。今は昼だけれど、意識していないと朝とも夕方とも思えてしまうような暗さだ。そんなどんよりとした天気の中、空からは何やら黒い塵のようなものが振り出していた。
「これは……」
見覚えがある。魔人の身体から出ていたもの。魔物たちが死んだ後に変化したもの。それと全く同じものが、今空から降り続けている。
何事かとメルリヌスさんに問いかけようとして、ずぶり、と足が沈み込んだ感覚に慌てて下を向いた。
「な、なんですか、ここ」
あたり一面泥だらけ、とでも言おうか。だが泥とは言っても一般的に想像されるような茶色い、土に大量の水が混じっているようなものではない。
黒一色。けれどわずかに紫色の光を帯びているそれは、見るからに普通の泥とは違っていた。
「近道だと思って寄ったけど、これはちょっと失敗だったかな」
いやあまいった、と前を歩くメルリヌスさんは呑気に頭を掻いている。
「魔力濃度、というよりは魔物の気配が強いです。メルリヌス、説明を求めます。ここは一体何なのですか」
しかめっ面をした烏兎が、メルリヌスさんに説明を要求する。この五日間、何度も見たような表情である。メルリヌスさんに対しては、烏兎はこういった不満そうな、怒っているような呆れているような表情を浮かべることが多かった。
「うん。ここはね、魔物の巣。その名の通り、魔物が多く発生、生活している場所さ。ま、ゴミ捨て場のようなものだよ」
何でもないことのように、さらりとメルリヌスさんは答えを口にした。
だが何でもないようなことではない。魔物が大量に発生するような場所にわざわざやって来るとは、大問題ではないだろうか。いくら魔法が使えるとはいえ、数が多ければわたしたちだけでは倒しきれないかもしれないのに。
「なに、心配ないさ。こっちには烏兎がいるんだ。いざとなれば、全部まとめて焼き払ってもらえばいい」
最初に見た烏兎の魔法を思い出す。軽い動作で周囲を炎に包んだ烏兎。たしかに彼女ならば、その程度造作もないことなのだろう。
烏兎はメルリヌスさんの言葉に、少しだけ口を開けて、呆れたような表情を浮かべていた。文句の一つも言ってやりたいが、言葉を持ち合わせていない。そんな表情をした後、烏兎は大きなため息を吐いた。
「メルリヌスは一度、きちんと反省するべきです」
「ははは。いや、別に反省したことがないわけじゃないよ?、反省の色が見られないとはよく言われるけど」
ずぶずぶと太もものあたりまで沈んでしまうような泥沼を、メルリヌスさんは難なく進んでいく。
歩きにくいが足を取られて転けることはないだろう。用心しつつ、烏兎と二人で軽快に前を進むメルリヌスさんの後を追う。
と、ごぽりと何かが蠢いたのが見えた。
「! 撃つ!」
即座に杖を編み上げて、躊躇なく何かが動いたところに氷刃を撃ち込む。こんな場所に、普通の生き物が生息しているとは到底思えなかった。
「——!」
撃ち込んだと同時に、何かが泥の中から飛び出す。細長いそれはくねくねと身体を動かしながら、大きく口を開けてわたしに飛びかかった。
避けきれない。
そう判断して咄嗟に腕を出したのだが、ありがたいことに、魔物はわたしを噛む前に切り裂かれて塵になった。
「烏兎、ありがとう」
飛びかかってきた魔物を切り裂いたのは、烏兎の大鎌だった。
いえ、と言いながら、烏兎は大鎌を見てわずかに目を細める。よく見れば、綺麗な銀色の刃には黒色の泥が飛び散っていた。
自身の魔道具が汚れることはあまり好まないのか、烏兎は軽く大鎌を振って泥を落とそうとする。
「待って待って。洗う」
メルリヌスさんに習った簡単な魔法。水を被せて物を洗うだけの、日常生活においては役に立つだろうが戦闘には絶対に役に立たない魔法。
一言呟いただけで、大鎌は綺麗さっぱり、もとのキラキラと輝く身体を取り戻していた。
「これでよし、と。汚れたら教えて。また綺麗にするから」
「ありがとうございます、モルガーナ」
ぺこりとお辞儀をして、烏兎はお礼を言ってくれた。
「ううん。烏兎こそ、助けてくれてありがとう」
いえ、と呟いて、烏兎は視線を遠くへと向ける。
旅の間、烏兎は何度もわたしを助けてくれた。それが仕事だから、という理由での行動なのだろう。けれど、それはわたしにとってはありがたいことだった。
正面を向いて、再びメルリヌスさんの後を追う。
……やっぱり、わたしは烏兎を変えたいと思ってしまう。一度目はうまくいかなかったけれど、それでも諦めきれない。
意を決して、立ち止まって烏兎の方へと振り向いた。
「烏兎。あのね、お願いがあるの」
突然立ち止まったわたしに訝しげな表現を向けながら、烏兎はこてんと首を傾げた。
「わたしと、友達になって欲しいんだ」
言って、手を差し出した。烏兎は不思議そうに、わたしの顔と手を見比べる。
「理解できません。何のために、そんなことを?」
「それは、えっと。ただそうなりたいから、じゃ駄目なのかな」
駄目ではありませんが、と烏兎は視線を下げる。そうしてしばらく黙り込んだ後、顔を上げてわたしの手を取ってくれた。
「分かりました。デメリットはありませんし、問題ないでしょう」
そう言って、烏兎はわたしの手を握る。どうやら、友達になってくれる、ということらしい。
「本当⁉」
正直断られると思っていたから、予想外の展開に聞き返してしまう。烏兎は気にした様子もなく、はい、と無表情のまま頷いた。
初めての、にんげんの姿をした友達だ。
烏兎はにんげんではないし、わたしだってにんげんではない。けれどそれでも、その姿をした友人を得られたことは、わたしにとっては嬉しいことだった。だって、ずっと望んでいたものだったから。
ぶんぶんと腕を振って握手をし、ゆっくりと烏兎の手を離す。烏兎は不思議そうに自身の手を見ていたが、やがて再び正面を向いて遠くを見つめ始めた。
烏兎の気持ちは分からない。もしかしたら、何も感じていないのかもしれない。
それは少し残念なことではあるけれど、それでも今は、友達ができたことが嬉しかった。
再び、前を向いて歩き始める。
ニンゲンでも人間でもない。カミサマのような存在だけれど、本当のカミサマではない。わたしの存在は不安定で、所詮は作り物で、偽物なのだろう。
行動だって感情だって、本当は全部アステールに操られているのかもしれない。
それでも、わたしはニンゲンらしく在りたいと思ってしまった。それは個人の幸福を追求することで、テイルやグラフォさんの言う救世主とはかけ離れた存在なのかもしれない。
けれど今はまだ、それを捨てることはできそうになかった。




