ワンダーランドの過ごし方<後編>
「蔵斗」
美作が、全開の笑みで蔵斗を迎える。その笑顔に蔵斗の目に涙が浮かんだ。やはり家族との久しぶりの邂逅はあまり気持ちのいいものではない。しかも、この後もまた会わねばならないのは、苦痛でしかなかった。
「将棋」
倒れこむように抱きついた蔵斗を、美作は慌てて受け止める。蔵斗は普段恥ずかしがって二人きりの時でさえ、自分から抱きついてくることなど無かった。
ぎゅっと服にしがみ付くように回された腕に、将棋は戸惑った視線を背後の雅と相馬へと送る。
「引越し荷物は中へ運んどく」
相馬はそういい置いて、荷物を抱え上げた。衣装ケース一つに小さなダンボール一つ。ビルの前まで車を付けてしまえば男なら一人で充分だ。
「アリスの家族が来たのよ。とりあえず、創玄の店に連れて行ってもらったわ」
残された雅が説明する。それだけで将棋には蔵斗が抱えた不安の理由が判った。
「蔵斗。安心していい。俺にはお前だけだよ」
「将、棋」
耳元へ囁くと、蔵斗が濡れた瞳を上げる。
「来たのは誰?」
「父さんと兄さんと弟の由斗。早川さんの店で食事してもらってる。家に帰ってないのもバレてるし、何で引越しするんだって聞かれたから、一緒にいたい人がいるって言った」
蔵斗は自分の中の不安を吐き出すように、一息に口にした。
「じゃあ、一緒に早川の店へ行こう」
「将棋、いいんですか?」
美作の言葉に、蔵斗が顔を輝かせる。恋人が寄せる無上の信頼に、応えない男はいないだろう。
「いいに決まってる」
「アリス。この男を精々こき使っておやりなさいな」
顎を引くようにして雅が言い放ち車へと向う。自分の役割は美作へ蔵斗と荷物を渡した時点で終わりだ。後は、美作と蔵斗自身の問題だった。
「アリスさまがおいでになりました」
和田が個室の扉を開くと、その向こう側に家族の姿が見え、蔵斗の身体は緊張で固まった。いかつい風貌から最近見せるようになった表情が消え、視線が自然と下を向く。
「和田さん、ありがとう」
和田に掛ける言葉にも、精彩が欠けている。それは和田にすぐに伝わった。
「アリスさま。お食事はどうなさいますか? お顔の色が優れませんな。軽いもので身体の温まるものをお持ちいたしましょうか?」
「和田さん……」
にっこりと微笑んだ和田に気遣われて、蔵斗は思わず泣きそうになる。
「和田。そうしてくれ。俺にはサーロイン」
涙ぐみそうな蔵斗の背を押し、椅子に座らせると、美作も隣へと腰掛けた。
「承知いたしました。美作さま」
和田は恭しく、執事とはかくあるべきと見本のような礼をして身を翻す。後姿をなんとなく見送っていた蔵斗の手を美作が取った。
「前を向いて。蔵斗」
言われて蔵斗は目線を上げる。正面に座る父親の文句をつける様に睨む視線に怯みそうになるが、それでも何とか前を向いた。
「そこの男は何だ?」
「一緒に暮らす相手だよ。美作、将棋さん」
「はじめまして。この上でパブを経営しております」
美作が軽く頭を下げる。正直なところ、二人の関係を隠す気も無いし、必要性も感じなかった。蔵斗の態度を見ていると家族との関係が上手くいっていないのは明らかだ。
「つまり、この男がお前の恋人だと」
「そうだよ」
ふて腐れたような蔵斗の言い方に、むしろ美作が驚いて目を見開く。下から睨みつけるように父親を見る視線は目つきの悪さだけではなく、何処か拗ねたような色がある。素直で優しくて可愛い蔵斗だが、やはり家族には思うところがあるらしい。
父親が立ち上がり、拳を振り上げるのを蔵斗は避けようともしない。隣にいた壱斗と由斗が慌ててその腕にすがり付いた。
「父さん、いい加減にしなよ。蔵斗はもう思い通りになんかならないよ」
「止めてよ。父さんがそんなだから蔵斗兄さん家に帰ってこないんじゃんか!」
壱斗と由斗の反論に、呆然となったのは父親だけではない。蔵斗もまたぽかんとなって兄と弟を眺めた。
「由斗?」
特にいつもツンケンした態度だった由斗の言葉には驚くばかりだ。兄も自分を庇ってはくれたが、いつも謝れというばかりで、蔵斗の言うことを正面から聞いてくれたことなどない。
「他の家は、盆や正月に働きに出た兄ちゃんや姉ちゃんが帰ってくるのに、蔵斗兄さんはもう五年も帰ってこなくて。それなら、遊びに行こうと思ったのに」
「由斗、お前早川さんに嫉妬してたのか?」
壱斗が車の中での会話を思い出す。親しい様子が気に入らなかったのだと態度が語っている。
「そう、か」
壱斗の眼が優しげに由斗を見下ろした。毒のある言葉も全ては裏返し。壱斗は由斗の頭を宥めるように撫でた。そして、それを羨ましげに見ている蔵斗の視線にも気付く。そんな表情にさえ気付かなかった。いや、表情を見せるようになったのか。
その蔵斗の頭を隣の男が撫でると、蔵斗は嬉しそうに笑った。
早川にも笑顔を見せていた。雅と相馬という男たちは進んで手伝いに来た風だった。和田の気遣いは決して常連客だからだけでは無いだろう。
「父さん。蔵斗とは上手くいかないんだから、今更蔵斗の相手が男だろうが気に入らなかろうが構わないだろう?」
父親を宥めるように振り向いた壱斗に、口の中で文句を言いつつも、結局表に出すことは無い。そのまま席へ着くと、ビールジョッキを傾けた。
ノックの音が響き、和田が入ってくる。
苦虫を噛み潰したような顔の父親を除いて、表面上は穏やかに家族の会食は再開した。
「蔵斗。おいで」
ベッドに腰掛けた美作が蔵斗を誘う。蔵斗が立膝を立てた美作の足の間に納まると、美作は後ろから抱きしめてゆらゆらと身体を揺らす。
「蔵斗。お兄さんとは上手く行きそう?」
「そうですね。今までよりは。でもやっぱり引っかかりはあるかも」
由斗は何とか可愛がれそうな感じがするが、兄はちょっと微妙だ。
「まぁ、いいよ。その分俺が甘やかしてあげる、早川にも雅にも茅場にも甘やかしてもらえばいい」
いい大人が甘やかしてもらうことには、蔵斗はまだ照れがあるらしい。羞恥で顔が真っ赤になった。
「やっぱり、将棋って変です」
それに美作はクスリと笑う。
蔵斗は知らない。最後までしないのは美作がもっと蔵斗を甘やかしたいから。今はもっと周囲の人間たちにも甘やかしてもらって欲しい。それこそ、子供時代のコンプレックスを払拭するくらいに。その為には、縛り付けることはしたくない。最後まで抱けば、きっと嫉妬でがんじがらめにしそうな自分を美作は知っている。
「蔵斗。可愛い」
鼻の頭にちょんとキスをすると、いよいよもって蔵斗が赤くなる。
ワンダーランドでの暮らしははじまったばかりだ。
<おわり>
読んでくださって、ありがとうございました。蔵斗が蔵斗らしくいられる場所を見つけたところで、一旦終了とさせていただきます。
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