12話. 愛しさと切なさと
日の光が小屋の中を照らし始め、朝の気配が漂い始めた頃、私はゆっくりと身体を起こして周りを眺めた。
『そうだったわ…元に戻ることができるまで、私はしばらくここで暮らすのよね…』
犬の身体は丈夫なようで、夜の寒さもさほど気にならず、少し時間はかかったけど、ちゃんと眠ることもできた。
ベッドに染み付いていたハヤテの優しい匂いが、不安を少し和らげてくれていたようだった。
ベッドの奥に置かれた汚れたおもちゃからは、草木や土の匂いが漂っていた。そして、なぜか心が温まるような気がした。
小屋から出てきて隣の本当の我が家を見上げてみる。
凛子、由利江ママ、尚希パパ…
パパはお仕事でいない日が多かったけど、ほとんどの時間を凛子達と過ごしていた。
離ればなれになることなんて初めてだった。
自由気ままに家中を歩き回り、跳びはね、狭い場所に隠れては、名前を呼ばれても素っ気ない態度をとってみたり…
アイツはこんなに狭いところで毎日を過ごしていたんだ…1人ぼっちで…
うちの庭で心の底から楽しそうに走り回ってた気持ちが、何となくわかるような気がした。
『そうね!アイツにも色々とあったんでしょうよ!ただのバカ犬だと思ってたけど、少し見直したわ!でも少しだけよ!どうやっても元の体に戻るんだから!』
色々なことに思いを巡らせていると、今日は初めて見るおじさんが家から出てきてご飯を持ってきた。
「ハヤテ~おはよー。珍しく夜中鳴いている声が聞こえたけど、ホームシックかな?」
おじさんは私の目の前にトンっと器を置いた。
目の前には、昨晩と全く同じ質素な器。中には同じ茶色いポロポロが入っている…
「待てよ~…よし!」
どうやらこれが『いただきます』の合図のようだ。
食べ始めた私を眺めているおじさんは、優しい匂いに混じって、ほんの少しお酒の匂いがした。
私がキレイにご飯を食べ終わると、そっと器を手にとって頭を撫でて家に戻っていった。
しばらくすると、ガッチリとした上も下も同じ色の服を着て、首からはシマシマの紐みたいなものを着けた姿で出てきた。
「いってらっしゃ~い!あ、晃樹、今日は何時ごろに帰ってくる?」
玄関先からはまだ少し眠そうな仁美さんの声。
あのおじさんは、晃樹さんって言う名前なのね。うちのパパさんみたいにお仕事に行くんだわ。
そんなことを思いながら見送った。
不思議としっぽがパタパタと動いていた。
晃樹さんが出ていった玄関から、仁美さんがひょこっと顔をだし
「ハヤテ!おはよー!また後でね!」
と言って、すぐに戻っていった。
1人でいる時間が長いわねぇ…いつもは凛子を幼稚園に送ってすぐに由利江ママは帰ってきてたし…お家には咲子さんがいることも多いんですもの…
お腹もどうにか膨れたし、やることもないので、またハヤテの小屋の中で優しい匂いに包まれながら目を閉じた。
◇◆◇◆◇
少し日が陰りだしたころ、仁美さんが紐を持って家から出てきた。
昨日、家に帰る時に首に付けられた紐だ!
『どこかに連れていってくれるのかしら!?』
退屈をしていたので嬉しくて仕方がない。
シッポも我ながらビックリするくらいに左右に振られ、喜びで飛び付いてしまいそうだわ。
「ハヤテ、お散歩に行こうか~?今日はあまり遠出は嫌だからね!」
首輪に紐を付けながら仁美さんが言う。
『お散歩!?お散歩ってなに!?ワクワクするわ!』
お庭の門扉を開けると、仁美さんは私を連れて外に出る。
おそるおそる出てみると、足元は草や土のお庭と違う感触…爪がカチャカチャ鳴って気になるわ…
戸惑う私にお構いなしに、仁美さんはぐんぐん歩いていく。
私も置いていかれてはなるまい!そう思って、カチャカチャ爪の音を響かせてついていった。
ホコリ臭いし、ゴミ臭いし、人が多くてガヤガヤうるさい!
でも、所々にハヤテらしい匂いが染み付いていて、ここをいつも歩いているのね…と思った。
犬って便利ね~匂いで大体のことがわかるみたいじゃない!なんて感心したけど、すぐに打ち消した。
『いいえ!猫の方がスゴいんだから!』
何がスゴいのかパッと頭には浮かばなかったものの、そういうことにして納得した。
ありとあらゆる匂いの情報が頭の中に入ってくる。
目まぐるしくてクラクラしてしまいそうだった。
『やっぱりいつものお家のスッキリとした匂いがいいわ…早くみんなに会いたい…』
また家族のことを思い出して切ない気持ちになった。




